第七十八話 取締役レグルス
ペルポリュート通商国家連合七星による空中都市掌握計画……その激しい戦闘から数日が経過していた。
地上の七星たちには未だ計画の成否が伝えられていない。
上手くいったとしてもダメだったとしても蒼穹の国になんらかの動きがあっていいはずなのだが……。
今のところは空は不気味に静まり返っていた。
まるで小競り合い一つ起こりはしなかったかのように。
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リベルタス海運会長ガイロン邸。
この日彼は自宅に一人の客を迎えていた。
自分と同じ七星の一人であるタイガーロック鉄鋼社の総帥アーバインである。
「急だったから驚いたよ。まあ楽にしてくれたまえ」
「いやいい。長居はしない」
腰まである長い黒髭を数本に編み込んでいるドワーフのアーバインは椅子を勧めるガイロンに首を横に振る。
「顔見て話しといた方がいいと思ってな。うちの傘下の船の仕事だが、あれ全部経営権をアガルタに売却する事になった」
「何……?」
突然のことにガイロンの表情が硬直する。
ガイロンのリベルタス海運は仕事で使う船の製造とメンテナンスを世界中の主要な港町に船渠を持つタイガーロック傘下の造船業者に一任しているのだ。
それをライバルであるサイードのアガルタグループに抑えられてしまえば今後彼に対して強く出ることができなくなってしまう。
これまでガイロンとアーバインは盟友といってよいほどに七星中でも強い繋がりを持っていた。
……そのはずだった。
「待ってくれアーバイン。造船業は君のビジネスの中でも特に重要な柱の一本じゃないか。思い止まってくれないか。資金のことなら私も相談に乗る」
「そうは言ってもな……サイード、こんだけ出すと言ってるんだ。しかも金だけじゃない。サンワルドの鉱山の採掘権も寄越すと言っとる。これはもう商売人として乗らんわけにはいかん」
アーバインがその太い指を立てて示した額は破格だ。
明らかに釣り合っていない。
(ペイできんぞ……!! そうまでして私を潰しにかかるか、サイード・ファルーシュ!!!)
強張った表情のままでアーバインを見送ったガイロン。
「よりにもよって重要な計画の最中に……。今はこんな権力争いをするタイミングではないだろう」
相手は肉を切らせる覚悟だ。
損を被ってでもこちらを失墜させる気でいる。
そしてこの話にアーバインが乗ったというのは単なる商売上の損得以上の意味がある。
「私が負けると踏んだのか、アーバインめ」
そこにノックの音がして側近が顔を出した。
彼の持ってきた報告にガイロンの渋面が増す。
その内容は七星、寂明院スミレの幻柳社がアガルタグループと業務提携を結び……事実上の傘下に入ったというものであった。
「おのれッッ!! あの女狐め!!!」
ガン、と書斎机に拳を落とすガイロン。
これで自分の派閥から二社がサイードに流れてしまった。
元からアガルタと懇意にしている二星を加えてサイードの派閥はこれで五星。
……大勢は決した。
このままでは自分は敗北し連合内での傍流となってしまう。
「……旦那ぁ」
その時、不意に屋外から声が聞こえた。
庭園からだ。
広い庭の先の暗がりから幽鬼のような足取りでフラフラと進み出てきた者……。
それはサイレントシープのジョルジュ団長だ。
全身を血まみれの包帯で覆ったジョルジュが書斎のガイロンに向かって歩いてくる。
「へへ、へ……お晩ですよ……」
(チッ!! 何がゼニスだ……黒騎士め!! しくじってるじゃないか!!!)
内心で舌打ちしつつも表情を崩さないガイロン。
「旦那ぁ……酷いじゃないですか。長年あんたの為に汚れ仕事をやってきたこの私に……こんな仕打ちを……」
包帯で覆われた顔の……その隙間に覗く目がギラギラと異様な輝きを放っている。
この時点で既にジョルジュの肉体は生命活動を行っていない。死体である。
だが彼が生前に身に着けていたある魔術的なアイテムの効果でアンデッドと化して活動しているのだ。
そのアイテムの効果は間もなく切れる。その時が完全な終焉だ。
残された僅かな人生の残滓を使って彼は何をするか……その答えがこの裏切りに対する断罪であった。
「何か誤解があるようだが……」
ジョルジュからは見えない角度で書斎机の引き出しを開けるガイロン。
そこには黒光りする一丁の拳銃があった。
「とにかく落ち着いて話そうじゃないか。入りたまえ、団長」
そう言いながら……ガイロンは素早く拳銃を手に取り、そして構えた。
敵の多い彼はこういった事態を日ごろから想定しており訓練を繰り返した拳銃の扱いは手慣れている。
夜闇を切り裂き無数の銃声が響き渡る。
発射された全ての弾丸は一発も狙いを過たずジョルジュの身体に飲み込まれていった。
「思い上がるな掃除屋風情が……誰に対して牙を剝いている」
無数の銃弾を浴びてゆっくりと仰向けに倒れていくジョルジュ。
「ひ、ヒヒ……あんたは……そうでなくっちゃ……」
笑っている。
団長は包帯の下で無数の筒状の爆薬を身体に巻き付けていた。
