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第四章 霧雨と予感と奇襲 その二



「殿下、ハーシェリク殿下、ご無事ですか!?」


 馬車の外から聞こえた声に、外套を着ていつでも外に出られるよう準備していたハーシェリクは扉を見る。ちらりと横目でシロを見れば彼も既に外套着用済みであり、その声に面倒臭そうに一瞥をしのろりと席から立ち上がったところだった。


「……王子、いいか?」


 それから間をさほど置かず、自分の筆頭騎士の声が聞こえた為、ハーシェリクは返事代わりに扉をノックする。

 するとすぐに扉が開かれ、雨と血で鎧を濡らしたオランが、真剣な表情で立っていた。


「出てくれ。」


 オランの短い言葉にハーシェリクは口を横一文字に結び頷く。そして彼に促されるまま馬車の外へと出て、屋外に広がった光景を目のあたりにし息を飲んだ。


 馬車の周りには二種類の死体が転がっていた。その区別をつけるのは身に着けている鎧……自軍の兵士と襲撃したであろう敵軍の兵士の死体だった。


 鎧の種類に関係なく転がった死体からは赤い血が流れ、地面をどす黒く染める。


 あの時のように、止まる事のない血が人の生を奪い、鉄のような匂いが充満していた。脳裏であの光景が蘇り、ハーシェリクは奥歯を噛みしめる。


「敵兵が多い。自軍は分断され、各個囲まれているな。」


 死体を目にし動けずにいたハーシェリクは、背後からかけられた声に反応し我に返る。視線だけ動かせば、背後にはクロが音もなく立っていた。服装は王城にいた時の執事服ではなく、黒基調の仕立てのいい旅人風の服を来た彼は、油断なく見回している。

 そんなクロに状況を確認する為に話しかけようと口を開いた瞬間、別の者がハーシェリクを読んだ。


「殿下、ご無事で!」


 呼ばれたハーシェリクはクロから視線を外し、声の主を見る。さきほど外で呼んでいたのだろう男が、目の前で片膝をついて頭を垂れていた。確か彼は今回の遠征軍でハーシェリクの護衛として、編成された三十人の近衛騎士達のまとめ役のはずだった。


「報告を頼む。」


 ハーシェリクの隣に並ぶように立ったオランが、周りに警戒しながら彼に促した。その言葉に男は頷き、顔を上げハーシェリクを見る。


「報告します。現在我が軍は奇襲を受けており、敵はアトラード軍と思われます。」

「……被害状況は?」


 ハーシェリクは恐る恐る聞く。すると彼は悔しそうに顔を歪ませた。


「不意打ちで軍内は混乱しており詳しくはわかりません。特に一軍の混乱はひどく……」


 ハーシェリクは拳を強く握る。そんな王子には気が付かず、近衛騎士の男は続けた。


「つきましては王子にはすぐにこの場を離脱して頂くようお願い申し上げます。」


 その言葉にハーシェリクは目を見開く。


「情報によれば、敵は殿下を探しているということ。ならば安全の為にもこの場を離脱して頂くことが、御身を守れる最良の手段だと愚考します。」

「……それは私に、軍の皆を見捨てて逃げろということですか。」


 静かな、しかし怒気の籠った声だった。その声に、近衛騎士は更に頭を深く下げる。


「何よりも殿下の御身の安全が最優先でございます。少数でも殿下の配下の者なら、敵を退けることも可能でしょう。ここより北に行き川沿いに進めばすぐ町もございます。そこまでいけば、敵も追うことは不可能でしょう。」


 どうかご決断を、と言う近衛騎士に、ハーシェリクは一度瞳を閉じる。


(このまま、私がここに居ても役には立たない。)


