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第七章 帝国貴族と取引と急報 その二



 ハーシェリクが一人通されたのは、捕虜となった司令官に与えられた一室だった。ベッドと机と椅子だけの最低限の家具を揃えた質素な部屋だが、石造りの牢屋よりは何倍もマシな部屋である。

 その部屋に通されてハーシェリクは、この時初めて敵の総司令官と対面した。


「貴方が今回の侵攻の帝国軍の総司令官ですね。」


 そう言うハーシェリクの視線の先には、気品のあるいかにも貴族らしい雰囲気を持つ男だった。枯葉色の髪と瞳を持った四十代くらいの壮年で、立ちもせず椅子に座って足を組んだまま、ハーシェリクを出迎えた。


「……驚いたな。まさか本当にこんな幼子だったとは。」


 そう男は目を見張ったが、その瞳には油断なくハーシェリクを値踏みしている。


「人は見かけによらないとはいうが、まさかこんな子供に全てと見透かされていたなんて……」


 独り言のように呟く彼にハーシェリクは肩を竦める。彼のような反応は初めてではないからだ。


「初めまして、ハーシェリク・グレイシスです。で、お話とは?」


 頭からつま先まで眺められつつ、ハーシェリクは話を促す。すでに幼い穏やかな王子という仮面を被ることはやめ、本性を隠さず対応する。


「ああ、すまないね。何分あの大国の大臣が危険視する王子が、こんな幼い王子だとは思わなかったから驚いしまって。」

「……やはり大臣と取引していたのですね。」


 予想はしていたが、それを本人が言いだすとは思わず警戒をする。ただ単に大臣の話に乗っかっただけの、欲望に忠実な浅い人間だったらハーシェリクはそこまで警戒をしなかった。だがこの男は欲望に忠実だったとしても、底の浅い人間には到底見えなかったからだ。


「実際やり取りしたのはその手下の者だったがね。まあ大臣がいろいろとやっていることは知っていましたし。」


 含みある帝国貴族の言葉をハーシェリクは聞き逃さなかった。


(つまり、この貴族は王国の内情をある程度知っている、ということか。)


 情報は宝であり武器だ。敵国の内情を知れば、自国に有利に進められるということ。つまりこの時点で、王国は情報戦で帝国に負けていたか、もしくは帝国に故意に情報を流していたかということになる。


 そしてハーシェリクは後者だと考える。王国、というよりは大臣が帝国が攻めやすい情報を与えて動かし、そしてこの貴族はそれを解っていて話に乗った可能性が高い、とハーシェリクはあたりをつける。


「だから、貴方は取引に乗ったんですね。」

「ええ、内部のゴタゴタに揺れる大国の国土を抉りとるには丁度いいと思ったので。頂けるならもらうのが当然でしょう。そちらのように。」


 そうにやりと笑う彼にハーシェリクは眉を潜めた。彼があえてこの取引に乗ったのだと確信したからだ。また彼の言うとおり王国も過去、帝国が内乱で揺れている時何度か派兵し、帝国の国土をもぎ取っている。だから彼らのことを責めることは出来ない。


 今問題なのは、なぜそこの事を今話すのかということだ。彼は大臣と秘密裏に繋がっていた帝国貴族。自分が大臣と敵対しているということを知っていてなお、接触してきたのには意味がある。


「で、貴方の望みは?」


 ハーシェリクは回りくどいやり取りは一切せず、直球で攻めることにした。


「おや? 望みとは?」


 だが彼の問いに曖昧に笑う彼。その様子にハーシェリクは肩を竦め小さくため息を漏らす。ハーシェリクは昔から彼のような性格の人間は苦手だった。笑いながら相手の反応を窺って楽しんで観察する人間には。


「貴方はいい情報を提供するということで、私を呼び出したんですよね。」


 確認するようにハーシェリクは言葉を紡ぐ。


「だから代価をなにかと。もしくはそうやって私を煽って王国内を混乱させることが目的ですか?」


 それは十分あり得ることだとハーシェリクは考える。自分と大臣が争えば、それは総じて王家と大臣に組する貴族との争いに発展する。そうすれば内乱となり国内は今以上に混乱するだろう。それに乗じて帝国に攻め入られれば、今回の損害とは比にならない。


