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「はふぅ…」
ぎっちりと詰まった6時間の授業が終わり、のろのろとカバンに教科書を詰め込んでため息をついた。
開放感でいっぱいになるこの時間、私はどことなく憂鬱な気持ちになる。
お嬢様学校のくせにハードすぎる授業のせいだ。絶対。
もしくは、あまりにも大量の宿題が課せられたせい…。
今日から期末テスト1週間前に入るので、私も更紗も部活や委員会の予定がない。
テスト勉強をしなきゃいけないから宿題の数は少ないけど、提出期限が迫っているレポートやら
テスト勉強やら、やることはたんまりある。
飛びぬけて勉強ができるわけではないので、何かと苦労が多いのだ。
といいつつも、家にさくさく帰れることはとってもうれしかったりする。
テストは煩わしいけど、早く家に帰ると巧くんも今日からテスト前なので長く一緒にいられるのだ。
中学生になってから、夜に遊びに行っても巧くんは部屋に入れてくれなくなった。
いつまでもリビングでぐだぐだしゃべってるのも申し訳なくて、高校に入学する頃にはおしゃべりはお風呂に入る前までって暗黙の了解が出来上がっていた。
巧くんも部活に入ってるし、少しでも長く一緒にいられる時間が取れるようにがんばらなければ、10分もゆっくり話ができなくなるのだ。
そういう意味では、テストはかなりおいしいと思う。
…なんて考えるといつもの疲労感は一瞬で吹き飛び、うきうきと心が躍る。
私は、う~んと両手を挙げて伸びをした。
「風花、帰りましょ?」
振り返れば、見慣れたブルーグレイの瞳が私を見つめていた。
巧くんと同じ色の瞳に、ちょっとだけどきりとする。
私の小さな動揺を見透かしたようにくすりと笑った更紗は、サラサラの長い黒髪をかき上げた。
”きれい…”
その大人っぽい仕草は、何度見ても見惚れてしまう。
ついついほぉ~…とため息をついてしまう。
「…なに?」
「ん?更紗、ホント、きれいだなぁ~って思って」
「…風花、あのねぇ…」
「どうやったらそんな風に大人っぽくなれるんだろ?
私なんて誕生日が来れば年齢が増えていくのに、まるで顔が時の流れに逆行してる
みたいなんだもん。
高校生になってもまだ小学生と間違われたりでさっ…嫌になっちゃう」
ぷっと膨れ顔で更紗を見上げた。
彼女の身長は165センチ。そして私は148センチ。
17センチの差は、意外に首が疲れる。
更紗の華奢な手がぽんぽんと頭を叩いた。
幼い頃からこの双子の兄妹は、いつも私を宥めるように優しく頭を叩くのだ。
自分の幼い行動に気付いて、顔が赤らんだ。
「小さいのも風花の魅力だって、いつも言ってるでしょ?
それに、いいんじゃないの?
幼い顔と身長のせいで小学生に見えるけど、そのボディラインは完全に大人の
女性そのものなんだし?」
「またっ!そんな事言う!!」
スレンダーな更紗と違って、私は身長の割には胸回りの肉付きがよかったりする。
…太ってるってわけじゃ、ないと思うんだけど…
以前3人で家電店の密集した街に行き迷子になった時、いかにもオタクっぽい男の人たちに囲まれてゲームに出てくる何とかってキャラみたいだと低い歓声が起こった時は本当に怖かった。
興奮したでっかい男の人が飛び掛ってくる寸前に、巧くんに助けられたんだけど……
生きた萌えキャラって言われても…全然うれしくない。
以来、好奇の目に晒されるのが嫌で、だぼっとした服を着るようになって、それと同時に小学生に間違われる確立が9割台に跳ね上がった。
アンバランスって、ほんとにどうしようもなくて困る。
「風花。用事がないんだったら早く帰りましょ?綾乃さんの新作ケーキがあるんでしょ?」
「うん!」
綾乃さんっていうのは、私のお母さん。
お菓子作りが趣味で、更紗も帰宅が早い日は必ずお母さんの作ったおやつを食べている。
もちろん巧くんも帰宅したらうちに寄るのが習慣になっていて、時々私達よりも早く帰って来てはお母さんと二人でのんびりお茶を飲んでいたりするのだ。
由梨絵さんは自分で染めた糸を使って織物を織り、いろいろな小物や着物を作るのが仕事だったりする。
由梨絵さんが作るものは昔から評判がよくて、日々忙しい由梨絵さんに代わり、お母さんが一手に子供達の面倒をみてきた。
だから「風花の家が第二の我が家で、綾乃さんが第二の母」だって、2人はよく言っている。
慌ててカバンを持って、手を振るクラスの友達に挨拶をしてから更紗と二人で教室を出た。
校門を出てた途端、私はきょろきょろと周囲に目を配った。
「…今日は誰もいないわよ?」
そっけなく言い放った更紗は、さっさと自宅目指して歩き出していた。
ほぼ毎日、更紗目当ての男の子たちが校門の前に数人たむろしていたりする。
声かけられる前にさっさと通り抜けたり、話しかけようとしたと単に更紗が睨みつけるから実害はないけど…たまに以前私を取り囲んだ男の子達と似たような空気を纏った男の子もいたりして、ちょっぴり怖い時もある。
「あっ!待ってっ!!」
「気配がないうちに帰らなきゃ…また変なのに捕まったら、巧が煩いんだもの」
「ふふっ!人気者の妹を持つと、兄の苦労は耐えないんだねぇ~」
「……」
巧くんはもてる妹が心配らしく、しょっ中「下校中は気をつけろよ?」と更紗に注意していた。
巧くんの忠告をいつもうんざりした顔で聞いているけど、やっぱり兄の言葉は気になるみたい。
「ほんと、更紗と巧くんって仲いいよね~」なんて言って突然黙ってしまった更紗を見ると、呆れたように目を細めて私を見ていた。
「え?何?私、変なこと言った?」
「…なんか、最近巧が可哀想に思えてきたんだけど?」
「なんでなんで?」
「…あ~……ま、いいわ。気にしないで」
「なになにぃ~?}
「……風花、鈍すぎるんだもの…」
「そんなことないもんっ!人をお子ちゃまみたいに言わないでっ!」
「そういうところ、十分に”お子ちゃま”よ?」
人差し指を口元に当てて、わざとらしく首を傾ける更紗。
さらりと肩から流れる真っ黒なストレートヘアがきれいで、とっても魅力的だけど…くっ…くやしいっ!!
