第五章 謀略と人々の声と王の狂気 その一
大臣の執務室では、ヴォルフ・バルバッセと複数の貴族達がほくそ笑んでいた。
「候、やりましたな。」
「ああ、これで……」
貴族の男の言葉にバルバッセは満足そうに頷くいた。
現在、王城内は国境に派遣した遠征軍が、壊滅したという報で混乱にきたしていた。だが既にバルバッセは遠征軍が帝国軍に奇襲されたことも、その為軍が崩壊した事も、そして第七王子が行方不明になったことも既に知っていた。それは自分が雇っている者達から、ハーシェリクが氾濫した川へと一人飲み込まれ助かることはないと既に報告を受けていたからだ。
(やっと片づけることが出来た……)
バルバッセはにやりと口角を持ち上げる。
あのハーシェリクという第七王子のせいで、バルバッセの陣営は大分数を減らした。春先も教会を利用して亡き者にしようとしたが寸前で失敗に終わった。しかしそれで敗北を認めるわけには行かなかった。
そこでバルバッセは次の手を打った。ハーシェリクを無理やりでも王都の外へ出し、自分とは関係ない場所で亡き者にする計画。運よく帝国軍が国境に近づいてきている今、激励と称しもっともらしい理由をつけてハーシェリクを王都外へ出すことは可能だった。もちろん貴族達には口裏を合わせさせた為、反対する者は皆無。そして新帝の覚えを目出度くしたい帝国の貴族に情報を流せば、奴らはどうにかして国内に侵入し、遠征軍に奇襲をかけるだろう。その時の為にパルチェ公国にもうまく取り計らうよう裏で脅した。行程が間違わぬよう、息のかかった使い捨ての将軍を先頭にすえたのも、全て計画の内である。さらに計画を確実にする為に、裏の手の立つ者達を大枚をはたいて雇いハーシェリクの暗殺を依頼したのだ。
帝国軍は国境の紛争地域を手中に収めようとしているが、それも計算内だ。例え一時奪われたとしても、取り返す手段などいくらでもある。戦で奪い取ってもいいし、新帝は未婚のはずだから友好ということで王族を嫁がせてもいい、とバルバッセは考えていた。グレイシス王国の王族は類漏れず極上の美形なのだ。一番下の華がないと言われる幼いハーシェリクでさえ、一般人とは一線を画している。そんな彼らを外交に利用しない手はない。
(国土など、後でどうとでもなる。)
それがバルバッセの考えだった。そこに住む国民の事など、一切考慮していない。バルバッセにとって、王族も貴族も平民も自分以外すべてが駒でしかない。その駒の種類は三つ。利用する駒、捨ててもいい駒、そして排除すべき駒なのだ。
全ては予定通りだった。しかしそんな大臣の思考を邪魔するかのように荒々しく扉が開かれる。
「大臣閣下ッ」
「騒がしいぞ!」
音を立てて入室してきた役人に貴族が怒鳴る。役人はしどろもどろになりながらも言葉を続けた。
「も、申し訳ございません……ですが、もう私達では判断できません! ご指示をお願いします!」
「何か問題が? 遠征軍の再編成はすでに軍務局が着手しているであろう。」
役人が言いたいことにあたりを付けて貴族が答えると、兵士は首を横に振る。
「ち、ちがうんです。城門に、城下の民達が押し寄せてきているんです!」
「……民草が?」
報告に一瞬の間を明けた後、虚を突かれたバルバッサが問う。地方の貴族の館なら陳情と言って民が押し掛けることは稀にあると報告は受けたことはあるが、王城に押しかけるなどバルバッセも登城するようになって初めての事だった。
「口々に遠征軍やハーシェリク殿下の安否を……どう対応すればご指示をッ」
兵士の言葉に室内には沈黙が降りた。
その日の門番の日直は、自分の運の悪さを呪いつつ精一杯の声を上げていた。
「落ち着いて下さい、皆さん!」
