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第九話 ビギナーは醤油ラーメンから

 ギルオール帝室では女性はギルオール姓を名乗る事は許されない。

 ミレイユの姓であるノアは母方のものだ。

 ミレイユの母は古来より魔術の秘儀を継承する旧い血脈の末裔だ。

 とはいえ、母の代には既に一族は没落しており北の辺境で一族と関係者のみが暮らす小さな街に引きこもって研究に明け暮れる毎日を送るだけになっていた。


 ミレイユにも受け継がれた美貌と優れた魔術の才を持っていた母。

 その母は何よりも一族の復権を熱望していた。

 父の求めに応じて城に入ったのもその為だ。

 優れた魔力を持っていた父……皇帝ヴォルフガングとの間に子を作る。

 そしてその子に魔術を継承し帝国の権力をバックに一族の復権を託すつもりだったのである。


 ミレイユは幼少時から母によって徹底的に魔術師としての英才教育を施された。

 それは父が娘や自分にさして興味が無いとわかっても変わらなかった。

 その母ももう十年近く前に姿を消した。

 追放されたのか自らの意思で城を出たのか……それはわからない。

 いずれにせよ母がいなくなってもミレイユの生活は変わらなかった。

 母の代わりに父の側近たちが手配した複数の家庭教師に学問や作法を教わる日々が続いた。


 そして現在のミレイユは……。


 暖かい日差しの下で洗濯桶に手を突っ込み一生懸命洗濯をしている。


(こんなに穏やかで……こんなに自由で……)


 パンッ!と音を立てて洗濯物を広げるミレイユ。

 ……それはレグルスのパンツであった。


(こんなに幸せで……いいのでしょうか)


「オイ、凝視すんな……オレのパンツを。染みとか付けてないだろうが別に」


「……レグルス」


 いつの間にやら近くにレグルスが来ていた。

 赤茶の髪の男はいつもの無駄に偉そうな態度で自分を見ている。


「それ終わったら街に行くぞ。今日はラーメンを食わせてやろう。この前美味い店を見つけたんだ。オススメは味噌なんだがビギナーはまず醤油からだな」


「初めて……聞きます」


 不思議そうなミレイユ。

 彼女の様子にレグルスは満足そうだ。


「そうだろうそうだろう。城でお上品なメシばっか食ってたんだろうからな。ラーメンはな、この世で一番美味い食い物だぞ。オレのこの世で一番は毎日変わるけどな。昨日はカレーだった、わははは」


 何が面白いのか大口を開けて高笑いするレグルスであった。


 ────────────────────────


 トレーニングウェアのエンリケ都市長が両手の鉄アレイをリズミカルに上下させている。


「………………」


 それを何とも言えない表情で見ているレグルス。

 ある日の昼下がり、レグルスがシェリルに会おうと久しぶりに都市庁舎にやってきた際の一幕である。


「いやぁ、トレーニングというのは楽しいものだね。初めは辛くて苦しかったのだが、成長が実感できてきたあたりからどんどん楽しくなってきたよ」


 汗を流し、呼吸を乱しながらもエンリケは笑顔だ。

 彼がトレーニングの開始を宣言してから数か月、その間実直に続けていたらしい。


「おっと……ランニングの時間か。ではレグルス君、僕は失礼するがゆっくりしていってくれたまえ」


 ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認するとエンリケは軽快な足取りで走っていく。

 ……すると、その後ろを大勢の都市庁舎の職員がやはりトレーニングウェア姿で追走していくのだった。


「なんで増えてんだよ」


 走り去る集団を見てイヤそうに言うレグルス。

 ミレイユが彼の裾を遠慮がちに引く。


「あん? ……どうした?」


「そろそろお食事時です、レグルス」


 壁に掛けられた時計を見てミレイユが言う。

 昼時なのは当然でレグルスはシェリルを昼食に誘いに来たのだ。

 しかし生憎彼女は外での仕事があるとかで席を外していた。


「今日はラーメンにしましょう」


「お? なんだ? ハマったのか。……うーむ、今日はオレは肉の気分だったんだが、まあチャーシューを追加すればいいか」


 わざとらしく「仕方ないな」というように腕組みをするレグルス。


「今日は味噌ラーメンを……それから、餃子にもチャレンジしたいです」


 意気込んで拳を握り、ちょっとだけ鼻息が強めのミレイユだ。


「おう頼め頼め、食い切れなきゃオレが食ってやるわい。わっはっは」


 二人が連れ立って都市庁舎を出ていく。


「……さ、最近何かこう……入り辛い空気であります……!!」


 そしてその二人の後ろを寂しそうに付いていくエドワードであった。


 ────────────────────────


 穏やかな日々を送っていたレグルスたちであったが、好事魔多しとでもいうべきか。

 やはりトラブルは思わぬところからやってくる。


 ある時エンリケに呼び出されてレグルスたちは都市庁舎に赴いた。

 なんだか日焼けして心なしかシルエットがガッシリしてきた都市長は浮かない表情で一同を出迎える。


「急に呼び出してすまなかったね」


「それはいいんだが話す間くらい()()やめろ」


 相変わらず鉄アレイを上下させている都市長。

 しかもどう見ても数日前よりウェイトが大きいものになっている。


「ああ、そうか……失礼。気を落ち着けたいときはついやってしまう」


「依存症になってないか?」


 ゴトン、と重たい音を立てて鉄アレイを置くエンリケをレグルスが半眼で見る。

 すると都市長の傍らに控えていたシェリルが机の上に地図を広げた。

 ロンダーギアの街を中心とした周辺の土地の地図である。


「実はだね。街の西側にうちが管理している銅山があるんだ。といっても、もうとうの昔に銅は枯れていて今は廃鉱山なのだがね」


「ここだとファルシャール王国の土地ではありませんの?」


 首をかしげるジュリエッタ。

 ロンダーギアは国境線上の都市である。街の一部……西側がファルシャール王国の領土に掛かっているが両国の取り決めにより都市の内部はリアナ・ファータ王国領であるとされているのだ。

