第九章 王子と大臣と悲劇の終幕 その一
バルバッセの手がドアノブに触れる直前、手は空を切り扉は開け放たれた。そして目の前に現れた人物達に大臣は目を見開く。
「そこまでだ、バルバッセ。」
赤毛を揺らしたマルクスの鋭い視線がバルバッセを射抜く。
「なんだ、と……」
バルバッセはよろめき後ずさる。
彼の目の前には信じられない光景が広がっていた。マルクスに続きウィリアムも入室し、ハーシェリクの執事と筆頭が続く。そして最後に入った人物に、バルバッセは開いた瞳が零れ落ちそうなほど、さらに見開いた。
「バルバッセ……」
その人物に名を呼ばれ、バルバッセは今見ているのが夢でも幻でもないと理解する。視線の先には、つい先日まで寝台の上で虫の息だった王が彼の執事に抱えられ立っていた。頬は痩せているが、依然と比べれば顔色がいい。
「ハーシェ、もういいぞ。」
全員がハーシェリクの私室に入ると、ウィリアムが部屋の主に言葉を投げた。
「……ぶふッ、ブハ、げふんッ、ゴホッ」
ハーシェリクは吹き出し、咳き込み、最後は酸欠気味の魚のように口を開閉する。
「ああ危なかった。途中で笑う事我慢するのに息できなくて死ぬかと思った。」
「なぜ……」
唖然と固まっている大臣に、ハーシェリクはにっこりと天使のような微笑みを向ける。
「本当に面白いくらいに喋ってくれたし……あ、ちなみにここに入った時からの会話、全部録音済みだから。」
ハーシェリクはそう言って、今まで握りしめていた懐中時計を掲げて見せる。
「今の会話だけじゃなく、遠征で襲ってきた刺客達の会話もしっかり録音してある。もちろんそっちは複製済み。」
そう言ってハーシェリクが念じれば、浮遊魔力を取り込んだ懐中時計が淡く光りだし、先ほどの会話を再生した。
これもシロが発見した懐中時計の機能の一つ。魔法式を組み込んでおけば、発動するのに魔言を必要としないのだ。おかげでハーシェリクは、ポケットに入れておいた懐中時計を掴んで念じるだけで、ばれずに録音することが出来た。
「なぜ、そんな……」
バルバッセの視線が、自分と父や兄達を交互に行き来していることが解り、ハーシェリクはにやりと笑って見せた。
「ああ、なぜ父様達が動けるかって? それは簡単。あなたが盛った毒の解毒薬を手に入れたんだ。」
「そんな、解毒薬はッ」
自分が持っている、と言いかける。しかし目の前の王子はその答えも予想していたのだろう笑みを絶やさぬまま、バルバッセの言葉を遮った。
「ああ、訂正する。解毒薬、というよりは毒の効果を打ち消す中和薬を生成してもらったんだよ。あなたは追い詰められたら、毒を使用するだろうと簡単に予想できたからね。」
二度も成功した策だ。懐柔も暗殺も失敗に終わり、最後に行きつくのはそこだろうとハーシェリクは簡単に予想出来た。しかし毒を使われては父と同様、ハーシェリク自身も動きが取れなくなることは目に見えていた。
「あなたは最後、必ず毒に頼る。そして取引を持ちかけてくる。」
毒と対となる解毒薬がなければ取引として成り立たない。しかもその解毒薬が全快する効き目があるものとは限らない。だからハーシェリクは不正を見つける為の内部監査しつつも、ずっと毒に関する情報も探していた。しかし城内では見つからず、他の方法を探そうと城下町や王都の外へ世直しに出かけている間も情報を集めていた。それでも毒の情報は見つけることはできなかった。
「毒に関しては諦めるしかないと思っていた……だけど、ジーンが助けてくれた。」
死ぬ間際の彼女から託されたピアス。そのピアスは記憶媒体で、そこにはこの毒の製作法が記されていた。
「おかげで毒を再現することが出来た。そして中和薬を作ることが可能になった。」
中和薬の生成はサイジェルが行った。
「私はマークが気に入っているからね。」
そう言って彼は二つ返事で受けてくれた。
「あ、でもマークには黙っておきましょう。彼は油断していると表情に出やすいですから。」
