鷹の羽音が聞こえるか
居間でテレビなど見ていると、ふと、家が揺れだすことがある。
地震ではない。裏手のT字路を曲がる大型車である。その途方もない重量が、なんでか土を伝わって、この家の基礎にまで響くのだ。揺れは床の軋みから始まり、窓枠とガラスとを不斉一に躍らせると、沸き立つように屋根に向かって上昇してゆき、消えてしまう。
そして、たまに――、月に一遍くらいだろうか、たまに、振動に続いて、どさりという重い音が、私の頭上に響くことがあるのだ。
書棚の本が、床に落ちる音である。
書斎は二階にあった。あるじは私ではない。むかし同居していた父の、もと、岩戸だ。
正味六畳の縦長の部屋で、片側の壁に面してマホガニーの机を設え、逆側の壁は、天井まで一面の書棚になっていた。
並んでいるのは、主に法律関係、行政関係、そして土木関係の専門書だった。あとは百科事典や辞書ばかりで、華を添えるといえばわずかに趣味の旅行記程度、これとても、地誌に絡んだ父の職業的興味であったかもしれない。
父が他界して十年になる。それまでの三十年間、父は、県の土木事務所に職を奉じていた。
私はその音を聞くと、テレビを消して二階へと上がる。そして書斎のドアを開け、中の様子を確認するのだ。物の配置は生前父が動かしたままで、この十年、ほとんど手をつけていない。ただひとつの例外――床に落ちた一冊の本を除いて。それはいつものことだった。
落ちる本は決まっていた。『県河川事業史 1970年~1979年』というハードカバーだ。
父がこの本を手に入れた経緯はわからない。ある時期職員に配りでもしたのか、あるいは何かのときに事務所から持ち帰って、そのまま返さずにに死蔵してしまったのか、そんなところだろう。ともかくも、落ちる本はその一冊と決まっていたのである。
私はいつも、それを床から拾い上げ、ぽっかりあいた書棚の隙間に戻し入れる。
それだけだった。
ある秋の雨上がりに、振動がまたやってきた。
ばさりという音に立ち上がり、書斎の様子を見に行くと、やはりあの本が落ちていた。
私はいつものように、それを拾って書棚に戻すつもりだった。だが、部屋を一瞥していつもとの違いに気がついた。
本が開いていたのだ。それはベージュの背表紙を上にして、眠る女のようにうつ伏していた。
今までにないことだった。
私はそっと本を拾い上げると、ひっくり返し、ページが折れていないか確認しようとした。そして、そこに小さな紙片があるのに気がついた。
それは掛け紙だった。本文に注釈を入れるために、小さな紙をページの上に貼り付けてあるのだ。
紙片にはこうあった。
「いまだ泥下に幾人おるや知れず しかし堤防は作らねばならぬ 痛恨」
ごつごつした字は、覚えのある父のものだ。
それは、かつてこの町を襲った、水害の記事の上に貼られていた。
当時私はまだ学校に上がる前で、母と、まだ生きていた祖母と、三人で近くの公民館に避難した。大雨の続いた何日目かで、夜中、避難を告げるサイレンが鳴ったのだった。そばに父はいなかった。今思えば、職場を離れられなかったのだろう。
祖母に抱かれて公民館の二階から眺めた町並みを覚えている。終わりのない雨の中、町はまばらな家の明かりに瞬いていた。逃げない家があったのだ。まだ大家族の多かった時代、判断は今よりも様々だっただろう。祖母が私になにか言っていたが、当時はまだ理解できなかった。
と、光が消えた。いっせいに消えたのである。あとはまったく闇だけの世界だ。一瞬、外を見ていた人たちに緊張が走った。だが、あとは祖母も母も周りの大人たちも、記憶違いでなければ、みな黙りこくっていた。古い人たちには、何かの予感があったのかもしれない。
だが、雨滴の砕ける凄まじい音が、そのとき感じたかもしれないあらゆる気配を、声を、家々の軋みを、覆い隠して、夜明けまで私たちの耳から遠ざけてしまった。
このとき、当時幅の狭かった目抜きの川が氾濫して、自身が作った自然堤防より内側を洗い、新田と農家を押し流して、文字通り彼岸へと連れ去ってしまったのである。
その後町は河原を広げ、同じ災厄が二度と起こらぬよう、被害地の両端に土手を築いた。これの指揮を執ったのが父らしい。土手の上には道路が作られ、新しい橋が架けられて、災害の後、町を通る車の流れが変わったという。今の家の裏手にあるT字路も、そんな土手道へとあがる分岐点のひとつなのだ。
