第九十八話 激動の夜
……その日、朝っぱらからジュリエッタの屋敷に奇声が響き渡った。
妖精さんにコブラツイストを掛けて渾身の力で締め上げたらこんな声が出るのではなかろうか。
「う、う、うにょぁ~~~~~~~~~~!!!???」
叫んだ者はお騒がせ天然奇人物の暗黒魔女オルトワージュだ。
彼女は座っている椅子の上で祈っているようにも踊っているようにも見える妙なポーズで固まっている。
それを向かい合って座って見ているミレイユは澄んだ湖面のような無表情。
「……ほ、ほ、ほんとにです? ががが、ガチな感じで???」
「はい」
信じられないものを見ています、という風な引き攣った表情で冷や汗を流している闇の魔女に氷の皇女がうなずいた。
「み、ミユミユとレグっちには……か、かかっ、身体の関係は……ない……と」
「はい。今のところは」
さらっとミレイユは肯定する。
実際、彼女とレグルスは未だに肉体関係はない。
「れれれ、レグっちは、ああ、あんなに……あんなにドすけべ大魔王なのに……?」
「どす? ……ちょっと良くわかりませんが、私と彼は性交渉はしたことがありません」
すると突然オルトワージュはガクッと大きくうつむいた。
更にはそのままの姿勢で肩を震わせている。
……泣いている。咽び泣いているのだ。
「ふッ、ぐっ、うう、ぐびッ! あ、あ、あんまりでしゅ……ひ、ひどい話です、よ。ミユミユは、こ、ここ、こんなに、レグっちの事が……すっ、すっ、好きっ、大好きっなのに……!」
止め処なく涙と鼻水を零すオルトワージュ。
「それっ、それなのに! それなのにレグっちは、ほっ、ほかの世界中の、び、び、美女たちと! よよよ、夜のヒットパレード! とかっ!」
「夜の……?」
首をかしげるミレイユ。
とまあオルトワージュの言っていることがちょいちょいよくわからないのは別に今日に限った話ではない。
とにかく、オルトワージュはミレイユとレグルスの二人に体の関係が無いということを……というかレグルスがミレイユにいまだ手を出していないという事に悲憤しているようである。
「私は別に急いではいませんので……」
言いかけたミレイユの両手をガバッと掴むオルトワージュ。
「いっ、いっ、今すぐっ! 今すぐ、しょしょしょ小生がっっ!! レグっちに、げげ、厳重に……厳重にっ、抗議……抗議してきますからっ!! ままっ、待って、待ってて……ください、ね!」
涙と鼻水でべちょべちょの顔で鼻息を荒げている暗黒魔女。
一体何がここまで彼女の逆鱗に触れたのであろうか。
「……よろしくお願いします」
その彼女のあまりの迫力に思わずうなずいてしまうミレイユであった。
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陰キャをどこまでも貫いたら『天頂位』になってしまった者など、歴史上でもこのオルトワージュ・V・ミューラーを除いて他には誰もいないだろう。
と、同時に彼女はオタであった。
他者の関係性に萌えるケモノであった。
ミレイユはオルトワージュにとって数百年間の人生で初めてできた友達だ。
そしてミレイユ・ノアとレグルス・グランダリオは彼女にとっての『推しカプ』であった。
だがその二人に自身の認識とは大きな祖語があった事がわかった。
なんとあの性欲のケモノ(オルトワージュ認識)のレグルスがミレイユに未だ手を出してはいないというのである。
……あり得ぬ。
あってはならぬ事だ。
彼女は大いに怒った。
大いなる大きなお世話の化身となった。
……………。
……誰かが玄関の前で騒いでいる。
午前中から騒々しい。
「たっ! たっっ!! た、たのぉ~~もう~~~!!」
「あー、うるせえ!! 何なんだ一体!!」
どばん、とレグルスがドアを開け放つとそこに立っていたのは黒いフリル多めなゴシックドレスのツインテ女……早い話がオルトワージュであった。
「た、た、たのもうー!!」
「頼みすぎだろオマエ。相変わらずよくわからん奴だな。……何かオレに用なのか」
しょうがないので家の中に招き入れる。
オルトワージュはスンスン鼻を啜りながら素直に従いレグルス宅に入ってきた。
……………。
「きょ、今日は、ですね……。もももも! 物を申しに、来まして……。おっ、おおおおっ、お説教……です、よ!」
何だか初っ端からヒートアップしている闇の魔女。
常にダウナーな彼女がこういうテンションなのは珍しい。というか初めてか。
わちゃわちゃと身振り手振りを交えて何か必死に力説している。
「か、彼女はっ! 彼女はレグっちの事が、だ、だ、大好きでっ! そそ、それで……ゼニスにまで、なってるっていうのに、です、よ……! そそ、そういうですね、女の子の、きき、気持ちにっ! 応えてあげないというのは!! ざっ、残酷です……残酷です、よ!!」
「ふむ……」
内心でくねくねしているオルトワージュを見て「踊ってるみたいだな」とか思っているレグルス。
