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俺たちダンジョンメーカーAチーム!

作者: ほの基地

 不思議の国アリス?と世界観を共有してますが、未読でもまったく問題ありません。

 ここ『ユグドラシルのお膝元』という世界にはダンジョンと呼ばれる迷宮がある。そこは様々な財宝と魔物、そしてそこを支配する魔王が存在すると言われている。

 ダンジョンは世界に複数存在する。それだけ魔王が存在すると言っても過言ではなく、その事に怯える者もいた。

 しかし、ダンジョンを好む特殊な人種もまた存在するのである。それこそが冒険者と呼ばれる命知らず達だ。彼らはダンジョンに潜っては財宝を漁り、魔王を倒す勇者になることすら夢見る。

 そしてこの物語はその冒険者――の話ではなく、ダンジョンを作っている裏方たち『ダンジョンメーカー』の物語である。







 株式会社ダンジョンメーカーの社員、それも係長を務めるホビット族のエンポリオは難儀していた。


 まず、ダンジョンメーカーが何の会社なのかというところから説明しておこう。

 ダンジョンメーカーはその名の通り、ダンジョンを作る仕事を任されている会社である。とはいえ、ダンジョンそのものを彼らがポッと作り出すわけではない。

 ダンジョンは魔王と呼ばれる常識外の生物が自分の魔力で形を作り、意のままに創作するものなのだ。クリエイティブな魔王にもなるとダンジョンは芸術性に富み、豪華な作りとなって冒険者たちを魅了する。


 しかし、魔王たちは総じて不器用だった。力もあり知恵もあるが、なぜか不器用な者が多かったのである。

 異界の『げぇむ』なるものに影響を受け罠を設置しようとした魔王はその細かな作業に嫌気が差して自分でダンジョンを破壊してしまったという例もある。

 そんな不器用な魔王たちに目をつけた者たちがいた。それは一人の異世界人と一人のホビット族だった。

 彼らは親友だった。異世界人はその並外れた異界の知識によってダンジョンの構成を考え、ホビット族の民はその器用さで魔王も唸らせる素敵な罠を作った。

 二人の親友は魔王からひっきりなしにダンジョン製作の依頼を任されるようになり、しばらくして会社を設立した。それこそが『株式会社ダンジョンメーカー』である。


 そんなホビット族に適性のある職業ナンバーワンと言われる仕事で一応エリートコースに軌道が乗っているエンポリオが悩んでいることは何なのか。


 実を言うと彼は転職を考えていた。

 正直、この仕事はきつすぎるのだ。中間管理職という彼の立場といい、仲間の扱いづらさといい、更には命の危険があるとくれば辞めたくもなる。その上、給料も低い。


「これが異界を騒がしているという『ブラック企業』か……」


 エンポリオは会社のデスクに突っ伏して独り言を言った。以前知り合いの異世界人から聞いた言葉だった。

 エンポリオが見るからに仕事をサボっていると、横に気配を感じた。チラリと薄目を開けて横を見ると、自分と同じホビット族がいた。彼はお盆にお茶を乗せてエンポリオを見ている。


「エンポリオ係長、お茶です!」


 彼はテオールという。ホビット族で最近入社した新人だ。エンポリオのチームに所属しており、まだダンジョン製作は未経験だという。

 求人には未経験大歓迎と書いてあったので、彼がダンジョン製作を経験していなくても問題はない。


「ああ……ありがとう、そこに置いてくれ」

「空いた湯呑は片付けておきます!」


 テオールは元気よく言ってエンポリオの机に置いてあった空の湯呑を持っていった。エンポリオはテオールの置いていったお茶を見つめながら溜息を吐く。


「何度目のお茶だろうか。トイレが近くなるから、そろそろ止めて欲しい……」


 テオールは明るくて気が利くのだが、エンポリオを尊敬しすぎていることとエンポリオに尽くしすぎるところが欠点だった。善意の行いな分、エンポリオとしても断り辛い。


 エンポリオがお茶を飲むか飲まないか悩んでいると再び声をかけてくる者がいた。声をかけてきた人物を見てエンポリオは安堵の溜息を吐いた。


「係長、これが本部から送られて着まスタ」


 少し間抜けな喋り方をするのはトロール族のドンフリックだ。気性の荒い一族出身のはずだが、彼はチームの良心と言っても過言ではないほど心が穏やかだった。

 エンポリオは彼と喋ると癒されるのだ。たまにストレス解消の目的でドンフリックと飲みに行くほどである。エンポリオの奢りでだ。


「ああ済まない。助かる」


 エンポリオはドンフリックから書類を受け取った。そしてすぐに書類を確認する。仕事の依頼なら期日が設けられており、迅速に対応せねばならないからだ。

 そしてエンポリオは書類を速読すると悲鳴を上げた。


「なんてことだ! これは三日前に送られてきた物じゃないか! しかも、依頼の機嫌は一週間だと!?」


 書類にはとあるダンジョンの製作に向かうよう記されており、最後にはしっかりと社長の印鑑が押してあった。期日は依頼されてから一週間後。そして書類が届いてから三日経ったので、期限は四日だ。


 エンポリオはキッとドンフリックを睨む。睨まれたドンフリックはおたおたと狼狽え、とりあえず頭を下げた。彼をよく知り、彼の友人でもあるエンポリオは少しばかり胸が痛んだが、ここで一言言わないと他の部下に示しがつかない。


「ドン……いや、ドンフリック。これは一体どういうことだ? なぜすぐに私へ書類を渡さなかった?」

「ご、ごめんヨウ。おら、机の上がごちゃごちゃしてるから気づかなかっタ……」


 エンポリオが問い詰めるとドンフリックは頭を下げながら弁明した。全然言い訳になっていないところが彼らしいが、反省していることが見て取れる。

 これ以上責めるのは彼を傷つけることになるし、反省している相手への過度な叱責は当てつけにしかならない。


「ならば机の上は片付けておくことだな。それから、届いた物はすぐに私に報告すること。いいな?」

「わ、わかったヨ。おら気をつけるヨ」


 ドンフリックはまた頭を下げた。エンポリオはそれを見て頷く。

 彼の良いところは叱られたことはしっかりと反省し、言われた通りに改善することだ。そして悪いところは反省して直したところを一ヶ月後にはすっかり忘れていることだった。


「ならいい。気にするなとは言わないが、気分を仕事に切り替えろ。ドンは荷物の準備をしろ。テオール、シーナ! 仕事に出かけるぞ!」

「はい! ダンジョン製作ですね!」


 エンポリオが声を上げるとお茶を持ってきていたテオールが持っていたお茶を飲み干して笑顔で返事をした。彼にとっては初めてのダンジョン製作だから、わくわくしているのだろう。

 対して、シーナからの返事はない。相変わらずのことだが、エンポリオは胃が痛くなった。


「シーナ、出るぞ? わかっているのか?」

「何度も言わなくても聞こえています。目的地へは“私の”転移術で一瞬なのですから、そこまで焦る必要はないと思いますが」


 呼びかけられたシーナは不快そうな表情を浮かべてそう言った。更に自分がいなければ移動に時間がかかるということを暗にほのめかして皮肉を言う。

 エンポリオが仕事を辞めたくなる理由の一つ、エルフ族のシーナは今日も平常運転だった。どうやら彼女は上司のエンポリオ、他二人のチームメイトを卑下しているらしい。

 エルフという魔術に長けた種族性が他の種族を軽んじらせるのかはわからないが、エンポリオとテオールはシーナという女の性格が嫌いだった。人が良いドンフリックだけは酷い物言いを受けても苦笑いを浮かべるだけで済ましている。


 ともかく、これでダンジョンメーカーのAチームは揃った。Aチームの由来はエンポリオの名前からだ。

 彼はチーム名を上司に告げられた後で自分の頭文字はEだと主張したのだが、社長直々に『Aチームだ。特攻野郎だ』とお達しが来て変更は叶わなかった。ちなみに特攻野郎が何なのかはエンポリオも知らない。