「私と……おんなじ……本物の、外道……だ……」
芝生の上に倒れるジョルジュ。
次の瞬間、橙色の輝きと爆風が全てを薙ぎ払った。
………………。
ガイロン・リベルタス、自宅にて何者かの襲撃を受けて爆死。
その一報をサイードが受け取ったのはその夜の終わり明け方近くの事であった。
「そうか」
彼が短く一言だけ呟くと黙禱するように目を閉じた。
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七星たちの送り込んできた刺客たちの巻き起こした騒動から数日が経過し、空中都市もようやく落ち着きを取り戻しつつある。
七星側はサイードが、蒼国側はレグルスが代表として手打ちがなされた。
連合側からは蒼国に賠償金としてとてつもない額が支払われた。
「こんなに貰っても使い道がないぞ」
とは、ギゾルフィ王の弁である。
倒され捕縛されていた七凶星は全員が放免となった。
豹の男ハザンは一命を取り留めたものの深い傷の後遺症から二度と戦闘はできない身体になった。
彼はアライン財団によって引き取られ教職に戻るのだという。
奇妙なマジシャン、マティアスは病院で治療を受けていたがある朝看護士が様子を見に行くと病床から姿を消しており、代わりにベッドには一匹のカジキマグロが寝ていたらしい。
その後の行方は杳として知れない。
技師ログマックはこのままでは使った能力の反動で確実に命を落とすのでベルナデットの監視で蒼国で働くことになった。
ちなみに立場としては一番下でポメ朗の後輩かつ部下である。
死霊使いギュスターヴは解放されるとそのままふらりと姿を消した。
今もどこかで愛妻の亡霊と共に彷徨っているのだろうか。
「んで……」
レグルス自宅。
渋い顔のベルナデット。
彼女は腰に手を当てて仁王立ちになっている。
「なんでテメーがまだ残ってやがんですか。敗者は敗者らしく惨めに泣きながらおうちに帰りなさいよ」
「あら、今はここが私の職場よ」
ベルナデットが嫌味を飛ばしているのは褐色の肌の妖艶な美女……理想郷銀行のシャリーンだ。
悠然と構えて揺るがない彼女は果物の切り身を並べた皿をトレイに乗せて運んでくる。
「だって私はこの方の秘書ですもの。……ねえ? 社外取締役」
「うむ」
あーん、で果物を口に運ばれてそれをモグモグ咀嚼しているのはレグルスだ。
シャリーンの言葉の通り、今回の一件でレグルスはアガルタバンクの社外取締役に就任していたのだ。
「そーゆーの嫌がると思ったんですけどね、ダーリン」
「特に何かしろって話じゃなかったからな。どうしてもって言うし名前くらいは貸してやらんこともない」
それがサイードの掲示した手打ちの条件の一つであった。
これでレグルスは理想郷銀行の表には出てこない内部情報に自由に接する権利を得た上に経営に口をはさむこともできる。更には肩書を持っているだけで巨額の報酬も約束されている。
アガルタの取締役ともなればその権力は下手な国家の元首以上だ。
サイードとしては自分たちがまた何か不穏な事を企んでいないのか好きに見張って口を挟めというのだろう。あんまりレグルスはその辺やる気がないのだが。
そして、アガルタ側としてもこの人事には大きなメリットがある。
(これでレグルスさまは私たちの身内。ゼニスでありブルーディアースの実質的な支配者であるこの方とファミリーであるという事実はグループに更なる発展をもたらす事でしょうね。……流石は兄さん。隙のない差配です)
満足げに薄く微笑むシャリーン。
かくしてサイードは信頼する己の片腕をレグルスの下に残したのだった。
「お食事をお持ちしました」
そこへ顔を出すミレイユ。
時計を見てみると丁度お昼時である。
「そういやハラが減ったな。飯にするぞお前ら」
「何じゃい。まあだ小難しい話をしちょるんか」
そこへ大きな寸胴鍋を持ってヌッと顔を出した着流しの大男……大龍峰だ。
「まった鬱陶しいのが……オメーも帰んなさいよ。なんならウチが直通で送ってやろうか」
眉間に皺を刻んだベルナデット。
ちなみに直通とは空中都市から突き落とすの意である。
「そがぁな冷たい事言わんでもええじゃろが、姐御ォ。ちゃんこでも食って水に流してつかぁさいや」
ドスンと鍋を置く大龍峰。
中身は本人の言うようにちゃんこだ。美味そうな醤油の香りが室内に漂い始める。
「昼からちゃんこかよ……。まあいいけど」
「美味しいですよ。勉強になります」
一緒に調理をしたらしいミレイユが味を保証する。
この元力士は見かけによらず料理が得意でちゃんこ以外にも器用にあれこれと東州の料理を作ってみせる。
「ある意味本職じゃからのう。ちゃんこの味に付いては譲れんわい。ぐあっはっはっは!!」
高笑いしている元横綱。
どういう訳か、この男も騒動の後で空中都市を去ろうとはしなかったのだ。
レグルスを兄貴と呼び、ベルナデットを姐御と呼んで何やら甲斐甲斐しく身の回りの世話などをしている。
「何でこーオレはよくデケー男に付き纏われるんだろうな」
ミレイユに丼にご飯を山盛りにしてもらいつつボヤくレグルスであった。