と筆頭魔法士にしてはあるまじきことも言っていたが。
この薬は生成するにあたり魔法式も組み込む為、シロの知識も必要になった。その上珍しい薬草や素材を使っていたが、薬草に関してはぜか知識が豊富なクロおかげで順調に進んだ。研究時間も第一王子の筆頭魔法士であるサイジェルは普段自分の興味を持ったことの研究をしている為、怪しまれずに時間を確保することが出来た。しかし、だからといって一朝一夕で出来るものではない。
「中和薬を作るには時間がかかる。だから私はあえてあなたの言うとおり国境に出向いた。」
あえて大臣の策に乗り、国境に出向き時間を稼ぎつつ彼の注意を自分に向けた。だからといって時間をかけすぎて怪しまれて、中和薬を作成していることがばれてもいけない。もちろん戦を長引かせてもいけなかったが、戦自体があんな短期間で終わるとは思っていなかった。おかげで追い詰められたバルバッセが早々に最終手段に出た。
(本当にギリギリだった。)
当初の予定を過ぎても薬は出来ず、帰還した直後シロはサイジェルの部屋に直行し中和薬生成に参加した。そして昨日、ルイのお産に立ち会いから戻ってきたハーシェリクは、中和薬の試作品が完成したことを告げられた。
「実験をしている猶予はない。この薬が効くかはわからない。」
これは賭けだ、そう告げる彼らにハーシェリクは頷き、中和薬を持って苦しむ家族の元へ向かった。そして全ての事を話した上で、中和薬を家族に渡した。
そして結果、ハーシェリクは賭けに勝った。
ちなみに三日間完全徹夜だったシロとサイジェルは効果が表れたことを確認した後、死んだように今は寝ている。薬の生成の手伝いをしてほとんど徹夜だったと思われるクロは平然としているあたり、さすが元密偵と思ったハーシェリクである。
「もともとおかしいと思ったんだ。なぜあなたは私に毒を使わなかったのか。」
ハーシェリクはなぜ、バルバッセが自分い対しては回りくどい事をしていたのかがわからなかった。一番上の姉のように、病に見せかけて殺すのが手っ取り早いのになぜそうしなかったのか。
しかしふと気が付いた。
同じ方法では自分が殺せないのではないか、と。そして自分の他兄弟達との差異に気が付いた。
「私と家族の違い……それは魔力の有無。」
この毒薬は魔力を変質させる薬だった。魔力を変質させることにより人為的に魔力を異常に消費させ、魔力が尽きれば補うように体力を、そして生命力を消費させる。傍から見れば原因不明の衰弱だ。
その元となる魔力がないハーシェリクには、この毒自体効かない。逆に大きな魔力を持つ人間ほど、薬の効果は絶大ということだ。王家の人間は一般人と比べて魔力が大きい。その中でも己の器から飛び出すほどの魔力を持つユーテルは、魔力消費の反動が大きかった為、重篤となった。
「この毒は魔力を変質させ暴走させる薬。だから魔力が一般人よりもの高い王族は死に至った。だけどその元となる魔力がない私には効かない毒。だからあなたは私を病に見せかけて殺すことが出来なかったから、強引な手に出るしか方法はなかった。」
病を装うことは出来ず、暗殺するにもハーシェリクの側には後ろ暗いことを見逃さない元密偵のクロと、武闘大会で軽々優勝したオランが控えている。そこに魔法の天才シロが加わった事により、ハーシェリクの死角はほぼなくなった。暗殺は出来ず、娘を使っての籠絡も出来なくなった。そこで今回の帝国軍侵攻を利用したのだ。
そして中和薬を作るにあたり、毒を解析するを進めると別の事件とも関連性が見つかった。
「教会の薬とこの毒に共通した部分や、酷似した部分があったと聞いている。」
先の春、教会が起こしたテロ事件で押収された身体強化の薬。
研究の結果、身体強化の薬は魔力を変質させることにより魔力も器も強化し、さらに増幅した魔力で身体を強化する。強化された身体は魔力を必要とし、薬を服用しなくなると肥大した魔力や器、強化された身体が維持できなくなり、筋力や免疫力が落ちて身体が弱り、最後は死亡する。