 胃痛持ちの係長エンポリオに、新人のテオール、人の良いドンフリック、そして皮肉屋で性悪のシーナ。これがAチームの四名だった。

 彼らはチームの団結力はともかくとして、仕事だから協力してダンジョンに向かった。







 ダンジョンへは一瞬で辿り着いた。それもそうだ、シーナが使う転移術なら瞬きするほどの間で移動できるのだから。便利な分、手間とお金もかかるが。

 転移術の魔法陣は数回なら再利用が可能なので、ダンジョンの前に残しておく。他の野生動物や魔物に荒らされないようにシーナは結界を張った。


「転移術はやはりすごいな。その分、他の魔術と違ってこれだけ大掛かりな作業が必要なのが面倒だが」


 エンポリオは結界を張るシーナを見ながらそんなことを言った。かなり複雑な魔法陣を特殊な魔力を帯びた杖で作成するシーナを見てそう思っていたのだ。

 運の悪いことに、こっそりと呟いたつもりのエンポリオの言葉はシーナに聞こえていたらしい。エルフは耳が長いので地獄耳なのかもしれない。

 呟きが聞こえた証拠として、シーナはエンポリオ睨んで大股で近寄ってきた。


「私の転移術が大掛かりなのは、決して未熟だからではありません! 凡庸な者なら作業を行うのに一時間はかかります!」


 長い耳を少し赤らめてシーナは声を荒げた。

 碌に魔術の教養がないホビットに言われるのは頭に来るらしい。エンポリオは引き攣った顔で『それは済まなかった』と謝罪した。

 エンポリオの謝罪に対してシーナは無言で顔を背け、自分の作った結界の出来を確認しに行った。


 エンポリオの後ろでやり取りを見ていたテオールは唾を吐き捨てて怒りを吐露した。


「あいつ、何なんでしょうね。係長も別に悪口を言ったわけじゃないのに!」

「まあ、シーナはそういう奴だ。それより今日はお前、ダンジョン製作初めてだろう? 俺がみっちり教えるから覚悟しとけよ」


 怒りに震えるテオールを宥めながら、エンポリオはニヤリと笑った。同じホビット族としての後輩に物を教えるのが楽しみなのだ。

 テオールもエンポリオから学べるのが嬉しいのか、怒りを消して笑みを浮かべた。


「はい! 技を盗むつもりでやらせてもらいます!」

「ハハ、その意気だ」


 二人のやり取りを見てドンフリックが顔を緩めた。ドワーフ族はみんな厳つい顔をしているが、ドンフリックはなぜか仏のように穏やかな表情だ。


 エンポリオはテオールから離れると目の前にある山にポッカリと空いた穴を調べた。人が一人悠々と入れるほどの穴。図体の大きいドンフリックも楽々入れる。

 ここがダンジョンの入り口だ。


「よし、ダンジョンの入り口は開いているな。まずはここに看板を立てる。まだ何も書かれてないが、依頼者(魔王)の希望に沿ったダンジョン名を後日記すんだ」


 テオールはエンポリオの話をしっかりとメモした。社員にはダンジョン製作のマニュアルが配布されているが、実際に現場で働くと勝手が違う場合がある。マニュアルに書いてないことはメモするか、体で覚えるしかない。

 エンポリオは洞窟の中に臆せず入る。しかし、警戒は怠らない。魔王の気まぐれで既にモンスターが手配されている場合があるからだ。


「ふむ、書類にあったようにダンジョンの内装は石造りで間違いないな。ではダンジョンの構成を確認するぞ」


 エンポリオがみんなを見回すと、テオールがメモを取り、ドンフリックが重たそうな荷物を降ろし、シーナは爪を研いでいた。前途多難。だが、いつものことと割り切る。


「ダンジョンの構成は五階層。進行方向は地下だ。生息する予定のモンスターは物質系が多いと書いてあったので、罠に制限はない」


 つまり、ダンジョンは地下四階まであるということだ。

 生息するモンスターと罠の関係は重要である。何せ、氷でできたモンスターがいるところに炎の仕掛けを設置したらモンスターが軒並み全滅したという例があるのだから。


「この一階には二つの罠と三つの宝箱を設置しようと考えている。他の階層は後ほど説明する。何か質問は?」

「罠の種類と、宝箱の内容を教えてください!」


 テオールが元気よく質問する。罠の種類については、良い質問だと思う。宝箱の内容を把握するのは後学のためだろうか。

 エンポリオは快く頷いて返答する。


「罠は『迫ってくる天井』と『突然飛んでくる矢』だ。宝箱には薬草と毒消し草と回復ポーションを入れておこうと思っている」

「なるほど。ありがとうございます!」


 テオールはもの凄い勢いでメモしていく。彼がメモ魔なのは数日の付き合いで知っていたが、改めて見ると凄いなとエンポリオは思った。

 宝箱の中身は定番というものが存在し、一階層目は大抵回復アイテムを入れておくのが相場だった。

 薬草も毒消し草も適切な群生地で採取しに行けば無料で手に入るのだが、手間を考えると宝箱から拾えるのは嬉しい。回復ポーションは少し値が張るため、初心な冒険者には有難いはずだ。


「さて、最初の宝箱だが、俺はこの地点に置こうと思う」


 エンポリオは地面にダンジョンの地図を広げて一点を指差した。依頼者である魔王からダンジョンの見取り図を提供されている場合はマッピングする必要がなくて楽である。

 テオールとドンフリック、そして今回はシーナもしっかりとエンポリオの指示した場所を確認した。


「そこに置く理由はなんです? 入り口から近すぎませんか?」


 シーナがいきなり噛みついてきた。彼女は少しでも自分が納得いかないとすぐに文句を言う。エンポリオは嫌な顔一つせず、淡々と説明を始めた。


「ここの直前には二股の分岐点がある。何でも、ダンジョンに挑む人間は左に曲がることが多いという統計データがあるそうだ。特に異世界人にはその傾向が多いらしいな」


 エンポリオの説明に不満はなかったのか、シーナは会釈をしてそれ以上何も言わなかった。エンポリオの言う統計データだが、異世界人の冒険者がいるパーティに限って言えばほぼ百パーセントの確率で分岐点を左に曲がっていた。

 冒険者になるような異世界人はみんな似たり寄ったりの思考回路をしているらしい。


「よし、宝箱の設置はいつも通りドンフリックに任せる」

「わかっタ」


 頑丈な宝箱は重い。ホビットやエルフではとても持ち上げられないほどに重い。だからドワーフ族のドンフリックが担当するのだ。

 普段宝箱は本部から支給される携帯型の収納魔術が描かれた倉庫に入れている。目的地で取り出して少し動かすだけでいいのだが、それだけでも大変な重労働なのだ。

 宝箱が頑丈なのは、本部から支給される宝箱を使いまわしているからである。ダンジョンが丸ごと消滅するような戦略魔術を使われても宝箱は無事で済むような頑丈さでできているのだ。

 頑丈な宝箱の欠点と言えばトロールが涙目になってようやく地面を引き摺って動かせるようになるということだろうか。


 エンポリオたちは少しばかりダンジョンを歩いて目的地に着いた。

 ドンフリックは荷物から携帯式の魔術倉庫を取り出すとそこに不慣れな魔力を流し込んだ。すぐに宝箱が現れる。

 そして、顔を真っ赤にして宝箱を押すのだ。ダンジョンを美しく見せるため、この行き止まりに沿って丁寧に置かなくてはならない。


「ふ、フン! フンガー!」


 暑苦しい声を上げて宝箱を動かすドンフリックをシーナは白い目で見ていた。彼女も魔術を使えば宝箱を動かすくらいわけないと思うのだが、そんなことに自分の魔術を使うのは耐えられないらしい。


「よし、良いぞ。ドン、よくやった!」


 エンポリオは額に玉のような汗を掻いたドンフリックを愛称で呼び、その大きい背中を叩いた。彼の背中から出た汗が掌につくが、そんなことエンポリオは気にしない。

 ドンフリックもエンポリオの激励を受けて嬉しそうに口元を緩めた。相変わらず顔は怖かったが。


「……さて、次は罠だ。ここはスタンダードに、この広い部屋と階段付近に設置しようと思っている。広い部屋には当然、天井の罠を仕掛ける」


 エンポリオが全員の顔を見渡した。特にシーナの顔をジッと見つめた。シーナは舌打ちして顔を背ける。異論はないようだ。








 一階の罠と宝箱を仕掛け、適所に冒険者を惑わせる看板や戦闘痕をわざと残したエンポリオたちは休息を取っていた。

 このままのペースでいけば無事に終わるかもしれない。少し甘い推測だが、仕事を始めたのは夕方だった。時計を見るともう夜中だったのだ。今日は仕事を止めて明日に備えるべきなのである。


「今日は終わりだ。ドン、テントを出してくれ。あと寝袋もだ」


 ドンフリックは頷くと携帯用の倉庫から小さいテントと寝袋を取り出した。テントはシーナ用で、男三人は石でできた床に雑魚寝である。

 シーナは受け取ったテントを慣れた手つきで組み立てると何も言わずに中へ入って行った。それを見たテオールがヒソヒソとエンポリオに声をかける。


「あの人、またあんな態度を取ってますよ。エンポリオさん、いいんですか?」

「よくはないが、言っても治らないんだ。俺は何度か癇癪を起こしたあいつに魔術を食らってるしな。お前だってこっちに来て二日目に手痛い攻撃を貰っただろ?」


 エンポリオがそう言うとテオールが顔を青くした。テオールは美人で物静かなシーナと仲良くなろうと何度か声をかけていたのだが、書類仕事をしている時に声をかけたのがまずかった。

 ただでさえエルフ以外の種族を見下しているシーナは仕事の邪魔をする奴を上司だろうと容赦しない。的確な魔力弾をテオールの腹にぶち込み、彼を黙らせたのだった。

 その時のことを思い出したのか、テオールは顔を青くしたまま腹を押さえている。


「だいたい、森の民のエルフがこんなとこで何やってるんですかね。人のこと見下してますけど、自分だって何かやましい――」

「テオール。そこまでにしておけ。誰にだって詮索されたくないことはある」


 エンポリオが制止するとテオールはすぐに黙った。そして表情を変えた。気分を害したのではない。心の広いエンポリオに感動しているのだ。

 しかし、エンポリオがテオールを止めた理由はそれだけではなかった。


「昔同僚にシーナの過去を詮索していた奴がいたんだが、ダンジョンの製作中に大火傷を負って退職したよ。シーナの得意な魔術が何か知っているか?」

「そ、それって……」


 テオールはもはや顔面蒼白だった。シーナの得意な魔術はエルフにしては珍しく、火属性だった。

 エンポリオは苦笑いを浮かべるとテオールの肩に手を乗せる。


「まあ、そういうことだ」

「はあ……女ってのは怖いですね。美しいバラには棘があるなあ」


 無意識にシーナを美しいと言っているようなものだが、テオールは気づいてない。そのことに気づいたエンポリオは苦笑ではなく微笑を浮かべ、既に寝息を掻いているドンフリックに続いて寝袋に入った。