(だけどそうはさせない。)


 その為にハーシェリクは今日まで細心の注意を払って動いてきたのだ。


 今、目の前の男は戦を仕掛けてきている。言葉と言う剣を持ち、相手に動揺を誘う為その剣先を喉元に突きつけているのだと。


「そういうことでしたら、無駄ですからやめることを推奨しますが?」


 向けられた剣先を、ハーシェリクは受け止めるかのように真っ直ぐな視線を帝国貴族に向ける。その視線を受けた彼は、人を馬鹿にしたような笑いをやめ、真面目な顔つきになった。


「……なるほど。本当に聡い。あの男が注視するのも頷ける。」


 雰囲気が変わった帝国貴族の言ったあの男とは、確認しなくてもバルバッセの事だろうとハーシェリクは解った。


「その男と面識が?」


 まるで会ったことがあるような口ぶりだった為、ハーシェリクは問う。だが男は頭を振った。


「直接は会ったことはない。だが、彼がやっていることはいろいろと耳に入る。」


 大国に巣食う大臣。彼の影響力は国内だけではない。その大国の影響を笠に周辺諸国にも多大な影響をもたらせていた。現に今回の奇襲作戦で帝国軍がパルチェ公国を横断できたのも、帝国の脅威も一因ではあるが、大臣が手を回したからでもあった。出なければ、パルチェ公国も見て見ぬふりは出来なかったであろう。それほどあの男は影響力があるのだ。


「まあいろいろとあるが……私は興味があったんだ。」


 帝国貴族はそう言って小さく苦笑を漏らす。戦は負けたがこのまま敗軍の将として戻るのはいささかまずい。なら置き土産に王子を扇動して、王国が内乱で混乱してくれればいいと思ったが、この王子はそう易々と乗ってくれなかった。それどころかこちらの手を見通されたのだ。目的が果たせないなら、あとは自分の興味を満たすしか思い浮かばなかった。


「私は帝国第十位の貴族。今回の戦で勝利していれば、新帝の覚えも目出度く位も上がるはずだった。しかし私は敗北した。このまま帝国へ戻ったとしても肩身の狭い思いをするだけだ。」


 皇帝を頂点に置く帝国は、全てにおいて皇帝の意志が尊重される。今回の戦は勝ち戦だといい多くの兵士をつれたのに負けた。なら戻っても自分の地位は下がることはあっても上がることもない。むしろ不況を買って打ち首か、他貴族達に寝首をかかれるかだ。


「ならそうなる前に、圧倒的な不利な状況を覆した『光の王子』を見てみたいとね。」

「……光の王子?」


 首を傾げるハーシェリクに、男はおかしそうに笑う。


「我が国でも『光の王子』の物語が人気でね。その物語に出てくる勇敢で凛々しい王子とは、貴方の事ですね。」


 国に縛られない旅芸人の一座が演じる演目は、彼らと同じく国に縛られない。本当の出来事であったとしても、国名や登場人物を変えて面白可笑しく舞台で演じるのだ。その中で現在人気がある演目『光の王子』は、目の前の王子だと思えた。むしろ戦を終えた今だからこそ、光の王子が彼だと確信を持った。


 男の言葉を振り払うかのように頭を振り、ハーシェリクは否定する。


「勝てたのは運が良かっただけです。」 


 今回の戦いは運が良かっただけとしかいえない、とハーシェリクは考える。


 帝国軍がハーシェリクの予想範囲内で奇襲を仕掛けた為、それを逆手にとって逆に奇襲を仕掛けることが出来た。歴戦練磨の不敗の将軍であるヒースがいたから、自軍の展開が円滑に出来た。敵も油断していた為本陣が敵陣の中でさほど奥になかったから、司令官である彼を生け捕りにすることが出来た。シロという魔法士の存在が他国に周知されていなかったから、力技でゴリ押し出来た。


