第八章 帰還と病と悲劇の再演 その二
兄マルクスが倒れて三日、王城は静まりかえっていた。それも無理もない。国王が倒れ、王位継承権第一位のマルクスも倒れ、ハーシェリクを除く王都にいる王族皆が倒れた現状、楽観視できる者は存在しないだろう。特に先王の時代を知る人間ならば、今の状況が王家の悲劇とまで言われた状況に酷似しているからだ。
ハーシェリクはこの三日間、家族達に会えずにいた。王都にいる唯一健常な王族な上、先の戦の功労者であるハーシェリクは現在、国民からの人気が高い。そんな彼が同じ病に倒れようものなら、国がどう傾くかわからない。そう自分よりも年上の臣下達に頭を下げられてはハーシェリクも我を通すことが出来なかった。
国王不在の政務は臣下が行う為、ハーシェリクは特にすることもなく、また何かする気も起きず時間だけが無為に過ぎていった。
窓際のソファに座り、窓から天気の良い空を眺め、時々深いため息を漏らす。そんな様子を筆頭達は心配げに見ていたが、かけていい言葉が見つからず、必然と室内は静まり返る。
そんな静寂を打ち破るかのように、彼の元にクロが警邏局の者が会いたいという知らせを持ち込んだ。会ってみるとそれは王城の警備を任されている部門の責任者だった。
「殿下、申し訳ありません。」
彼は恐縮し言葉通り申し訳なさそうに、そして言いづらそうに口を開いた。
「城下町の者が集まって殿下に会わせろと……」
「え?」
想定外の言葉にハーシェリクが唖然とする。思考が追い付いていないハーシェリクに彼は言葉を続けた。
「ハーシェリク殿下が戦に出た翌日から、殿下の御身を心配してか城下町の者が城へ来たりはしていたのです。」
殿下が行方不明になった時は何十人も押しかけて大変なことになったが、それは偶然居合わせたオルディス将軍が治めてくれた、と説明する。
「しかし城下町にも王族の方々が倒れたという事が広まり、先日殿下が帰還したあと、連日城門に民が押し掛けて口々に殿下の安否を問うのです。」
帰還してから自室に引き籠っていたハーシェリクは、外がそうなっているとは知らず驚く。同時に彼の言葉が信じられなかった。
「本当に?」
「はい、既に業務に支障がきたしております。殿下、申し訳ありませんが、どうか皆を説得してください。」
そう困り果てた彼の言葉に、ハーシェリクは半信半疑で頷くのだった。
そして数十分後、城下町へと繋がる正門に来たハーシェリクは彼の言葉に偽りがなかったことを知った。城下町へと繋がる正門の前と王城への扉の間には広場がある。馬車の乗り降りが出来るような石造りの道に、脇には庭園のような完璧に手入れされた植木や花壇、石造が配置され、大国グレイシス王国の名に恥じない、立派で豪奢な正門だ。いつもなら貴族や高官、そして他国の外交官が行きかう場所だったが、今は城下町の民で溢れていた。
老人から子供迄、男女問わず五十人は軽く超えている。もしかしたら百人近くいるかもしれない光景を目の当たりにしてハーシェリクは己の目を疑った。
固まってしまったハーシェリクを後ろに控えていたオランが肩に手を置き前へと押し出す。すると一番先頭にいた男がハーシェリクの姿を見つけ、声を上げた。
「皆、ハーシェリク殿下がいらっしゃったぞ!」
その声を皮切りに、ハーシェリクはあっという間に人々に囲まれる。
「けがはしてないかい? 大丈夫?」
そう声をかけてくれたのは、雑貨屋のおばさんだった。初めて見る道具の使用用途を丁寧に教えてくれた人だった。
「元気そうでよかった! 王様は大丈夫か? ……いや、ですか?」
そう慣れない丁寧語で言い直したのは、八百屋の陽気な旦那さんだ。見慣れない野菜や珍しい野菜を見せてくれたり、時には味見もさせてくれたりした。
「それもだけど、戦へ行って危ない目にあわなかったかい? 行方不明って聞いてすごく心配したのよ?」
艶やかな声を駆けてくれた女性は花街の女主人だ。彼女が貴族の男に言い寄れて困っていた所をオランと一緒に助けたのが縁だが、夜働く彼女は普段ならこの時間は寝ているはずだった。
「リョーコ君、リョーコ君!」
