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3・しなないで

 走るには適していないナースシューズとはいえ、学生時代に陸上部で鍛えた脚力には自信がある。あのナタ妖怪がいったい何者なのか、私にはさっぱり分からないけど、子供のような身長ではそれほど速くは走れないと思う。

 全力で駆けながら、首だけで後ろを振り返ってみる。追ってくる気配は無い。

 私は少しずつ走る速度を落とし、息を整えながらジョグに切り替えた。


「いったい何なの……あれ」


 かさついた土気色の肌。落ち窪んだ大きな眼窩に耳まで裂けた口。そして、歪な身体つき……人間の姿をしていたけど、とても同じ人間とは思えなかった。

 看護学校や研修先で鍛えられて、ちょっとやそっとの事には動じない自信があったけど、あれには流石(さすが)にびっくりした。だって妖怪だよ!? でも何だろう? あの妖怪、どこかで見た事があるような気が……キタローの仲間?

 完全に振り切ったと思い、油断していた私の目の前で茂みがガサガサッと揺れた!


「ひゃあっ!」


 思わず短い悲鳴を上げた私の前に飛び出てきたのは、ウサギに似た小さな生き物だった。ウサギは、私の事を気にする様子も無く、後ろ足で立ち上がりってキョロキョロと周りを窺っている。

 

「はあ……どうしよ……」


 私も立ち止まってキョロキョロと森の中を見渡してみた。

 森はとても静か。時折吹く風が、さわさわと木の葉を揺らす。 

 元々どことも知れないこの場所だけど、このまま真っ直ぐ進んで良いのだろうか。でも、戻る訳にはいかない。

 その時、ヒクヒクと鼻を動かして辺りの臭いを嗅いでいたウサギの動きがピタリと止まる。

 あれ? と(いぶか)しむ間もなく、ウサギは一点の方向をジッと見つめてから、文字通りに脱兎の如く駆け出した!

 なに? 私はウサギが見ていた方に目を凝らした。木々の向こうに背の低い人影が見えた。しかも一人じゃない、大勢いる。

 もう追いつかれた? いや、違う。きっと、この森が奴らの住処なんだ。

 ナタ妖怪に気づかれないように、そろそろとその場を立ち去ろうとすると、思いがけない方向から「キィキイ!」と、自転車が急ブレーキをかけた時のような声が聞こえた。

 慌てて見上げると、頭上からストン、と何かが降ってきた。


「いっ、いやぁあ!!」


 今度こそ大きな悲鳴を上げてしまう。樹上から降ってきたのは、あのナタ妖怪だった!

 逃げなきゃ、とにかく逃げなきゃ。焦れば焦るほど足がもつれる。私は木の根に爪先を引っ掛けて、そのまま転んでしまった。

 サビの浮いたナタを手にじりじりと迫る妖怪。あまりの恐怖に足腰に力が入らなくて、すぐには立ち上がれない。


「こ、こないで……やだ……やだよ」


 木を背にして何とか立ち上がったけど、ナタ妖怪はすぐにでも飛び掛って来れるほどの位置にいる。

 怯える私の目の前で、ナタ妖怪の口が開いた。まるで裂け目のような赤い口から「キィイ、キキィ」とさっきと同じブレーキ音のような声が漏れる。

 

 ――――こいつ、(わら)ってる。嗤ってるんだ。


 恐怖に震える私を見て嗤ってる。怖い、これから私、何をされるの。嫌だよ……助けて……お父さん。


 お父さんが命を賭けて守ってくれたこの命で、私は怪我に、病に苦しむ人の支えになりたくて看護師になったのに、こんなところで死にたくない。


 私、まだ誰も助けてない……

 私、まだ誰も救えてないよ!!


「わぁああああ!!」


 叫び声を上げて、手にしたトートバッグを力任せに振り回すと、妖怪は意表を突かれたのか、奇声を上げて後ろに飛び退いた。

 トートバッグの中のスマートフォンが、充電器が、チョコレートが地面に散らばる。ナタ妖怪は、それらに気を取られているみたいだ。

 いまのうちに逃げよう!! だが、辺りに漂う異様な雰囲気に、駆け出しかけた足が止まった。

 

「キィイィイ!! キィイ!!」

「キュイキュイキュイ」

「キイィー! キィイー!」


 囲まれてる……もう、駄目だ。

 絶望感に力が抜けて、私は地面に座り込んでしまった。

 膝元に転がっていたスマートフォンを拾い上げて画面を覗き込むと、そこには、優しい笑顔のお父さんと幸せそうに微笑むお母さん、そして幼い頃の私のはにかんだ笑顔……。

 一滴、二滴と零れ落ちた涙が待ち受け画面を濡らす。すると突然、スマートフォンから大音量で勇ましい曲が流れ出した。これ……パズヒロの戦闘シーンのBGM!?


「総員展開!! 闘え! 天使様をお守りしろ!!」


 木の葉を震わす怒鳴り声のような号令が森に響き渡る。それに応えて「オオォオオォ!!」と、絶叫のような雄たけびが森を揺るがした。

 動揺して頭を、目を忙しなく動かすナタ妖怪たち。

 森の中から突如として現れた大勢の男たちが、剣を、槍を、弓を手に携えて、なだれ込む勢いで妖怪の一団に襲い掛かっていく。


「な、な、な、なに? 何が始まったの?」


 金属が激しくぶつかり合う音。

 怒号と悲鳴、叫び声。

 頭上を飛び交う弓矢。


 なにこれ? 私、知らないうちに映画の撮影現場に紛れ込んじゃったの?

