1・踏み出した一寸先は闇
何気なく時計を確認すると、短い針が「1」、長い針が「12」を指すところだった。はぁ、記録を書いてたら深夜0時をまたいじゃった。
同僚たちは、ずいぶん前に帰ってしまっていた。私も早く帰って「あれ」の続きをやりたいな。
「赤井さん、ちょっと」
そわそわと帰り仕度を整えてナースステーションから出ると、通りかかった新人指導員の辻井さんに声を掛けられた。
「あ、辻井さん。お疲れ様です」
私がそう声を掛けると、辻井さんは眼鏡を光らせて厳しい視線を向けてきた。
「ねえ、205号室の高橋さんの点滴だけど、あなたが担当してたよね」
「あ、はい……あの、漏れていましたか?」
「漏れてはいないけど、滴下数はきちんと計算したかしら」
「したつもり……でしたけど……」
「もう、半分も落ちてたよ」
「えっ!? すぐに確認に――」
廊下を走り出そうとする私を、辻井さんが押し留める。
「もう適正に処置したわ」
「あぁ、良かった……あの、すいませんでした」
「ねえ、赤井さん。私たちの仕事は一つのミスが大きな事故に繋がるの。絶対にミスをしない、なんて事は難しいけれど、少しでもミスを減らせるように頑張ってね」
「はい……すいませんでした」
頭を下げる私に「じゃあね。ゲームやり過ぎないようにね」と辻井さんはニッコリと笑って立ち去った。
うぅう、一日一回は必ずミスしちゃうな……こないだも誤薬のインシデントを起こしたばっかりなのに……。
辻井さんは「新人のうちはそんなものよ」と慰めてくれるけど、私に看護師は向いていないんじゃないかと悩んでしまう。なりたいと思って就いた仕事だけど、「やる気がある」のと「向いている」のは違うよね。
早く寮に戻って「あれ」の続きやろっ! なんて気持ちはシオシオに萎れてしまい、私は重たい足取りでエレベーターへと向かった。
私の働く病院は、病棟の上がまるまる独身寮になっているので、このエレベーターに乗ってしまえば自分の部屋まで三分もかからない。白衣から着替える必要も無い。
働き始めの頃は通勤の為に満員電車やバスに乗らなくても良いし、ギリギリまで寝ていられるなんて、超ラッキー! なんて思っていたのだけれど、実際に住んでみると、エレベーターで上がり下がりするだけの毎日になっている現実に心底げんなりする。
9、8、7と、ゆっくり降りてくるエレベーターの階数表示を眺つつ、ファッション誌のおまけに付いてきたトートバッグをゴソゴソまさぐり、スマートフォンを取り出す。院内は携帯電話の使用を禁止しているけど、エレベーターフロアは病院内とは言えないから別に良いよね。
いま、私がハマっているのはアプリのパズルゲーム。でも最近、同僚たちはハムスターを狩って素材を奪い取り、装備を強化するRPG……なんだっけ、タイトルが思い出せない。ハムハン? だったっけ? にドハマりしている。
「ことり! ハムスター狩りに行こうぜ!」
って、みんなが私を誘ってくれるけど、ごめん、私、携帯ゲーム機、持ってない。
いつかは買おう買おう、と思っているのだけどスマホのゲームでも十分面白くって、なかなか買う機会が無い。
もともとゲームは好きなんだけど、私の好みは「落ちゲー」とか「積みゲー」とか呼ばれるパズルゲーム。RPGの、敵を倒したり、経験値を貯めたり、装備を買ったり整えたりとかの面白さが良く分からない。
ひたすら落ちゲーでハイスコアを更新しまくっていた私に、友だちが教えてくれたのが、この「パズル&ヒーローズ」、略してパズヒロだ。
ちょっと前までは一番人気のあったパズル系RPGなんだけど、ある一定まで進めると、課金しなければ無理ゲーとも言われるパズルの難しさが客離れを誘い、今ではすっかりオワコンなんて言われてしまっている。
◇◆◇◆◇
ストーリーは、ほぼ皆無。敵軍の攻勢に、最後の砦に追い詰められた王女軍が反撃に転じる、なんて設定があるくらいで、実際は五色のドロップを消していくパズル、いわゆるマッチ3パズルをクリアすればシナリオが進んでいくシステムになっている。
火・水・風・土・光の五色のドロップを、それぞれ三つ繫げて並べて消すと「攻撃をした」という事になり、敵にダメージを与えることが出来る。そして、相手のHP(体力値)削り切るとパズルクリア。
良くあるパズルゲームなんだけど、ちょっと面白いのは、敵の攻撃として黒いドクロのドロップが落ちてくるのだ。これを消すと、こちらのダメージとなってしまうのだけど、出来るだけ少ないコンボで始末していかないと盤面がドクロだらけになって大ダメージを受けてしまう! でも、それを逆手に取ってドクロドロップを出来るだけ消さないノーダメージ戦法って手段もある。
ドクロドロップをいかに扱うかが、このゲームの面白いところ。
そして、これは運営会社にやられた! って気にさせられたのが、ユニットのデザインがとにかく可愛い。火や水などの属性を持ったユニットが、それぞれのドロップの攻撃力を担っているのだけど「火の兵士」とか「風の弓兵」がチームを組んで、一生懸命にチョコチョコ動いてモンスターをやっつける姿を眺めていると、何とも言えず癒される。
さらに、ユニットは経験値が一定以上になるとレベルアップしたり、倒した敵の装備を奪ってユニットを強化する、なんてRPG的な成長要素もあって、最近の私は暇さえあればパズヒロばっかり楽しんでいる。
◇◆◇◆◇
さて、仕事している間にどれくらい「魔陽石」が貯まったかな?
パズヒロには簡単な通信機能があって、ユーザー同士で「お気に入り登録」をすると、自分のユニットを応援部隊として送り込むことが出来る。そして、そのお礼として「魔陽石」を貰って帰ってくる。
この「魔陽石」はユニットの経験値として使える他にも、十個貯めると一回「召喚の扉ガチャ」、いわゆるレアガチャが引けるのだ! ただ、この魔陽石は課金アイテムでもあるのでレアユニット目当てお金をかけまくる人もいる。私は……たまに千円くらい。
ユニットにはSS・S・A・B・Cと五つのレア度を表すランクがあり、「召喚の扉ガチャ」なら最低でもAランクのユニットが手に入る。ここに私がすっかりパズヒロにヤラれてしまった理由がある。
初めてパズヒロをする時には、チュートリアル中に必ず「召喚ガチャ」を一回引けるのだけど、ここで私はいきなりS級ユニット「聖炎の騎士・トラン」を引いちゃったのだ! 可愛いC級ユニットとは違うデザインの真っ赤な鎧に身を包んだイケメン騎士。
あの時は、友だちには散々羨ましがられたなぁ。その友だち、今はハムハンに夢中だけど。
パズヒロを立ち上げると、タイトル画面が現れる。短いローディングの後に「***魔陽石を10個貰いました***」と画面に表示される。やたっ! 「召喚ガチャ」が一回引ける!
それと同時にエレベータの扉が開いた。私は「良いの出ろ! SS出ろ!」とスマホに念を送りながらエレベーターに中に一歩踏み出す。
一瞬の浮遊感。そして、落下感。
私はスマホの画面に、「召喚ガチャ」に夢中で気が付いていなかったのだ。
エレベーターの扉の向こうは、停電とは違う真っ暗な闇が広がっていたのに。