そう敬語を使い、相手を刺激しないよう言葉を選んで。だが相手、城下町の人々はそんな門番の気遣いなど意に反さず、目の前の行く手を遮る哀れな門番に言葉を投げつけていた。
「落ちついていられるか!」
「遠征軍が壊滅したって本当なのかよ!」
「リョーコ……ハーシェリク様はどうなったの!?」
「王子様はどうなったかおしえろー!」
上は腰の曲がったよぼよぼの老人から、下は幼い子供まで。男女問わず仕事時間であろうに、城下町の人間の大勢が、城へと続く門に詰めかけていた。
「それは現在事実を確認中で……」
いつもなら槍をちらつかせながら適当にあしらい追い払う門番だったが、今回は相手が多すぎて自分の身を危うく感じ、腰の低い対応となっている。だがそんな門番に苛立ちを感じ始めた城下町の人々の威勢は増すばかりだった。
「すぐにでも兵を出して確認しろ! なにかあったらじゃ遅いんだぞ!!」
「そうよ! 大体ハーシェリク様はまだ幼いのよ! そんな子供を戦場に行かせるなんて何考えているのよ!」
「そーだ! そーだ!」
子供達の合いの手が入り、辺りの雰囲気は混沌としていく。このままでは押し入られるのではないかと門番が恐怖を感じた時、救いの手が差し伸べられた。
「静まらんかッ!!」
通る声で一喝され人々が息を飲んだ。そして声の先にいる人物を見る。
愛馬に跨り真っ赤に燃えるような髪が馬の鬣とともに靡く。将軍職を辞しても、現役の頃と変わらない筋骨隆々の逞しい体躯。戦場では『烈火の将軍』と異名で呼ばれ、他国から恐れられていたローランド・オルディス候その人だった。
「オルディス様!」
「皆、何を騒いでおる?」
愛馬から颯爽と降りつつローランドが話しかけると、城下町の者達はオルディスに詰め寄った。
「オルディス様、遠征軍が壊滅したとは本当ですか!?」
「……それはどこで聞いた?」
町人の言葉にローランドは問い返す。遠征軍が壊滅したかもしれない、という情報は騎士である息子たちを通して知ってはいたが、混乱を避ける為現在箝口令が退かれているはずだ。元将軍であるローランドだからこそ、知りえた情報である。
ローランドの鋭い問いに、町人は臆することなく答えた。
「酒場で城勤めをしている者が言っていたという噂を聞きまして……」
「なるほど。」
つまり酒に酔った役人が口を滑らし、それが噂となって王都内に広がった。その事実を確認する為に城に人々が押し掛けたということだ。
局に活を入れに行かねばな、と思っているローランドに女性が縋りつく。
「兵士達は皆死んだと……息子が従軍しているんです!」
「それに殿下も行方不明とか!?」
「国境側の村には、親戚がいるんです!」
口々に言う人々にローランドは両手で押しとどめつつ、人々が静かになるのを待つ。やがて皆の声が小さくなったことを確認し、ローランドは口を開いた。
「まず、この場ではそなた達に現状について話すことは出来ない。不確定な情報で混乱させることは出来ないからだ。それは理解してもらいたい。」
そうはっきりとローランドは言う。その言葉に異論は出なかったのは、代々騎士を排出する名家であり、また国民にも人気がある数少ない貴族のオルディス家当主の言葉だからだ。
「この場は私の顔に免じて、退いてはくれないか?」
ローランドの言葉に皆は不満と不安を混ぜたような表情をしたが、それでも渋々頷いた。
「しかしこれだけは言える。」
そうローランドは自信を持った表情で言葉を続けた。
「私の息子が殿下の筆頭騎士だ。殿下が害されることなど万が一にもない。その殿下が率いる軍が、負けることなどありえないだろう。」
烈火の将軍の言葉に城下町の者は互いに顔を見合わせる。しかし力強いローランドの言葉をもってしても、彼らの不安が解消されることはなかった。