 それは変えられない現実だった。ハーシェリクはひ弱な子供ということを自覚している。下手にこの場で留まっては、戦いの足手まといになる可能性もある。


 それなら、とハーシェリクは決断した。


「……わかった。」


 ハーシェリクの言葉に近衛騎士はほっとしたようだった。だが続く言葉で息を飲む。


「オランジュ、ヴァイスはこの場に残り、軍の立て直し及び敵兵を殲滅せよ。私の護衛はシュヴァルツのみでいい。」

「ハーシェリク殿下!?」


 まさか自分の護衛を置いていくと言いだすとは思っていなかった騎士は慌てる。しかしそんな彼を余所にオランは頷き、馬車から降りて周囲を眺めていたヴァイスも嫌々ながら頷いた。それを確認し、ハーシェリクは近衛騎士が何か言う前に、自分を守るために戦っている近衛騎士達を見回した。


「グレイシス王国第七王子の権限にて命ずる!」


 ハーシェリクの凛とした声が辺りに響き渡る。


「私はこれより一旦離脱する! 諸君はオランジュの指揮の元この場を乗り切り、その後はブレイズ将軍の指揮下に入れ!」


 そして、一度大きく息を吸い込む。


「最優先の命令はただ一つ、生き残れ!」


 ハーシェリクの言葉に呼応するかのように歓声が上がり、それに伴い兵士達の混乱は収まっていく。


 王子が自分の配下の『狂騎士百人斬り』の筆頭騎士を残していくということ。


 そして『自分を守れ』という命令ではなく、『生き残れ』という命令は、不意打ちを受け恐怖していた多くの兵士達の意識を生へと向かわせた。


 ハーシェリクのたった一つの命令が、軍の息を吹き返らせたのだった。


 だが、それはもう一つの結果を招く。

 ハーシェリクの声が場の混乱を抑え、更には兵士達の士気を高めたのが明らかだった。だがそれは同時に、彼の居場所を敵に教えることにもなった。


 甲高い笛の音が鳴り響く。


「王子がいたぞーー!」


 続いて叫び声が上がり、それを合図に周囲の敵兵が集まりだす。その様子にオランが剣を構えつつ、クロに言葉を投げた。


「黒犬、王子を担げ。ヴァイスはここにいろ。すぐに戻る。」


 クロがひょいっとハーシェリクを脇に抱え、シロが気だるさそうに頷くのを確認しオランは頷く。


「俺が敵陣を切り開く。行け。」


 そう短く言い、オランは駆け出した。それに気が付き迎え撃とうとする敵兵を、鎧ごと胴を断ち、首を飛ばし、四肢を切断する。オランは息一つ乱すことなく、剣を交わることも許さず、一撃でその命を摘み取っていく。

 その後ろをハーシェリクを小脇に抱えたクロが追従し、敵の囲みを抜けると同時にオランを抜き、森の中へと分け入って消えた。

 即座に帝国兵が二人を追おうとするが、突如現れた、光る透明の壁……結界により行く手を阻まれる。オランが視線を向ければ、シロの純白の髪が薄い空色に輝いている為、彼が魔法を発動させたのだと理解した。


 オランは踵を返し、乱戦状態の中に戻るとシロの側に立つ。


「ヴァイス、魔法助かった。」


 そうオランはシロに礼を言う。さすがのオランでも、一斉に動かれては何人かは討ち漏らす可能性があった。だがシロの結界なら、一般の兵士ならまず破られないだろうし、迂回するにも時間がかかる。

 ハーシェリクとクロは森に入り、敵兵はシロの結界が足止めをしている。

 次はこの状況をどう打破するかだった。


(さて、どうしたものか。)


 オランは襲い掛かってくる兵士を一撃で屠りつつ、思考を巡らす。

 行軍中の襲撃により、細く長くなった軍は分裂されている。さらに一軍と二軍に挟まれるようは配置だった為、前進も後進も難しい。斜面を登って奇襲の囲いを抜けるにも、それまでに被害が出そうだ。だからといってこの場に留まっても、死体を増やすだけである。