 早朝に目覚めたエンポリオ一行はその日のうちに地下一階、地下二階を片付けた。良いペースだった。このまま行けば期限の前日にはダンジョン製作が終わりそうである。


 地下に進むほどダンジョンの形状、傾向がわかる。今回の依頼主は丁寧な魔王で、細かくダンジョンのことについて書かれた書類を寄越してくれたのだが、やはりダンジョンは自分で潜ってみないとわからないとエンポリオは思った。

 魔王も無意識の内にダンジョンに表してしまっている癖があるのだ。例えば今回のダンジョンは正しいルートまでの道のりが分岐で左に曲がることが多い。こんな風に、データにも表れない癖のようなものがダンジョンにあるのだ。

 そんなわけで、宝箱を設置するのは右の分岐に、罠を設置するのは左の分岐にすることが多かった。


「極端な癖ではないが、勘の良い冒険者なら気がつくかもしれないな」

「ダンジョンに癖があるなんて初めて知りましたよ。エンポリオさんはやっぱり作り慣れているんですね!」


 メモを取りながらテオールが尊敬したように言う。エンポリオはいままで作ってきたダンジョンを思い返すと、重い溜息を吐いた。

 テオールはそんなエンポリオの様子に慌てて、自分が何かまずいことを言ったのではないかと落ち込む。


「ど、どうしたんですか? 俺、何か言っちゃいけないこと言いました?」

「いや、いままで作ってきたダンジョンの過酷さを思い出してな……きっと今回も何かしらトラブルが起こると思うから、気を張ってろ。そこで飯食ってる二人もな」

「あ、はい」


 エンポリオの言葉がピンと来ず、テオールは首を傾げたまま生返事をした。厄介ごとに見舞われるのはなぜかチームで一番偉いエンポリオなので、シーナやドンフリックにもピンと来なかった。

 とはいえ、エンポリオが不幸に見舞われるのは彼の神経質な性格にも問題があった。罠がしっかりかかっているか点検しては誤作動で酷い目にあったり、自分の作ったダンジョンの様子を確かめに行っては荒くれ者の冒険者に絡まれていたのだ。


「よし、今日はこのまま休もう。これ以上無理に製作を行うと何かトラブルが起こりそうだ」


 エンポリオはいままでの経験を基に、そんな根拠のないことを言った。

 ともあれ、長い休憩が取れると聞いてメンバーたちの表情が柔らかくなった。やはりダンジョン製作は疲労が溜まる。いくら熟練のエンポリオでも手足の疲労、特に心労が絶えなかった。


 空いた時間は各々が好きなことをする。エンポリオは装備の点検、倉庫に入っている宝箱とアイテムの点検だ。彼の性格上、これを欠かしたことはない。

 ドンフリックは寝ている。昼寝が好きなのである。夜もぐっすり寝ているが、彼は昼もよく寝る。

 シーナは本を読んでいた。彼女の読書を邪魔すればどうなるかみんなわかっているので、周囲には近寄らない。

 テオールはメモを確認している。このダンジョンに入ってから既に二冊目となったメモ帳は読むのに手間がかかりそうだ。書くのはもっと手間だったが。


 装備の点検をしていたエンポリオが不意に手を止めた。


「なあ、明日に響かない程度に宴会をしないか?」


 エンポリオのその言葉に全員が彼に目を向けた。ドンフリックもエンポリオの声で起きた。

 彼をよく知らないテオールとシーナは意外に思っていた。真面目なエンポリオが仕事中に酒を飲もうなんて、あまりにも珍しかったからだ。

 ドンフリックは特に不思議にも思っていなかった。エンポリオによく酒場へ誘われるからである。エンポリオはストレスが溜まるとよくドンフリックを連れて酒場へと足を運んでいた。


「いいですね! 親睦会みたいなやつですか?」

「そうだな。お前も入ったばかりだし、時間もある。ここらで少しくらい羽目を外しても怒られないんじゃないかと思ってな」


 エンポリオは笑ってそう言った。ちなみに、彼の笑顔の裏には別の思惑がある。

 一つ、ここらでシーナとの関係をマシなモノにしておきたいこと。正直、彼女の態度は目に余る。酒が入れば少しは協力的になるんじゃないかと考えるエンポリオの思考は、完全に酒飲みのそれだった。

 二つ、エンポリオはいつも完璧に真面目な仕事をしている。そしていつもトラブルが起きる。逆に不真面目な行動を起こせば何もトラブルが起きないのではないか。そんな希望的な観測がエンポリオにはあった。


「私は嫌ですよ。本を読んでいるので、勝手にしてください」


 シーナは本に目線を向けたままそんなことを言った。その言葉にテオールのテンションが二段階ほど下がる。確かにこんなことを言われれば良い気分にはならない。

 エンポリオはある意味予想通りな態度を取る彼女に気圧されぬよう気合を入れた。


「まあまあ、たまにはいいじゃないか。同じチームなんだから仲良くしよう」


 シーナは粘ってくるエンポリオに驚いた。彼は普段ならシーナが断ればすぐに退くような根性のない男なのである。上司にここまで言われれば流石の彼女も断れない。


「……係長がそこまで言うのなら、渋々ですが参加しますけど……」


 本当に嫌そうな――迷惑そうな顔をしてシーナは本を閉じた。彼女が参加の意を示したことにエンポリオはホッと息を吐き、携帯型倉庫から酒やつまみを取り出した。

 ドンフリックが慣れた手つきで酒を注ぎ、つまみを全員に配る。酒は特に有名でもない、ホビットが作る安酒だ。

 ホビットは持ち前の器用さもあってか酒を造るのが上手い。安酒でも十分に飲める代物だった。


「みんなカップを持ったか? では、ダンジョンの完成とチームの親睦を祈って……乾杯!」

「乾杯!」

「かんぱーイ!」


 エンポリオがカップを掲げるとテオール、ドンフリックが続いた。そして三人の目が一人の女性に注がれる。

 シーナは三人の目線にウッとうめき声を上げて嫌そうにカップを掲げた。


「……乾杯」


 小さいが、その声は三人の耳に届いた。

 宴の始まりである。







 エンポリオは後悔していた。酒が強いことをこんなに後悔したことはいままでの人生でなかった。


「うわぁぁん、私はがんばってるのに、がんばってるのにぃ」

「なんだぁこの魔物は? エンポリオさんに変わって俺が退治してやるぅ!」


 泣きながら声を上げるのはシーナ。この開けた部屋の壁にメンチを切っているのはテオールである。

 ドンフリックは微笑みながらつまみをいそいそと齧っている。彼は酒が進むと普段からのんびりとした思考が更に緩くなり、愚痴を聞いてくれるだけの地蔵になるのだ。

 シーナの相手をドンフリックに任せながらエンポリオはテオールを羽交い絞めにした。


「おいテオール、飲みすぎ……ってほどでもないが、一旦落ち着け。ほら、水を飲め」

「なんだてめぇは!? エンポリオさんはなあ、すげえんだぞ? 俺はあの人をほんとーに尊敬してだなあ……」


 エンポリオは大きく溜息を吐いた。首に一撃入れて気絶させてしまおうかと思ったほどだ。

 テオールが再び壁に向かって怒鳴り声を上げ始めたのを見てエンポリオは彼を止めるのを諦めてしまった。自分を尊敬しているのは嬉しいが、あんな酔った状態では聞きたくなかった。