 違う。この鉄に似た生臭さは、紛れもない血の臭い。


 私は頭を抱えて(うずくま)るしかなかった。


「失礼。『あかいことり』で、あらせられるか?」

 

 頭上から声を賭けられて、恐る恐る顔を上げると、そこには剣と魔法なファンタジー映画に出てくるような、ヒロイックな赤い鎧に身を包んだ青年が私の顔を覗き込んでいた。

 あらせらりるれ……? 良く分からないけど、『赤井ことり』が私であることに間違いない。

 私は、青年に向かって何度か頷いてみせた。


「ご無事で良かった。天使様の荷物は回収しておきました。さあ、ここを脱出しましょう」

「あ? え? て、てんし、さま?」


 座り込んだまま青年の顔を見上げていた私に「失礼します」と青年は頭を下げ、ぐいっと私の身体を抱え上げた。


「ちょっ、ちょちょちょ、あの、現在、いや、明日からダイエット中な予定がありまして……」

 

 うわあ、チョコなんて食べるんじゃ無かった……もう、何が何だか分からなくなってきて、おかしな事を口走ってしまった。


「天使様は無事に保護した!! 総員、撤退戦の準備!!」


 号令を出した赤い鎧の青年は、私を抱きかかえたまま走り出した。その後ろに男たちが続く。


「ちょ、待っ、恥ずっ、ひゃあっ!」


 私は慌てて青年の首に手を回してしがみ付いた。でも、鎧を着たまま私を抱えて走るなんて、凄い体力。それに……ちょっとカッコいいな。いや、そんな浮ついたこと、考えてる場合じゃない。

 一体なにが起きているの? あの妖怪は何? この人たちは誰? そして、この鎧の青年、何故だか見覚えがある。


「た、隊長! 前方に敵影! ゴブリンの一団だと思われます!」


 青年の隣りを併走する赤い服の若者が叫ぶように報告した。

 走る速度を落とさずに「挟撃か……我が方の残存戦力は?」と、隊長と呼ばれた青年が答える。


「戦闘状態を維持出来る者は三十名程度です」

「半分やられたか……だが、前方の敵陣を突破するほかあるまい。総員、一時停止!」


 足を止め、私を抱きかかえたまま鎧の青年が後ろに振り返る。追走してきた男たちは、青年に(なら)い足を止め、荒い息を吐きながら整列を始めた。

 こうしてみると皆、私と変わらない年代に見える。でも、みんな怪我してる。


 あの人は頭から血が……

 あの人は肩を脱臼してる……

 あの人は足を引きずって……


「みんな、聞いてくれ! ここまで良く闘ってくれた」


 武装した若者を見渡す青年の顔つきが、口調がさっきと違う。

 精悍さの裏に見え隠れする少年っぽい表情。きっと、これが彼の自然な姿なんだろう。


「あと、もう一歩だ。命賭けで天使様を守り切り、城までお連れするんだ!」


 青年の熱い(げき)に、傷付いた若者たちは力強く……応えなかった。

 戸惑う青年の前に、弓を担いだ緑の服の若者が進み出た。


「あのう、隊長。そんな可愛い女の子を姫だっこしてカッコつけられても……ねえ」


 若者たちからは「そうだ! 職権乱用だ!」とか「ずるいっすよ! 騎士だからってずりーっすっよー」と、不平不満の声が上がり始めた。そんな声に混じって「よっ、スケベ騎士」とか「ナイト・オブ・エロス!」なんて掛け声まで加わる。

 青年は慌てて、でも丁寧に私を地に下ろしてから、ニヤニヤしている若者たちを睨み付けて、「お前ら、城に戻ってからブッ殺すからな」と顔を赤くして言った。

 若者たちから、どっと笑い声が巻き起こる。みんな口々に「どっちにしても死にたくねー」とか「さっさと城に帰ろーぜ」なんて軽口を叩き始めた。


 なんだろう、この人たち……立っているのもやっとなくらいに疲れ果て、中にはすぐに手当をしなくちゃいけないような人もいるのに、なんでこんなに生き生きしているんだろう。


「天使様、どうも俺ではこいつらを元気付けられないみたいです。どうか、貴女(あなた)を守る戦士たちに闘う勇気をお与え下さい」

 

 青年の優しい、だけど強い眼差しに気後れる。気が付くと、みんなが私を見てる。期待と希望のこもった視線に身が固くなる。


「え……あの……」


 どうしよう。笑った方が良いのか、真面目な顔をして良いのか分からない。


「えーっと、その……」


 その時、私を見つめる若者たちの眼差しに何か……懐かしい何かを思い出した。


 ――――ことり、お前が無事で良かった。

 お父さん……私、また誰かに守られてるよ。


「あの……皆さんがどうして私を守ってくれるのか分からないのですが……」


 若者たちの顔が引き締まる。みんなが固唾を飲んで私を見守っている。

 頼りない、不安な気持ちを押し殺して傷だらけの若者たちを見渡すと、待ち受け画面のお父さんの笑顔がみんなの顔に重なった。


 正直な気持ちを伝えよう。

 あの時は幼すぎて、お父さんに伝えられなかった私の気持ちを言おう。


「お願いです。絶対に死なないで。生きて……生きて私を守って下さい!」


 木々の葉音も聞こえなくなる一瞬の静寂の後、地響きのような男たちの雄叫びが上がった。

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