第七章 帝国貴族と取引と急報 その一
グレイシス王国軍がアトラード帝国軍を打ち破り勝利してから一週間経った。その王国軍の名目上、地位の頂であるハーシェリクは、終戦してから本日までベッドの上での生活を余儀なくされていた。
戦が終わった直後、ハーシェリクは緊張から解放されたせいか倒れた。疲労と左腕の怪我も重なり、数日は高熱にうなされ意識も朦朧としていた。しかしそれは既に過去の話である。
「クロ、もうベッドから出ても……」
そうハーシェリクはベッドの上で身体を起こし背中をクッションに預けながら、まるで自分を見張るかのようにつきっきりで看病をする筆頭執事に話しかける。否、彼の執事は例えではなく、主が部屋から抜け出さないように見張っているのだった。わざわざハーシェリクの寝室に机と椅子を持ち込み、己の書類仕事をするほどだ。
「だめだ。」
主のお願いを即座に却下する執事。それもそのはず、既にハーシェリクは昨日、クロの隙をついて脱走し砦内を散策後、鬼の形相のクロに捕獲されているからだ。
「もう熱も下がったし、腕もそんな痛くないし……ね?」
子供特有の愛らしさを前面に出し、可愛らしく首を傾げてみせてお願いするハーシェリク。王族の美貌をフル活用したこのおねだりは、ほとんどの人間に通じただろうが本性を知るクロには無駄だった。
「だめだ。」
さきほどと一字一句、表情も変えずに却下する執事。ちなみにその間も、万年筆を持った彼の手は止まることなく書類の上を走っている。
「……暇なんだよ。」
寝る事が好きだが寝てていいと言われると、逆に動きたくなるハーシェリクである。そんな主をじろりとクロは睨む。
「自業自得だろう。だいたい、一人で砦に乗り込むなんてなに考えていたんだ。」
「……別に、ロイさんもいたし。それにその話は何度目なの。」
何度目かわからないクロの恨み節の効いた言葉に、ハーシェリクが言い訳染みた声を上げる。
本当なら川から流されて初めて訪れた小さな村でクロと落ち合い、そのまま壊滅を装った遠征軍に合流する予定だった。しかしロイの話を聞いて、砦内にも内通者がいる可能性が高いと判断したハーシェリクは、それをあぶり出す為に単独行動にでた。柵に巻きつけたハンカチは筆頭達と決めた暗号で、蝶々結びは「ちょっと先に砦へ行くね!」という意味だ。
それを発見した時のクロの心情は簡単に予想がつくだろうに、それでも行動するあたり臣下の苦労主知らずである。
ハーシェリクの意図を察したクロは、遠征軍にそのことを伝えると一人砦に先回りをし、兵士を装って侵入すると情報操作と証拠集めをしていたのだった。
「黙って大人しく寝ていろ。」
「……はーい。」
ハーシェリクは不満げにクロを凝視したが、結局ベッドから出ることは諦め背中のクッションに埋もれる。埃が舞いクロが一瞬だけ不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが、ハーシェリクは気が付かないふりをする。
「……あれ、そういえばシロは?」
ふとこの場にシロがいないことにハーシェリクは気が付く。
「ああ、あいつならここにも図書室があると知ってそこに籠っているぞ。」
シロはハーシェリクに負けず劣らず本の虫な上、クロや近隣を巡回しているオランのように特定の仕事があるわけではない。その為暇を持て余していたから喜んで図書館に引き籠っているのが簡単に想像できた。しかし一つ問題があった。
「シロ、一人で行動して大丈夫?」
いろんな意味でシロの一人行動は危険だ。それこそ外見は美貌の女神様な為、戦に勝って羽目を外してしまった兵士が絡んでくるかもしれない。
行軍中はいつもハーシェリクやオランが側にいた為誰も近づかなかったが、馬車に乗っている時以外は興味本位の視線さらされ続け、いつも不機嫌だった。
ちなみに危ないのはシロではなく相手だ。からまれようものなら、王城にいた時のように容赦なく魔法をぶっ放すだろうと簡単に予想がつく。もちろんシロ本人も心配だが、シロへ被害とシロが起こす周りへの被害を天秤にかけた場合は一目瞭然だろう。
いろんな意味で心配をするハーシェリクにクロはしれっと言った。
「ハーシェが寝込んでいる間に何人か吹っ飛ばしたから、今はちょっかい出す人間もいないから問題ない。」
それは問題ないとは言わない、というかおまえは止めなかったのかと思ったがハーシェリクは沈黙したのだった。
その後、今日は被害者を出さず部屋に帰還したシロから、図書室で借りたという本を渡されたハーシェリクは、シロと同じく本の虫となって過ごす。午後になると終えた書類を提出しにいったクロと入れ替わりに巡回任務から帰還したオランが部屋を訪れた。