その身体強化の薬と毒とで、必要な薬草や魔法式など偶然では説明できない共通部分が見つかったのだ。
過去、国の研究局での身体強化の薬の研究中に、この毒が偶然生成されたのではないかとハーシェリクは推測する。そしてそれを知った大臣は秘密裏に入手し、先代国王とその息子たちを病と装い暗殺した。
暗殺が成功すると身体強化薬の研究は停止され、実験資料は魔法局の結界の張られた保管庫へ入れられ存在は忘れ去れた。同時に研究に参加していた人物は、事故死や病死などで揃って消えている。つまり口封じされたのだ。これで完全に真実は闇の中に葬られた。保管庫の資料以外は。
「バルバッセ、あなたは保管庫の資料が再度日の目に見る事を懸念していた。」
研究資料は国家の財産とも言える。将来的に役に立つかもしれないからだ。だから決して破棄はされない。
将来、誰かがこの研究に興味を持ち、研究を再開するかもしれない。その時、薬と毒の存在を知られ、王族の病が実は暗殺だったと気づかれる恐れがあった。
「だから数年前に教会はこの薬を求めていたと知ったあなたは、証拠の隠滅をするために教会へ売渡した。これで城には毒に辿れるものがなくなった、はずだった。」
ハーシェリクは上着の内ポケットにいれてあった書類を取り出し、掲げてみせる。
「ルゼリア伯爵が手に入れた決定的な証拠。それはグリム伯爵を通してあなたが教会側へこの薬を売り渡した証拠だ。」
その書類には約五年前の日付で、教会にあてられた密書だった。
「名前は書かれていない。だけど筆跡を鑑定すれば、これが誰の筆跡かわかる。……私は多くの書類をこの三年間見てきた。」
多くの書類を読みこんだハーシェリクは、役人全員とは言わずとも筆跡で誰が書いたか判別できるようになった。
例えば父であるソルイエの字は、流れるような綺麗で丁寧な字だが、文章の最後に点を打つ癖がある。そしてこの密書の字は、筆圧が強く右肩上がりの癖字で、読み始めた当初はなかなか難解だった。
「これはあなたの字だ、バルバッセ大臣。」
「……そんなものどこにあったというのだ!」
バルバッセの言葉にハーシェリクは懐中時計を印籠のように見せる。
「クラウスの懐中時計に記憶されていた。」
ハーシェリクは思い出す。
『これはおまけ。お嬢ちゃんが持っている懐中時計、それを無くさないようにしなさい。それは貴方を助けてくれる唯一無二の物だから。』
あの情報屋はそう言った。この懐中時計は確かに私を助けてくれた、とハーシェリクは思う。魔力のない自分でも魔法を扱えるように、結界魔法を記憶し身をも持ってくれ、さらには大臣達の発言を録音し動かぬ証拠となってくれた。
だが一番はこの密書だった。この密書は、殺された先王やハーシェリクにとっては叔父達の無念を晴らしてくれるものだった。
「この密書だけなら単なる横領の証拠。他国との密通よりは罪は軽い。だからクラウスはこの証拠を選ばなかった。だけどこの時計の中に残して置いた。」
ハーシェリクは真っ直ぐとバルバッセを見据える。
「貴方はグリム伯爵を助ける為にクラウスを嵌めたんじゃない。この密書が、思わぬ形でクラウスの手に渡り自分の身が危険になったから、明るみに出る前にクラウスを殺したんだ。」
グリムも大臣にとってはいざという時の捨て駒でしかなかった。逆にグリムは天性の高い危機察知能力からそれを察知し、あえてこの密書だけは破棄しなかったのかもしれない。とはいってもその密書がクラウスの手に渡ったというあたり、グリムは抜けている部分もあるが。
「全てが一つに繋がった。」
ハーシェリクは大きく息を吸い吐き出すと動けずにいる大臣を見据える。
「もう終わりにしよう、バルバッセ。」
そう言ってハーシェリクは手にした密書の写しを大臣の足元に投げ捨てた。