古い活字を眺めていて、そんなことを思い出した。だが、年をとれば、回想など毎日のことだ。私は少しだけ物思いに耽ったあと、本を棚に戻し、書斎を出ようとした。すると――。
背後で、ばさりという大きな音がしたのだ。
私はぎくりとした。そして振り返った。果たせるかな、落ちていたのはまた同じハードカバーだった。先程と寸分たがわず背を上に向けて、平たく床に伏していた。何か不気味なものを感じた。そしてふたたび本を手に取り、躊躇いがちにひっくり返してみると、開いていたのは、やはりあの水害のページだった。
掛け紙を挟んだことで、このページだけ開きやすくなっているのかもしれない。本棚の構造上、この本だけ抜け落ちやすいのかもしれない。半ば無意識に、私は自分を納得させた。それ以外に、この現象を説明できそうな理由を思い当たらなかったからだ。ただ一点、私は失念していた。
今思えば、そのとき、家は揺れていなかったのである。
私は本を閉じて書棚を見上げ、ほんの1分前にしたように、その隙間に本を戻そうとした。
と、いつもと手応えが違った。何かに引っかかって、奥まで入らないのだ。隣の本と干渉しているのではない。隙間の向こうに突っかい棒のようなものがあって、それが、本を押し戻してくるのだ。
私は数秒間、本を介して、不明な手応えと押し合っていた。最初は押し込めそうだったが、次第に向こうの力が強くなり、やがて、完全に押し返されてしまった。
本は私の手を滑って、みたび、床に落ちた。
そして、次の瞬間、私の全身が凍りついた。
書棚の隙間から、一瞬だけ、押し返す力の正体が――二本揃った白い指が、見えたのである。指は、本を押した余勢で空中をひと掻きすると、またもとの隙間に戻っていった。
私は後ずさりすると、落ちた本はそのままに、逃げるように書斎を出た。
あとで聞いたところによると、その日は雨こそ収まっていたものの、増水によって目抜き川の河道が溢れ、新しい土手の脚まで削る勢いだったのだという。
あの指は危険の知らせだったのだろうか。あるいは、川底にねむる誰かの、声なき悲鳴だったのだろうか。わからない。
なぜ父の書斎の、あの本だったのか。あの指と父に何か関係があったのだろうか。私にはわからない。
後日、知り合いの神官に事情を話し、御祓いを頼んだ。本は神社で焼いてもらうことになった。
それ以後、家が揺れることはあっても、書斎であの音がすることはなくなった。御祓いが功を奏したのか、単にあの本がなくなったせいなのか、そのあたりの事情はよくわからなかった。謎はあくまで謎のままに、いつのまにか決着したのだ。
だが、あとになって、あの本のあのページを、もう一度読みたくなってきたのだ。そこに以前の私では気づかなかった、何かが書かれていたのかもしれない。たとえば、掛け紙に裏があった可能性だってある。私の心残りは、私があの指の主の事情を、なんら解決しなかったことだ。しかしそう思いながらも、私はずっと動かなかった。本文を確認するだけなら、同本を探すこともできたかもしれない。だがそれもしなかった。勇気がなかったのだ。矛盾しているようだが、私はやはり、知らぬこと、関わらぬことを望んでいたのだ。
そんな私に、ある友人が言った。
「知らなくていいんじゃないか。それは君でなく、少なくとも君の父上の問題だろう。その父上だって、仮に存命でも、心当たりがあったとは限らないじゃないか」
友人のこの意見は、私には新鮮だった。私はこれを聞き、許しを受けたような気分になった。肩の重荷が降りたように思えた。そしてその晩、いつになくリラックスした気分で床に入った私は……、夢を、見たらしい。
翌朝、私は汗だくで目を覚ました。夢の内容は覚えていなかった。覚えてはいなかったが、体感で、おおよそのことが私にはわかった。
私は、私自身の因果が、いつか私を絡めとるのを見たのだ。その正体はわからない。だが、少なくともその晩、私に触れた幾本もの鉤爪があった。その絶望的な恐怖だけが、起きぬけの体に強く残っていたのである。
今では私は、父を羨ましく思うようになった。なぜなら、父はきっと逃げおおせたのだから。
そして私は、日々盲目の兎のように怯えているのだ。