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第二章 王子と民と出陣式 その二


 時は戻り出陣式の前日、シロはハーシェリクを自室に送り届け夕食を終えた後、魔法局のとある一室を訪れていた。


 その部屋へノックして入室すると、室内に充満していた薬品の匂いがシロに襲いかかる。シロはその匂いに眉を顰めつつも目当ての人物を探した。

 さほど広くない部屋、窓際にある机の前に目当ての人物である水色の髪を持つ男が、薬品の入った試験管を片手に、空いている手で筆を紙へと走らせていた。


「サイジェル殿。」


 その背中にシロは言葉を投げるか、当の人物は聞こえないのか筆の手を休めことなく書き続けている。

 シロは小さくため息を漏らすと彼に歩み寄った。


「サイジェル殿。」


 今度は先ほどよりも声を強め名を呼ぶ。すると男はやっと気が付いたのか、書き物をする手を止め振り返った。


「ああ、ヴァイスさん気がつかなくてすみません。あと私のことは殿なのとつけなくてもいいですよ。何度も言っていますが。」


 謝罪しているにも関わらず全く悪びれた様子のない男……二十代前半の眼鏡をかけた青年サイジェルにシロは肩を竦める。サイジェルは持っていた試験管を落さぬよう置台に戻し、シロのほうに体を向けつつずれた眼鏡をかけ直した。


 そんな彼にシロは持っていた書類を差し出す。


「サイジェル殿これを。」

「……あの難解な魔法式をもう解いたのですか?」


 サイジェルは驚きつつも受け取ると、書類の字を群青色の瞳で追う。シロの言うとおり、普通の魔法士だったらかなりの時間を要するであろう難解な魔法式が解かれ、それどころか問題点やそれに対する改善策も書き込まれていた。


(これが本物の天才、というものか。)


 サイジェル自身も周りから天才と評される部類の人間だった。幼い頃は神童と呼ばれ、大人顔負けの魔法学の論理を展開した。だがシロは別格だった。


 魔法とは発表されている魔法式を利用して使用することが一般的だ。魔法士として経験を積み熟練した者ならば自分にあったアレンジもするが、新しいオリジナルの魔法式を構築することは難しい。


 しかしシロが使用する魔法は、ほとんどをオリジナルの魔法式だと言っていた。発現する魔法は似ていても、その魔法式は全く異なる。効率的で無駄がなく、かといって効果が低いわけではない。本人曰く「発想と想像さえあれば難しい事はない。」と言ったが、それが出来ないから一般の魔法士は発表された魔法式を使用する。

 ただ彼が使用する魔法式は、彼の特異な能力に合わせて構築された彼専用魔法式である為、他人が使用するには難しいということもある。逆に彼はどんな魔法式でも発動させることが出来る。むしろその魔法式の問題点を見つけ改善改良し、発動しやすくするということを難なくやってのける。だからサイジェルは彼こそが本物の天才だと思った。


「さすがですね……これで研究もはかどります。」

「後は任せる。明日から私はいないので。」


 そう言ってシロは回れ右をして部屋を後にしようとする。だがそんな彼をサイジェルは引きとめた。


「ヴァイスさん、本当に行くのですか?」


 それは明日、戦場に向かうのかという意味だった。

 戦場は危険な場所だと、戦場に出た事のないサイジェルは知識として知っている。魔法士の同僚達の中には、戦場に出向いたまま戻らない者もいた。


 魔法士は戦力として優秀だ。上級魔法士ともなれば一人で中隊ほどの戦力にもなる。だが反面、体力は訓練している兵士や騎士と比べてものにもならないくらい低いし、攻め込まれれば紙のように脆い。それに魔力がなくなれば一般人と同じだ。魔力が枯渇し自分の守る術を持たない魔法士は、敵の凶刃を避ける術がないに等しい。万が一、シロほどの魔法士を戦場で失うこととなれば国家的、否世界的に大きな損失だと思えたし、同じ魔法士であるサイジェルには耐え難かった。


「ハーシェが行くからな。」


 だがサイジェルの心配をよそにシロはさも当然のように言った。


「それほどまでに?」


 サイジェルは末の王子の顔を思い浮かべる。自分の主であるマルクスとは比べ物にならないくらい、儚い存在の王子。それこそ彼が本好きだということがなければ、生涯関わることはなかっただろう。