 仕方なくテオールを放置してエンポリオはシーナへと向ける。そちらもそちらで酷い物だった。


「私、薄汚いホビットと醜悪なトロールの下でがんばってるのにぃ……どうして森は許してくれないの!? うわぁぁん、私はがんばってるのにぃ……」

「うんうん、そうだナア」


 シーナが酷いことを言いながら泣き喚く。ドンフリックは『醜悪』呼ばわりされているのにも関わらず、仏のような笑顔で頷いていた。

 ほとんど酔っていないエンポリオは額に血管を浮かせながらシーナに近づく。彼も酒が入っているので、普段より沸点が低くなっているのだ。


「おいシーナ。いい加減にしろ。酒は止めて水を飲め」


 エンポリオはシーナが握りしめていた酒のカップを奪うと水の入った器を彼女の口元に近づけた。


「いや! それは飲みたくない!」


 酷い拒絶反応だ。エンポリオが持ってきた水を手で払うと、彼女は自前の杖を構えた。その反応にエンポリオはギョッとする。一気に酔いが醒めた。


「お前、何をする気だ!?」

「火よ!」


 シーナが叫ぶと、円形の火の玉が杖の先から迸った。エンポリオは髪を焦がしながらもそれを避ける。


「くそっ!」


 舌打ちをしながらシーナに近寄ると、エンポリオは杖を奪って手刀で彼女を気絶させた。そして、一生シーナと酒は飲まないことを誓った。

 ダンジョンの石で覆われた天井を眺めながら、エンポリオは神を呪った。


「どうして俺のやることはいつも悪い方向へ進むんだ……」


 壁際で寝転がるテオールと座ったまま眠るドンフリック、そして気絶しているシーナを見てエンポリオは更に酒を煽った。

 飲まなきゃやってられない気分だったのである。


 この日、四人で飲む予定だった酒瓶をエンポリオは全て一人で飲み干した。







「うう……頭痛がする」

「大丈夫ですか? これ、水です!」


 エンポリオはズキズキと痛む頭を押さえながらダンジョンを進んでいた。やけになって飲んだ酒の代償である。昨日の宴会は百害あって一利なし、という結果になってしまった。

 他の面々は昨日のことをよく覚えていないのか、エンポリオの惨状に首を捻っている。


「ふん、はしゃぎすぎよ……」


 ボソッと、エンポリオにわざと聞こえるような声で言ったのはシーナだ。それを聞いてエンポリオの頭は更に痛くなる。


(誰のせいだと思っている! 誰の……)


 エンポリオは酒を浴びるように飲むことになった原因に向かって心の中で毒づく。しかし、二日酔いのせいで怒りもすぐに萎んだ。吐き気が少ないだけマシだったが、頭痛は酷い物であった。

 テオールが何かメモに書き記しているのを見てエンポリオはまた頭が痛くなった。


 ダンジョンの地下三階では重要なギミックを構築する予定だった。

 四人は少し開けた部屋で座り込み、地図を確認して話し合いを始める。


「ここ地下三階だが、回復ポイントと隠し通路を設置する」

「おお、遂に作るんですね!」


 エンポリオの言葉にテオールがテンションを二段階ほど上げてメモを取った。ダンジョン製作のマニュアルにも書いてあるのだが、回復ポイントと隠し通路はなくてはならないものなのだ。

 回復ポイントは製作者によって趣が異なるが、エンポリオたちのチームはシーナが回復魔術をかけた泉に魔王の魔力を繋ぐという手法を取っていた。魔王の魔力によって回復の泉は何度でも復活するのである。


「回復の泉はいつも通りシーナに頼む。隠し通路はドンフリックの持っている倉庫に必要なアイテムが入ってる。そこでだ。シーナは俺と回復の泉を作りに行くから、ドンフリックとテオールは隠し通路を頼む。位置はここだ」


 エンポリオが地図のある地点を指差す。それを見たテオールとドンフリックはしっかりと頷いた。


「私は一人でも構いませんが」

「ポイントまで行く途中に罠も張るつもりなんだ。だから俺も行く。ドンたちは隠し通路を設置し終わったらここに来てくれ」


 単独行動をしたいシーナが暗に一人にしろと言うが、エンポリオは首を横に振った。回復の泉を設置する地点までに落とし穴を仕掛けるつもりだったのだ。


「……わかりました」


 苦い表情を浮かべてシーナが頷くのを見て、エンポリオもまた苦い表情を浮かべた。


 気まずい雰囲気の中、エンポリオとシーナはドンフリックとテオールと別れてダンジョンを進んだ。

 回復の泉を仕掛ける途中で落とし穴を設置したのだが、その時シーナはまったく手伝わなかった。確かに手先の器用なホビットでなければ設置することは難しいのだが、工具を準備したり道具を並べたりと、手伝おうと思えばいくらでも仕事はあっただろうに。

 エンポリオは痛む頭を押さえながら回復の泉を設置する地点へと向かった。


 しばらく歩くと適度な大きさのある部屋に当たった。


「……ここですか?」

「そうだ。ここの……そうだな。通路の横あたりに作ろうか」


 エンポリオがそう言うとシーナは黙って頷き、魔術を使う準備を始めた。エンポリオはそれを見て慌てて道具を取り出した。まず、この道具に回復魔術を定着してやらねばならないのだ。


「光よ……活性の光よ、宿れ」


 シーナがそう言って道具に魔術を仕掛けた。光が瞬いて道具に吸い込まれた後、エンポリオは懐からハンコを取り出してその道具にポンと印を押した。これは魔王の魔力と道具を直結させる簡易魔法陣で、ダンジョンの罠にも全て仕掛けられている。

 そして、エンポリオは適切な場所に道具を置いて展開させた。この道具は噴水のように水が出続ける魔道具で、シーナはこの出てくる水に回復魔術を掛けたのだ。

 シーナの掛けた回復魔術は魔力が途切れれば力を失うが、魔王の魔力と直結している限りは半永久的に効力を保つ。


「よし、シーナお疲れ様。後はドンたちと合流して……シーナ? どうした?」


 エンポリオがシーナに激励を送るため振り返ると、彼女は怪訝な表情を浮かべて上を見据えていた。


「いえ……何者かに私が張った結界が破られたようです。転移術の魔法陣も消されました」

「なに!? 一体誰が……」

「わかりません。このダンジョンに侵入したようです。遠いのでハッキリとはわかりませんが、大きな魔力を感じます」


 シーナが警戒を滲ませながらそう言った。エルフの彼女の結界を破るほどの魔術師となれば危険極まりない。一刻も早くドンフリックたちと合流すべきだった。


「シーナ、ドンたちを探すぞ! 合流地点に行ってみて、いなければ隠し通路の地点まで逆走する!」

「はい、了解です」


 この時ばかりはシーナも協力的な姿勢を見せる。目的のわからない相手が自分の結界を破るほどの実力を持っていたのだ。彼女もそれは危険だと考えていた。

 エンポリオたちはドンフリックたちと合流する地点まで駆け足で向かった。迷路のような構造をした地下三階は入り組んでおり、隠し通路まで辿り着くには時間がかかった。


 そして、合流地点に辿り着いた時その声が響き渡った。


「ぎゃー!!」

「なっ!? テオール!?」


 テオールのつんざくような悲鳴が向うの方から聞こえてきたのだった。エンポリオとシーナは顔を見合わせる。まさか、敵に捕まったのだろうか。

 最悪の状況も視野に入れつつ、エンポリオたちは声のした方へ駆けた。急がねばテオールたちの命が危ないかもしれない。


 エンポリオは走りながら、今回起きたトラブルのおかげで早くも胃が痛くなってくるのを感じた。結局普段とは違うことをしてもいつも通りトラブルが起きるのだ。


「……いないな。隠し通路はあるみたいだが」

「向こうに争った跡があります……この魔力痕は……」


 シーナが壁にできた傷を指差し、ジッと眺めると表情を硬くした。エンポリオはそんな彼女の表情に首を捻ったが、いまは一刻を争う。すぐにテオールたちを探さねばならない。


「シーナ、テオールたちはおそらく攫われたと思う。攫った奴らを追えるか?」

「……上手く魔力を隠していますが、だいたいの位置なら追えます。こちらです」


 シーナが先導して、ダンジョンを進む。焦るエンポリオは気づかなかったが、彼女はなぜか不安気な表情を浮かべていた。








 シーナの案内でダンジョンを進んだ二人だが、結局地下二階と地下三階を繋ぐ階段付近まで戻ってきてしまった。


「どうやら、彼らは回復の泉に向かっているようです」

「なるほど、だからぐるっと回ってきてしまったわけか」


 二人は話ながらも足を止めない。シーナの話ではこのペースで進めば襲撃者に追いつくらしかった。襲撃者はテオールとドンフリックを抱えて移動しているようで、それが原因で足が遅くなっている。


 一度通った道を慣れた様子で走る二人。エルフのシーナはお世辞にもあまり足が速いとは言えないため、彼女はいま自らに強化魔術を掛けて移動していた。ホビットのエンポリオは何もしなくても身体強化を施したシーナ以上に素早い。

 ダンジョンを駆けて行く二人は前方に人影を見つけたことで足を止めた。そして、エンポリオが声を張り上げた。


「テオール! ドン!」


 普段とは違い、敵を威嚇するような大声を出すエンポリオにシーナが驚く。前方にいる敵はその声に気がつき、のっそりと近づいて来た。


「なんだ、こっちにいたのか。あっちの方から“お前”の魔力がするから迷ったぞ」

「なっ!? お前は――」


 敵が姿を現すとシーナが驚愕の表情を浮かべる。エンポリオも、敵の特徴的な部位を見て表情を変えた。


「やあ、久しぶりだな。咎人のシーナ」

「……黒の氏族!」


 日に焼けたような黒い肌に、シーナと似た長い耳。エルフ以上に見かけることのない、ダークエルフと呼ばれる種族だった。


「なんだよ、“元”白の氏族のシーナ。あたしにはサラって名前があるのを忘れたのか?」

「お前の……お前のせいで私がどれだけ!!」


 シーナは激昂するあまり言葉を切ってしまった。彼女の顔見知りで事情があるようだが、エンポリオには彼女らの話を遮ってでもやらなければならないことがあった。


「話の途中ですまないが、そこの二人を解放してもらえないか?」


 サラと自分を呼んでいたダークエルフの女性がエンポリオを睨む。彼女の後ろでは震えているテオールと困り顔のドンフリックが縄で縛られ、傍にいる二人のダークエルフが短剣と杖を首元に突きつけていた。