 では一つでも要因が欠けていたら、勝てていただろうか。


 もし奇襲されていなかったら二万の軍で真正面から十万の帝国と相対しなければならなかった。もしヒースではなく将軍とは名ばかりの実力のない人物だったら、奇襲は難しかっただろう。シロの存在が知られていて魔法も防御の結界魔法を何重にも張れば防がれる可能性だってあった。司令官の位置も敵軍の奥に配置されていたら、いくらオランでも辿りつけたかわからない。

 もし帝国軍が自軍の奇襲部隊が全滅したと知っていたら、夜間も防御結界を張っていたら、周辺を巡回する見張りが潜伏する軍を発見していたら、オランを互角以上の力を持った者が敵にいたら、ハーシェリクの合図が少しでも遅かったら……幸運が一つでも欠けていたら、今回の結果のようにはならなかっただろう。


 元々大臣が手下を使って怪しい動きをしていたことは気が付いていた。そして正妃のペルラと大臣が接触したことを皮切りに、ハーシェリクは動き出したのだ。


 全てを漏れがないよう多くのケースを予想し、最悪の場合を想定し、使える伝手は全て使い、多岐にわたる策を練り、被害を最小限に抑えられるように考えた。なにが起こっても全てに対処をする為に。そして今回は運を味方につけて、勝ったに過ぎない。


 ハーシェリクは瞳を閉じ一度深呼吸する。そして瞳を開くと男を真っ直ぐと見た。


「お名前をお伺いしても?」

「ディック・イオル・リンクスと申す。」


 雰囲気が変わったハーシェリクに帝国貴族……ディックは答えつつ、観察を続ける。


「イオル?」

「帝国では貴族は名と家名の間に貴族の位がはいります。イオルは帝国貴族十位を意味します」


 なるほど、とハーシェリクは頷きつつ言葉を続けた。その瞳は不敵な光を帯びていた。


「リンクスさん、取引をしませんか?」

「……取引とは?」


 脈絡のない唐突な申し出にディックは訝しむ。

 そんな彼に人好きする笑みを向けたハーシェリクは言葉を続けた。


「私は戦が嫌いです。人が人を殺すことも、それで人が死ぬ事が嫌いです。できる事なら自国の民も敵国の民も無用に血を流して欲しくない。」


 ハーシェリクは前世早川涼子だった時、戦争とは無縁の場所にいた。過去の戦争は教科書に載っているだけで、戦争の悲惨さは知っている。だが知っているだけで体験はしたことはない。


 涼子はゲームも小説も漫画も大好きだった。そして戦記物や戦争物も多く読んでいた。登場人物達が己の信念を賭け、果敢にも運命と戦う物語を涼子は軽い気持ちで楽しんでいた。


 しかし、その好んだ作品の登場人物達が存在するようなこの世界に生まれて、当事者になったことによりハーシェリクは、以前のような軽い気持ちでいることは出来なくなった。


「とんだ綺麗事だ。」


 ディックが鼻で笑う。


「違う主君を掲げる国が二つ以上存在すれば、戦が起こってしまうもの。主張が違えばぶつかるのは必然。」

「綺麗事だということは、重々解っています。」


 ディックの言葉をハーシェリクは否定したい反面、理解もしていた。それは何度も自分に問いかけていることだった。

 確かに戦いが必要な時はある。避けられないこともある。守るために殺す必要があることも、ハーシェリクは解っている。世界は、そして人は、単純に出来てはいない。


「でもなくすことは出来なくても減らす事は出来るはず。話し合い互いに妥協することはできる。私達は対話する為の口と思考が備わっているのだから。」


 それはとても甘い考えなのだろう、とハーシェリクは解っている。だが自分は決めたのだ。理想の世界を目指すことを。それが果てしなく遠い場所だと解っていても、幾多の困難が待ち構えていようとも、その道を歩み続けると決めたのだから。


「……なるほど。」


(彼は、『英雄』なのかもしれない。)


 ディックは迷いのないハーシェリクの表情を見て、彼には聞こえぬ声で呟く。


 英雄とは二種類いるとディックは考える。


 一つは人々に造られた英雄。英雄と仕立て上げられ、人々の心の支えとし過大なる期待を寄せられ利用される道化。それは時代によっては作為的に作られ、時代の波に流され、哀れな人形と成り果てても尚、歴史という舞台の上で踊り続けねばならない。


