人形になった少女
「琴原。やばいぞ、その顔」
「やっぱりー? 美人だろわたしー」
「自意識過剰おつ。マジでやばいぞ」
数少ない友人の指摘に、へらっと笑ってみせたが相手は眉間に皺を寄せただけだった。
自覚はある。
元々、肌が白いからクマができたら目立つんだよね。
朝からコンシーラーでぬりぬりと隠してみたが。
「どうしたよ。昨夜はお楽しみでしたねとか言ったほうがいいか」
「子供もやるゲームであのセリフはどうよとは思うねー」
ポーチから鏡を取り出して、見る。とじる。
あーこりゃダメだな。
昨日の幽霊より迫力あるかもしれん。
「寝てこいよ、先生にはあたしから言っとく」
「ええーでもさ」
せっかく四時限まで堪えたのに。
しかもいまから図書室に行って、不埒な人間が現れないかチェックしに行かねばならない。
渋るわたしの頭を掴み、友人は前後左右に揺さぶった。
「ぬおおおおっ各務やめてストップフォーユー!」
やめて。いまはやめて目が回るから!
「あたしが代わりにやってやるよ。…元はといえば襲名するのあたしのはずだったんだから。兄ちゃんの気まぐれであんなのやらせてすまないと思ってる」
顔を寄せて、小声でささやく。
思わず、笑った。
「好きでやってんだから気にすんなって」
《図書室の幽霊》が他の七不思議のように、実は人間だと知る者は少なからずいる。
各務がそのひとりだ。
襲名者だって学生だ。
最長でも三年しかできない。
卒業を前にいつだって口の固い次代探しに奔走していた。
わたしの先代は各務の兄。
本来なら、わたしと同学年の妹がひっそりと継ぐはずだったのを、入学してすぐ人気のない図書室を気に入って根城にしようとしたわたしがその正体に気づいてしまったのだ。
そして、相手もわたしの過去を。
『ねぇ、君も幽霊になってみない。りんごちゃんのぬけがらさん?』
否やは、なかった。
目的も共感がもてるものだ。
元より、演じることは好きだったから。
それに。
幽霊ならば。
誰も。誰からも傷つけられないで、いられるだろう。
保健室利用の手続きは各務が全部やってくれたようで、わたしは吸い寄せられるように最奥のベッドに潜り込んだ。
噂の天使には出会わなかったなと、そんなことを思い出したのは眠る直前にになってからだった。
ああ、これは夢か。
ふよふよと暗闇に浮かぶわたし。
足元に広がる情景は、過去の記憶と思い出が混じりあったもの。
(うわぁ。見たくないから寝なかったのに)
睡魔に負けて、寝てしまった。
家じゃなくて学校だからと安心していたところもある。
あれだけ眠たければ夢なんか見ないと思ったんだけど、甘かったな。
暗闇が晴れて、どこかの町並みがあらわれる。
いつも、ここからだ。
物語がはじまる。
可愛い、可愛い、可哀想な女の子のはなし。
小さなボロボロのアパートの一室に、そぐわない美しいひと。
しみひとつない白い肌に艶やかな黒髪を背中に流して。
大きく張り出したお腹を擦っている。
浮かべる表情は優しげだ。
記憶の中の、あのひと。
聞き伝えで勝手に想像し、作り上げた偶像。虚像。
パラリと本のページをめくるように、場面がかわる。
どこかのお寺だ。
集まる人間は泣いたり怒ったり。
皆、黒い服を着ている。
記憶の中のあのひとは黒い着物を着て、なにかを胸に抱いて墓の前に立っていた。
表情は、笑ってはいないが泣いてもいなかった。
なにかを決意した、色。
パラリとまた場面がかわる。
歩き始めたばかりの子供がいた。
カメラのシャッター音に驚いて目を丸くさせる。
しかしなにが楽しいのか、きゃっきゃとカメラへ笑ってみせた。
記憶の中のあのひとは、少し離れたところで幸せそうに笑っていた。
パラリとまた場面がかわる。
こんどはおしゃべりな女の子が出てきた。
大体、三つか四つかな。
周りにも、同い年くらいの子供がたくさんいる。
向けられるスポットライトが眩しくて、親を探して泣いたり喚いたりする中、その子だけは落ち着いていた。
大人が呼べば着いていき、合図されればお辞儀をした。
時間が経つにつれて、女の子以外の子供がいなくなった。
頭に小さなティアラと花束を渡されて、ようやくカメラの横に立つ美しいひとの元へ駆けていく。
記憶の中のあのひとは笑顔だった。
パラリとまた場面がかわる。
大人たちに囲まれて、女の子は分厚い紙をめくっていた。
まだ難しい漢字が読めないので、近くにいる手の空いてそうな人を片っ端からつかまえてひらがなを書いてもらっている。
そして何度も何度も読み上げて、カメラの前に立つ。
その場で一番偉い大人がいいと言うまで何度でも。
ようやく終われば、まわりの大人たちが良くできたねと女の子の頭を撫でた。
記憶の中のあのひとは。
どれだけ探しても見つからなかった。
パラリとまた場面がかわる。
土砂降りの雨の中、少し大きくなった子供が叫んでいる。
車の行き交う車道の真ん中に、女の子はいた。
カメラは回っていない。
声を上げて泣いているのに、雨で全部掻き消されてしまう。
その腕の中には黒く汚れたなにか。
すでに事切れている命を抱きしめて泣いていると、美しいひとがこちらに向かって走ってくる。
記憶の中のあのひとは。
女の子を―――わたしを叩いた。
『風邪をひいたらどうするの! あなたは役者なのよ! 撮影は待ってくれないの!』
べしゃりと、腕の中のものが地面に落ちた。
それと一緒に、大切なものも流れ落ちてしまった気がした。
パラリパラリと場面が移り変わっていく。
どこからだろう。
どこから変わってしまったのだろう。
あの美しかったひとは、いつからあんな風に。
醜悪な化け物になってしまったんだろう。
貧しくても、父親がいなくても。
いつだって笑顔を絶やさなかったあのひとは、仕事が増えていくごとに厳しい表情をわたしに向けるようになった。
話す頻度が少なくなっていくのに対して、あのひとの化粧が濃くなって。服や装飾品が派手になっていって。
日だまりの匂いが煙草の匂いに変わって。
おかずの量が、品数が増えていくのに。それはいつかの温かい出来立てのものではなく、冷たいものになっていて。
家は小さなアパートから、大きいマンションになったのに。いつからか、半日でさえ一緒にいることはなくなった。
『可愛い! さすが私の娘だわ!』
『みてみて、今度はこの役を貰ってきたの!』
『最年少ですって! 私も、天国のお父さんも鼻が高いわ!』
『そこ、アクセントが違うわね』
『あの子と遊ぶのはやめなさい』
『幼稚園? 行かなくてもいいでしょ、忙しいんだから』
『お母さん、今日も遅くなるから。ひとりでタクシー乗れるわよね?』
『わがまま言わないで。あなたは役者なのよ』
『可愛い、可愛い、私の娘』
私の娘が、私の人形と、聞こえるようになったのはいつからだったのか。