「このホビットとトロールをか? そうだな……そこのシーナが土下座でもしてくれるんなら考えなくもない」

「なっ……」


 サラが意地悪く笑ってそう言うとシーナが顔を赤くして眉間に皺を寄せた。彼女の性格上、テオールやドンフリックたちのために頭を下げることなんてなさそうに思える。


「森を害した罰に追放されたお前が謝罪するのは当然だろう?」

「っ……森を追い出されたのは、元々お前が原因だ! 私に非はない!」


 シーナがそう叫ぶと、テオールにナイフを突きつけていたダークエルフが顔を真っ赤にして声を上げた。


「何を言うか! お前が森を燃やしたのも森を追い出されたのも他の誰のせいでもない! お前のせいだ!」

「……クアンナ、落ち着け」


 ナイフを振り乱しながら喚くダークエルフ――クアンナをサラは宥めた。振り回されるナイフがテオールの目の前を通り過ぎると、彼は顔を青くさせた。

 シーナは何も言い返さずに黙っている。彼女は何かを思い出しているのか、その頬に一筋涙が流れた。


「お前が何をやったのか、そこのホビットに話してやろうか? そうすればお前の頭を下げるために協力してくれるかもしれん」


 ニヤリと笑ったサラの言葉にシーナは体をビクッと震わせた。意気揚々と話し始めた彼女を止めることはできず、エンポリオも黙ってサラの話に耳を傾けた。









 『ユグドラシルのお膝元』という世界には、エルフ族が住む『エルフの森』という聖域があった。そこには二種類のエルフ族が互いに協力しあって暮らしていた。

 一つが他種族からエルフと呼ばれる白の氏族。そしてもう一つが他種族からダークエルフと呼ばれる黒の氏族である。

 白の氏族は世界でも最高峰の魔術と魔力を持ち、黒の氏族は高い魔力と優れた肉体を持っていた。この二種族が協力しあうことでエルフの森は魔王すら手を出さない秘境となっていたのである。


 氏族には数名の族長がいる。彼らは森の長としてみんなから尊敬される存在だ。そしてシーナはそんな白の氏族族長の娘だった。

 シーナは自分の生まれを誇ったことはなかった。なぜなら、森の中では禁忌とされる火属性の魔術しか使えなかったからである。族長の娘が火しか扱えないというのは、世間体が悪かった。そのせいか父は他の兄妹に構うばかりで、シーナを省みなかった。


 そんなシーナは白の氏族の中でも浮いていた。高い魔力を持つが、火属性の魔術が禁止されている森の中では腫れ物のように扱われたのである。

 だが、シーナにちょっかいを出す者もいた。


「おいシーナ、そんなしょぼくれた顔して何やってるんだ?」


 黒の氏族族長の娘、サラである。彼女は数年前に白の氏族と黒の氏族が住む境目に忍び込んでシーナと出会った。以来、彼女はシーナに会うために度々ここに来ていた。

 当然、サラもシーナが忌み嫌われている白の氏族の族長の娘であることは知っている。だが、数年前出会った時はそんなことは知らなかった。サラがそれを知るころにはシーナと友達になった後だったのだ。


「本を読んでいるんですよ。サラこそ、退屈そうな顔をして何をしているんです?」

「人間の書いた本なんか読んで面白いのかねえ。あたしは退屈だから、お前に会いに来たんだ!」


 真っ直ぐに物を言うサラの言葉にシーナは耳を赤くした。忌み子として育てられたシーナにとって、サラは初めての友達だった。


「また将来の話をするんですか?」

「そうだよ。あたしたちエルフには森を守るって使命があるんだから。いまの内に話し合っておくのもいいだろう?」


 白の氏族と黒の氏族のエルフは成人すると両氏族でペアを作り、試しの森という場所に向かわされる。サラはその相手にシーナを選ぶつもりでいた。


「あたしは魔術と剣術を合わせた魔剣士になるんだ! あたしの魔法剣で敵を切り裂いてやる!」

「魔法なんて、そんな大それた名前つけないでください。いまのあなたではせいぜい、森のネズミの尻尾を切るぐらいが関の山です」

「何だって!?」


 シーナの手厳しい一言にサラは笑いながら彼女に詰め寄った。シーナも本気で言ったわけではなく『冗談です』と笑った。二人は笑いあった。

 しかし、一頻り笑うとシーナは表情を暗くした。いつものことだったが、サラはそれを見て呆れたような顔をした。


「また自分のことダメな奴とか考えてるの?」

「だって……私は火属性の魔術しか使えないから」


 シーナは自分の掌を見つめながら憂鬱そうに言った。シーナの火属性の魔術への適性は高く、最近では火の精霊にまで好かれる有様だった。

 彼女の魔術が完成されればされるほど森の民は彼女から離れていく。シーナはいつも自分の力を呪って生きていた。


「お前は魔力弾だけでも凄い威力が放てるじゃないか! 火の魔術なんかに頼んなくてもやっていけるよ。それに、そのうち他の魔術も使えるようになるさ」

「そうでしょうか……まあ、サラのペアになって試しの森を抜けるのも悪くないかもしれません」


 照れくささを隠すためにシーナはそんなことを言った。励ましてくれたサラへの感謝の気持ちを、不器用な彼女なりに表したつもりだった。

 サラもシーナのそんな気持ちをわかっていて、彼女の頭をこねくり回しながら笑顔を浮かべていた。


 見ての通り、二人は親友だったのである。







 ある日のこと。エルフの氏族の境目でシーナはいつも通り本を読んでいた。

 そこにいつも通りサラがやってくる。だが、この日はいつも通りのサラではなかった。黒の氏族の仲間を二人連れて来ていたのだ。


「よ、シーナ。今日はその、友達を連れて来たよ」


 歯切れ悪くサラがそう言った。彼女の様子に妙な感じはしたが、シーナは気にせずに本を閉じて視線を向けた。

 サラと同じ黒の氏族の二人はジッとシーナを見つめていた。片方は人見知りなのかサラの後ろに隠れ、もう片方はなぜか厳しい視線をシーナに向けている。


「その二人がお友達ですか? どうも、白の氏族のシーナです」


 シーナが軽く会釈して挨拶する。シーナの名前を聞いて、片方の少女が目をキッと吊り上げた。


「こいつは白の氏族の忌み子じゃないか! サラ様、こっそりこんなところへ抜け出してこんな奴と会っていたんですね!?」

「っ……どういうことです? 忌み子ってどういう意味ですか!?」


 シーナが声を上げた少女に掴みかかろうと本を投げ捨てて飛び出す。それをサラがギリギリのところで止めた。


「クアンナ、シーナ、止まれ……クアンナ、シーナはそんな悪い奴じゃない。確かに火属性の魔術しか使えないが、あたしたちを馬鹿にしたりしない良い奴なんだ」

「ですがっ……火の魔術しか使えないなんて……」


 クアンナは気味の悪いものを見るような目でシーナを見た。シーナはそんな目で見られて気分が悪くなる。いつも白の氏族の里で仲間からそんな目を向けられていたことを思い出すからだ。

 サラだけはそんな表情を浮かべなかった。だからこそ、シーナとサラは友達としてやっていけたのである。そんなサラが連れて来た友達に期待していた彼女は、深く傷ついた。傷ついたばかりか、相手を傷つけてやろうというよくない考えも沸いた。


「何ですか! 火属性の魔術しか使えないからって、何が悪いんです!? あなたなんか黒の氏族じゃない! 人間からダークエルフって呼ばれてるくせに!」


 シーナが感情のあまり口走った言葉は、彼女の予想を超えて効果があった。クアンナはシーナの言葉で顔を真っ赤にし、目を潤ませたほどだ。

 しかし、シーナの言葉はクアンナへの意趣返し以上に効果があった。否、ありすぎた。


「シーナ……お前、そんなことを思ってたのか?」


 クアンナの隣にいたサラにまで、シーナの言葉は影響を与えたのである。

 サラは信じられないといった表情でシーナを見ていた。顔からは血の気が引き、少し青ざめている。


「お前はあたしたちのことそんな風に見ないと、そう思っていたのに……」

「サラ、あなた一体何を?」


 サラはゆらゆらとふらつきながらシーナへと近寄る。シーナは彼女の様子がおかしいと感じながらも、先ほどの怒りから来る興奮のせいで些細な違和感だと気にしなかった。

 サラは突然、シーナの肩をがっしりと掴んだ。


「取り消せ! 黒の氏族をダークエルフと言ったことを取り消すんだ!」

「なっ……そ、そっちこそ、私を忌み子と言ったことを取り消してください!」


 サラが激昂して叫び、シーナもそれに応じて声を張り上げる。シーナにはサラがこれほどまでに怒る理由がわからなかった。さっき受けた侮蔑のおかげで冷静でいられなかったシーナはサラの怒りを理不尽な物として受け取ってしまう。


