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第九章 王子と大臣と悲劇の終幕 その二



「……国は簡単には変わらない。」


 バルバッセは囁くように言うと、足元に捨てられた書類を踏みつける。


「この国は腐っている。私がなにもしなくても、この国は腐っていくだけだった。私がいなくなってもこの国は変わることはない……ッ」


 感情と比例するかのように、バルバッセの声が段々と荒々しくなる。


 バルバッセが侯爵家当主となる前、城に上がる前から王国内部の腐敗は始まっていた。貴族達は我が物顔で城内を闊歩し、国を食い物にしていた。

 バルバッセがいうとおり、甘い汁を吸い続けてきた貴族や高官、役人達がその味を忘れることはない。むしろバルバッセという頭がいなくなり、歯止めがきかなくなるかもしれない。そうなればこの国はさらに腐敗し沈んでいくだけだ。


「解っているよ。」


 バルバッセの言葉にハーシェリクは同意する。そして、窓際の机に向かい、その上に広げたままだった書類を手に取ると、それを先ほどの密書の書類と同様にバルバッセの足元に投げ捨てた。


「だから私が集めた。貴族や高官、役人に武官達……この国で不正を働いた者達の証拠を。」


 ハーシェリクの声は限りなく感情を抑えた、冷めた声だった。

 バルバッセが書類に視線を向けると、そこにはありとあらゆる不正の証拠があった。


 誤魔化された税収、商人と結託しての架空の支出、横領された物資や軍備……その証拠となる書類や密書、捜査報告書が床に広がっていた。


「ずっと集めていた。」


(字を読めるようになって、内部監査をするようになった三年前からずっと……)


 来る日も来る日も、自分の無力感に苛まれながらも、諦めることなく続けた。

 一年前からクロとオランを伴って某将軍の如く世直しもどきを行っても、それは極一部でしかない。

 証拠集めも世直しも、ハーシェリクの個の行動など、焼け石に水の状態だった。それでもハーシェリクは諦めず、地道に活動を続けた。


 全てはこの日の為に。


「誰一人、逃しはしない。」


 やるからには一網打尽にする。その為に今まで積み重ねてきたのだから。


 沈黙するバルバッセにハーシェリクは問いかける。


「ねえ、知ってる?」


 まるで幼子に話しかけるようにハーシェリクは言葉を紡ぐ。


「ある村では、冬にお爺さんが餓死したんだって。高い税を払ってお金が無くなって、息子夫婦と孫を食べさせる為に自分の食事を絶って。」


 なぜもっと早く助けにきてくれなかったのか、そう夫婦と子供から詰られたあの日。


「花街では娘さんが家族を養うために、婚約者と別れて花街で働いているんだって。」


 悲しそうに微笑む彼女に、言葉を失ったあの日。


「夜盗していた若いお兄さんは、妹さんの薬が買えなくて奪うしかなかったって泣いていたよ。妹を助ける為に人を殺してしまったって。結局妹さんも亡くなったって。」


 そう自分の行いを後悔し死んでいった彼を看取ったあの日。


 ハーシェリクは自分の手が届く範囲で多くの人達を助けた。同時に助けが間に合わなかった人々もいた。今でも悲しみに染まった彼らの顔が鮮明に思い出せる。


「今回の戦いでも、最初の奇襲で兵が何百も死んだ。」


 夜、筆頭達と軍を離れていたのは、敵を誘う為だった。例え大人数でこられても、自分と筆頭達だけなら、逃げることはできる。帝国の狙いは王子である自分。なら王子がいないとわかれば奇襲も中断するかもしれないし、警戒している軍に手をださなかったかもしれない。そうなれば軍に被害が少なくてすんだかもしれない。


 だがハーシェリクの願いは叶わず、想定した幾多の予想の中で、最悪な現実になった。


「泣かなくていい人間が泣いて、死ななくていい人間が死んだ。」

「……私を止めなかった王族も同罪だ。国王も同罪だッ」


 ハーシェリクの断罪の言葉を振り払うかのようにバルバッセは叫ぶ。


「同罪だって?」


 だがそんな彼にハーシェリクは皮肉の混じった声を投げる。


「父様は自分の責務からは逃げなかった。理解していて、それでもなお私達を守る為に玉座に残った。おまえはそんな父様の性格を利用した。反乱が起った時、自分が助かるための生贄にするために。先王達を殺し、生まれて間もない姉を殺し、父様を脅して……罪から逃げず苦しみ耐え続ける父様と、罪から逃れ己の利益を貪るお前が、同じ重さの罪なわけないッ 私は認めないッ」


 ハーシェリクは声を荒げる。そんな彼を沈痛な面持ちで見つめるのはソルイエだった。


「ハーシェリク……」


 ソルイエは激昂するハーシェリクの名を呼ぶ。

 まるで自分の事のように怒る末の息子。ハーシェリクは自分よりも他人を優先する。さらには他人の痛みを自分のように感じることが出来るほど、感受性が鋭く優しい性格だ。


 ソルイエはすぐにでも駆け寄って抱きしめたい衝動にかられるが、中和薬を飲んだとはいっても長く病床にあった身体は、ルークに支えられ立っていることがやっとだった。


 ハーシェリクは自分を落ち着かせる為に一度深呼吸する。そして再度口を開いた。


「だけど貴方の言葉通り、臣下の罪は王家の罪。私は罪から逃げる気はない。」


 例え自ら犯した罪ではなかったとしても、王家とはそうあるべきだとハーシェリクは考える。それは兄達も同意だろう。マルクスとウィリアムが頷いているのを視界の端で見えた。


