表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

リン

2、リン


 とあるオフィスビルの屋上。昼休みであるにもかかわらず、いるのは2人のOLだけ。

 緑化された屋上は風にも恵まれ、暑い夏でも日蔭ではとても涼しいのを他の社員たちはあまり知らない。

 芝生が張られた上に置かれた、ビクトリア朝の飾り彫りのされたベンチに座るのはリン。ただでさえ高めの身長をさらに高く感じさせるのは、背を伸ばしていることも、細い体の線も、小さな顔も、ベリーショートの真っ黒な髪も含めて全部だろう。手にした弁当箱は世のお父さん族が持っているような黒く大きい実用的なもの。

 芝生の上に新聞紙を引き向かい合わせに座るのは智奈。うって変わって小さなかわいらしい様子の彼女は色も量も薄めの髪をふわふわに編み込み量を多く見せようと苦心しているようだ。屋上に吹く強い風に髪が乱れるのが唯一の悩みのような顔をしている。

 リンのほうが年上だが同期で、お互い性格もあっさりしていて気があった。

 他の女性社員は、ひどく噂好きだったり、化粧ばかりしていたり、男性の話ばかりしていて、二人はあまり好きではなかった。

 だからこうして屋上まで足を延ばしているのだ。


「リン、今度このライブ行かない?」

 智奈は財布から取り出したチケットを2枚ヒラヒラさせる。

「時間も金もない」

 延べもなく断り、黙々と弁当を頬張るリン。


「そんな事言わずにさあ。一緒に行くはずだった子がダメになって、もうリンしかいないんだよ。チケット代はその子が出すっていうから、タダだよタダ!」

「バイトあるし」

「ライブ終わってから行けばいいじゃん。NEXTっていうバンド。いい感じのバラード流行ってるでしょ?保険のコマーシャルの」

「テレビ見ないから知らない。P!NKなら行くけど」

 リンがにやりと笑って言った。

「いいよ、って日本でやってないじゃん。しかも何年も前に一回しか来たことないし。じゃじゃ、来たら付き合うからさ、これだけ行こうよ。ワンドリンク付き、リンとお出掛けしてみたいしさ。お願い!」

 リンを拝みくりくりと大きな目を上目づかいにして見る智奈。


「ああ、もう……じゃ、貸しね」

 押しに弱いリンのことを智奈はよく心得ていた。

「やったあ、はじめてだね、2人で出かけるの」

 リンは無関心そうで、意外に姉御肌なのだ。

 嬉しそうに弁当箱を開く智奈にたいして、リンは弁当を食べ終えると、たいして嬉しくもなさそうに、

「智奈、起こしてね」

と、ベンチに横になった。

「うん、お休み」

 と言う智奈は満足げに箸をすすめていた。



 仕事終わり、リンは濃紺のタイトスカートにベストの制服を着替えないまま、薄いコートを羽織り急いでオフィスビルを後にした。

 黒いピンヒールでコートの裾をひるがえし、さっそうと歩くその姿は人目を引くが、ごく短い黒髪をワックスでなでつけ、隈のようなきついアイメイクを施し、細く伏せられた目、くいしばるように引き締められたその口が、近づき難い雰囲気を醸し出している。

 リズムを取るがごとく歩調は一定で、数分も行かないうちに繁華街の一際大きなビルに吸い込まれた。


 ビルの地階にある古いバー、『バーロウ』。

 そこには銀髪のよく似合う痩せぎすなバーテンダーが、40年余りそうしてきたように、カウンターの中にいた。店はすでにオープンしているが、早い時間のせいかまだ客の姿はない。

 店は天井がやや低く、穴蔵のようである。磨き上げられた切りっぱなしの黒檀のカウンター。長い年月でまろやかになった天板は顔を写さんばかりである。カウンターの奥は鏡張りで、圧迫感がないように配慮されており、その前にある棚には、様々なグラスが並べられている。下段は酒や香料が所狭しとおかれているが雑然とした感じはなく、そこにはなんらかのルールが存在しているようだ。

 極力照明を落とした中に、スポットライトが絶妙に配置され、広い空間のようでいて、決してプライベートを邪魔しない。

 カウンターとボックス席合わせても15席しかない、主に常連が通う店である。


「お早うございます、梶さん」

 黒く短いタイトスカートに白い簡素なブラウスに着替え、黒い前掛けのヒモを結びながら、裏口に通じたスタッフルームからリンが出てきた。

「やあ、リン。早かったね」

 フロアーには、オレンジの香りがしていた。

「いい香り」

「リン、今日アサちゃんのところいくだろ?その時持ってって」

「いつもすいません」

「なに、これくらいしかできないからね」

「母も大好きなんです。最近めっきり食欲が落ちて……でも梶さんのオレンジジュースだけはおいしいって言ってます」

「嬉しいね」

 作りたてのオレンジジュースを注いだ魔法瓶のふたをキュッと締めるとリンに手渡した。リンがスタッフルームに魔法瓶を置いて戻ると梶が言った。


「さっき湊さんから連絡があったよ」

「お一人ですか?」

 梶が頷くとリンは「予約」と手書きで書かれた札をカウンターの端に置いた。

 その時、ドアに付けられたベルがチンとなって今日一番の客が入ってきた。


「いらっしゃいませ」


 梶とリンが声をそろえる。バーロウの長い夜が始まった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