銀色狼
フェリシアに獣耳と獣尻尾が生えてから、兄のディーンは文献を漁るのに忙しい。
目の下の隈、疲れた表情、力無いため息。
根を詰めすぎる兄に、強制的に休息を取らせるため、フェリシアは図書室へ突撃する。
「兄様、お茶にしましょう」
読んでいた本から顔を上げた兄ディーンは、やはり憔悴した顔をしていた。
心無しか、銀髪が艶を無くしている。よれよれ。そんな言葉が似合う。
「………」
ディーンは指だけでフェリシアに近くにくるよう指示を出す。
フェリシアは、ディーンの椅子の真横に密着させて置かれている椅子に腰掛ける。
すぐさまディーンから腕が伸ばされて、フェリシアは左腕で抱え込まれ、右手で頭と獣耳を撫でられる。
『くすぐったい…』
獣耳から伝わる感覚に、フェリシアは身をよじって逃げたくなるが、自分が子犬を撫でて大いに癒された経験を思い出すと、兄のために逃げてはなるまいと、じっと堪えた。
もふもふもふもふ…
獣耳全体を手のひらで揉み解され、中の柔らかい毛を親指で、外の固めの毛は他の指で透かれる。
次第に指の動きは強く大胆になって、なんともいえない刺激がフェリシアを襲う。
『ちょ…兄様、そろそろ離して…』
フェリシアの顔が真っ赤になる頃、ようやくディーンは獣耳から手をはずし、両腕でフェリシアを抱きしめた。
「フェリシア、体の調子はどうだ? 何か変わった事はあるかい?」
「いいえ、特に変わった事はありません」
「最初は、身体強化系の魔法の暴走だと思ったのになぁ…」
ディーンは小さなため息をついた。
獣人族は、魔法力が少ない代わりに優れた身体特徴を持つ。
生まれつき体が丈夫であるし、種族にもよるが、足が速かったり、耳が良かったり、力が強かったりする。
婚姻に寄らず獣人族の力を付与する事が出来れば、それは確かに画期的であろう。
だが、フェリシアの能力は、人族のままだった。
魔法力が減ったわけでも、身体能力が上がったわけでもない。
獣耳と獣尻尾『だけ』が付与されている。
「呪いだとして、誰が誰を呪ったんだか見当がつかないし…」
ユトロ家の父親は宰相を勤めており、あだ名は『狸親父』。
学園3学年主席のディーンは『悪魔』1学年次席のフェリシアは『女狐』。
母親は若い頃『鈴蘭の君』と呼ばれていたそうだ。
大きな恨みから小さな恨みまで、色々かってる可能性は否定できない。遺憾だが。
「この国には、獣人族の資料が充実してないから、実験も躊躇してしまうし。
最悪切除したら、また生えてくるのかな?」
『切除』の言葉に、フェリシアの獣耳はへにょり、と垂れた。
「ふふ。冗談だよ。まずは季節の変化で毛が変わるのかも観察したいしね」
ディーンの声にからかう響きが混ざる。だいぶ気分は復活してきたようだ。
「不思議だよね。フェリシア、こっちの耳も聞こえてるんだろ?」
ディーンが獣耳に触れそうなほど口を寄せる。
声の響きが、温い吐息がくすぐったくて、フェリシアの体が跳ねる。
「はい。どの耳も音は聞こえて。でも、性能の差が全然わかりません」
器官が多ければいいという事でも無いらしい。
ディーンの右手は、背中から腰に滑り降り、今度はフェリシアの狐の尻尾を撫で始める。
「兄様、くすぐったいです」
今はまだ、根元から先端に向かって直線的にしか撫でられていないが、このまま好きにさせれば、獣耳以上にモフモフされる。
「フェリシアは可愛いなぁ。元々可愛かったけど、耳と尻尾でさらに可愛い」
ディーンは全く聞こえていない風に、尻尾へのいたずらをやめない。
片腕で抱きしめてフェリシアを逃がさないよう固定しているあたり、手馴れている。
「そんな事を言われても、自分じゃ撫でても癒されないし、正直困ってるんです。
兄様、私も協力しますから、早く人族のフェリシアに戻して下さい」
愛でる立場と愛でられる立場で、こうも違うのかとフェリシアはショックを受けている。
確かに撫でられると幸せな気分にもなるのだが、なんというか、恥ずかしさの方が大きいのだ。
「そうだねぇ。夏期休業が終わるまでに元に戻らなかったら、フェリシアは学園を退学して領地の屋敷にいるといいよ。
私も卒業したら向かうから、そこで呪いを解く方法を、色々と試してみよう?」
ディーンはフェリシアを抱いていた腕を外すと、今度は両手でフェリシアの頬を挟んで、目線を固定した。
この兄妹の顔立ちは似ている。端的に言えばキツ目の美形。
ただ、兄ディーンの目は父親似のアイスブルーで、普段から感情を表情に出さないせいで『冷徹』と評される。
口の端で笑った際に『悪魔』呼ばわりされたのは、本人にとって不本意だったそうだ。
対して妹フェリシアは挑戦的に見えるらしく『生意気』。
『女狐』が、半端なくしゃみの鼻息由来だというのは、本人にとっては訂正するのも恥ずかしい事柄だったそうだ。
そんな美形兄妹が近距離で見詰め合っている。
「お姫様の呪いを解くのに必要なのは、溢れる愛だろう?
大丈夫。解けても解けなくても、ずっとずっと、一緒にいるから」
唇が触れそうな距離まで近づいて、ディーンの目が愛しそうに細められる。
フェリシアは、赤くなったり青くなったりしながら、必死に両手で兄の額を押して距離を取ろうとする。
尻尾の毛が逆立っている。
『なんというか、愛されてるけど凄く怖いっ! 絶対これ、屋敷から出られなくなるやつだっ!』
「兄様っ。紅茶が冷めます。紅茶っ、紅茶飲みましょう!」
半泣きのフェリシアに満足したのか、ディーンはゆっくりと拘束を解いた。
もちろん、右手の指で名残惜しそうにフェリシアの頬を撫でてからだが。
『よれよれ、と、ギラギラの落差が激しすぎる。中間は無いのですか兄様…』
フェリシアは、兄の頭に銀色狼の獣耳を見た気がした。
ふかふかの狼尻尾は、きっと満足げにゆらゆらと揺れているに違いない。