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第四章 霧雨と予感と奇襲 その三



 ハーシェリクを小脇に抱えたクロは、霧に身を隠しながら木々の合間を疾走する。

 途中襲い掛かってくる帝国の伏兵を、ダガーを投げて眉間を貫き、または鉄線で胴と頭を断ち、死体を作りつつ進む。しかし、その死体が目印となり、敵兵は追いかけてくるだろうとクロは予想していた。このままでは追いつかれ囲まれるのも時間の問題だった。それに別の問題も発生した。


「囲まれたか。」

「……帝国軍?」


 若干顔を青くしたハーシェリクが問う。顔を青くしているのは恐怖からではなく、単なる運ばれ酔いである。


「……いや、追っ手にしては早すぎる。」


 ハーシェリクの問いにクロが首を横に振る。既に奇襲された地点からはかなり離れており、この辺りに帝国軍が兵士を伏せているとは考えにくかった。


(こちらに誘導されたか?)


 北へ向かいつつ伏兵の少ない場所を選んで進んできたが、今にして考えればこの場所に誘導されたとも考えられ、クロの眉間の皺は濃くなる。


「……クロ。」


 そんな彼の片腕の中に大人しく収まっていたハーシェリクは、彼の腕を優しく叩きながら話しかける。


「クロ、降ろして。私は戦闘になったら足手まといにしかならない。いくらクロが有能でも、片手で私を庇いながら戦うのは無理でしょ。」


 その言葉でクロがビクリと反応したのがわかったが、あえて無視をしハーシェリクは穏やかな口調のまま言葉を続ける。


「ここから先は一人で行くから。クロ一人なら、問題なく処理できるでしょ。」


 しかしクロは主の命令をすぐに実行できずにいた。そんな彼にハーシェリクは小さく嘆息すると、再度彼の腕を叩く。そして諭すように声をかけた。


「クロ、降ろしなさい。」


 穏やかだが命令口調だった。その言葉にクロはゆっくりとハーシェリクを地面に降ろす。そして膝を尽きハーシェリクの目線と同じ高さになったが、視線を落し伏し目がちになり、口も開きかけては閉じを何度か繰り返して、ようやく声を出した。


「もし……」

「死なないよ。」


 クロが全てを言う前にハーシェリクが言葉で断ち切った。そしてはっと顔を上げるクロにいつも通りに笑って見せた。


 ハーシェリクにはクロが時々、幼い子供に見える時がある。

 不安に押しつぶされそうな、今にも泣き出しそうな、子供ような瞳をする彼。

 きっと彼の過去に、そうさせる出来事があったのだろうとハーシェリクは考える。しかし彼が言いださない限り、ハーシェリクは問おうとは思わない。誰にでも言いたくない事や、言えない過去はあるのだから。


 だから代わりに、ハーシェリクはいつも通りに笑って見せる。


「約束したでしょ。クロが死なない限り、私は死なない。」


 それは最初の約束だった。揺れる馬車の中、クロと交わした約束。あの日、ハーシェリクはそれとは別に、自分で決めたことがあった。


 何があってもクロを信じ続ける。そして筆頭となって自分を手助けしてくれるオランとシロも。何があっても、例え彼らに裏切られたとしてもだ。


 そして彼らがついてきてくれるかぎり、そんな自分を信じ進み続けると。


 だから、とハーシェリクは言葉を続ける。


「クロ、私を信じて。私はクロを……皆を信じている。」


 その言葉を噛みしめるようにクロは数拍瞳を閉じる。そして瞳を開くと。血のような暗い紅い瞳が主を真っ直ぐと見つめ、頷いたのだった。


 彼の瞳は、怯えた子供のものではなくなっていた。


 ハーシェリクも頷き、身を翻すと駆け出す。


 小さな主の背中を見送り、クロは立ち上がった次の瞬間、姿が霧の中に消えた。


 彼らを見張っていた男は目を疑う。だがそれも一瞬の事、喉に熱せられた焼き鏝を押し付けられたような激痛に悲鳴をあげようとしたが、口は背後から回された手に封じられ、絶叫を上げることも叶わず、膝を付き倒れ絶命する。


 動かなくなった死体を見下ろすのは、先ほどまで男の標的だったはずのクロだった。温度の無い冷徹な瞳が男を見ていたのは一瞬のこと、すぐにその姿は霧に溶けて消える。そして別の場所に潜んでいる輩の命を、背後から静かに忍び寄り刈り取る。


 取り囲んでいた者達が仲間の異変に気が付いたのは、集まった人数の内半数近くを失ってからだった。








 ハーシェリクは坂を上り、または下り、泥に足をとられつつ木々の合間、茂みの合間を全力で疾走する。途中何度か転がり、服も薄い色の金の髪も白い肌にも泥がこびりついていたが、ハーシェリクはそれらに構っている暇はなかった。


