第四章 霧雨と予感と奇襲 その一
ハーシェリクが率いる二万の兵は当初の予定通り、数日後には国境砦につくところまでやってきた。
(……なんか気持ちが悪い。)
馬車に揺られつつハーシェリクはため息を漏らす。だがそれは馬車酔いというわけではない。
(順調すぎて、気持ち悪い。)
バルバッセ大臣の策略により、兵士達の士気向上と鼓舞という名目ということで軍に参加させられた。だからなにか仕掛けられているだろう、そうハーシェリクは予想していた。だが王都を発って行軍の四分の三終えたが何事もなかった。それが魚の小骨が喉に刺さったかのような、つっかかったような違和感を覚える。
馬車の外を見れば霧が視界を覆っていた。ここ数日雨が激しく降ったりやんだりしている。今も霧雨が降り、霧が発生していて視界が悪かった。
「雨が続いて、視界も悪い……そして場所も。」
ハーシェリクは呟く。呟きながら頭の中を整理していくのは、ハーシェリクが物事を考える時にたまにでる癖だ。前世でも仕事で行き詰るとぶつぶつと呟く癖があった。
今移動している場所は道が狭く、両脇は緩やかな斜面で木々に覆われた場所だ。この場所を通過する時、軍を細くそして長い陣形となってしまう。
初めて地図でこの場所の地形を見た時、ハーシェリクは嫌な予感を覚えた。いわゆる前世のオタク的予感だ。ホラーものを除く、多ジャンルのゲームや本、アニメに映画と楽しんだ前世。その中には、戦争モノも多くあった。そういったゲームは、戦闘だけでなく戦略や戦術を練ることから始めるものも多い。人員や補給の設定から、行軍順路、戦地での地形や天候も勝敗に大きく関わってくる。
そういったオタク的経験が警鐘を鳴らしていた。だがその予感を説明するには、あまりにも材料がなさ過ぎて結局順路を変えるには至らなかった。
ハーシェリクはため息を漏らす。
「ハーシェ?」
いつも通り馬車に同乗していたシロが本から視線を上げて問う。ちなみに彼はこの行軍の為にお気に入りの本を数冊持ち込んでいる。そんな彼にハーシェリクは眉間に皺を寄せながら唸る様に言った。
「なんか、すごく嫌な予感がする。」
長く伸びきった隊列、両脇にそびえるなだらかな斜面に繁る木々、視界が不明瞭な悪天候、そして込み上げてくる嫌な予感。
ふと外が騒々しくなった。天井から連続して何かが突き刺さる音が響き、兵士達の怒号が聞こえる。
ハーシェリクは両手で顔を覆うと、背中から座席に置かれたクッションの山に倒れる。埃が車内に舞いシロが顔をしかめるが、ハーシェリクは視界を覆っている為気が付かなかった。
「……最悪な方向で当たっちゃった、オタクの予感。」
自分の予感はいつも嫌な方向であたる、とハーシェリクは力なく呟いた。
「放てええーーッ」
霧の中、グレイシス王国軍の指揮官ではない別の者の号令が響いた。それを合図に両脇にそびえる坂から風を斬る音が響き、雨ではなく矢が軍に降り注ぐ。
突然の事に動けない王国軍。その動けない軍に降り注いだ矢は、容赦なく騎士達を馬上から落し、馬は嘶き、兵士達は馬車の布で出来た屋根を突き破って飛来した矢を体に浴び悲鳴を上げる。
「敵襲――ッ」
誰が叫んだかわからない。だがその声が合図だった。
斜面から敵軍が堰をきったかのようになだれ込み、長く伸びきった隊列を分断していく。兵士達は慌てて馬車から飛び降り武器を取ろうとするも、その背後から剣で、槍で貫かれ王国の兵士達は目を見開いて絶命する。
