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 教室の片隅で1人の少女が机に突っ伏していた。外はもう真っ暗で、しかし少女が教室にいられるのはこの時間だけだった。勉強をしていたのだろう、机の上には教科書とノートが開かれ、教科書には鉛筆でいくつも線が引かれていた。少女の口元が何かを囁く。

 少女には帰る家がなかった。

 自分がどこで生まれたのかさえ、少女は知らなかった。

 この学校の正門前に置き去られ、泣く声も枯れ果てた幼い頃の少女を救ったのはたまたま近くを通った買い物帰りの夫婦で、彼らの計らいで身寄りのない子どものための施設に行った後はそれなりに落ち着いた生活をすることができた。

 しかしそれもある時を境に終わってしまった。とても寒くて風の強い真夜中、施設の古い暖房器具から伸びる電源コードのプラグが何かの拍子でショートした。飛び散った火花が絨毯と、傍に落ちていたタオルに引火した。誰も子ども達を救えなかった。大人達も逃げられなかった。そして少女は帰る家を失った。

 がらり、と教室の扉が開く。小さく靴を引きずる音がして、ふっと笑みを零す息の音がした。

「ここにいた。捜したよ」

 制服を着た少年が少女の向かいの椅子を引いて座る。そして少女の薄汚れた寝顔をじっと見つめた。どこかで拾ったものらしい教科書はよれよれで、版も随分古かった。ノートに書かれた彼女の字はとても丁寧で、そしてところどころ間違っていた。

「一緒に歩くって、約束したのに。守れなくてごめんね」

 少年は少女の頭をそっと撫でる。ごわついた髪を梳くように指を差し入れ、何度も撫でる。

「パーティーをしようよ。オレンジジュースとケーキを買って。君が喜ぶところが見たいんだ」

 目覚めを促すように髪を梳く少年の手が気持ちいいのか、少女は少しだけ微笑んだ。

「目を開けてよ」

 少年が言っても、少女はただにこにことするばかりで決して目を開こうとはしない。

「目を開けて、僕の名前を呼んでほしい」

 少年は懇願するように言った。すると少女はわずかに手を動かして、その手に握りしめた鉛筆でノートに何かを書き始めた。少年の瞳がその動きを追う。

  し ず く

 にこりと笑って、少女は鉛筆を置いた。少年の瞳から大粒の涙が溢れ出た。

「そう、僕だよ。プレゼントをもらいにきたんだ。あの時結局頼めなかったプレゼント。だからお願い、目を開けて、僕を見て。僕に一番素敵なものを頂戴」

 少年は少女の肩を掴んでその身体を起こした。ぎしり、と軋む身体の軽さは少年を驚かせたが、それでも少年は手を離さなかった。少女の服は染みと埃にまみれて異臭がした。少年は少女を抱きしめた。

「僕が、待っていた。君を。君が生まれてくることを。君は誰にも呼ばれなかったわけじゃない。ずっと僕が呼んでいた」

 知っている、と少女の口が小さく動いて声を作った。笑いを含んだ、嬉しそうな声だった。

 知っていたから、どんなときでも生きていこうと思えた。雫がこの世界で私を呼んでいると信じていられた。それが私の幸福だった。

「プレゼントをもらったのは私。そんな私が、今、雫に何をあげられる?」

「君といられる時間を」

 雫は迷いなく答えた。少女は少し驚いて、それから微かに微笑んだ。

「それなら、私の全部の時間をあげてもいい。ほしいだけどうぞ」

 少女は片手を伸ばして、雫がそれを握る。転がった鉛筆が床に跳ねて軽い音を立てた。そこにひとりでに文字が刻まれる。


 君に会って、私は感情を知った。

 君に会って、私は名前を得た。

 君に会って、私は生まれる意味をもらった。

 君が私をこの世に生まれさせてくれた。

 だから今度は、私が君にこの生という時間を返そう。

 喜んで生まれて、生きて。


 かつん、と乾いた音を立てて鉛筆が床に倒れる。突っ伏していた机から顔を上げた制服姿の少年が書きかけのノートを見て苦笑する。拙いひらがなで書かれた自分の名前。いつも呼ばれるその名前が、何故か愛しく思えて、少年はしばらくの間それを見つめていた。

 下校時刻を告げる鐘が夕焼けの空に高く響いた。


  END

執筆日2013/10/22

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