ウルタールに潜む影
『新世62年11月 夜 ウルタールにて』
荒廃した世界の中には中世の頃と同じような村々が点在していた。そんな村の一つで、シャーウッドの森の一角にある小さな集落、それが"ウルタール"である。
道中は運良く夜真人に襲われることもなく、二人は無事、ウルタールに到着した。
その村には防壁や柵などがなく、夜真人からどうやって身を守っているのかノアは少し違和感を感じていた。
──この村すごく平和そうだ。この辺りにはあまり夜真人がいないのかな? いやっ、でもさっき襲われたしな……
疑問を抱きながらもノアは村に入る。男の子に連れられて村の真ん中の道を進むと、つき当たりに他よりも立派な建物が見えた。
その建物の扉を男の子がトントンと叩くと、中からは一人の女性が出てきた。
「遅いじゃない! 心配したんですよジョン!」
余程心配していたのか、女性は取り乱しながらも男の子をギュッと抱き締めた。
「ごめん、かーちゃん。もりで木の実をさがしてたら、夜真人におそわれたんだ……」
「なんですって!?」
男の子の母親はひどく驚いた様子で我が子の体を確認している。そんな様子をノアは不思議そうに見ていた。
──何もそんなに驚くことはないのに……やっぱり、この辺りにはあまり夜真人がいないのか?
「怪我はない? 本当に大丈夫なの!?」
「だいじょうぶだよー」
──これが親心ってものなのか……? 俺にもきっと親がいたんだろうな。
「それでな! 兄ちゃんがたすけてくれたんだ!」
「あなたがジョンを。本当にありがとうございます!」
「兄ちゃんほんとにすごいんだよ! だってさ夜真人をたおしたんだよ!」
「ほんとうにっ……!? とっとにかく上がってください。主人も歓迎してくれると思います」
母親は目を丸くしながらも、彼らをリビングに案内した。暖色の温かい明かりが室内を照らしていた。部屋には食器棚や本棚などがいくつか置かれており、ノアが住んでいた家よりも裕福な暮らしぶりがうかがえた。
真ん中にある白いテーブルに向かって一人の男が座っている。男は髭を撫でながら立ち上がるとノアたちの方を見た。
「おぉジョン! 無事で良かった! んっ? そいつは誰だ?」
「父さん! きいてきいて!」
かくかくしかじか。ここまでの出来事をジョンは楽しそうに父親である髭男に語った。
話しが終わると男は丁寧に頭を下げ、ノアに握手を求めてきた。
「貴方は恩人だ。何もない村ですが、好きなだけゆっくりしていってください」
「本当ですか。助かります」
ノアにとってそれはとてもありがたい話しだった。ひとまずこの村で体勢を立て直し、次の目的地に向かうことができる。
しばらく家族と談笑した後、彼は用意された部屋で寝ることにした。思えば長い1日であった。疲れからか、その日はすぐ眠りに落ちた。
深夜、彼は首が痛くて目が覚めた。
「枕がでかすぎる……」
喉も乾いていたので水を飲もうと、さっき食事をしたリビングに向かう。するとリビングから話し声が聞こえてきた。
──こんな時間に何を話してるんだろ?
気になったノアは扉の前に立つと盗み聞きすることにした。ジョンの両親がなにやら話しているのが聞き取れる。
「まさかうちの子が襲われるなんて……」
「本当に生きて帰ってきてくれてよかった」
「思えば前回の儀式からだいぶ経っているわね」
「そうだな。そろそろ"アマビエ様"もお怒りかもしれない。あの方の加護がなければ、あいつら何をしてくるか分からないぞ」
「私、とても不安です。もしも夜真人が攻めてきたら、どうしましょう……」
「俺も不安だよ。ふぅ……村のためにも儀式を急がねば」
──なんの話だろう? アマビエって名前はどこかで聞いたことがあるような気がするけど……
しばらく考えてみたが、結局なんの会話かよく分からなかったので、彼は再び眠ってしまった。
翌朝、ノアは起きると村を散策してみることにした。ウルタールは小さくて素朴な村であった。
20世帯程が軒を連ねるメインストリートと最奥の大きい家。ノアが昨晩泊まったのはその大きい家で、どうやらジョンの両親はこの村の長のようだ。
家々の周辺には小さな畑があり、羊や馬などの家畜も散見された。そして村にある林の奥地には大きな湖があるのだが、どういうわけか嫌な臭いが充満していた。魚の腐敗臭がノアの鼻を刺す。
──この湖濁ってる。ひどい臭いだし、離れよう……
湖から戻って林の中を見て回ると、今度は明らかに異質な建物があるのをノアは発見した。林の端の方にポツンと建つ汚い小屋に彼は近づいていく。
──なんだろうあれ? 物置かな?
何気ない興味を抱きながら、彼は建物を一周してみた。その小屋にはなぜか扉がなく、その代わりに鉄格子のついた小窓が一つあるばかりである。
──扉がないな。人が住んでる訳じゃなさそうだ。中には何があるんだろ?
好奇心から彼は鉄格子を覗く。しかし室内に明かりはなく、まだ朝なのにうっすら黒い影が見える程度であった。
──なにかな? 動物か? 尻尾が見えるような?
目を凝らして見ると一人の少女がぐったりと藁の上に寝そべっているのが分かった。
──人だ! なんでこんなところに!?
「ノアさん何をしているんですか?」
あれこれ考えていた時、険しい声が背後から彼の名を呼ぶ。驚いて振り返るとそこには村長がいた。
目の前の謎を解き明かそうと、彼は村長に聞いた。
「村長、これはなんだ?」
「まったく恥ずかしいものを見せてしまいましたね」
「?」
村長の顔は昨日の晩とは変わって、非常に神妙なものだ。
「彼女は猫の神に呪われた忌み子なんですよ。不幸を振り撒く邪悪な存在だ。あなたも近づかない方がいい」
「忌み子? やっぱり人間なんだな」
「いいから、もう戻りなさい」
村長はノアの詮索を突っぱねるが、それでも彼は食い下がった。
「こんな汚い所に閉じ込めるなんて……どんな理由があるんだよ!」
そう言ってノアが部屋の中をもう一度覗こうとした瞬間、村長は語気を強めて彼を睨み付けた。
「いくら恩人といえど、村のことには口出ししないでいただきたい!」
「そんなっ……」
ここまで強く言われると思っていなかったノアは、情けなくたじろぎ、言い返せなかった。結局彼はそのまま村長の家に戻った。
不審感を抱きながら、彼は夜まで悶々としていた。
──いったい何がいたんだろう? 昨晩聞いた話とも関係がありそうだ。皆が寝たらもう一度、あの小屋を見に行った真実を確かめよう。