泥水の上に倒れこみ死を待つだけの兵士の瞳に映ったのは、王冠を抱く獅子の旗。それはアトラード帝国の国旗だった。
「な……ぜ…………」
それだけ呟き兵士の命は消えた。そして戦場では幾多の悲鳴と怒声が響き渡る。二万もの軍が混乱の淵へと叩き落された。
テオドル・セギンは現在の惨状に息を飲む。
「セギン将軍、敵が………敵軍が両側面の斜面から! 軍に甚大な被害がでております!!」
「なんだ、と?」
悲鳴ように叫ぶ部下の報告にテオドルは狼狽える。いくら国境が近いからと言っても、この場での奇襲はあり得なかった。なぜなら現地点と帝国領土の間には国境砦が存在する為、敵軍が素通りできるはずはない。だがそれはテオドルの狼狽えとは別だった。
テオドルは心の中で叫ぶ。
(話が違うではないか……ッ)
彼は行軍当初、大臣より密命を受けていた。それは大臣が危険視している第七王子を敵国へとくれてやるということだった。
シナリオはこうだ。王子が国境砦に入るが敵軍は予想を超える十万の大軍。これでは王国軍も二万では太刀打ちできない。そこで王子を人質に差し出し交渉するということだった。王子も目の前の大軍を見れば否とは言えないし、兵士達をみすみす死地へと追いやることはできないだろう。
それにこれはすでに大臣と帝国で了承済みのことであり、大臣は王子と言う危険分子を取りのぞき、帝国側と王子の犠牲のみで和平の条約を結ぶという予定だった。うまくいけばその責任を傭兵上がりの将軍に全て押し付けて。
だが現在は大臣の指示とは全く異なった展開だった。
「このままでは……ガッ」
報告を続けようとする部下は、後頭部が矢で貫かれ絶命する。
「ひいっ」
テオドルは落馬しそうなのを堪えた。彼は確かに将軍だったが、自らの武を振う将軍ではなく、後方の本陣で指示を出すことが主だった。それに想定外のことが起り、そして己の命も危険に瀕し混乱していた。
死んだ部下の遺体の横に別の部下がテオドルに駆け寄る。
「セギン将軍! ご指示を!」
「……う。」
「なんと?」
周りの音とあまりにも小声だった為、聞き取れず部下が聞き返したが、飛んできた矢から身を守るために盾を構えた為、その後のテオドルの声を聞くことはなかった。防御に上げた盾を降ろし再度将軍を見ると、彼が馬首を反しているところだった。
「離脱だッ騎兵は私に続け!」
そう叫ぶにテオドルに、部下は迫りくる矢を盾で防ぎながらも目を見開く。早くも駆け出そうとするテオドルに部下は追いすがった。
「で、ですが他の兵士達は……っ」
歩兵である兵士はどうするのか、そう問う部下にテオドルは血走った目を向けて、言葉を吐き捨てる。
「知るか! 私の命が一番だ!」
そう叫び馬を駆け出す。騎兵も一瞬躊躇したが、それに従った。だれもこの場で死にたくはなかったのだ。
その様子を見つめる一人の少年兵がいた。
(そんな……)
ロイは目の前で起った事が信じられなかった。
敵襲時、運よく矢を受けなかった彼は、将軍のすぐ側の馬車の陰に隠れ、昨日まで話していた友人が矢を受け倒れていくのを見る事しかできなかった。武器を持った先輩兵士に指示を仰ぐよう伝令を命令され、死ぬ気で将軍の所までたどり着いた。だがその将軍は、自分の身の安全の為に逃げ出したのだ。自分の目の前で。
それに彼の将軍は言ったのだ。
『閣下の話と違う…………閣下は王子を帝国に引き渡すだけだと……!』
(閣下の話と違う? どういう意味?)