「いいから、あたしたちをダークエルフと言ったことを取り消せ! そして謝罪しろ!」

「何を! あなたたちはダークエルフです! それより、私を――」


 シーナはサラの要求を跳ね除けてまたも“ダークエルフ”という言葉を口走ってしまう。その時、サラの雰囲気が一変したのを見て口をつぐんだ。


「サ、サラ!? なんでそんなものを!?」


 サラは腰に差したナイフを抜いていた。それを見たシーナは目を丸くして後ずさる。更には後ろにいた二人の黒の氏族も同様にシーナを威嚇していたのだ。


「お前はあたしたちの誇りを傷つけた。もう一度言う。謝罪しろ、シーナ!」

「い、いやっ……来ないで!!」


 サラはシーナを傷つけるつもりなんてなかったが、怒りは本物だった。無理やりだが、脅してでも謝罪させなければならない立場にいたのだ。

 しかし、残念なことにここで一つ不幸が起こる。


 サラの気迫。それに何より、三人から襲われるかもしれないという恐怖がシーナの魔力に暴走を引き起こした。そして魔力はシーナが最も得意な形へと変質する。

 シーナの最も得意な魔力の形質。それは火だ。シーナの体から飛び出た魔力は火の形となってサラに迫った。


「なんだと!?」


 サラは迫りくる火の玉に驚き、条件反射的に避けた。だが、火の玉が向かった方向を見て後悔することになる。

 シーナの放った巨大な火の玉が森にぶつかったのだ。自分たちが守るべき、大切な森に。


「う、うわぁぁ、いやぁぁ!」


 シーナは先ほどの恐怖と自分が仕出かしてしまった事の大きさに頭がパンクして、その場から消えるように逃げ去った。

 シーナが逃げたが、サラたちはそれどころではない。森に火がついたことを大人たちに知らせるため、一目散にその場を離れて氏族の森へと姿を消した。


(シーナ、お前はなぜ……)


 サラは森へと奔走する途中にシーナのことを想った。いままでの付き合いから、自分たちを侮辱した上に“反撃”までしてくるような人格だとはとても思えなかったのである。


(シーナともう一度話をする必要がある)


 サラはそう考え、思考を切った。いまは森を守ることが何より先決なのである。


 サラたちの迅速な行動により、森への被害は最小限に済んだ。しかし、戻ってこないものが一つあった。


 シーナがそれ以降、森から姿を消したのである。白の氏族の族長は苦々しい顔で追放したと言っていた。







「こういうわけだ。シーナ、お前がやったことは相当に重い罪だ。あたしたちを侮辱したばかりか、守るべき森を燃やしたんだからな」


 サラは起きた出来事をかいつまんでこの場の全員に聞こえるように話した。

 シーナはサラの話を聞いている間、ずっと顔を暗くしていた。その一件は彼女の心に大きな傷を作ったのだろう。


「だが、お前が謝罪するというなら森に戻してやってもいい。黒の氏族次期族長のあたしが白の氏族に口添えしてやらないでもない」


 サラがそう言ったが、シーナは動かない。黙ったまま下を向いているだけだ。


「……ふん、なら無理やりにでも謝罪させてやる。おい、そこのホビット。この二人と交換でシーナを寄越せ」

「俺か?」

「そうだ。早くしろ」


 サラに呼びかけられてエンポリオがキョトンとした顔をする。サラとシーナが話し始めてずっと蚊帳の外だったため突然声を掛けられて一瞬戸惑ったのだ。

 エンポリオは腕を組んでうーんと唸り声を上げた。サラはそんな彼の調子を見て苛立たしげに口を歪めた。


「シーナ、お前はそれでいいのか? 謝罪すれば森に帰れるそうだが」

「おい! 何をやっている! 森に帰れるんだ。そいつだってそれがいいに決まってる!」


 エンポリオはシーナの意思を確認するため、彼女に顔を向けた。それを見たサラは激昂する。彼女は懐の剣に手を掛けてエンポリオを睨みつけていた。

 エンポリオの問い掛けにシーナは弱弱しく首を振る。彼女は首を――横に振った。


「……いや。私はもう、戻りたくない……私はもう忌み子に戻りたくない……」


 シーナは森にいた時に自分へと向けられていた視線の数々を思い出した。忌み子だと疎まれ、父に教え込まれた自分の境遇を思い出した。

 森を出てからの自分は、自由だった。肩身の狭い思いをしなくて良かった。森を害したせいか森の声を聞けなくなったことが悔やまれたが、そんなことよりももっと大切なものを手に入れた。

 もう卑屈になる必要はなかったのだ。森の外を出たシーナは、ただのエルフのシーナとして生きることができた。プライドが高くて高慢なエルフ。そんな自分でいられることができた。

 そんな自分と接する仲間もできた。憎まれ口を叩き、決して協力的ではなくても彼らはシーナを卑下しなかった。仲の良い関係ではなかったが、彼らはシーナを見下さなかった。


 だから、シーナはもう森に戻りたくはなかった。手に入れた自由を手放す気はなかった。


「なに!? シーナ、何を言ってるんだ! またエルフの森に戻れるんだぞ!?」

「いや……私は戻らない!」


 サラがダンジョンに響くような大声で激昂するが、シーナも負けないくらいの声を張り上げて拒絶した。サラはショックを受けたのかよろめいて頭を抱える。

 しかし、サラにはまだ手段があった。


「……いいのか? お前のために二人の仲間が死ぬことになるぞ。まあ、お前みたいに冷たい奴はこんな奴らが死んでも構わないと思うけど」

「うっ……」


 普段は仲間に対して冷たいシーナといえど、自分のために命を失わせるほど外道ではなかった。確かに、このままではサラの要求に応じなくてはならない。

 激しい葛藤がシーナの中でせめぎ合う。森には戻りたくない。だが、仲間の命を失わせるわけにもいかなかった。

 そんな時、エンポリオが動いた。


「ドン、そのまま後ろに倒れろ」

「がってン」


 エンポリオが突然ドンフリックに呼びかけた。するとドンフリックは力を抜いて後ろに倒れ込む。ドンフリックを捕らえていた黒の氏族のエルフは、その重さに耐えきれずに一緒に倒れ込んでしまった。


「えっ……きゃあ!」


 ドンフリックと彼を捕らえていた彼女が床に倒れ込むと、石でできた床に不自然に穴が空いた。それはエンポリオが仕掛けた落とし穴であった。ドンフリックとダークエルフの彼女は一緒に落とし穴へと吸い込まれていった。


「なっ! ケフィ!!」

「よし、上手く作動しているな」


 サラが落下した彼女――ケフィを案じて声を上げる“横”でエンポリオが場違いにうんうんと頷いていた。彼の気配に気づいたサラとクアンナは驚き、迎撃しようとするが――。


「遅い。テオールは返してもらうぞ」


 クアンナがテオールに突きつけていたナイフを蹴り飛ばし、エンポリオはそのままテオールを抱えてシーナのところまで後退した。その早業にシーナが驚きの声を上げた。


「か、係長、そんな腕前を持っていたんですね……」

「まあ、荒事は得意だ。それよりテオールを頼む。あちらさんもまだ退いてくれそうにない」


 エンポリオは目線をサラたちに向けたままそう言った。サラたちは人質こそいなくなったものの、退くつもりは到底なかった。

 それどころか、ホビットに出し抜かれたことを恥じて頭に来ていた。


「人質を奪い返したくらいでいい気になるなよ! 私たちに敵うと思っているのか?」


 サラが剣を、クアンナが背中に背負っていた弓を構えた。めったに外界に姿を見せることはないが、はぐれ者のダークエルフに会ったことのあるエンポリオは彼女たちの言う意味をわかっていた。

 ダークエルフは強い。莫大な魔力量に頑丈な体、そして魔術への適性があるおかげで戦えば鬼神の如き強さを発揮するのだ。

 それに比べてホビットはすばしっこいことと手先が器用なこと以外には特別戦闘に向いた技能はなかった。だからこそ、ダークエルフ二人を相手に敵うはずなんてないのである。


 しかし、エンポリオは退かなかった。

 彼はナイフを二本どこからともなく取り出すとサラへと肉薄した。サラは向かってくるとは思わなかったが油断もしていなかった。エンポリオの体を両断すべく袈裟懸けに彼の体を斬り裂いた。


「な、なに!?」


 エンポリオはナイフで器用にサラの剣を受け流していた。受け流されたサラの剣はダンジョンの床を大きく削る。


「ふっ!」


 クアンナが弓を引き絞り、シーナに向かって放った。矢には相手を麻痺させる毒が塗ってあり、これが掠れば獰猛な肉食獣すら動けなくなるという代物だ。

 だが、この矢はシーナに届かない。


「よっ、と」


 エンポリオが横を通り過ぎようとしていた矢の軌道を遮る形で蹴りを放った。足先からはナイフが飛び出ている。仕込み靴だったようだ。

 サラはそんな隙が大きくなった彼に駆け寄り、横一文字に剣を振るった。しかしこれもエンポリオが体を屈めることで躱される。その上エンポリオはサラの懐に潜り込んでナイフの柄で彼女の体を叩いた。