頬を膨らませて視線をそらし怒っている事を主張してると、更紗がぽんぽんと頭を撫でてくれた。
そっと伺うと、ブルーグレイの瞳を優しげに細めていた。
「…やっぱりお子ちゃま扱いじゃない…」
…なんて言ったけど、更紗の手はとても温かくて…結局小さな反抗心なんてあっという間に消し飛んでしまう。
二人でおしゃべりしながら歩いていると、いつの間にか家の近所にある公園の前まで来ていた。
二人で帰るとあっという間にたどり着くなぁ~とぼんやり考えていると、電柱にもたれて立っている男の子が目に飛び込んできた。
住宅街でたいしたお店もない辺鄙な公園で、ぼんやりと空を見上げて突っ立ってること自体が怪しげだ。
あんまり関わりたくないな…素直にそう思った。
まるで何事もないように装いつつ足を速めたところを見ると、更紗も同じように感じているようだ。
私も俯いて更紗の後に続いた。
男の子の前を通り過ぎようとしたその時、突然「よぉ!」と手を上げた。
びっくりして顔を上げたら、ぱっちりと目が合ってしまった。
周辺を見回しても私たち以外には誰一人いない。
どうやら私たちに声をかけてきたみたい…どうしよう?
見たことない高校の制服を着ている。
茶髪で背が高く、精悍な顔立ちをした男の子だ。
体ががっちりしているところをみると、何かスポーツをしているのかもしれない。
顔には…見覚えがない…多分。
更紗が私の前にすっと立った。
男の子はニヤニヤ笑いながら、私達の前に立った。
男の子と話をするのが苦手な私は怖くなって、ぎゅっと更紗の制服の裾を握った。
「突然呼び止めて、ごめん。橘さん、君に話しがあるんだ」
「ほえ?」
わっ、私ですかっ!?
自分の頬がありえないほど引きつったのがわかった。
私の気配を察知した更紗は背中に私を庇いつつ、凛とした通る声で言った。
「この子は男性と話をするのが苦手なの。用件なら、私が聞くけど?」
「…マネージャー付きなんだ?でも俺、ちゃんと彼女と向かい合って話がしたいんだよね~」
彼の強気なもの言いに完全にびびってしまった私。
更紗は無表情で冷たい視線を男に向けたまま言った。
「…さっさと散って頂戴」
大概の人間があっという間に逃げていく、絶対零度の更紗の声が低く響いた。
けれど彼はそんなことには全く頓着する様子もなく、ずいぶん機嫌がよさそうに続けた。
「橘さんとお近づきになりたくて、わざわざこんなとこまで来てるんだぜ?
話もせずに帰るなんて、できるわけねーじゃん」
「風花の気持ちは無視ってわけ?」
「お互いに分かり合えば、彼女が俺に惚れる可能性だってあるわけだぜ?
まずはお友達から、ってやつ?」
「…可能性は限りなくゼロね…行きましょ、風花」
「…う、うんっ」
更紗の制服を握ったまま、慌てて彼女の後を歩いていった。
「待った!」
驚く間もなく、突然カバンを持っている手を捕まれ、もの凄い力でぐいと後ろに引かれた。
「きゃっ!!」と小さな悲鳴を上げた時には、私は見知らぬ彼に抱きしめられていた。
「うわ~…ホント、ちいせぇ…かわい~」
ぐりぐりと無遠慮に頭を撫で回されたかと思うと、ぎゅうぎゅうと体を抱きしめられた。
ぴきんと体が硬くなり、足はがくがくと震えだす。
”やだっ!怖いっ!!”
早く逃げ出したいのに、恐怖で声が出ないし、思うように抵抗できない。
ぶわっと両目に涙が溢れ出す。
絶体絶命。
…どうしようっ!?