「大丈夫? 元気ない? 大丈夫?」
服の袖を引っ張られ視線を向ければ、よく遊んだ子供達が見上げていた。彼らの親が「こら、王子様と言いなさい。」と注意していたが、解らない彼らは疑問符を浮かべるだけだった。
「みなさん……」
ハーシェリクは自分の中で込み上げるもとを押え、言葉を紡ぐ。
「どうしてですか? 僕は……私はみなさんを騙していたのに。」
王族だと知られれば彼らは離れていくと思っていた。打ち明けれなければと思う反面、出来るだけ長く彼らといたかった。結局、ハーシェリクは後者を取り、最後の日まで打ち明ける事が出来なかった。
困惑するハーシェリクに皆が互いに目を見合わせる。
「どうしてってなぁ。」
「なあ?」
なんと説明したらいいか解らず、首を捻る城下町の皆。そんな彼らの隙間を縫うように、お腹の大きい女性が現れた。
「それは皆、リョーコちゃん……ハーシェリク様が好きだからだよ。」
「ルイさん!? それに旦那さんも。歩いて大丈夫なんですか!?」
まずは身体の心配をするハーシェリクにルイはいつもと変わらぬ微笑みを向ける。
「ごめんなさいね。今まで知らなかったとはいえ、いろんなことを言って。」
城下町は賑やかな反面、王族や貴族への不満も溢れていた。その中、いつもハーシェリクは陽射しのような明るい笑顔を向けていた。だが今はその笑顔も曇ってしまっている。
「でもそれは……」
ハーシェリクは理解している。それほど国が彼らにした仕打ちはひどいものだったからだ。彼らが圧政に耐え、毎日苦労していたことを知っている。彼らが苦労する側、王家や貴族はその上に胡坐をかいて裕福な暮らしをしていたのだ。
「それに、今回だって多くの人が死にました……」
バルバッセの手を読み、帝国の手を読み、最悪の自体を想定し回避できるよう、被害が最低限で済むよう策を弄した。だがそれでも被害は零に出来るわけではなかった。数字にしたら、過去の戦に比べれば被害は最小限に抑えられただろう。しかしそれは上の立場から見たものでしかない。
最初の奇襲でロイは友人が死んだと嘆いていた。それが兵士の役割だったとはいえ、死んでいった彼らやその家族や周辺の人々のことを考えると、ハーシェリクは無力感に苛まれる。
誰も犠牲にはしたくない。する気もない。だが結果、犠牲になってしまう人間はなくならない。理想と現実の狭間で、無力感に支配されハーシェリクは苦悩する。
「でもリョーコちゃんは頑張ってくれた。」
大きいお腹で大変だろうに、ルイは膝を付き、俯いてしまったハーシェリクの頬を両手で多い顔を上げさせる。どことなく以前あったことがある少女の面影が彼にあった。
「なんとなくこの国が住みやすくなっていったのは、リョーコちゃんのおかげだったんでしょ?」
そう微笑み手を離すルイに周囲のみんなが頷く。
「そうだ、今回だけじゃない。いつも貴族や平民関係なく俺達を助けてくれたじゃないか。」
彼ら皆は知っている。リョーコという貴族の若様が、黒い髪の青年と橙色の髪の剣士を連れて街中を東へ西へ駆けていたことを。そして吟遊詩人が謳う「光の王子」の物語が、実は彼のことだったのではないかと。
「死んでしまった人たちのことを考えると悲しい。もしかしたら恨む人もいるかも。だけどね、貴方がいてくれたから生かされた人も確かにいるのよ。」
ハーシェリクの頭に大きな手が置かれる。見上げれば体が熊のように大きいルイの夫で有り、果物屋の旦那さんがいた。
「いつか人間は死ぬ。だがその死すべてをお前が抱えこむ必要はない。死んだ者達の事を忘れさえしなければいい。」
「旦那さん……」
普段は無口な果物屋亭主が発した言葉。驚きつつも少しだけ自分を蝕んでいた無力感が弱まった気がした。
「リョーコちゃんが王子だって知って納得したよな。」
「ああ、それにこの国も捨てたもんじゃないって思えたもんな。むしろ俺達もしっかりしないと思えたし!」
「みなさん……」
城下町のようにいつも通り話す彼らにハーシェリクは自然と笑みが零れる。別れを告げたはずの居場所は戻ってきた上、さらに自分の心を軽くしてくれたのだ。そんなハーシェリクの服が再度引っ張られた。さきほどの子供達が心配そうに見上げていた。