「戻った。ハーシェ、身体の調子はどうだ?」
帰還して最初の一言が自分の身体の安否ということにハーシェリクは、自分の軟弱な部分を恥じつつもオランの気持ちが嬉しくもなり、その結果苦笑いをしながら向かいれた。
「お帰りオラン。見ての通り暇を持て余してるくらい元気だよ。で、周辺はどうだった?」
「特に問題なし。略奪行為はないし帝国軍も大人しくしている。一応村には傭兵ギルドが数人警護で滞在しているから、万が一の場合は起らないはずだ。」
その言葉にハーシェリクはほっと胸を撫で下ろす。戦が終わった後、一番懸念していたのは周辺地域が荒らされることだ。特に負けた帝国軍から脱走した兵士が、周辺の村を襲ったりするのではないかと心配していた。
兵を巡回に出そうにも、ヒースを含む一万の軍は、捕虜となった十万近くの兵の見張りをしていて安易に人員を割けない。その為ハーシェリクはオランと自分の護衛役の近衛騎士達に周辺地域の巡回をお願いしたのだ。さらには協力してくれた傭兵ギルドの傭兵が、帝国軍がいなくなるまで警護を申し出てくれた為、砦近くの村人たちは安心して過ごすことができている。
それと同時に帝国軍へも警告をしている。見つけ次第容赦はしないと。ちなみにその警告へはオランが行ったのが抑止にもなった。先の戦いで名のある将軍を瞬殺したらしいオランは今や帝国軍内で恐れられているからだ。ただしその本人であるオランは「目の前にいたから斬った」という身もふたもないことを言っていたが。
「交渉のほうは?」
ハーシェリクが問う。本来なら自分も交渉の場につかなければいけないのだが、倒れてしまったので全てバルトルト将軍に任せている状態なのだ。
「バルトルト将軍が進めている。任せておいても問題ないだろ。あの人の堅実さは父上からも聞いているからな。」
下手に欲をかかず手堅く納めてくれるというオランに、ハーシェリクは頷いたのだった。
そこへクロが戻ると、丁度話題になっていたバルトルト将軍の来室を告げた。
「ハーシェ、バルトルト将軍が面会を希望しているが通してもいいか?」
「ん? いいよ。あ、この恰好のままでいいの?」
毎日着替えてはいるが簡素な服である。さすがに王子としてこの恰好はいかがなものかと首を傾げると、クロがクローゼットから上着を取り出して方にかけた。
「構わないそうだ。とりあえず上着だけでも羽織っておけ。手は通さなくていい、怪我が痛むだろう。」
まだ左腕は完治しておらず動かすと痛むので、ハーシェリクはクロの言葉に素直に従った。
「ハーシェリク殿下、お休みのところ申し訳ありません。お体のほうはいかがでしょうか。」
「大丈夫です、バルトルト将軍。戦の後始末を全てお任せして申し訳ない。」
入室してきたバルトルトに、ハーシェリクは申し訳なさそうに出迎える。
「お気になさらず。これも吾輩の仕事ですから。ですが捕えた帝国の指揮官の話のことでご相談がありまして……」
「なにか問題でも? 交渉が難航しているとか?」
歯切れの悪いバルトルトの言葉に、ハーシェリクは首を傾げる。こちらは戦に勝って圧倒的に有利なのだ。敗戦した軍の責任者が強く要望できるとは思えない。
「いえ、帝国の本国とは殿下が申した通り、戦後の賠償金などで話は問題なく進んでおります。また捕虜となっている兵士の送還も順次行っております。」
超短期決戦だった為、帝国軍側の損失は一割もない。王国側の損失も二割程度である。
交渉ではこの戦で亡くなった兵士の遺族や怪我をした兵士への見舞金や、帝国軍が奇襲時に焼き払った村への復興費用、さらにグレイシス王国への賠償金と向こう五年、王国の国土への不可侵条約が相手への要求である。
「なら何が?」
ハーシェリクが問うとバルトルトは表情を歪めつつ言いにくそうに言った。
「帝国の司令官が殿下と直接面談したいと……殿下に有益な情報がある、と主張しております。」
その言葉にハーシェリクの瞳が細くなる。そして数拍考えた後頷いた。
「わかった、話を聞こう。シュヴァルツ、準備を。」
「……御意。」
少々不満そうにクロは頷くとハーシェリクの着替えを取り出し、着替える手伝いをする。普段なら一人でも着替えられるが、腕が片方使えないと着替える事が困難だった。
バルトルトが廊下で待機していると、着替え終えたハーシェリクがクロとオランを引き連れて現れる。シロは興味なしということで引き続き部屋で読書中である。
ハーシェリクの姿を認めたバルトルトは、さきほどと同様言いにくそうに口を開いた。
「……帝国の司令官は、殿下お一人とお会いしたいということです。」
その言葉に筆頭達の、主に筆頭執事周辺の気温が下がった気がした。