 華奢な身体を酷使し、木々を抜けた先の開けた場所に出る。空はどんよりとした暗く厚い雲に覆われ、霧雨が降り注ぐ。足を進めれば、目の前には見晴らしのいい大地が広がり、このまま進めばパルチェ公国との国境がある。しかし、ハーシェリクは足を止める。その大地の手前には、荒れ狂う氾濫した河川、そして自分がいる場所は断崖絶壁の上だったのだ。


 ハーシェリクは崖の上から河を見た後、太腿に手を置き中腰の姿勢になると、何度も深呼吸をして息を整える。本音をいえばその場で大の字に寝そべりたかったが、さすがにそれはまずいと控えた。


(さすがに子供の身体だと辛いな。)


 前世の身体だったとしても辛いのは変わらないだろうが、とハーシェリクは思い至り一人苦笑を漏らす。翌日には三十五歳となっていた前世の身体だったら、全力疾走するには重いし、出来たとしても翌日、否、翌々日位に全身筋肉痛となっていただろう。


 ふと背後で微かに音が鳴った。それを聞いたハーシェリクは中腰の姿勢から身体を上げると、背筋を伸ばしもう一度深呼吸をする。そしてポケットの中にある銀古美の懐中時計を握りしめ、覚悟を決めて振り返った。視線の先には木々の陰から現れた男達がいた。

 片手で足りるほどの数の男達は、帝国兵でもまして味方である王国兵でもなかった。顔をフードや布で覆って隠し、見えるのは目だけ。暗い色の服を着ていて、まるで密偵の時のクロのような恰好だった。

 つまり、彼らはそういう人間だとハーシェリクは解った。しかしあえて問いかける。


「あなた達は?」


 声が震えなかったのは上出来だろう、とハーシェリクは内心自分を褒める。今自分は一人だ。クロもオランもシロもいない今、自分はただの無力な子供でしかない。抵抗しても一瞬で命を奪われるだと容易く想像できた。

 だがそれでもハーシェリクは余裕のある表情を作り、自分との距離を詰めてくる彼らに言葉を投げる。


「……答える必要はない。」

「つれないな。」


 そう言ってハーシェリクは肩を竦めてみせる。


「どうせ、バルバッセが送ってきたんでしょ?」


 その言葉に男達が肩を揺らし反応したことをハーシェリクは見逃さなかった。

 掴んだ銀古美の懐中時計を握る手に力が入る。だがそれでもハーシェリクはその内心を表情には出さず、言葉を続けた。


「彼が求めているのは、私の命かな?」


 教えてくれてもいいでしょ、と可愛らしく小首を傾げてみせるハーシェリクにリーダー的な男はくぐもった声で答える。


「……死にゆく者に、答える必要はない。」


 つい答えてしまった後、男は自分の失敗を悟る。今の答えではハーシェリクの言葉を肯定しているのと同義だった。言うつもりがなかったのに、真っ直ぐと見つめてくる吸い込まれるような碧眼に気圧されて口が滑ったことに気が付き、男は動揺する。

 そんな男の動揺を余所にハーシェリクは芝居がかった仕草で、大きくため息をついて見せる。


「こんな子供相手に、彼は私が相当目障りみたいだね。」


 白々しいセリフを言い、ハーシェリクは肩を竦めてみせた。


「……その命、頂戴する。」


 ハーシェリクの言葉に反応しないよう努めた男は、懐から取り出した短剣を掴む。他の男達も手に凶器を持ちながら、ハーシェリクを逃がさぬよう囲んだ。

 男達の包囲網がじりじりと狭まり、ハーシェリクは一歩、また一歩と後退する。


「痛いのはいやだなぁ……」


 そう呟きつつ更にゆっくりと後退するハーシェリク。背後を見ればすでに断崖の寸前まで後退していた。

 視線を戻せば、まさに男達がダガーやナイフを手に襲い掛かってくるところだった。


「……あ。」


 間の抜けた声。それがハーシェリクが残した言葉だった。男達の前からハーシェリクの姿が消失し、激しい水しぶきの音が辺りに響き渡る。

 男達が慌てて断崖へ駆け寄り下を覗き込むと、そこには水が濁って氾濫した川が流れているだけで、王子の姿はなく、浮いてくる様子もない。


「落ちたか……」

「……この流れでは助かるまい。」


 リーダーの言葉に他の男も頷いた。成人男性ならまだしも、王子のような幼い子供が生き残れる可能性は皆無だった。


「……戻るぞ。」


 言葉を合図に男達は木々の合間に消えて行った。



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