「もう王子様って言わなくちゃだめ? もう会えないの?」
「やだーリョーコ君に会いたいよー!」
そう言って半泣きで抱きつく子供達。そんな子供達の頭をハーシェリクは撫でる。
「ありがとう……ありがとう、みなさん。」
ハーシェリクは心の底からお礼を言う。
いつも守ろうと思っていた。だが最後に守ってくれるのは彼らなのかもしれない、と思う。だからだろう、守りたいと思う気持ちは一層強くなる。
(私はここに居たい。王子でいたい。)
ここが、生まれ変わった自分の新しい居場所なのだ。
人々に囲まれハーシェリクはわらう。その笑顔はかつて彼らがリョーコと呼んだ貴族の若様と同じ笑顔だった。
そんなハーシェリクを見つめる一人の少女、ヴィオがハーシェリクの無事な姿を見て安堵する。
彼が戦に出る前、少し様子がおかしかった。まるで全てを悟ったかのような、それでいて覚悟したような表情。その時は追及することが出来ず、後に彼が戦に出て、そして行方不明となってヴィオは後悔した。だが彼は生きて戻ってきた姿を見ることが出来て、ヴィオは満足する。自分に話しかけてもらえなくてもいい。ただ彼が生きていてくれればいいとヴィオは思う。
「ヴィオちゃん、いいの?」
すぐ隣でコレットが首を傾げていた。昨日まであんなにそわそわしていて、今日も孤児院の手伝いや勉強を終えた後すぐにこの場にきたのに、遠くで見つめるだけでいいのか、と、今の状況なら自分達が話しかけても問題ないとコレットは思った。だがヴィオはコレットの言葉に首を横に振る。
「いいの。ハーシェリク様の元気な姿がみられただけで。」
そう言ってヴィオは背中を向けて歩き出し、コレットは彼女と王子を交互に見てからヴィオの後を追った。
ハーシェリクは去る彼女には気が付かず、子供達から解放され広場にいるみんなに挨拶しようと動き出そうとした時、ルイが片手でおなかを抑えつつ挙手をした。
「あ、ところで悪いんだけど。」
「ルイさん?」
「産まれそうだわ。」
その彼女の発言に、広場の空気は凍りついた。
ルイの産まれそう発言に一時騒然となった昨日、その後無事にルイは元気な女の子を出産した。なぜかそのまま出産に立ち会うこととなったハーシェリクは、我がことのように喜び祝福するした。
そんなおめでたい騒ぎがあった翌日の今日、ハーシェリクは難しい顔で、クロと対峙していた。彼が来訪者を告げたのだ。曰く「大臣が会いに来た」と。
「……わかった。通して。」
ハーシェリクはそうクロに言い、手にした銀古美の砂時計を握りしめた。
部屋に大臣を招き入れると空気が重くなったように錯覚する。部屋にはハーシェリクとバルバッセの二人きり。同席を願い出たクロとオランをハーシェリクは押しとどめ、部屋の中央で立ったまま、彼を向かいいれた。
「殿下、心中お察しいたします。」
大臣は沈痛な面持ちでそう言い頭を垂れる。臣下としては当然だろう。だが事と次第を知っていれば、大臣が見せかけだけだと解る為、ハーシェリクは馬鹿馬鹿しく思う。ハーシェリクは舌打ちをする代わりにポケットの中の懐中時計を握った。
「建前はいい。」
だからハーシェリクは普段の温厚な王子の仮面を被らず、射すような視線で冷たく言い放った。
「そんな体裁の為の話に来たわけではないだろう。無駄な話はせず要件を言え。」
その言葉に大臣は頭を上げると榛色の瞳を細め、ハーシェリクを見下ろす。
「……ふん、憎らしい餓鬼よ。」
「それはお互い様、でしょう?」
真っ向からハーシェリクは言い返す。そんな彼にバルバッセは鼻を鳴らした後、口を開いた。
「取引だ。もしお前が全て逆らわず私の言うとおりにするなら、王族皆の命を助けてやる。」
「それをここで言ってしまっていいの?」
建前も飾りもないバルバッセの言葉にハーシェリクは耳を疑った。
「ああ、無駄な話はいらないのだろう?」
そう言ってにやりと笑う老獪な目の前の男に、ハーシェリクは苦虫を噛み潰したような表情で睨みつける。