(ヒースさんと合流できれば、なんとかなるだろうけど……)


 オランは戦場の経験がなく、知識と知っていても所詮机上の空論でしかない。その点、ヒースは経験豊富な為、こういった場合も対処できるだろう。


(後退しつつ、ヒースさんと合流するのが無難か。)


 オランはそう決め、周辺に指示しようとし、小さなくしゃみが聞こえた。見ればシロが鼻元を押えながら、不快気に眉を顰めている。


「……寒い。」


 緊張感の欠片もない発言にオランは脱力する。だが次のシロの言葉に戦慄が走った。


「おい、こいつら、消せばいいのか?」

「……は?」


 目が点になるオランを放置し、シロは面倒そうに言う。


「邪魔なら消せばいいだろう? ハーシェも殲滅しろと言った……全員やってもいいなら、さほど手間もないが?」


 そうシロは女神のような美貌で、邪悪な笑いを浮かべる。

 さらりと危険発言をする魔法狂いにオランは戦場だというのも忘れて脱力する。


「……楽しそうに何を言っているんだ。味方まで吹っ飛ばす気か? ……で、そこで不満そうな顔するな!」


 さっきまでの邪悪な笑みを引っ込めてふて腐れた顔をするシロ。それに鋭くツッコミを入れつつ、オランは飛来した矢を叩き落とす。


「……冗談はさておき。」


 いや、絶対冗談じゃなかった、とオランは思ったが口には出さない。


「敵のみの排除は出来る。だが時間がかかる。」

「……わかった。」


 本当か、とは問い返さない。シロは出来ない事を口にするほど、自意識過剰でない。オランは頷くと剣を構える。


「どれくらい稼げばいい?」

「全員やっていいなら三分。」

「だからダメだって……」


 シロの発言に再度脱力し、剣を落しそうになる。


「チッ……十分、いや八分だ。」

「わかった。皆、これより魔法士がこの状況打開の為、魔法を開始する。敵を彼に近づけるなッ!」


 舌打ちを聞かなかったことにしてオランは近衛騎士や周辺の兵士達に指示を飛ばし、己も剣を構える。その異変を感じたのであろう、敵兵が騎士達の隙間から飛び出し、シロに襲い掛かったが、オランが一瞬で敵とシロの間に割って入り、敵の胴を断つ。


「ヴァイス、周りの事は気にするな。」

「わかった。」


 音を立てて崩れ落ちる、屍となった敵兵にシロは見向きもせず、己の魔力だけでなく周囲の魔力を己の能力で集める。


(広範囲は、少々骨が折れるな)


 そう内心愚痴りつつシロは魔法式の構築を始めた。


 波打つ純白の髪が薄く緑色に輝き始め、魔言を唱えると薄い緑色の光の帯がシロの周りを旋回し始める。魔言の刻まれた光の帯は、風属性の空間を把握する為の魔法式だ。そしてシロが片腕を持ち上げ、最初の魔言を唱え終わると同時に腕を水平に薙ぐと、彼を中心に風が走り、霧を切った。


(範囲の認識完了と同時に、広範囲攻撃魔法の構築を開始……)


 魔法式を連結させ複雑な魔法を構築しつつシロはちらりとオランを盗み見る。

 彼が襲いくる敵兵を一撃で屠ったところだった。武術の心得がないシロが見ても、オランは周りの騎士や兵士との格の違いが分かった。しかし視界は霧の為不鮮明、足場は連日の雨により泥濘、そして完全無防備となるシロを守りつつ戦うオランの劣勢は明らかだった。


 魔法士は魔法式構築中は無防備となる。それは上級魔法士の能力を軽く超え、元々あった異端な能力と教会のテロ事件がきっかけで無尽蔵の魔力を手に入れたシロも例外ではない。


