49 朝チュンの後朝
「じゃ、あとは、おとなしく寝ててね」
言うだけ言ったクロハは、さっさと自室に引っ込んだ。そっちに勉強机もベッドもあるようなので、部外者はお呼びでないという感じだ。
いやさ。そりゃ俺は部外者だよ。そもそもこっちの世界観点からすれば異世界人だよ。昔のSF学園アニメでやっていた、宇宙人や未来人や超能力者を集める部活を作っていた美少女に会いに行けちゃう設定だよ。
でもなんか、扱い、ヒドくないか?
元々住んでいたアフリカから新大陸アメリカへ連れて行かれて過酷な労働に従事させられた黒人奴隷のような境遇じゃねえか。霊歌でも歌っちゃるか。
というか、これから先のビジョンが見えない。お金も無い。お金があっても実質的貨幣価値は爆裂消費税のせいで十分の一。
はあ。溜息しか出てこないっていうの。
疲れたよ。肉体的にも精神的にも。
もう、何もしたくない。息するのすら面倒だ。
と、うつらうつら思っていたら……
「ちょっと赤良! いつまで寝ているのよ! 早く起きないと仕事に遅刻しちゃうよ! いきなり遅刻とかしちゃうと評定が下がっちゃうわよ!」
耳元で女の子の大きな声が響いて、俺はビビって飛び起きた。
あれ?
飛び起きた、とは?
俺は自分の行動に疑問を抱いてしまった。いや、昨日の記憶からの連続性が繋がらなかったからだ。
もしかして俺、気づかないうちに眠ってしまっていた?
チュンチュン、と雀の鳴き声が聞こえた。いわゆる朝チュンだ。窓からは朝日が入り込んでいて、壁際に並べられた鉢植え観葉植物を照らし、緑の生命力を漲らせている。
……ああ、いやいや、朝チュン、といっても、単純に朝に雀が鳴いているだけだ。深い意味は無い。後朝シチュエーションじゃない。
あ、後朝、という語が分からない人は辞書で調べてみてくれ。読みは「きぬぎぬ」だぞ。
クロハはというと、もうとっくにパジャマから学校の制服に着替えている。
「部屋に鍵掛けるから、早く出てよね」
「え? え? え?」
俺はわけも分からぬ間にアパートの部屋の202号室から追い出された。
俺には着替える服自体が存在せず、昨日のまんまの格好だから、起きて布団から出て、そのまま家から飛び出した。いや、布団から出てすらいませんけどね。結局フローリングの床でそのまんま俯せで寝ちゃったよ。新聞の敷き布団も枕すらも無かったわ。
こんがらがった思考を快刀乱麻で整理するヒマも与えられず、俺はあたふたするばかりだった。そんな俺を傍目に、クロハは自分の自転車を用意して跨っている。
あ、あれ? ちょっと待って。何か、イヤな予感がするんだけど。
「赤良、今日から仕事なんでしょ? しょっぱなから遅刻とかしちゃダメだよ!」
んなことは言われなくても分かっているわ! テメー学生だろ。俺はオッサンだけど社会人なんだぞ! 遅刻がダメなことくらい、現代日本の一般常識としてちゃんと分かっているっちゅうの!
「俺はどうやって工場まで行けばいいんだよ?」
「そんなの自力で行きなさいよ」
「おい女神のクセに、すんごく冷たい言い方だな! 俺、こっちの世界では車も無いし、バスやタクシーに乗るにしても金もほとんど持っていないんだよ」
金を持っていないわけじゃない。厳密に言うと、貨幣価値を持っていないんだ。
「じゃあ自分の二本の足で歩いて行けばいいでしょ」
「ここから西高、ってか、魔法学園、遠いだろ! 歩いて行ったんじゃ確実に遅刻するっての」
「だからなんだってのよ? 監督が生徒に泣きついてどうすんのよ? もっと威厳を見せなさいよ」
威厳が必要なのは正論だろうけど、監督に威厳を求めるくらいだったら、まず最初に監督に対して尊敬するというか、敬意を抱くというか、そういうのがあってもいいんじゃないの? なんか遥かに年上の監督に対して赤良ってナチュラルに呼び捨てが定着しちゃっているしな。まあ別に年上だからってだけで偉ぶるつもりも無いけど。
……ああ、いやいや、そういうことを言いたいんじゃなかった。
「お前、魔法使えるだろ? 最初に会った時みたいに自転車の後ろに乗せてくれよ」
「それじゃ二人乗りになっちゃうでしょ」
「いやだから魔法で空を飛べば道路交通法には引っかからないって最初に言っていただろうが」
「イヤよ。魔法使ったら疲れちゃって、午前中の授業が頭に入らなくなっちゃうでしょ」
言うだけ言って、クロハの自転車は軽快に走り出した。魔法ではなく、普通にペダルをこいで路上を。
こういう時に役に立たなくて、何が魔法なのよ?
このクソったれな現実に、俺も魔法が使えるならば魔法をくらわせてやりたい!
俺はその場で足を前後に開いて、両手の手首と手首を合わせた。子どもの頃、公園で練習した通り胸の前から気合いと共に前に突き出す。
「ハワイアン大王波!」
ぷw
出た。
屁が。
残念ながら、アニメのようにはハワイアン大王波は出なかった。