「私はハーシェに救われた。」

「それは、知っていますが……」


 先の教会のテロの事件にはサイジェル自身も関わった。シロが人体実験の末、特殊な体になってしまったことも知っていた。もし末でも王子の筆頭と言う立場でなかったら、彼は国内でも実験対象となっていたかもしれない。テロの事件で、そしてこれからの彼の身の保障という意味でハーシェリクは二つの意味で彼の命を救っている。

 だがそう考えたサイジェルにシロは首を横に振った。


「ハーシェは、私の心を救ってくれた。」


 絶望の淵に立たされ、人であることを捨てようとさえ思っていた己を、ハーシェリクは引きとめた。自分の事を化け物と呼ぶなと言ってくれた。初めて彼が本当の意味で自分を受け入れてくれた人物だった。


「だから私の居場所はハーシェの側だ。彼が戦場に行くというなら、ついて行く以外考えられない。」


 そう断言し、傾国の美女とも思える顔に微笑みを浮かべる。


 シロの様子にサイジェルは納得するしかなかった。彼自身も第一王子であるマルクスの筆頭魔法士だ。マルクスに請われれば仕方がなしと思いつつも戦場に向かうくらいに、マルクスを好意的に思っているし、元々は学院の後輩なのだ。もちろん血は繋がらないが、弟のようにも思っている。というかそう思わなければ三食昼寝付きだとしても筆頭魔法士にはなったりしない。


「解りました。」


 嘆息しつつサイジェルは返事をし、書類を掲げてみせる。


「こちらはお任せください。必ず成果を出してみせますよ。」


 サイジェルの言葉にシロは頷くと、部屋を後にしたのだった。

 









 オランは疲れの溜まった体を引きずるように家の門を潜る。明日には出陣式を控え、この二週間、ハーシェリクの筆頭騎士としてオランは各部署の打ち合わせや準備、その他いろいろと動き回っていた為、自宅には三日に一日、それも皆が寝静まった夜中に帰宅し、朝も朝食を慌ただしくとると急いで城へと向かうという状態だった。


 そして出陣式前日の今日、いつもより早い時間に帰宅することが出来た。とはいっても時間は夜の十時を回っている。すでに家人は寝ているだろうと思っていたが、屋敷の前の扉には兄達が待っていた。


「どうしたの、兄貴達。」

「どうしたのって、明日初陣で緊張している弟の帰りを待っていたに決まっているでしょ。」


 首を傾げる弟にすぐ上の兄、オルディス家の次兄クレールが人好きする笑みを浮かべつつ、からかうように言った。その隣で父のように逞しい身体の長兄ジョルジュは彫の深い顔に苦笑を浮かべつつ肩を竦めてみせる。


「まあ、オクタが緊張するとは思えないけどな。」


 二人の兄達の言葉にオランは曖昧な笑いで答える。


(まあ緊張していない、ってわけではないけどな。)


 言葉には出さずオランは思う。

 少しばかり緊張はしている。だがそれは例えれば試合前の集中力が増すような、程よい緊張感だ。


「父上と母上が待っている。」


 そう長兄に促されオランが屋敷に入り居間にいくと、父と母が待っていた。ソファに目をやると妹がクッションを背に寝息を立てている。待っていたが眠気には勝てなかったようだ、とオランは予想する。

 そしてオランの視界には、普段の居間ではみたことないものが映った。それは暖炉の前に置かれた、真新しい鎧だった。


 上半身を覆い隠すように作られた鎧、手甲、そして膝から下を守る為の具足。その全てが深紅に、血のような赤に塗られている。


「これは……」

「明日の為、用意しました。」


 言葉を飲むオランに、優しげに微笑みを浮かべる母、アンヌが言った。


「貴方はお父上や兄達に比べ力は劣ります。ですが、それを上回る身軽さが武器です。だから素早さを殺さぬよう素材は丈夫ですが軽く、動きの妨げになる足の部分はあえて用意していません。」


