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10.ふたりでお茶を

多分この茶葉(ちゃよう)、緑茶ではないと思います。

ハーブティーかも?


「あ……っ

 ご、ごめんなさい。そんなこととは」

 思わずこぼれる詫びの言葉に、老女は首を振った。

「構やしないよ、あの人が馬鹿だったんだ。

 (しじま)森がまだ小さな森でこの村がもっと大きかった頃、この辺りに領主様のお城があっただなんて。子供の時分に聞いた御伽噺に憧れて、お城を見たいなんて言い出して。進んで案内に立ったのさ。

 おかげであたしと娘は苦労させられたよ」

 その娘を嫁がせて、孫が生まれて。やがて彼等が都会へ去っても。

 彼女は、この村を出ることができない。

「年に一度、夏の声を聞く頃にはあたしも湖に行ってみたよ。それこそ何十年もね。けれどお城なんて一度も見えたためしが無い。

 この齢になると流石に億劫で、ここ何年も行ってないけどね」

 それさえなければ、景色のきれいな良い場所なんだけど。

 老女の乾いた溜息に呼応するように、薬缶が微かに鳴り始めた。

 それからは何となく話が尽きて、二人して湯が沸くのを黙って待った。

 老婆は慣れた手つきで茶を入れる。湯に開く茶葉は思いがけなく華やかに匂いたち、微かに紅色を帯びた湯気が、開いたままの戸口から吹き込む風にゆらりと散った。村の中、森の中を通う風は、盾の山脈を越えて来たのか、湖水を揺らして来たのか。汗の引いた身体には、涼しいと言うより寧ろ少し寒い気さえした。

 渇いた口と喉に、熱い茶は意外なほど心地良かった。黒すぐりの砂糖煮をお茶請けに、老婆と二人、それぞれが二杯ずつ茶を飲んだ。

 次からは茶葉を持って出掛けるのもいいだろう。茶杯を手にヴァニタスはそう考えた。

 一服か二服分、それと小さな茶漉しくらいなら場所も取らない。路銀の乏しい草枕にも、時には余裕があってもいい。実際、この熱い茶に警戒心は大いに緩み、午後の眠気さえ忍び寄ってくる。

 茶杯の底に残った金茶色の雫を喉の奥に流し込んだ後、彼はしばらく甘い果汁のついた匙を眺めていたが、最後にぺろりと舐め取った。匙と茶杯を卓に戻し老婆の顔を見上げると、彼女は笑みを含んだ眼で彼を見ていた。

 急にきまりが悪くなって、ヴァニタスは手元に視線を戻す。

 この場を逃げ出したい、そんな衝動が鳩尾(みぞおち)の辺りに溜まっていた。

 老婆の黒瞳は年月に色褪せ青みを帯び始めていたが、何かを見抜いているようだ。確信めいた直感がして、どうにも居心地悪いのだ。

「あの、(おれ)さ。気になるから、先ず買物をしておきたいんだ。雑貨屋の場所を教えてくれると嬉しいのだけど」

 モリアと視線が合わないように、老女の心に障らぬように、卓上の茶杯に咲いた小さな花柄を数えるふりをしながら選んだ言葉をヴァニタスはそっと並べた。綻びかけた己の心を取り繕うだけの時間が欲しかった。老女の隙を(うかが)うように、椅子からそっと尻を浮かし、重心を爪先に傾ける。

 けれど老女も、まだこの久方ぶりの客を解放する気は無いようで、それならあたしも、と椅子を引いた。

「塩と小麦粉を頼んであったが、まだ取りに行っていなかったものね。すぐ支度するから、一寸(ちょっと)だけ待っておくれ」

 ヴァニタスの内心も知らず、彼女は卓上を片付け始める。

 もしかしたら、(おれ)(まず)い選択をしたのだろうか。

 心細くなって視線を泳がせるが、勿論逃げ道などある筈も無い。理由も解からず向けられる好意は、却って彼を不安にさせた。まるで飼犬かなにかのように老婆を待っている、そんな自身が気に食わない。

 いっそ、老婆をそのままに出て行こうか。小さな村だ、雑貨屋などすぐ判る。

 掠めた思考を押し留めたのは、振り返った老女の一瞬の表情。

 あれは、置き去りにされた老犬の眼だ。

 癒えることない鈍い飢えの痛みを抱え、それでも尚癒されることに、半ば諦め半ば期待を抱いて見つめてくる。

 それを、(おれ)()っている。

 椅子から立ち上がれずに、ヴァニタスの目は老女の姿を追い続けていた。

そういえばロシアンティーのジャムは、お茶に入れるのでなく、お茶請けに舐めるのが正しいそうです。


「ロシア紅茶の謎」というタイトルに、特殊な茶葉だと勘違いしたのは自分だけじゃないハズ。

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