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シャンタクvs雪女

「ひどい有り様ですね」


凛とした声が老人の鼓膜に不気味に響く。


──違和感しかねぇ。なんだあの夜真人は……?


見慣れない服装ではあったが、女の容姿はまったく人間と同じであった。


一人の華奢な女など異形の怪物と対峙してきたセルシオにとっては恐るるに足りない存在のはず。


それにも関わらず老人は心の底から怯えていた。女の黒目の奥底には誤魔化しきれない深淵の狂気が渦を巻き、セルシオを睨み付けて離さない。


白銀の女に老人はどうしようもない嫌悪感と恐怖を抱きつつも、言葉を投げた。


「"夜真人"が人語を解するのか?」


「平和的交渉のためにお前たちの言葉を学んだ。私は戦いたい訳じゃない」


「これだけの兵を寄越して平和的交渉だぁ?」


余裕のある口調とは裏腹にセルシオの脳裏では不吉な考えが巡っていた。


──姿形はほとんど人だな。人語を話す夜真人は滅多にいねぇし危険なことは知ってる。おそらくその『階位』は"伍"以上、現役の頃も単騎では戦ったことない強敵じゃ……


セルシオの額に汗が滴る。先程まで相手にしていた雑兵とはまるで違う難敵を前に彼は死を覚悟していた。

 

「それほど身構えるな人間。私の望みは一つだけだ。保護している少年を引き渡せ。そうすればお前の命は見逃してやる」


死の緊張の中で活路が提示される。普通の人間なら一目散に活路へ走る。しかしこの老人は違った。


死を前にしても状況打破の一点に集中する。セルシオの思考は狂戦士のそれであった。


──さぁてどうする? ワシの残るSAN値は100あるかないか。倒せるか分からん以上、まずは様子見か。まずは奴の能力の特定が最優先じゃな。


「交渉が下手くそじゃな女。人間この歳にもなると命なんぞ惜しくねぇもんだぞ」


「分からない。お前はなぜ命を懸けてあの少年を守ろうとする?」


「ノアは託された希望だ。老いたワシにできる最後の足掻きは未来に希望を継承することじゃよ」


「自らが死んだ後の世界にお前は何を望むのだ?」


「お前ら夜真人のいねぇ平和な世界をワシは望む。だからっ! お前にノアは渡せねぇんだ!」


「もういい。せっかく言葉を学んできたが、無意味だったな」


女の表情は変わらず無機質で動きがないが、漏れだす殺意から臨戦態勢に入ったことは容易に察することができた。


──強烈な冷気!? 不味いッ!


避ける暇などなかった。老人が気が付いた時、彼の左足は既に凍っていた。


──奴の足元から冷気が蔓延しとる。このままじゃ動けんぞ……


老兵は焦るでもなく、冷静に相手の能力を分析していく。


──奴の能力は温度を下げるものか。おそらく射程は2m以上ある。相性は最悪じゃな。短期決戦で一気にケリをつけるしか勝ち筋はねぇな。


セルシオの裁器はあくまで半径2m以内の攻撃や外敵に対して発動するもの。温度変化による凍結には

対応することはできないし、その射程の差を埋め合わせることも困難であった。


「少し冷静になりましたか?」


その場で動けなくなっている男に対し、女は再び殺意を消して語りかけた。


女はどうやら本気で老人を殺す気はなかったようだ。圧倒的な力の差を見せつけ、老人の心を折ろうという魂胆であった。


しかしこの女、一つ重大な勘違いをしていた。目の前の老人の思考回路は常人とは解離していることを考えていなかった。


こんな状況でもセルシオは勝利を模索することに夢中であった。男の怒号が静かな森に響く。


「この程度ォッ!!」


老人は自らの刀で左足を切断した。


──時間稼ぎが無理ならば、意表を突いて仕留めるまで!


まさに肉を切らせて骨を断つ。左足を落とした瞬間に残った右足で地面を蹴りこみ、老人は女に急接近する。


2m以内に近づければ、四ヶ所同時の斬撃で女を倒せる可能性がセルシオにはあった。しかし自身より広い範囲に干渉できる能力を持つ女には近づくことが困難で、勝ちの目は非常に薄いものであった。


そんな中で女が見せた慈悲と油断を熟練の老兵が逃すことは決してなかった。


首に二ヶ所、心臓と足にそれぞれ一ヶ所。老人の剣が女を襲う。剣撃の命中と共にセルシオは勝利を確信する。


──凍結能力は強くともこの女の肉体は人間と変わらぬ。簡単な話っ! 切ってしまえば死ぬッ! 


セルシオのゼロ距離斬撃を食らって生き残った夜真人は今まで一匹としていなかった。彼の裁器は70年もの間欠けたことがなく、その切れ味は無類のものである。


そんな無敗の刃が女の命を断とうとした瞬間、最悪の結果が老人に降り注ぐ。


刃が女の皮膚に触れたその瞬間、全ては崩れ去った。刀身をは折れ、粉雪のように散々に消えてしまった。女の体には傷一つなく、セルシオの攻撃はまったくの無意味に終わってしまった。


「なんだと……!?」


数秒後には宙に生成された無数の氷柱がセルシオの全身をくまなく抉る。老人は全身から出血し、すぐに意識も朦朧とし始める。


──まさかワシの剣が折れるなんぞ……この夜真人、何をしおった……?


確かに老人の持つ裁器の強度は高く、本来ならば女の骨まで切断しているはずであった。


しかし女は刃が迫る中で、刀身を冷却することに全神経を集中させた。刀剣に含まれる金属が急激に低温となることで、その強度は瞬間的に失われる。低温脆性という金属の性質を女は利用したのだ。


まったくの予想外、突然の敗北。その結果は人間と夜真人の力の差を如実に示していた。


「悲しいですね。幾ら技を磨こうと、幾ら強い裁器を作ろと、人間の力なんて所詮はこの程度。私たちにはどうしたって勝てない」


「くっ……」


悔しげな表情から一変して、老人の顔が不気味な笑顔に満ち溢れる。


「クックックックックックッ」


「SAN値を使いすぎましたか。死に際に狂ってしまうなんて情けない」


「いやぁ正気じゃよ淑女。ソナタの勝ち誇ったマヌケ面が……あまりに可笑しくてね」


「低俗な挑発ですね。やはり人間は惨めです」


「女、あまり人間を嘗めんほうがええぞ」


どれだけ憔悴しようとも、その目から光が消えることはなかった。その目は光輝く晴れやかな"未来"だけを見据えていた。


「"遺志"が必ずおまえらを殺す」


あまりにも支離滅裂で狂気的な言動を前に、女は僅かながらも恐れを感じ始めていた。


「くっ……くだらない。もう死んでください!」


白い手から生成された巨大な氷塊が老人の腹を抉る。生々しい音と共に赤黒い内臓が露出する。もうセルシオが助かる道はなかった。


白く降り積もった雪が赤色に染まる。そうして長い夜は明けるのであった。



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