 残る一つは本物の英雄だ。己の信念を抱き、人々の希望に応え、幾多の命を背負い、歓声も誹謗も全て受け入れ、茨の道であろうとも進み続けるゆるぎない英雄。


 踊る道化か進む英雄か、目の前の王子が前者か後者かディックはわからない。その結論を下すのは後の時代の歴史学者がすることだからだ。


「リンクスさん?」


 黙ってしまったディックにハーシェリクは問いかける。名を呼ばれたディックは一呼吸した。


「……私に王国との交渉役となれ、と?。」


 ハーシェリクの言った取引を理解し、ディックは言葉を紡ぐ。


「見返りに私の地位はもしかしたら上がるかもしれない。ただそううまくいくかな? 逆に大国に内通する者として私は反逆罪で訴えられるかもしれない。」

「そこは貴方が上手く立ち回ってもらわないと。例えそうなってもこちらとしては交渉相手がいなくなるだけで私には損はない。だけどこれは国と国との公式な取引です。お互い対等な立場で交渉をするということは、無駄に国益を害すことはないはず。」


 ハーシェリクにとって、この取引は無数にある方法の内の一つでしかない。


 理想はある。戦争は嫌いだし人が死ぬ事も嫌だ。しかし、自分の大切なモノを守る為なら容赦はしない。利用できるものはするし、切り捨てるべきものは捨てる。それに自国の民を差し置いて、他国の人間を助けようと思うほどお人好しでも、博愛でもない。


 矛盾している、と自覚はある。だが理想は理想として、現実は現実としてみなければいけない。理想と現実を混濁してはならない。だがその差を縮めることは不可能ではないはずだ、とハーシェリクは思う。


「……私がそれを利用してまた王国を攻めたら?」

「と言って今回利用しようとして失敗したでしょ? それにもし我が国に侵攻するというなら、また返り討ちにするまでです。」


 ディックの言葉をにっこりと笑って受け止めるハーシェリク。


「大丈夫です。時間は五年もありますから。」


 最後の一押しというばかりにハーシェリクが言うと、ディックは笑いが込み上げてきた。


「ハーシェリク殿はなかなか胆の据わった方だ。」


 敵国の将を目の前にして取引を持ちかけたと思ったら、返り討ちにすると脅す。さらには期限まで設けてきた。姿は幼い子供だというのに、すでにディックの中でハーシェリクの認識は彼を子供だと思っていなかった。


「貴方も中々の役者ですね。だからこそ、私も取引をしようと思ったのですが。」


 にやりとハーシェリクはわらう。


 その表情で、試しているつもりが試されていたことにディックは気が付く。もしかしたらこの王子は、自分が取引を持ちかけてくることを待っていたのかもしれない。敗軍の将としてただ縮こまっているだけなら価値なしと判断しただろう。取引するに値すると判断したからこそ、交渉窓口の話をしたのだ。つまりはディックの完敗だった。


「解りました、ハーシェリク殿。取引の件についてはすぐに返事はできないが、皇帝陛下にも奏上し必ずや私が交渉役となりましょう。これは両国にとってこの土地以上の大きな利益となる。」

「はい、私も父様……陛下に言って必ず了承を得ます。」


 ハーシェリクはそう言って手を差し出す。ディックも椅子から立ち上がり、手を差し出して握手する。


「先ほどは座ったままの非礼をお許し下さい……しかしハーシェリク殿はこれから大変ですな。」


 握った手の小ささに相手が子供だったと再認識したディックが呟いた。


「あの大きな敵を打ち倒すことが出来たとしたら、貴方は王国の英雄になる。貴方が望まなくても周りが望む。そして国内でも国外でも貴方の存在は光のように輝き目立つ。」


 奇襲されたあの日の朝日のようにこの世界を照らす存在となるだろう。そうディックは直感していた。


「貴方も解っているのではないか? 次は貴方が争いの火種になる可能性があると。光の王子……いえ、『光の英雄』殿。」


 ディックの言葉にハーシェリクは何も答えず交わした握手を解く。そして一言も言わず、ただ静かに微笑むだけだった。







 ディックとの面会を終えていた数日後、クロからようやく許可が出たハーシェリクは忙しい日々を送っていた。バルトルト将軍が砦の責任者ではあるが、ハーシェリクは今回の戦で王の代理としてきた為地位はバルトルトより高い。それは外見幼子であっても変わらない。ということでハーシェリクは執務室を与えられ、戦後処理の書類と格闘する羽目となった。


