キヌタの筑前煮
『新世62年 11月 昼ご飯 ゲル=ホーの街 キヌタの家にて』
ふたりの世話がかりにはオトゥームの使用人の一人であるキヌタという男が選ばれた。二人は滞在する二週間の間、彼の家に宿泊するこになった。
キヌタももちろん盲目であったが、料理を作ったり、洗濯をしたりと日常生活は手慣れていた。
どうにもこの街に住む2~300人全員が同じように、盲目の中で暮らしているらしい。
そんな事実に二人は最初驚いていたが、今となってはそれ程驚くことでもないと思い始めていた。二人は盲目の世界に慣れ始めてきて、簡単な作業やちょっとした散歩ぐらいならできるようになっていた。それもたったの数時間で。
この日、キヌタに頼まれて、二人は昼食の準備を
手伝っていた。メネスはにんじんの皮を切り取るのに挑戦したが、おもいっきり指を切った。
一方ノアは鶏を捕まえるのに苦戦しており、もう三時間は鶏小屋から帰ってきていない。
二人がその仕事を頼まれたのは9時くらいだったが、結局終わったのは昼の12時頃だった。
ともあれ、なんとかメネスは野菜の下処理を終わらせ、ノアは一匹の鶏を捕まえて帰ってきた。
「二人ともありがとうございやす! 後はあっしが仕上げるんで、しばらく休んでくだせぇ」
小太りだが清潔感のある中年男、名前はキヌタと言う。オトゥームにかなり信頼されている飯使いのようで、昨日からノアとメネスの世話を熱心にしてくれている。
彼は何人もいるメイドの中でも特に動きが素早く、仕事の質も洗練されていた。炊事など手慣れたもので、あっという間に料理を仕上げていく。
すぐに嗅いだことのない美味しそうな匂いが、食卓に座る二人のところまでやってくる。
「いい匂いにゃ!」
メネスは尻尾を振りながら、キヌタが作る料理を待ちわびていた。
最後の味見をし終えたキヌタは、完成した料理を木のお盆にのせて、二人のもとに運んでくる。
「熱いんでお気をつけて」
独特ながらも魅力的な匂いを放つ謎の料理が遂に振る舞われる。湯気の熱気を感じながら、何も見えない状態で二人は始めての食事をとる。
「いただきます」
食事を前にしたノアは手を合わせてからそう言った。そんな彼の言葉と手を合わせた時の小さな音をメネスは疑問に感じた。
「ノア、なんにゃそれ?」
「食べる前に言わない? 手を合わせてから言うんだけど、メネスは知らない? キヌタさんは知ってるよね?」
「いやっ……! あっしもそれは初めて知りました」
ビクッ!と体を震わせながらキヌタはそう答えた。その口調にどこか違和感があったが、ノアはそれについて言及はしなかった。
──なんでそんな驚くんだろ……? にしても「いただきます」ってみんな言わないんだな。
「いいにゃそれ! 私もやる! キヌタもやるにゃ!」
「えっ……えぇ! そうですね。そのいただきますというやつ、なかなか面白いでさぁ」
二人はノアの真似をして、手を合わせながら言う。
『いただきます!』
視覚はないが、嗅覚と味覚が研ぎ澄まされており、食べ物を口に入れる前から既に旨味が広がっていた。そんななか、少女の悲鳴が食卓に響く。
「あっつ!」
メネスは飛び付くようにゴロッとした鶏肉を口に入れたが、想像以上に熱かったようで、舌を出しながら悶絶していた。やはりメネスは猫舌のようだ。
それに対してノアは上品なスプーン使いで食事を口に運び、丁寧に食べる。何も見えていなくても、触覚を用いることで食事を摂ることができた。
醤油と砂糖のシンプルながらもハズレのない味付け。人参やレンコンといった根菜のゴロゴロとした食感、そしてインパクトのある鶏肉の旨味。
そんな細かい味の話は記憶のないノアには分からなかったが、分からなくてもうまいものはうまい。
「うん、おいしいよキヌタ! この料理はなんて言うの?」
好奇心旺盛なノアは料理の名前や作り方がまず気になった。そんな彼の質問にキヌタは快く答える。
「これは筑前煮って言う食べもんでさぁ。この街で育てられてる野菜や鶏を使って作ってますわ」
この街では鶏や豚などの家畜も飼っていたし、畑もあって色々な種類の野菜が栽培されていた。そんな
街の人たちの営みにノアは尊敬の念を向けていた。
「この街の人は本当にすごいね。こんな美味しい料理を一から作るなんて。見えていても俺にはできない……」
「そんなことないっすよノアさん。人間やらなきゃいけねぇ状況になったら嫌でもやるもんですよ」
男はニコニコしながら街について語った。
「ここは行き場のない人たちが集まってできた街なんです。あっしたちは生き方なんて何にも知りやせんでした。だけどオトゥームさんの力のおかげで未来が"視えた"んです」
──ふざけてるけどオトゥームは実はすごい人なのかも。キヌタさんにも心の底から慕われてる。
「キヌタはどっから来たんだにゃ?」
「あっしの故郷は夜真人に焼かれました。そこで襲われてるところをオトゥームさんに助けられたんでい。今となっちゃここが故郷みたいなもんでっさ」
その言葉にノアは心が痛む。
──夜真人のせいで沢山の人が不幸になっているんだ。なんで? なんで人と夜真人は争うことしかできないんだ……
夜真人の進撃により人間が害されている現状、それを憂いた所でノアにはどうしようもない。
何かを変えるために彼はまず自らが何者なのかを思い出す必要がある。そして記憶を辿るためにはやはり過去を知らなければならなかった。
「そうだキヌタさん。良ければ少し過去のことを教えてほしいな」
「そういえばノアさんは記憶がねーんですね。あっしは多少歴史に詳しいんで、話させていただきやす」
キヌタの口から世界の過去についてが大雑把に語られる。
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