11.雑貨屋の親爺
雑貨屋は案の定、モリアの家のすぐ傍だった。
庭の柵の隙間から出てほんの少し右に進む。小さな村の小さな雑貨屋は、小さな扉を開け放ったまま、何時来るか判らぬ客を待っていた。
灰緑色の古びた看板には、文字だか模様だか判断つかぬ痕跡しか残っていないが、それでもこのささやかな村においては支障ないのだろう。
棟続きの家屋は居酒屋になっているようだ。こちらは外壁に傾いた文字が直接書かれ、辛うじて読めぬことも無い。そもそも、読み書きができる者がどれだけ居るだろう。この小さな村でも手習所を開く教師は居るだろうか。
その居酒屋も小さな村のこと、物置に毛が生えた程度のものだ。おまけに昼日中では客も無い。老爺が一人、扉前の階段に腰を下ろして煙管を吹かしているだけだ。
と、その老爺がこちらを見て腰を浮かせた。
「モリアじゃないか。待っておったんだ、頼まれ物は仕入れて来ておるよ」
そう言うところをみると、彼が雑貨屋を営むナジス氏らしい。腰を叩いて伸ばし、更に左右の肩と首の後ろを自分で揉んで、それからやっと見慣れぬ旅人に気付いたようだ。煙管を口から外し、逆さにしてぽんと打った。
「はて、どこの兄さんじゃったかの?」
目を細める老爺に、ヴァニタスは慌てて首を振る。
「我は外から来たんだ。旅の途中で、食べ物なんか都合できればと」
外、と言う言葉に老爺は使い古した筆先のような白い眉を持ち上げた。
「やれ、外から来た者なんて久しぶりだわい。眼鏡に適う物がありゃあ良いが」
どっこいしょ、と掛け声と共にナジス老は立ち上がり、腰を叩いた。
「儂も歳だなぁ。たった十日の買出しが腰にくるとは。
そういうことだから、モリア。なかなか届けてやれなんだ。息子はまだ狩りから戻らんし、嫁は産み月に入るのでなあ」
「あれ、もうそんなかい? この間挨拶したときに、随分腹が大きくなったと思ったよ」
老婆が頬をほころばせ、老爺も目尻を下げた。
「次は女の子が欲しいと、せっせと襁褓を縫っているわい」
その直後。
老爺の黒目がきゅっと縮まった。しまった、という表情が一瞬浮かび、口髭を震わせたかと思うと背中を向けた。
「さて、年寄りの長話は兄さんには退屈だろうて。早速商売と行こうじゃないか。何がどれだけ必要かの?
それにモリアも。塩と小麦粉と麻布の他に欲しいものは無いか? 小さな物なら持って帰れるじゃろう。今回は香辛料も仕入れてきたぞ」
それなら、とヴァニタスは何気なく口を挟んだ。
「丁度良い、我が運んでやるよ」
ナジス老が振り向き、目を瞬かせながら刷毛のような口髭を引っ張った。直後、ぷち、という小さな音が聞こえ、その目が見開かれたかと思うと僅かに潤む。存外痛かったに違いない、髭に指先を添わせ、湿り気を増した声で言った。
「ああ、そうした方が良い。腰の悪い爺婆よりは力もあるだろう。
じゃあこっちにおいで」
「済まないけど、お願いしようかね」
とモリア。そして、あ、と手を打った。
「そうだ、うちの卵を持って来るつもりだったんだ。先に行っとくれ、すぐ戻るから」
慌てて引き返していく老女の背を見送り、横の雑貨屋に入る老爺の後にヴァニタスは付いて入った。
村外から仕入れるとなると、自分で行くか金で他人に頼むか。
現代はそこんところも分業になっていて、楽で便利です。
その流通業界がいま、パンク状態というのも不思議なご縁。