「ここここ、ここは、もう、一刻も早く……ですね、かかっ、彼女とっ!! ふふ、二人で……愛の、愛の終着駅まで……ののっ、ノンストップで!! 駆け抜けて、おしまいなさい、とか……思っちゃったり、しちゃったり……」
喋っている最中でもテンションの乱高下が激しすぎる。
急にうつむいたかと思うと人差し指の先端同士を胸の前でこねくり回しているオルトワージュ。
まくしたてる彼女から涙とか鼻水とか唾とかあれこれ飛んでくるからやや距離を開けるレグルス。
……結局彼女の演説というかお説教というか……とにかく熱弁は小一時間ほども続いた。
「……お、おぅ、おわかり、頂けた……でしょう、か……オェッ」
オルトワージュは、ぜーはーと呼吸を荒げて疲労困憊と言った様子。
大体が人とのコミュニケーションに多大な精神力を消費するタイプの魔女だ。
英雄王が変身した邪竜を倒した時よりずっと疲れている。
「わかったわかった。確かにお前の言う通りだな」
腕組みしているレグルスが何やら神妙な顔付きでうんうんとうなずいた。
思いが通じた……とオルトワージュは目を輝かせ……。
その彼女がレグルスにひょいと抱き上げられた。
「……はひ?」
目を輝かせた表情のままオルトワージュは硬直した。
「まさかお前がそんなにオレとやりたがってたとはなぁ……。全然気付かんかったわ。こうまで熱く口説かれたのは人生でも初めてだぞ。気合入るぜ」
「ほぉワーーーーーッ!!!?? し、しししし、深刻なッ! 深刻な意思疎通の、障害が、ははは、発生中でありますッッッ!!!!」
抱き上げられたままベッドまで連れていかれ、そこにボフッと落とされるオルトワージュ。
「ちょちょちょちょちょちょ!! ちょ、ちょっとお待ち、あれ!! ご、ご、ゴカイっ! 誤解と、すれ違いが生み出す、ふっ、複雑な人間模様が、です……ね」
じたばたしているオルトワージュだが、レグルスは気にすることもなく彼女の衣服をぽいぽいと剝ぎ取っていく。
「……あっ、お前これ……」
「ふっ、ふえっ?」
急に動きを止めてシリアスな顔になるレグルス。
華奢だと思っていたオルトワージュは……割と着痩せするタイプである事が判明した。
シルエットがはっきりわかると凹凸のメリハリが凄い。
「なんだァ? このエロすぎるボディは……。けしからんなぁ~、けしからん過ぎる。これはオレが成敗してやるしかないな」
「……とはーッッ!! きき、緊急討伐クエスト、ボッパツ!!! ……とっ、ととと、討伐対象の、小生がっ! 数百年以上も、ぼぼ、防衛を続けてきた処女がッッ!! 大ピンチな予感ッッ!!!」
かと思うと急にオルトワージュは素の表情になる。
「……いえ、別に好きで防衛してきたわけじゃないんですけども」
「いいからいいから、最初はよくわかんねーだろうしオレに任せとけ」
自らも服を脱ぎ捨てオルトワージュに覆い被さるレグルスだ。
「にょはーッッ!!?? おおおお、オトナの階段ッ!! 三段飛ばし爆速で駆け上っております、よ!!!」
じたばたとレグルスの下で陸に釣り上げられた魚のように威勢よくもがき続けるオルトワージュであった。
……………。
「げっ、げ、激動の……激動の一夜でした……」
一晩明けて、オルトワージュはベッドの上で複雑な表情で天井を見上げている。
その隣ではレグルスがまだぐーぐーいびきをかいて眠っている。
「れ、れれ、れ、歴史が……歴史が動いて、しまいま、した、ね。……しょ、小生にも、男とベッドでああああ、朝を、迎える日が……こようとは」
ゆっくりと上体を起こすオルトワージュ。
男女の同衾など陰キャを極めて人の目を見て話すこともできない自分にとっては別の世界の話だと思っていた。
チラリと隣で寝ている男の顔を窺う。
最初に見かけた時からカッコいいとは思っていた。
その時はまさかその彼とこんな事になるとは思ってもみなかったが……。
「う、うぇへへ、へへ……」
だらしない顔で笑う暗黒の魔女。
「!!!????」
だが次の瞬間、彼女は雷に打たれたかのように全身を引き攣らせ、続いて真っ青になって震え出す。
自分が何故ここに来たのかを思い出したのだ。
「う、ううっ、う、う……」
ガタガタと震えながら彼女は掛け布団を鷲掴みにする。
「うう、裏切って、裏切って……しまい、まし……た。……ミユミユを……裏切って」
ぼろぼろと涙を零し嗚咽するオルトワージュ。
あろう事か……自分は親友の想い人と身体の関係を持ってしまった。
それも親友よりも先にだ。
なんという……呪われた裏切者か。
彼女は慌ててベッドから這い出るとその辺に脱ぎ散らかされている自分の衣服をかき集めて着込んでいく。
「も、も、もう……ここには、いられない。いられません……ね……」
しゃくり上げながら彼女はレグルスの家を出る。
「さ、さよなら……お友達。こ、こ、こんな……ゴミカスに、や、優しく、して……くれて……ほ、本当に……ありがとう……でした……」
何度も振り返って頭を下げつつ、暗黒の魔女はいずこかへと姿を消す。
……そして、夕食時になって自分を探しに来たミレイユによって、公園の隅っこのベンチで体育座りでブツブツ言ってる所を発見されて屋敷に連れ戻されたのだった。