62 私を保健室へ連れてって
「塩は、し、と、お、だから、それだけで2文字でしょ?」
「じゃあ、しで1! おで2! ラで3! アーで4! メで5! ンで6!」
「5文字じゃなくて6文字になっちゃっているでしょ」
「じゃあじゃあ、しで1! おで2! ラーで3! メで4! ンで5! どやっ! ざまぁ!」
スゲー! さすが塩ラーメン! 万能フードだな!
「そんなバカなこと言っていないで素直に名前を名乗ってください」
「いや、声で分かっているだろうがよ」
「声優が知り合いの声マネをして演技している可能性もあるでしょ!」
なんでそこで声優が出てくるんだ。声優なんて旭川みたいな田舎には居ないだろう。アニメのイベントで来るとかは別として。
「だからオレだって、さっきから言ってるんだろ」
「それはオレオレ詐欺だから名前と合言葉を言えって言っているんでしょ!」
「城崎赤良だよ!」
「合言葉は?」
「そんなもん設定していないだろう」
「…………まあいいでしょう、いちおう正解ってことで、開けていいですよ」
ここにいたるまで、随分時間をドブに捨ててしまったような気がする。
「おいクロハ、頼みがある」
「そのぞんざいな言い方は、人に物を頼む態度じゃないでしょ。お願いします、って丁寧な口調の敬語で言ってみなさいよ」
クロハだけでなく、二階堂ウメさんもレオタードにまわし姿に変身していた。二階堂さんは股割りをやっていた。横にきれいに180度。さすがである。
「自分の足で走って探すよりも、クロハの自転車を貸してくれよ。その方が早いって気づいた」
無駄な問答で時間を大幅ロスしているんだけど、自転車さえゲットすれば遅れは容易に取り戻せると思っているので、焦りはない。
「イヤよ。だって借りパクされちゃうでしょ。貸さないわよ」
おいおい。まがりなりにも相撲部監督サマであるこの俺サマを、借りたものを返さない不届き者と同等の扱いをしやがって。
ゆるさん。
「それに、貸す意味無いでしょ。後ろを見てみなさいよ」
意味があるか無いかを決めるのはクロハの一存じゃないだろう。いくら女神だからってそれは横暴すぎる。……と思いながらも、言われた通りに後ろを振り返ると。そこには、国境の長いトンネルを抜けた後に待っている雪国のように、白い肌があった。
「……あ、あれ? 恵水? いつの間に戻ってきたんだ?」
そう。俺の背後には恵水が俯いて立っていた。確かにこれなら、クロハに自転車を借りて探しに行く意味は、もはや無い。
うつむいたままの佐藤恵水は、小さく鼻をすすっていた。……もしかして、泣いている、のか?
「裸足のまま飛び出しちゃったから、それでアスファルトの上を走ったら、足の裏の皮が水ぶくれみたいになって、破れて皮が剥けて、痛い」
……ああ、そういえば、勢いで飛び出して行ったから、裸足のままだったな。それでそのままずっとアスファルトの上も走ったのか。
そりゃー、大昔のオリンピックの時に裸足のマラソン選手が金メダルを獲得したという逸話があったと思うが、それを現代人が猿真似したってしょうがないよな。
自業自得、と言ってしまえばそれだけのことではあるが、女子高生である教え子が怪我をして泣いているという状況で、監督の俺が何もしないわけにもいかない。
ここは得意の回復魔法で!
……と、言いたいところだけど、使えません。異世界だろ? どうして俺は魔法使えないんだよ。
だが、よく考えたらここは旭川西魔法学園だ。恵水もクロハもここの生徒だ。二階堂さんは別の学校の生徒だから魔法を使えるかどうかは俺は知らない。
だが、恵水かクロハが魔法を使って治せばいい。
「恵水! 泣いている場合じゃないぞ。自分で魔法を使って治癒すればいいだろう。そのために学校で魔法を習っているんだろう?」
俯いたままの恵水は、真っ直ぐ切りそろえている前髪が被さっていて、長身の俺の視点からは彼女の目は見えない。だが、ぽたぽたと雨のように滴が落ちたので、涙がこぼれたらしい。
「魔法を使ったら、しばらく動けなくなっちゃうでしょ。だから保健室へ連れてって」
保健室へ行ってどうするんだろうか? 保健の先生が魔法で治癒してくれるのか? でも保健の先生だって一回魔法を使ったらしばらくは魔法を使えなくなるんじゃないのか?
と思い、俺が逡巡していると。
「赤良! 早くメグをおんぶして保健室へ連れて行きなさいよ!」
部長のクロハが監督の俺を相変わらず呼び捨てにして、まるで女神がしもべの人間に指示するかのように言い放った。……あ、ヤツは女神なんだっけ。女神がいたり、霊長類がいたり、異世界からの転生者がいたり、なんだかんだで賑やかな相撲部ではある。
でもまあ、このケースは、その通りにするのが合理的だろうな。クロハと二階堂ウメさんは稽古を続けてくれる方がいい。監督である俺が怪我人を保健室に連れて行くのが普通だな。
「ほら、恵水、おぶされ」
俺は恵水に背中を向けて、しゃがんだ。




