第九十四話 蒼と紅の双剣
もがき苦しみ、鳴き声を上げながら巨大な黒い竜が崩れていく。
ぼろぼろと黒い破片になって大地に散らばった肉片は煙を上げながら灰となって風に吹かれて散っていった。
そして威容が見る影もなくなった時に、そこには大の字に地面に倒れている黒衣の王がいた。
「………………」
はじまりの王は茫然としているようにも、不思議と憑き物が落ちたようにも見える表情で空を見上げている。
青空に浮かぶ白い雲を映すそのまなざしは静かだった。
「負けたのか……俺は。その先にはこんな心地が広がっているとは」
くく、と喉を鳴らして苦笑するロードライト。
敗北者だが楽し気なようにも見える。
一方的だった。容赦がなかった。
圧倒的だった。絶対的だった。
ああ……これが強さか。
これが力か。
敗北は口惜しいが奇妙な満足感がある。
見たかったものは見れた。知りたかったことは知れた。
ここまで生きてきた、戦ってきた意味はあったのだ。
「この数百年でゼニスはこれほどまでに進化していたか……」
まさかこの自分が、最強の英雄王たる己が『型落ち』を自覚する日が来るとは。
「……ま、まあ、こここ、これでも……これでも小生、ちょ、ちょっと前に比べたら、大分弱くなっちゃってるんですが……うひ」
「……!!!」
指先で頬を軽く搔きながら近付いてくる黒いフリルの服の女。
たった今自分を完膚なきまでに打ちのめした闇の魔女。
だがその彼女が今の自分は弱体化しているのだと……そう言っている。
「しょ、しょしょ、小生の……チカラは、パワーの源っていうか、そういうのは、妬みとか僻みとか……さ、逆恨み!! 逆恨み、でしたから……。今は、そ、そういうのが、あまり、なっ、なくなってしまって……。じ、じじじ、人生っ、初の!! 人生初の、おおおおおおおおお……オトモダチが!!! オトモダチがぁッッ!!!!」
興奮しすぎてちょっとおかしくなってきたオルトワージュ。
血走った目で吠えている。
どうも「おともだち」という言いなれていない単語を口にする毎に身体に若干のダメージが入るらしい。
「お、おひゅっ、オトモダチができてしまったり、とか……!! ちょ、ちょっと、リア充、入っちゃいましたので……それで」
そこで彼女は何かにハッと気が付いた。
「い、いけないいけない……すす、隙あらば自分語り、してる場合じゃ、なっなな、なかったんでし、た」
ヘロヘロと恐らく彼女としては精いっぱいの早足で倒れたミレイユに駆け寄る暗黒の魔女。
「……み、ミユミユ? ご、ごご、ご無事ですよ、ね? し、死なないで、くださいね。ミユミユに死なれてしまうと……し、小生また、孤独感から、パワーアップしちゃうので……」
意識のないミレイユを抱き起すオルトワージュ。
幸いにして皇女は息はあるようだ。
「弱くなっている……」
呆然と魔女の言葉を反芻する黒の王。
そして彼は大きく口を開け、声にならない笑いを発した。
「世界は……広いな」
穏やかにそう言い残すとレディオス・ロードライトは跡形もなく崩れ去る。
はじまりの黒い王様は風に溶けて消えていく。
ゼニスというクラスを創設した男の静かな最期だった。
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王城の方角から都の大通りをレグルスがのしのし歩いてくる。
普段の彼の大股の歩幅で。
「あ、あ……レグっち、ここ、こっちです……よ」
ヘロヘロと手を振っているオルトワージュを見ると彼はそっちへ向かう。
「なんじゃい、お前も来てたのか」
「え、ええ、まあ……どなたも声を、声をですね、掛けてくれませんでしたのでっ……じ、じじ、自力で来ました……」
先ほどは自分の遅参を遅刻だと表現していた彼女だが、改めて冷静に考えてみると誰も何も言ってくれずに勝手に出発していたのだ。
これは遅刻ではなく……単なる置いてけぼり!!