 今まで剣や戦に関しては一切口出しをしたことがない母の言葉に、オランは驚き混乱する。


「……この色は?」


 まるで血を連想させる深紅。それはあの教会での戦いで纏った血で染まった元は白い制服を連想させる。


「貴方の覚悟の色、でしょう?」


 何もかも見通しているかのようにアンヌは言い微笑んだ。あの日のように。


 教会のテロを未然に防いだあの日、血まみれの姿に兄弟達はみな絶句した。父でさえオランの姿に言葉をあぐねているようだった。だが母だけは着る事が出来なくなった血まみれの制服を受け取り、いつも通り微笑んで浴室へといざなった。


「さすが私の息子です。」


 そう浴室への扉を閉める時、そう言っただけだった。その時は未然に教会のテロを防いだことに対してだと思った。だが今思えばそれは違うのだとオランは理解した。


 綺麗事を並べようと人殺しは人殺しでしかない。その罪を背負い、それでも立ち続けた我が子への言葉だった。


 息子の視線を受け止め微笑んだまま、アンヌは言葉を続ける。


「貴方は殿下と一緒に茨の道を進む覚悟をしました。ならオルディス家の家名に恥じぬよう、その道を行きなさい。それを見送ることが私達に出来る唯一の事です。」


 アンヌの言葉に頷き、オランは鎧の前に立つ。光源に鈍く紅く反射する鎧。この鎧はハーシェリクと共にいる限り、戦場に立つ限り、色褪せることなく紅く染まり続けることだろう。


「オクタヴィアン、これを。」


 そう言って父であるローランドが差し出したのは、一振りの剣だった。オランはローランドから剣を受け取ると目を見張る。初めて持ったはずの剣なのに、まるで長年愛用してきたかのように手にしっくりときたのだ。そのまま鞘から引き抜くと白銀の刃が自分の顔を映すほど手入れの行き届いた剣だった。家族から離れて一通り素振りをすると、最初感じた通り、初めて持った気がしなかった。


 素振りをやめまじまじと剣を見るオランに、ローランドが話しかける。


「それはオルディス侯爵家が、侯爵の位を頂いた時に賜った剣であり、我が家の家宝だ。」

「は? これが?」


 家宝という言葉にオランは間の抜けた声を出す。当時の国王から賜ったと聞けば、宝剣など華美なものが想像されるが、この剣はその想像とかけ離れていた。確かに刀身は美しいが無駄な装飾はなく実戦用の剣だ。鞘にも華美な装飾は施されておらず、鞘に入れて町の武器屋に並べられていても違和感はないだろう地味な剣だった。


「これは『戦女神に祝福されし剣』の中の一振りで、何人斬ろうと決して折れず、血を吸えば曇るどころか、血を吸えば吸うほど白刃は輝き切れ味が増すと言われている。」


 ローランドの言葉にオランは息が止まる。そして再度剣を凝視した。


『戦女神に祝福されし剣』とは言葉通り、戦や勝利を司る女神に祝福されているといわれほどの、世界に十しか存在しない名剣のことだ。剣一振りで城がかえてしまうほどの価値がある。それが我が家にあるとはオランは思ってもみなかった。


「オクタヴィアン、なぜオルディス侯爵家が領地でもなく、金銀財宝でもなく、この剣を賜ったのかわかるか?」


 その問いと同時に向けられた父の鋭い眼光に、オランは沈黙する。


 確かにこの剣は宝だ。しかし褒美には向かない。金にしようにも価値がありすぎて換金することは出来ないし、父の言うとおりこの剣が本当に『戦女神に祝福されし剣』なら国宝級の品であり、一介の貴族が持つ家宝としては荷が重すぎる。


 頭を捻るオランにローランドは言う。


「オルディス侯爵家は国を守る為、民を守る為……そして己の主と信念を守る為の侯爵家だ。それがオルディス侯爵家の存在意義だ。」


 当時の王はオルディス侯爵家にその忠誠と力を求めた。そして国宝級の剣を与えるほど信頼をしていた。


「……私は昔、主を守れなかった。」


 ローランドは古い記憶を懐かしむように瞳を細める。


 ローランドは慧眼の王という主を謀略により失った。その死に際の最期の願いを叶える為、ローランドは国を守り続けた。


「お前は私のようにはなるな。必ず己の主を守り、国を守り、我が家に帰ってくるのだ。」


 オランは再度剣を見る。そして一度瞳を閉じ深呼吸をすると剣を鞘に納め膝をついた。


「必ず。」


 短い言葉だった。だがそれは決意が滲み出る言葉だった。


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