「ぐっ……クソ、ホビット風情が!」

「な、なんなの? 係長ってあんなに強かったの?」


 うめき声を上げるサラを見てシーナは目を見開いて驚いた。次期族長のサラの実力は黒の氏族の中でも高いはずなのだが、対等以上に渡り合うエンポリオがシーナには信じられなかった。


「ふふん、エンポリオさんは特別なんだよ!」


 縄から解放されたテオールが得意げに胸を張った。どうやら、彼にはエンポリオの強さに心当たりがあるようだった。


「どういうことですか?」

「エンポリオさんはな、会社に転職するまでは有名なアサシンだったんだよ! この会社で働いてからは大人しくなったけど、ホビットの中にはエンポリオさんのこと知らない奴はいなんだぞ!」


 そう誇らしげにテオールは言う。エンポリオの意外な経歴である。


「そうだったんですか……ありがとうございます」

「なんだよ、やけに素直だな……って、危ない!」


 テオールはシーナに向かう一本の矢を視界に捉え、ホビット特有の俊敏さを生かして彼女を押し倒した。矢はテオールの腹を掠めた。

 矢が掠った傷口からは即座に麻痺毒が侵入し、体を自由に動かせなくする。シーナは悠長に話していたことを後悔した。


「テオールさん! 私は物理障壁があるから平気なのに……」

「ああ、そうだよなあ。なんでかな、咄嗟に庇っちまった」


 シーナの障壁のことはテオールも知っていた。しかし、テオールの体は勝手に動いてしまっていた。

 こんな風に自分を守ってくれる仲間たちを見て、シーナはいままでの行いを反省する。他人から卑下されることを恐れるあまり、他人を卑下してしまった自分を反省した。


 後ろでテオールが倒れたことを知り、エンポリオを舌打ちする。矢を一本通してしまった自分を責めていた。

 しかし、床に転がる折れた矢を見ればエンポリオの尽力がわかる。床には大量の矢がへし折れて転がっていた。


「やるな、ホビット族! あたしの剣をここまで流せる奴がいるなんて思わなかった!」

「俺も刃が通らないほどの肉体強化をする奴がこの世に二人もいるとは思わなかったよ」


 サラのエンポリオへの評価は幾たびか剣を交えるごとに変わっていた。自分が戦うにふさわしい相手だと認めたのである。

 エンポリオのナイフは何度かサラの褐色の肌に当たっているのだが、彼女の肌には傷一つなかった。それを見ればダークエルフの常識はずれな肉体強化の力が伺える。

 クアンナの矢も何本か放たれているが、エンポリオが全て打ち落としている。エンポリオは体を独楽のように回転させながら矢を斬り落とし、サラの剣を受けきっていた。

 まるで曲芸師のようなエンポリオの動きにはサラも舌を巻く。


 ダークエルフ二人相手に対等に渡り合っていたエンポリオだが、それももう限界である。体中に仕込んだ暗器は全て使い果たしたが、サラには刃も通らなければ毒も効かなかった。もうエンポリオには打つ手がない。

 だからこそ、シーナに呼びかけた。


「シーナ! やれ! 俺ごと思い切り吹き飛ばせ!」

「で、ですが……」


 そんなことをすれば、エンポリオは消し炭になるだろう。サラたちに通用するほどの魔術を使用すれば、ホビットの体なんて跡形もなくなってしまう。


「俺を信じろ!!」

「っ……わかりました。信じます!」


 シーナは杖を構えると、自分ができる最高最強の魔術を展開した。その高まった魔力の存在感にサラとクアンナは驚き、目を見開く。黒の氏族の強靭な体といえど、無事では済まないような魔力が込められていた。


「そんなもの撃てばこのホビットも死ぬぞ!?」

「撃て! 俺に構うな!!」


 サラが焦ったような声を出すが、エンポリオの一声でシーナは決心する。自分を庇ってくれたテオール、自分の陰険な言葉も笑顔で許してくれたドンフリック、そしてこんな自分を信じて『信じろ』と言ってくれたエンポリオを想い、その想いを魔術に乗せる。


「いっけえぇぇ!!」


 シーナの放った魔術は彼女の魔力と想いを吸い取って莫大なエネルギーの塊になった。まるでその場に太陽が現れたかのような熱量を浴びて、床に寝転がるテオールの体が焼ける。

 太陽は、サラたちを飲み込んでダンジョンの奥へと消えた。そして、一拍置いてから響く爆音。シーナの生み出した太陽はダンジョンの壁を三階層ほどぶち抜いて消滅した。


 その場に残っていたのはサラとクアンナの二人のダークエルフのみ。彼女らの強靭な肉体と高い魔力抵抗はシーナの太陽を以ってしても気絶する程度のダメージを与えるだけに留まった。元より、シーナには彼女たちを殺す気はなかった。

 しかし、エンポリオはいない。彼は太陽に飲み込まれてしまったのだろうか。


「係長? 係長!?」


 シーナは悲痛な叫び声を上げる。信じろと言われたから信じ、放ったその一撃が彼を殺すことになってしまったなんてあんまりだ。シーナはそう思うとその場に崩れ落ちた。

 いまにも泣き出しそうな心境の彼女だったが、その寂しそうな背中を叩く者がいた。


「おい、何をしてるんだ。俺は生きてるぞ」

「か、係長!?」


 シーナの背中を叩いたのは係長ことエンポリオだった。エンポリオは髪の毛は煤けているものの、どこにも外傷は見られない。あの魔術を受けて無事でいられるはずはないのだが、彼はほぼ無傷でシーナの前に立っていた。


「な、なぜ?」

「ふむ、なぜ生きてるかという質問に答えるなら簡単だ。俺はお前の魔術を食らう前にドンが落ちた穴に自分から飛び込んだんだ」


 あっ、という声がシーナから漏れる。そう、エンポリオはドンフリックが落ちた時の落とし穴を利用したのだ。


「上手い戦い方ですね……サラ様が負けるわけだわ」


 シーナの後ろから声がした。彼女が振り向くとその場には、ドンフリックと黒の氏族ケフィが立っていた。二人に争った形跡はない。

 エンポリオが警戒してナイフを取り出すとケフィは慌てて両手を上げた。


「あ、待ってください! 私たちはもう撤退します。これ以上やっても勝敗は見えてますし」

「ほう、これだけのことをやってそのまま帰ると言うのか?」


 エンポリオは目つきを鋭くしてケフィを睨んだ。正直、仕事を邪魔されて彼は虫の居所が悪いのだ。

 ケフィは目を泳がせると懐に手を入れた。ガサゴソと探ると綺麗な宝石がごろごろと出てきた。それでもなお、彼女は何かないかと服を脱ぎ始めた。


「お、おい! 何をやっているんだ! その宝石一つもらえれば十分だ!」

「え、そうですか? ではおまけして、もう一個差し上げます」


 顔を赤くしてエンポリオが言うとケフィは宝石を二つ掴んで投げて寄越した。エルフ族の彼女たちはそれを何でもない綺麗な石として持っていただけだが、エンポリオの鑑定では売るところを間違えねばかなりの金額になる宝石だとわかった。


「さて、そこのエンポリオさんは見たところチームのリーダーですよね? 彼のお許しが出たということは、私たちは見逃してもらえるので?」

「まあ、いいだろう。シーナ、問題ないか?」


 一応、最後の確認としてシーナに呼びかける。エンポリオは殺伐とした世界で生きてきたので、勝者には敗者の生殺与奪の権利があると考えている。ここでシーナが相手を殺したいと言えば、彼は問題なく彼女らを殺すつもりでいた。

 だが、シーナはエンポリオの予想通り首を縦に振った。


「ええ、問題ありません。ですが、私の前にもう現れないことが条件です。森の者にもそう伝えてください」

「わかったわ。でもシーナ、話しておきたいことがあるの……」


 言いよどむケフィをシーナは冷たい眼差しで見つめた。そんな視線にも負けず、ケフィは懸命に話を続ける。


「サラ様はあなたが真っ当なエルフの教育を受けていなかったことを知らなかったの。あなたが森を出てからそれを知って、とても後悔していたわ」


 ケフィがそう言うと、シーナは無表情ながらも反応した。さっきまでほとんど興味がなさそうにしていたのに、いまは僅かながら耳が傾いているように見える。


「無知は罪じゃない……あなたが黒の氏族について何も知らなかったことは、あなたのせいじゃない。私たち黒の氏族がダークエルフと呼ばれることを嫌っていることを知らなかったのも、しょうがないことだったのよね」


 そう、シーナは知らなかった。森を出るまでのシーナは父親から特に教育らしい教育を受けなかった。知識は全て本から吸収するか、兄や妹から話を聞くかするだけだった。

 そしてたまたま聞き漏らしてしまったのが、黒の氏族についてだ。しかし、これは無理もない。基本的に黒の氏族の話など、白の氏族の世間話に入ってこないのだから。


 黒の氏族は白の氏族に対して劣等感を覚えていた。黒の氏族は同じ森を守るという使命を帯びながら、清廉な白ではなく魔が好む黒の色を与えられたことが大きなコンプレックスとなっていたのである。