闇の魔女は真実に気が付いてしまった。
周囲を見回すレグルス。
動ける者が動けないほど傷付いたり疲弊したりしている者たちを担架で運んでいる。
「うおおッ!! 俺はあんなでけえドラゴンがいるなんて信じねえぞぉッ!!!」
「あいつはまだ信じてないのか」
とりあえず目にしたものを否定していくスタイルの信じないおじさんが担架で運ばれていく。
「ミレイユたちは?」
「ち、ちょとボロボロ具合が、ですね、アレだったもので、先に運ばれてます、ね。で、ででで、でも、命がアレだったり、する人はいませんでしたから……ごっ、ご心配なく」
そうか、とレグルスは担架の向かう先の大型の荷馬車の並んでいるほうを見る。
心配ではあるが……今は見舞うより先にやることがある。
「じゃあお前とオレでやるしかないな」
「……は、はぇ?」
猫背の魔女が不思議そうにレグルスを見上げる。
……地面が振動している。
邪竜が滅びたことで怯えて動きを止めていた超巨大魔人ザ・グレートが再び廃都に向けて移動を開始したのだ。
まだ距離は随分あるがもうその姿は視認できる。
「どいつもこいつもボロボロなのにあんなモン寄越すワケにはいかんだろ。片付けてくるぞ。ちょっとオレをヤツんとこまで連れていけ」
「へ、へえっ……が、がががが、がってん承知……でふ」
オルトワージュが手をかざすと地面に広がった黒から再びあの巨大な黒蛇が鎌首をもたげる。
頭の上にヒラリと飛び乗ったレグルス。
オルトワージュは蛇の胴体に手を触れるとずぶずぶと溶け込むようにその内部に姿を消し、やはり頭の上にぬるんと再び顔を出した。
蛇が頭を高く持ち上げる。
大樹の幹のような太い胴体がどこまでも伸びていく。
「……おーおー、高え高え」
どんどん遠ざかっていく地面を見下ろしてレグルスが口笛を吹いた。
そして青白い岩肌の魔人が近付いてくる。
「行こうぜ……マコト」
腰に差した赤い剣の柄に手を触れてレグルスは囁いた。
「オ・オ・オ・オ・オ……」
唸り声を上げている超巨大魔人。
目の前の大蛇を……そしてその頭の上にいる二人のゼニスを警戒している。
そして巨大な魔人の肩の上には白髭の老人が悠然と立っていた。
邪悪な笑みを見せる古い時代の独裁者が。
「キサマがレグルス・グランダリオか」
「なんじゃいジジイ、お前は」
ステッキを持つ鷲鼻の老人はフン、と鼻を鳴らした。
「ものを知らん奴だ。覚えておけ小僧、俺の名はヴァルネロ・グルワーズ……偉大なる統治者、ヴァルネロ様だぞ」
「知らんわ。今からぶった斬るヤツの名前なんぞどうでもいいわい」
顔をしかめ剣の柄を握るレグルス。
対するヴァルネロはニヤリと不気味に片方の口髭を上げた。
「ギハハッ、そうは思い通りにはいかんぞ。ルーザーもライアーも片付けてきたお前と正面からぶつかる程アホウではないわ」
声を上げて笑ったと思えば老人は正面を向いたまま背後に身を投げ出す。
「おおっ!!?」
「俺の名を覚えておけよ小僧ッ!! いずれまた会おう!! ギハハハハハハッッ!!!!!」
遠ざかっていく笑い声を残しながらヴァルネロの姿は遠い地上へ向けてどんどん小さくなり、やがて消えていった。
「くそっ! ……追っかけてる余裕はないな。しょうがない、ヤツはまた今度だ」
とっくにヴァルネロは見えなくなってしまっている。
遥かな地上を見下ろしてレグルスは舌打ちをする。
ズズッ……ゴゴゴゴゴゴ……。
唸りを上げて迫ってくる巨大な腕。
ザ・グレートが大蛇に掴みかかってきたのだ。
「……おおっ、お、お、お触り禁止……です、よ。お、お客様……」
だがそれを大蛇がヒョイとかわす。
決して大蛇も動きが速いというわけではないのだがそれにしても魔人の動きが緩慢すぎる。
レグルスが手にした双剣を構える。
右手には青の聖剣『永遠の蒼』
左手には赤い魔剣『敗残者の紅』
それぞれの刀身を青い光と赤い光が包み、さらなる巨大な光の刃となる。
「……おおお、おお、おっおお……。イイ、イイです、ね……イイパワーきてます、ねぇ」
それを背後から見ているオルトワージュは目を輝かせている。
「行くぞぉぉぉぁぁぁっっ!!! デクノボウ……ッッ!!!!」
大蛇の頭を蹴り、虚空へ身を投げ出すレグルス。
彼が落下しながら放ったバツの字斬りは赤と青の流星となって超巨大魔人の胸部に炸裂した。
突き刺さり、魔人の内部を掘り進む。
胸部中央のやや上から斜め下へと。
背面腰のやや下あたりまで。
内部を破壊し巨大な空洞を作りながらレグルスは光の矢となって突き進む。
途中に巨大な心臓があった。
巨大な背骨があった。
そのどちらも粉砕しながらレグルスが体外に飛び出てくる。
「……オ・ア・ア・ア・ア……ッ」
断末魔の叫びを空へ向けて放ちながら片手を高く上げたザ・グレート。
何かを掴もうとするかのように空を掻く巨大な手。
その腕もひび割れ崩れ落ちていく。
山が崩壊する。
世界最大の魔人が
「……あッ!!!?? オイこれ着地どうすんだ!!!!??」
虚空へ投げ出されたレグルス。
……地上まではまだ数十mある。
そして上からは巨大な魔人の破片が降り注いできている。
あ~れ~、と悲鳴を上げながら眼下の森に真っ逆さまに落下していくレグルスであった。
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廃都地下、中央制御区域。
「あ~ぁ、どうするんですぅ? 大分姉様の予定からズレてきちゃってるみたいですけどぉ」
大きなボールの上に胡坐をかいて座りながらゆらゆらとパンドーラが左右に揺れている。
「構いませんよ。どうせ終着点は同じです」
その道化師の少女に抱えられた首だけの女魔族シェラザード。
彼女らの狙いはこの浮遊大陸を陸地の人の多い都市の上まで移動させ……そして落下させる事だ。
未曽有の大災害が巻き起こる。
想像を絶する数の犠牲者が出て、そして炉の爆発で撒き散らされた『穢レ』が大量の悪鬼に変容する者を生み出す事だろう。
そしてその制御を現在行っているのが、彼女らに脅されているドクター・テラーである。
「………………」
無言の博士。
彼はシェラザードたちの言いなりになっている現状を決して黙って受け入れているという訳ではなかった。
彼女らに伝えていない事がある。
モニターが先ほどから感知して通知を送ってきているある事柄……。
誰かが……ここへ向かってきている。
一人だ。
侵入者がいる。
(誰かは知らないが、まあ味方という事はあるまい。ここで彼女らと鉢合わせたらどうなるか……一つ成り行きに任せてみるとしようじゃないか)
くくく、と仮面の下で一人ほくそ笑むテラーであった。