何が起こっているのか、ロイには理解できなかった。ただ理解出来たのは、将軍が自分達を見捨てたことと、あの金髪の王子にも身の危険が迫っているということだけだった。
「殺せええ!!」
敵の叫び声が響き、ロイの思考は中断された。すぐ側で悲鳴が聞こえたかと思うと血の匂いが充満する。鼓動が早くなり雨で濡れた鎧が冷たく重く感じた。
「死ねええ!!」
声に振り返れば目の前には敵が剣を振り上げていた。
「ほいほいっと。」
緊張感の欠片もない掛け声と共に矢を戦斧で叩き落したヒースは、駆け寄ってきた副官を馬上から見下ろす。その副官は慌てた様子もなく利き手で剣を、逆手には小さな盾を持ちながら、辺りを警戒しつつ報告をした。
「ブレイズ将軍、報告です。」
「あまり聞きたくはないが聞こうか。」
戦斧を構えたままヒースは頷く。言葉は軽く聞こえるが、その瞳は周辺を警戒していた。
「あり得ないことですが、アトラード帝国軍より奇襲を受けました。」
彼は城でも戦場でも副官として有能だった。決して慌てることはない冷静な副官は、淡々と事実を告げる。
「数は正確にはわかりませんが五千前後、周辺に潜んでいる可能性があります。またセギン将軍が率いる一軍は混乱にきたしており、指揮系統は乱れております。」
「セギン将軍の所在は?」
「不明です。」
短い返答にヒースはため息を漏らす。
まず国内にいるというのに帝国軍の奇襲を受けること自体がおかしい。国境には砦を含む自軍が展開しているはずだ。ならこの帝国軍はどこから国内に侵入してきたのか、となる。
考えられることは一つ。自国とも帝国とも隣接しているパルチェ公国を経由してきたということだ。公国は現王妃の母国であり、王国とは友好関係である。その公国が大国を裏切り、帝国側についたということか。
(いや、ないな。)
ヒースはその考えを即座に否定する。もしそうなら自国の諜報局が掴んでいるはずだ。それにいくら帝国が近年勢力を増してきたとしても、まだ王国のほうが国力は上。そんな情勢下で流れを読むことに長けた公国が、簡単に王国を裏切るとは考えにくかった。
ならなぜ敵軍が現れたのか。
ふと兵士が副官に駆け寄った。副官はその報告を受けると部下を下がらせて再度報告する。
「ブレイズ将軍、今の報告によりますと敵軍はとある人物を探しているようです。」
「人物?」
ヒースは問いかけつつ飛来した矢を叩き落とす。副官も同じように飛来した矢を小型の盾で防ぎながら言った。
「ハーシェリク殿下を。」
その報告にヒースは一瞬固まり、そして大きく、襲撃されていることも忘れたかのように深いため息を漏らした。
「そういうことか。」
ただ一言、そう漏らした。
それならヒースの中で推測を織り交ぜつつ、納得がいく説明ができたのだ。
敵は外だけでなく、内にもいたということだ。
(全て最悪な予想通り、てか。全くやってらんねーよ……)
自分はいつも巻き込まれる。そして尻拭いをすることになるのだ。だがしかし、巻き込まれて死ぬ事は御免こうむりたい。瞬時にヒースは判断する。
「しゃーねーな……おい、すぐに陣形を整えるよう通達を。整い次第後退しこの場から離脱する。それから第一部隊はすぐに一軍へ至急急行し、セギン将軍の安否確認をさせろ。セギン将軍が存命なら問題ない。万が一セギン将軍が死亡もしくは行方不明の場合は隊長が指揮系統を掌握し、応戦しつつ事前通知してあった後退地点へ誘導すること。全て俺の命令だと言えと伝えろ。」
いつもの飄々とした雰囲気が一変し、矢継ぎ早に支持をし、副官はすぐに伝令を走らせる。だがすぐに問題点に気が付いた。
「王子殿下は?」
さきほどの指示の中には王子に対する指示が一切なかった。この軍の御旗である王子はどうするのか、と副官は問う。
「いい。それは今考えるな。」
だが副官の疑問をヒースは一蹴する。
「奇襲で皆が浮足立っている。このままだとなし崩しに軍が崩壊する。王子よりまず軍の立て直しを優先する。」
「ですが……」
なおも言いつのろうとする副官にヒースは疑いの目を向ける。
「おまえ、女には興味ないと言っていたが、もしかしてそういう性癖か?」
「違います。」
上司の言葉に殺せるような視線を向け即座に否定する部下。そんな部下にヒースは冗談だと肩を竦めてみせる。窮地だというのに自分のペースを崩さない彼、だからこそ副官は余裕を持つことができた。その副官にヒースは宣言する。
「全ての責は俺がとる。俺の言うとおりにしろ。」
その顔は『不敗の将軍』と呼ばれる男の顔だった。
なぜ彼が『常勝』ではなく、『不敗』と呼ばれるのか。それは単純に『負けない』のだ。
少なくとも副官は、彼の下についてから、ヒースが負ける姿を見たことがない。彼は、勝てなくても負けもしないのだ。圧倒的な不利な状況下でも、勝てずとも自軍に有利な状況を作り終戦へと持ち込む。だから彼は『不敗の将軍』と呼ばれるのだ。
「……了解しました。」
不敗の将軍の言葉に、副官は頷いたのだった。