 そのため、黒の氏族には言ってはならない言葉がある。それが『ダークエルフ』。人間が作った言葉だが、これほど黒の氏族を傷つけた言葉はなかった。この言葉はいつの間にか人間や他種族の中で広まり、あっという間に黒の氏族を指す言葉となった。

 そして、黒の氏族はダークエルフという言葉を嫌って森から出ないようになった。白の氏族の中にはそんな黒の氏族たちを馬鹿にする者も多くいた。それは黒の氏族たちの劣等感を更に強めたのである。


 だからこそ、何も知らなかったシーナが口にした『ダークエルフ』という言葉はサラたちを傷つけた。シーナは森を追放される直前その話を聞き、後悔したし、恨みもした。

 何も知らなかった自分にナイフを向けたサラを恨む気持ちと、知らなかったとはいえ彼女たちの誇りを傷つけてしまったことを後悔する気持ちが入り混じって彼女を悩ませていた。


「だから、サラ様はあなたを探したわ。あなたに謝罪させるために……そして、あなたに謝るために」

「謝る?」

「そう。頑固なあの人は氏族の誇りを傷つけられたことを許せなかったみたい。だから、あなたが謝ったらすぐに自分も謝るんだっていつも私たちに言ってたわ」


 ケフィはそれを思い出したのか、クスクスと笑った。シーナは信じられなくて、倒れているサラを見つめた。


「もし、あなたがサラ様を許せると思ったら……どうか最初に頭を下げてあげて。そうすればサラ様はプライドも意地も捨てて、あなたに泣きながら謝ると思うわ」


 だってあなたのことが大好きだから。そう言ってケフィはまたおかしそうに笑った。

 氏族の長になる身として、氏族を侮辱した者を謝罪の一つなしに許すわけにはいかない。そんな固い想いがサラにはあったのかもしれない。


「まあ、話はわかりました……早急にお引き取りください。私たちはまだ仕事があります」

「うっ」


 シーナがそう言ってから、傍で静かにしていたエンポリオはうめき声を上げた。そうだ、仕事はまだ終わっていないんだ。戦闘でほとんどダメージのなかったエンポリオだが、心がじわじわと痛んでくる。


「そうですね、ここは引き揚げます。ですが、サラ様は諦めないと思いますよ?」

「……次来るときは穏便に、静かに、それで――友人として来いと言っておいてください」


 シーナが小声で言うとケフィはキョトンとしてから笑った。耳まで真っ赤なシーナが面白かったのか、それとも仕える主が報われて嬉しかったのか。それは彼女にしかわからない。


 ケフィはサラとクアンナを抱えると転移術で帰った。あんな高位の術が使えるなんてエルフ族は凄まじいとエンポリオは舌を巻く。実際はそのエルフ族、しかも戦闘に長けた黒の氏族二人を相手に互角に争ったエンポリオこそ凄まじいのだが、彼はそれに気づいていない。


「行きましたね……」


 シーナはサラたちが消えた転移術の陣を見てポツリと呟いた。


「お前はこれでよかったのか?」


 エンポリオは最終確認として尋ねた。答えはわかっている。


「ええ、これでいいんです……それより、いままで失礼しました。私の言動は、目に余ります」


 シーナはこれまでの自分の振る舞いを振り返って恥じた。彼女が他人から見下されるというトラウマに苛まれていたとはいえ、それを他者に科すというのは褒められたやり方ではない。もっと前向きにトラウマから脱出する方法もあったはずなのだ。


「これから変わってくれればいい。お前はチームのメンバーで、私たちの仲間で、友人なのだから」

「はい……ありがとう、ございます」


 礼を言いづらそうにするシーナは少しだけ表情が柔らかくなっていた。きっとこれからはみんなで仲良くやれるだろう。エンポリオはいままで悩まされてきたシーナの問題が解消されたことにほっと溜息を吐いた。


「よし、それでは仕事を再開するか」

「はい。ダンジョン製作ですね」


 シーナの言葉にエンポリオは首を横に振る。


「いや、まずはお前を庇って倒れたテオールの治療だ」

「あ!」


 シーナが下を見ると、テオールが息も絶え絶えにもがいていた。そう、彼は麻痺毒を食らった上にシーナの放った魔術の余波で死にかけているのである。

 シーナが杖を持って慌てながら治療する様子を見て、エンポリオは満足気に頷く。これからチームもまとまるだろうし、ダンジョン製作もまだ余裕がある。

 起きたトラブルこそ大きかったものの、得たものも大きかった。エンポリオは久方ぶりにやってきた幸運の幸せを噛みしめた。







 ダンジョンメーカーAチームは見事、魔王『石の王』が依頼したダンジョンを作り上げた。

 道中、自分を庇ってくれたテオールにシーナが素直に礼を言ったところ、テオールが彼女に惚れてしまうなどの珍事が起きたが概ね問題なかった。


――そして、それから二ヶ月が経った。


 二ヶ月というのは長いようで短い。イベントに富んだエンポリオの日常は忙しなかった。


 まず、チームの結束力が高まったこと。シーナは協力的になってからというもの、目覚ましい活躍を見せた。エンポリオたちはエルフの扱う魔術が如何に便利なのかということを知った。

 そして、チームのメンバーが増えた。なんとサラ、クアンナ、ケフィら三人が入社してきたのだ。彼女らがエンポリオの下で働きたいとごねるので、上司は嫌味を吐きながらも彼女らをAチームに所属させた。その時ダークエルフを魅了するスケコマシというあだ名がエンポリオに定着したのは内緒である。

 人手も増え、有能な人材が増えたダンジョンメーカーAチームは社内でも大きな功績を上げていった。たったの二ヶ月でそこまでの成果を上げたおかげかエンポリオの昇進もほぼ確定となり、同時に彼が胃痛薬を使わなくなった日から二ヶ月記念日となった。


 二ヶ月間幸福だったエンポリオだが、彼にどっと不幸な知らせが舞い降りる。

 一つ目。テオールが振られて意気消沈していること。シーナに惚れてしまった彼は彼女にそれとなくアプローチしていたのだが、つい先日『好きな人がいるので』と振らてしまった。いまは仕事も手に付かないような状態でエンポリオに泣きついている。

 二つ目。ケフィとクアンナがドンフリックを取り合って喧嘩していること。なぜかトロール族のドンフリックはモテた。エンポリオとしてもそれは祝福してやりたいのだが、相手が同僚で戦闘民族黒の氏族ともなれば話は別だ。

 三つ目。上司に呼び出されたこと。エンポリオはいま、上司の執務室の前にいる。ここに呼び出される時は決まって嫌なことしかない。


「入れ」


 エンポリオがドアをノックすると中から声がした。


「失礼します」


 エンポリオは厳粛に、それでいて内心の怯えきった心を見せないようにして部屋に入った。

 椅子に座った上司が背を向けている。彼はいつも、顔を見せない。


「君を呼んだのは他でもない。先々月のダンジョン製作についてだ」

「は、はあ……何か問題があったのでしょうか?」


 今更な気もするが、先々月のダンジョンと言えばエンポリオには身に覚えがありすぎた。サラたちが襲ってきたダンジョンのことだ。


「何でも、君たちはダンジョン製作の時に大いに騒いだそうだね? 何があったかは知らないが、石の王から苦情が来ているよ」

「そ、そうでしたか……すいません、今すぐ言って謝罪をしてきます」


 魔王というのは気難しい。今更二ヶ月前のことを掘り返してくるくらいねちっこくもある。エンポリオが頭を下げればすぐに許すようなチョロさも兼ね備えているので、彼はすぐにダンジョンへ向かおうとした。

 だが、その行動には待ったをかけられる。


「その必要はない。ダンジョンは既に消滅した」

「に、二ヶ月でですか!? せっかく作ったのに……」


 異例のスピードで攻略されたことへの驚きと、作ってすぐに消滅したダンジョンのギミックへの哀しみがごちゃ混ぜになる。


「不思議の国のアリスという女王があっさりとクリアしてしまったようだよ。だからこそ、石の王は八つ当たりで君へ苦情を言ってきたのだろう」

「な、なるほど……」


 エンポリオは肩を落とした。魔王とは大きな存在の割に、小さな心の持ち主だなあと嘆く。

 しかし、不幸は更に続いた。


「こんな苦情、謝罪の一つでもすれば済むんだがね。かの魔王は泣きながら本国へ帰還してしまったらしい。それから、石の王が会社へ圧力をかけてきた。君の昇進は見送りとなったからよろしく」

「え……え!?」


 驚きのあまり、エンポリオは二度聞きしてしまった。ずっと楽しみにしていた昇進が先送りになってしまったのである。


「じゃあ、これからもがんばってくれたまえ」


 上司の激励を背に受けてエンポリオは部屋を退出した。

 本社の外へと向かいながら、懐に忍ばせた胃薬を握る。


 最近は仕事にやりがいを持ち始めて来ていた。それに、チームも良くなってきていたはずだった。

 それが、ここに来て問題の乱立、不幸の重なり。やってられない。エンポリオはまだ当分、係長のままなのだ。


「クソ、ちくしょう! 転職してやる! 転職してやるー!!」


 涙目になりながら本社から飛び出るエンポリオの姿は、疲れ切った日本のサラリーマンに似ていたと異世界人は語った。


めでたしめでたし?

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