 最初、正式にハーシェリクの筆頭魔法士として彼らに紹介された時、シロは彼らにいい感情を持つことはできなかった。

 それはシロの人間不信な一面が尾を引いている。幼い頃は化け物と罵られ、教会に引き取られた後も好奇な目に晒され、男だというのに女のような容姿のせいで人には言えないような目にあいかけたこともあった。


 だからシロにとって心の底から信じることができるのは、過去は養い親のみであり、彼に裏切られてからはハーシェリクだけだった。近づく人間は皆敵だと思っていた。


 しかし同僚の彼らは、その他大勢と違った。


 目の前の騎士は何かと気にかけてくれたし、逆に執事は無関心といっていいほど自分に興味を持つことはなかった。それでも傷を負った猫の如く警戒するシロに、ある日オランは苦笑を漏らしながら言ったのだ。


「別に俺のことは無理して信用しなくていい。」


 表情は変えずとも、呆気にとられたシロにオランは言葉を続ける。


「大体お互い信じ合うことなんて、すぐにできるはずないさ。」


 そしてオランは笑いながらだけどな、と付け加える。


「お前がどう思おうと、俺はお前を信用しているし信頼している。ハーシェがお前を信じているからな。黒犬もたぶんそうだろう。」


 あの外面がいい黒犬が素を出しているのが何よりの証拠だ、とオランは言った。

 クロは他人の前では愛想がすこぶる良い。逆にハーシェリクや自分の前では愛想なんて一切しない、飾ったりしないのは信用している証拠だとオランは気が付いている。


「だから今は、お前もハーシェが信じている俺達を少しは信じてみてもいいんじゃないか? そうしたらそのうちそれが本物になるさ。」


 その言葉を聞いて、シロは少しぐらいなら信じてみてもいいかと思った。嫌だったら無視すればいいだけだ、と自分に言い聞かせて。


 だが彼らと共に過ごす日々は特に不快になることはなく、それが当たり前になり、居心地がいいと感じられるようになり……それがいつしか互いの信頼となるにはさほど時間はかからなかった。もちろん意見がぶつかることはある。だがそれは互いを認めてのことだからだ。もちろんシロは同僚達に言うつもりはないが。


 だからシロは信用するオランに全てを託し、複雑で難解な、だがシロにとっては頭の体操程度の魔法式を構築していく。


 そういえば、とシロは魔法を構築しつつ出発直前のことを思い出す。シロはオランに、サイジェルと同じことを問いかけられた。


 本当に戦場に行くのか、と。その問いにシロはサイジェルと同じような答えを返す。だがオランは首を横に振った。


「そうじゃなくて、戦場に出て人を殺める事が出来るのか?」

「……ああ。問題ない。」


 いつになく真剣なオランの眼差しに、シロは答えた。その答にオランはそれ以上何も言わなかった。


(私は、彼の為なら……彼らの為なら、人でも神でも悪魔でも殺してやる。)


 それが『化け物』である自分を受け入れてくれた、シロなりの感謝と決意だった。


 シロの純白の髪が雷属性を表す紫と結界属性表す空色へと交互に輝き、あと少しで魔法式の構築が完了することを表していた。高密度の魔力が空気を振動させ霧雨を吹き飛ばすと同時に、周囲の大量の浮遊魔力を取り込み己の魔力に変換していく。


 魔法式を構築し始めて、八分が経過しようとしていた。


「……ヴァイスッ」


 オランの切羽詰まった声が響き、シロの眼前に敵の白刃が迫る。

 魔法式を中断し回避しなければ、自分は斬られるだろう。しかしシロはその場を動かなかった。そんな彼を守る為オランが己の剣を投げる。


(自分の武器を投げるとは、馬鹿か?)


 そう呆れながらもシロはその白刃を受けれるかのように両手を広げる。それが、魔法式の構築が完了したことと、広範囲魔法の発動の合図だった。


 シロの身に白刃が突き刺さる直前、爆音にも似た雷鳴が辺り一帯に轟いた。





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