「だから国が変わる為に、まずは貴方が裁かれるべきだ。」


 ハーシェリクはそう宣言し、バルバッセは何も答えず言葉を受け止める。

 そしてハーシェリクは手を差しだす。


「ピアスは返して……それは彼女が残してくれた、大切なモノなんだ。」


 彼女が残した唯一の、彼女とのよすがを感じる事ができる品。


 バルバッセが亀の歩みでハーシェリクに歩み寄ると、差し出された掌にピアスを落とす。

 そのピアスがハーシェリクの手に触れそうになった瞬間、彼はバルバッセに腕を掴まれ引き寄せられた。ピアスが床を転がったと同時に、ハーシェリクはバルバッセに後ろから抱きこまれるような形で拘束される。


「動くなッ」


 バルバッセは叫ぶと同時にハーシェリクの細い首に己の腕を巻きつける。動こうとしたクロと剣の柄に手をかけたオランが、その言葉に動きをピタリと止めた。


「近寄れば王子を殺す。」


 バルバッセが腕に力を込めるとハーシェリクは息が出来ず苦悶の表情を浮かべる。さらに力を加えれば、ハーシェリクの首は簡単にへし折られるであろうと予想が出来た。その為誰もが息を飲み、ハーシェリクを助けるために動くことが出来なかった。


「道を開けろ。追ってきたら王子の命はないと思え。」


 バルバッセの言葉に、ハーシェリクの腹心達も家族達も道を開けるしかなかった。


 ハーシェリクを引きずるようにバルバッセが去った後、部屋に取り残された面々は沈黙する。まず口を開いたのはオランだった。


「……解っているな、黒犬。」


 オランの言葉に不機嫌そうに頷いたクロは、すぐさま音もなく部屋を出ていく。


「ハーシェリク……」


 ルークに支えられたまま、青い顔をしたソルイエが呟く。


「父上、ここはハーシェの筆頭達に任せましょう。父上は毒を盛られていた期間が長かったんですから、横になっていてください。ウィル、お前も無理はするな。」


 マルクスが父に、同じく青い顔のウィリアムに言う。そういうマルクス自身も顔色が悪い。それでも結末を見届ける為に無理をしたのだ。さすがに魔力の高い三つ子とユーテルは動けなかったが。


「だが……」

「大丈夫です……だろう、オクタ。」


 不安そうな父にマルクスは断言し、ハーシェリクの騎士に視線を向ける。


「ああ。全ては、ハーシェの掌の上だ。」


 オランは頷いて見せたのだった。








 その男は軍務局の建物の陰から当たりの様子を窺っていた。以前なら手入れされ整っていた髪も今は乱れ、上等な服は所々破れ型崩れし跡形もない。


 彼の名はテオドル・セギン。先の戦いで将軍だった彼だが、帝国軍の奇襲を受けた時、我先にと逃げ出し砦に逃げ込んだ後、生還した王子を敵国へと売り渡そうとした罪により、牢屋に入れられていた男だ。


 だが運よくその日の門番は彼の元部下だった。そしてその男は金で動くことを知っていたテオドルは、金を渡すことを条件に脱獄したのだった。今は彼が外へと逃がす算段をしている間、建物の陰に隠れ周囲の目を欺いていた。


「なにを、なにを間違えたんだ……」


 絶望に打ちひしがれたテオドルが呟く。

 大臣の言うとおり、王子を帝国に渡すだけのことのはずだった。

 だが実際は将軍から罪人へと転落した。


(あの男を、蹴落とせると思ったのに……!)


 脳裏に思い浮かべるは卑しい傭兵の癖に成り上がったあの将軍。烈火の将軍に気に入られ頭角を現し、『不敗の将軍』などと呼ばれているあの男。戦がなければ煙草を咥え欠伸をするような不真面目な男。学院を優秀な成績に卒業し、貴族達に媚び、なんとか将軍になってもしがらみが多い自分とは違い、上司に恵まれ部下にも民にも慕われるあの男。


 本当なら、今回の責は全てあの男に行くはずだった。そう大臣は言っていたというのに、どこで計画が狂ったというのか。


『認めなよ。バルバッセは貴方達を捨て駒にしたって。』


 砦で王子が言った言葉は蘇る。


「全てはあの男が……王子が……ヤツが…………」


 ふと足音が聞え、テオドルはやり過ごそうと身を屈める。慌ただしく建物に入っていく兵士達の会話が聞こえた。


「おい、大臣がハーシェリク殿下を攫ったと……」

「まさか、大臣が……」


 兵士達が建物に消えるのを確認しテオドルは身を起こした。


「私はまだ、命運は尽きていない……」


 迎えに来た元部下が見たテオドルの瞳には絶望はなく、狂気の色が宿っていた。



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