その様子を城門が見える窓から見ていた大臣。声は聞こえずとも雰囲気で、町民達が何を言っているのか、そして現れたローランドが何と言って宥めたのか安易に想像できた。
「いつの間に……」
バルバッセの言葉の最後は声にならなかった。
なぜあの幼い王子が、これほど民に慕われるかが理解できなかった。
彼が王族だからだろうか。
考えてバルバッセは首を横に振る。
なら国王も第一王子マルクスも王族であり、他の王族と比べ国民と接触する機会は多い。だが彼らと国民の間にはまるで透明な厚い壁が存在していた。見えるのに、決して触れられない。それが王族と他の人間との距離だ。
だがあの王子は違った。そんな壁など存在せず、あったとしても自ら破壊して人々に歩み寄って行った。
初め報告を聞いた時は耳を疑った。幼い王子がたった一人で城下町にお忍びで出かけていたと。そして城下町の人々は我が子のように受け入れていたと。
おかしいのだ。年齢にそぐわない性格、知能、胆力、そしてなにより人々を魅了する資質を持つ異質な王子。大臣の中で警鐘が鳴り響いていた。
「閣下……」
沈黙し思考の海に潜っていった大臣に貴族が声をかけるが、大臣の返答はなかった。
アトラード帝国軍本陣は奇襲部隊の報告を受けていた。本陣の天幕にてその報告を受けたのは、枯葉色の髪と瞳を持った四十代くらいの壮年の男。今回のグレイシス王国軍侵攻戦の総指揮官である帝国軍第十位の位を持つ貴族、ディック・イオル・リンクスだ。
「伝令、奇襲部隊より明日までには予定通り配置につくと通信ありました!」
待っていた報告にディックは満足そうに頷く。
「わかった。各軍準備を始めよ。明日、戦闘を開始する。」
「はっ」
兵が天幕を後にした後、幕僚たちも各部隊に指示を出す為本陣を後にし、残された司令官の男は従者が差し出した酒の入ったグラスを受け取り、それを飲み干す。
(まったくうまくいったものだ。)
始まりはとある密書が届いたことだった。その密書はグレイシス王国のとある貴族を通して届けられた。王国と帝国は長年争っている。だがだからといって全く交流がないわけではない。どんな伝手でもないよりはあったほうがいい、というのが男の考えだった。そして今回、その伝手が大いに役にたった。
グレイシス王国は大国だ。だが近年、内部の腐敗により『憂いの大国』と諸外国からは言われている。その一因が、貴族や高官達の専横だ。彼はその貴族達といくつかの伝手を持っていた。そして今回、その伝手でとある依頼を受けた。それは『第七王子の抹殺、もしくは捕縛』というものだった。
一瞬何かの罠かと疑ったが、信憑性を持たせる報告が王国に忍ばせた密偵からあった。現在、王国の大臣バルバッセ侯爵が第七王子を目の仇にしている、と。そこでこの依頼は大臣からではないかと男は辺りをつける。さらに裏付けるように王国内で二万の遠征軍が組まれたことや、国境までの順路も事細かにもたらされた。パルチェ公国に密書を送り、国内通過に目を瞑らせれば、楽に奇襲が出来る。公国にとってグレイシス王国同様アトラード帝国も強大な国家なのだ。
(あの大臣は自国を損失してでも、その第七王子とやらが邪魔だということか。)
まだ幼いが王の寵愛を一身に受けている王子だという。自分の地位を脅かすほどの。
しかしそれは男には関係ない事だった。手に入れた情報を利用して、王国の国土をむしり取る。
(これで皇帝陛下の覚えも目出度くなれば、私の国内での地位も増す。)
今回の戦は新帝の威信を国内に知らしめるのが目的だった。だから負けは許されない。そしてこの戦に勝利すれば、自分の地位も向上すること間違いなしだった。