 毎日のように詰めあげられた書類に決裁し、不備があれば差し戻し、署名をし、時々脱走しては兵士達とお喋りに花を咲かせ、そしてクロやオランに発見されては執務室に連れ戻され、また脱走してシロと一緒に図書室に引きこもり、経験豊富なバルトルト将軍と日向でお茶を飲みながら話をしたりと過ごした。


 帝国との交渉もうまくいき、捕虜解放の日程を組みつつ、書類と格闘する毎日を繰り返していた一週間は、駆け込んできた兵士が終わりを告げる。


「急報です!」

「……なに?」


 頬にインクをつけて、小さな体に不釣り合いな机と椅子の間にあった体をむくりと起こしたハーシェリクは少々荒んだ目を兵士に向ける。ベッドにいる時と比べれば退屈しなくてはいいが、やってもやっても終わりの見えない仕事に心はささくれ立っていた。いつもは愛想だけはいい彼からは考えられない表情だったが、兵士はそれに気が付かないほど慌てていた。


「申し上げますッ 王都で、国王陛下が病で倒れたと通信がッ」

「……え?」


 兵士の報告に、ハーシェリクは持っていた万年筆を落す。それが机の上を転がり床に落ちて、絨毯の上に黒い染みを作ったが、誰もそれを咎めることはしなかった。





 兵士の報告を聞いた日の夕方、ハーシェリクは既に王都へ出立する準備を終えていた部隊を見回した。

 随行するのはハーシェリクの筆頭達と近衛騎士達、他数名のみだ。馬は随行する人数の倍以上の用意し、これから最低限の休憩のみで、昼夜問わず王都への強行軍となる。


「殿下……」

「バルトルト将軍、事後は頼みます。」


 立ったまま書類で最終確認をしていた王子にバルトルトは話しかけると、ハーシェリクは書類から目を離さないまま答える。


「帝国については問題ありません。ヒース将軍も、兵士達の帰還の手配をお願いします。」

「承知。」


 バルトルトの後ろにいたヒースが片手を上げて返事をする。


 ヒースは帝国軍が完全にいなくなってから、生き残った遠征軍を連れて王都へ凱旋するのが仕事だった。本来ならハーシェリクもその時に戻る予定だったが。


 険しい表情のハーシェリクにバルトルトは、口を開きかけ一瞬躊躇ったが、意を決して話しかけた。


「……殿下、あの男はまたあの悲劇を……」

「解っています。」


 皆まで聞かずハーシェリクはバルトルトの言葉を遮った。


「それを防ぐ為に彼らも連れて行きます。」


 そう言ってハーシェリクが視線の先には、両手を拘束されたテオドル他、今回帝国と内通した者達と、そしておどおどしながらも出立の準備をしている、今回の事件で最も重要な証言を持つロイだ。


(絶対、バルバッセの好きにはさせない。)


 手に力が入り、書類を握りしめ音を立てて皺を作ったが、ハーシェリクは力を抜かない。

 そんな王子にバルトルトは何も言えなくなる。


「ハーシェ様、出立の準備が出来ました。」

「わかった。」


 呼びに来たクロの言葉にハーシェリクは頷く。


「殿下、お気をつけて。」

「後の事は任せてくれ。」


 バルトルトとヒースの言葉にハーシェリクは頷き、既にシロが乗っていた馬車に乗りこむと、すぐさま走り出す。行き以上の速度で発進した馬車の中は、普段のハーシェリクならすぐ乗り物酔いに襲われたであろうが、今は倒れるほどの余裕はなかった。


 優しげで、そして悲しげな父の顔が思い浮かぶ。


「父様……」


 ハーシェリクの呟きは馬車の走行音にかき消された。



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