50 捨てる女神あれば拾う女神あり
「なんだよ。魔法が使える世界でも、俺にはハワイアン大王波を出せないのかよ。世知辛いな」
魔法は、俺のためにあるもんじゃないんだ。
……魔法に八つ当たりしていても仕方ないな。
どうやって、工場に行く?
とにかく考えるよりも先に行動あるのみだ。
まずは歩き出した。
歩道を歩いていると、当然ながら車道を走っている自動車にはびゅんびゅん追い抜かれていく。平ボデー4トントラックも、朝っぱらから何やら荷物を積んでどこかへ向かっている。異世界のこちらは今は冬ではないので、路面はアスファルトが露出している。スリップしてこっちに突っ込んでくる心配は無いだろう。
自動車だけじゃない。自転車に乗った高校生にも追い抜かれる。
人間が自分の足だけでスピードを出すのが難しいと分かる。
空を見上げても、飛んでいる自転車は見あたらない。
まあ、そうだろうな。
魔法で空を飛べるとはいえ、コストパフォーマンスが悪すぎて、気軽には使えない技だ。俺だってあんな不便な魔法なら、無闇には使わない。
気持ちが焦る。
歩いている歩調が少しずつ早くなって、いつしか俺は小走りで走っていた。
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。
息が弾み始める。
心臓の鼓動も早くなり始める。早くなっているのが自分でも分かるくらいに、大きく鼓動している。
しかし。
魔法学園、の地下にある工場までは、まだまだ遠い。クロハは自転車で通学している。そんな距離を、魔法も使えない普通のオッサンの足で走ってどうにかなるもんでもない。俺は格闘技などの短期的に力を発揮するスポーツならそれほど苦手ではないが、持久力を必要とする長距離走は得意じゃない。
はぁ…………は。ぁ、。あ。……は、はぁ。。ぁ、はぁ。
走る速度は勝手にブレーキがかかってスローモーションになり、やがて歩く速度になって、更にやがて、足が止まった。
へぇ……へぇ……ぇへぇ……、ぅぇっ……
俺は膝に両手をついて、肩で息をする。
年は取りたくないものだな。はあ。
息切れマジツライ。
目の前がクラクラする。
まるで船酔いのように脳がグワングワンと揺れている感じがする。完全に酸欠だな。
まだ全然進んでいない。魔法学園は、地下の製麺工場は、まだまだ遠い。
だけど負けていられない。
何があろうと前に進むのが戦車の道。
俺の好きな戦車擬人化アニメで言っていた。
あれ? 擬人化アニメだったっけ?
記憶が曖昧になっている。それくらい、酸欠で脳に酸素が行き渡らなくて、記憶の齟齬が発生しているんだ。
でも、朝っぱらから疲れ果てた肉体。折れた精神。遠い道のりの果ての製麺工場。
俺の行く手には夢も希望も無いじゃないか。
せっかくこちらの世界での就職先が決まったと思ったのに、出勤初日から工場に到達する目処が立たない。
そこへ。
シンジラレナーイ! ことに、俺の目の前に救いの女神が降臨したのだ。
あ、女神といっても、薄情なことに俺を見捨てて自転車で一人でさっさと行ってしまった薄情なクロハ・テルメズのことじゃないぞ。つい薄情って二回も言ってしまったじゃないか。それくらい薄情だぞ。
俺が膝に手をついたまま荒く息をついて呼吸を整えていると、車道を走っていた一台の青い車がハザードウインカーをつけて歩道に寄せて停車した。俺の立っている付近だ。
青い車の助手席側のパワーウインドウがウィーーーンと開いた。
「お兄さん、お困りのようですね。車に乗って行きますか?」
鈴を転がすような、という陳腐な表現をネット小説でよく見かけるけど、まさにそういう声だった。声ブタである俺に言わせれば、藤峰子を演じている女性声優の声に似ていると一瞬思った。
おっっっっくうなのを我慢して、俺は顔を上げた。開いた助手席ウインドウの向こう、運転席には藤峰子さながらというべき美女が座っていた。
俺に向かって、まるで弥勒菩薩のような穏やかな笑顔を向けている。
おおお!
あ、弥勒菩薩って、普通に男性だけどな。あくまでもこれは比喩だ。
美女が、俺に救いの手を差し伸べてくれた。
「はい! 俺、とても困っています! 車に乗せてってください!」
ノータイムで即答した。……そういえば子どもの頃、知らない人の車に乗ってはいけません、って親とか学校の先生とかに教えられたような気がするが、今の俺はもう大の大人であり、誘拐されるとかそういう心配は無い。俺を誘拐したって、こっちの異世界には知り合いもいないし、身代金を払ってくれる人はいないからな。俺を誘拐するメリットは無いからな。俺を生かしておこうと思ったら、飯をたくさん食うからコスパ悪いからな。
「じゃあ、早く乗って!」
なんなんだこの展開。
パンをくわえて「やばい遅刻遅刻~!」と慌てて走っていたら曲がり角でイケメンと衝突するヒロイン、みたいなお約束というか、定番というか。いや、それを上回る超展開じゃないか。
まさに、捨てる女神あれば拾う女神あり。
俺はさっさと青い車の助手席に乗り込んでシートベルトをかちっっと装着した。
美女とドライブだぜ、へへへ。