(とうとう化けの皮が剝がれたか。)
父や兄達の命を握っている以上、彼は自分よりも絶対的優位な位置にいると確信している。だからこそ隠しもせずに威圧的に脅しをかけてきているのだ。
ハーシェリクは握ったままの懐中時計を更に強く握る。
「どうする?」
表情にもでていたのであろう、苦悶の表情を浮かべる王子に対し、余裕の笑みを浮かべた大臣が答えを求めた。
「……二つだけ教えて欲しい。」
ハーシェリクは絞り出すような声で言った。
「クラウスもお前が嵌めたのか?」
「クラウス?」
「貴方が私の三歳の時の宴で嵌めたルゼリア伯爵の事だ。」
ああ、あの男かとバルバッセは思い出し頷く。
「奥方と子供を失った時点で大人しくしていればよかったものの、愚かな奴だ。国の為とわめきうるさかったので処分したまで。」
だが有効活用もした、と大臣は続ける。
「アレが上手く人を集めてくれたからな。掃除が簡単だったよ。」
ルゼリア伯爵が都合の悪い人物を集めてくれたおかげで、大臣は自分の都合の悪い人物をいちいち探さずに済んだと嗤う。
その答えを聞いてハーシェリクの懐中時計を握る時計に益々力が入る。だがそれは表情には出さず、次の質問を口にした。
「なぜ、自分の娘を……ジーンを殺した?」
「ジーンを殺す? いや、ジーンは王子殿下を庇って死んだと聞いているが?」
その言葉にハーシェリクが鋭い視線を向けた。大臣はその視線に一回だけ首を竦めるだけで、天気の話をするような軽さで話す。
「簡単な話だ。不要な駒は処分しただけだ。」
「それでも親かッ!!」
「それはあの娘が言っていただけだろう? 私の本当の娘なら、馬鹿な行動はしなかっただろう。」
始めから自分の子供だとは思っていない。利用して捨てただけだという彼にハーシェリクは奥歯を噛みしめる。
だがそんなハーシェリクをバルバッセは口角を上げて嗤う。
「話はそれだけか? では後は私の言うとおりにしてもらおう。まずはそうだな、王になってもらおうか。」
あの時のように、都合のいい人形になってもらう為に、と。
ハーシェリクは国民の支持を受けている。そんな彼が王となれば、国民の不満は一時だが鎮静化するだろう。現国王であるソルイエは病を理由に退位させ、他王族達も同じ理由にすれば建前は立つ、とバルバッセは考えを巡らせる。
「そうそう、あの娘から渡されたソレは返してもらおう。」
「これは……」
ハーシェリクは反射的にピアスを触る。半歩下がったハーシェリクにバルバッセは手を差し出した。
「アレが何を持ち出したかは知っている。お前ごと消せれば問題はなかったのだがな……逆らわず、が条件だ。」
有無さえ言わさないバルバッセに、ハーシェリクは悔しそうに顔を歪め、だがピアスを外すと彼に渡す。
「ああ、それからロイといったか? その少年の居場所を教えてもらいたい。」
「……なぜ?」
「聞かなくてもわかるだろう?」
彼は今回の戦で暗躍した大臣の所業を知る唯一の人物。逆に言えば、彼さえいなければ大臣が画策したことは外部に漏れない。
ロイはハーシェリクにとって、大臣の悪事を暴く重要な証人だった。テオドルを含め大臣から密命を受けていた人物も取り押さえている。テオドル達は現在軍務局の牢屋に入れられているが、ロイはオルディス侯爵家に頼んで匿ってもらっていたのだ。彼らの家ほど今の王都で安全な場所は無い。だが家族の命を人質にとられているハーシェリクは、大臣に逆らう余地はなかった。
ロイの居場所を聞き終えた大臣は満足そうに頷き、そしてわざとらしく臣下の礼をする。
「では今後もよろしくお願いしますよ、次期国王陛下。」
バルバッセはハーシェリクに背を向け、扉へと向かった。背中越しにハーシェリクを見ると、彼が俯き己を抱いて肩を揺らし震えていたことに、バルバッセは優越感を覚える。
(所詮、あの王の子供よ。)
あの王も国民より肉親をとった。どんなに理想を掲げていようと、結局は他人より自分を優先するのが人間だ。
(この王子もあの王と変わらない。この国も変わらない……この国は私の物だ。)
そうバルバッセは嗤い、扉へと手をかけたのだ。