 そのロンダーギアを出て西側だと完全にファルシャール王国の領土である。

 そうジュリエッタは言いたいのだ。


「土地はそうなのだが、過去にファルシャールとの約定で銅山の所有権はリアナ・ファータ王国側が持っているのだよ。廃鉱山なので何十年も放置された状態なのだがね」


「……で、それがなんなんだ?」


 レグルスは来客用の菓子鉢を抱え込んでバリバリおかきを食べている。


「どうもその廃鉱山に出入りしている者がいるらしい。向こう(ファルシャール)が連絡をくれたのだ。頻繁に複数人が出入りしているようだと」


「別に放っておきゃいいんじゃないのか。どうせもう用無しの鉱山なんだろ?」


 あまり興味なさそうなレグルス。

 しかし都市長はほろ苦く微笑しつつ首を横に振る。


「そうもいかない。管理者としての責任は今もこちらなのだからね。怪しい輩が出入りしているようだが、銅は枯れているしうちは関係ありませんでは通らんよ」


「フン、面倒なことだ」


 カラになった菓子鉢を机に置いてレグルスが立ち上がる。


「まー、話はわかった。要はその銅山までいってそいつらをブチのめしてくればいいんだろ? 大英雄のオレが出向くような事件でもないだろうが、たまに運動しておかんと身体が鈍るからな」


「すまない。やってもらえるかな」


 エンリケが深々と頭を下げる。


「毎日ぶらぶらしてるだけで給料貰っているのもなんだしな。後腐れがないように鉱山ごと付近一帯を更地にしてやるわ、わはははは」


「そこまではしないで……」


 反り返って笑っているレグルスに慌てるエンリケであった。


 ───────────────────────────


 こうして、レグルスたちは廃銅山の調査に赴くことになった。

 メンバーはレグルスにミレイユとジュリエッタ、そしてエドワードだ。

 都市長が馬と馬車を出してくれたのでレグルスは馬を駆り、残りのメンバーは馬車に乗る。

 馭者はエドワードが務めることになった。


 一応数日間は野営できるだけの物資を馬車に積み込んでから一行はロンダーギアの街を出発する。


「おやつも沢山積んでおけよ。テントを張って景色を見ながら摘まむんだ、わはは、楽しみだな」


「もう、物見遊山気分なんですから……」


 上機嫌なレグルスに困った顔で嘆息するジュリエッタ。


 ロンダーギアの街を出てからしばらくは整備された大きな街道を進み、そこから廃鉱山までも比較的状況のいい旧街道が走っている。

 特に困難な個所のない快適な道中であった。


「どうせ銅の残りカスみたいなもんが残ってないか探してる食い詰めモンだろう。言って追い払って、もしも言うこと聞かんようならしばき倒しておしまいだ」


 気楽に言って笑っている馬上のレグルスであったが……。


 休憩を挟みつつ馬を駆ること半日。

 間もなく目的の廃銅山だ。


「……んげ」


 不意に表情を歪め妙な呻き声を上げてレグルスは馬を止める。

 そして地面に対して水平に手を上げて後ろの馬車も停止させた。


 砂煙の混じった風の向こうに……。

 何かが見えてきた。


「おい……なんじゃありゃあ」


 広範囲を幕壁が取り囲み、その内側には簡易式の建物が並んでいる。

 それはもうキャンプというレベルではない。集落だ。

 煙突があり煙まで出ている。


 何事かと馬車から様子を見に出てきたジュリエッタが絶句している。


「なんですの、あれは……」


「まるで前線基地じゃないか。どういうことだ?」


 拠点から何か……小柄な生き物が列を作って鉱山へ向かって歩いていく。

 そしてそれを監督するように立つ白いターバンを巻いた男たち。


「コボルドか」


 レグルスが目の上に掌で庇を作って拠点の方角を見やる。

 コボルドとは犬に似た頭部を持つ亜人種だ。

 小柄で全身が毛に覆われている。

 体躯故に力や頑健さにおいては人間族に後塵を拝するが、意外と手先が器用ですばしこい。


 見張りらしきターバンの男たちは鞭を手にしており、時折威嚇するかのようにそれを地面に叩き付けている。

 怯えたコボルドたちは足早に鉱山に消えていく。


「酷いですわ。あんな、奴隷のように……」


 コボルドたちを脅すターバンに眉を顰めるジュリエッタ。


 そして、そこに更に一人の男が姿を現した。

 背が低く黒い装束を身に纏い頭に黒いターバンを巻いた小柄な男。

 顔の下半分をトゲトゲに跳ねた濃い黒髭で覆った中年だ。

 首から大きな宝石を付けた首飾りをいくつもぶら下げている。

 すると居丈高にコボルドたちに接していた白ターバンの男たちが途端に低姿勢になる。


「あの男が頭目でしょうか」


「だろうな。あいつは知ってる。ギエランって男だ」


 その男を見るレグルスは何ともイヤそうな渋い顔をしていた。


「野郎何してやがんだ、こんなとこで。あいつは武器を売って兵隊を斡旋する……戦争で食ってる死の商人だぞ」



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