第六十一話 ゼニスなあいつ
『天頂』……その始まりはある英雄譚だ。
今から千年以上も昔、世界の大半を支配していたといわれる闇の王がいた。
恐ろしい力を持つ王で、その剣を振るえば山を断ち海を割ったという。
老いることもない闇の王の支配する絶望の時代は長く続いた。
誰も勝てない。敵わない。
虐げられた人々は絶望しただ涙するしかできなかった。
だがある時一人の若者が立ち上がる。
彼は解放軍を組織し闇の王の軍勢に戦いを挑んだ。
そして苦しい戦いの果てについに王を……。
「……長い!!! もういい!!!!」
突然話をぶった切ったレグルス。
ええ~、という顔で話をしていたアーサーが固まっている。
「どうでもいいわいそんなもん。興味もない」
「そんなご無体な」
ゼニスの称号を得るために来たはずの人に、そのゼニスが何たるかを語っていたらどうでもいいと言われたアーサーである。
「ええと、その解放軍のリーダーが初代のゼニスという事なのでしょうか?」
フォローするようにジュリエッタが間に入る。
「いえ、そうではないのです」
(違うんですのね……)
ならそこからどうゼニスに話が繋がるのだろう。
レグルスの言うようにかなり長い話なのではと思ったジュリエッタ。
ここは記憶の神の神殿の大部屋だ。
試練を受け終わり、その結果を待つレグルスたちが集まっている。
全員が記憶の世界で十人のゼニスと戦ってきたという事だ。
タフなレグルスでも流石に表情には疲労の陰が見える。
「ではお待ちかねの結果発表としますか。……まずは記念受験のお二人から」
「記念受験って」
実際そうではあるのだがいざ言葉にされてしまうとガッカリ感が半端ない。
トホホな感じの表情になるジュリエッタ。
しかし伝説級の英雄に与えられる称号の授与に関する合否を決めるとはとても思えないノリの軽さだ。
「残念ながらお二人とも合格とはなりませんでした。……票は言ってしまっても?」
「構いませんわ、ゼロ票でしょう」
ほろ苦く笑うジュリエッタにアーサーがうなずいた。
事前にモモネとトレーニングをしてゼニスというものの戦闘力の片鱗はわかった上で挑んだこの試験であるが……。
実戦の彼らはまた別物であった。
とても戦いと呼べたようなものではない。一方的に翻弄されただけである。
それでも十戦最後まで膝を屈することなく挑戦できただけでも自分の成長だと思う。
モモネと会うことなくここへ来ていればきっと挑戦の半ばで心が折れて戦意喪失による中途脱落となっていた事だろう。
「右に同じだ。まだまだ修行が足りないな」
目を閉じてシンラがうつむく。
「シンラさんは一票です」
「……!」
一転驚いて顔を上げたシンラ。
僅かな間をおいてその目にじわりと涙が滲んだ。
一票……あの十人のゼニスの内の誰か一人だけは自分がゼニスに相応しいと思ってくれたという事だ。
「コメントもあります。『メイドさんさいっこ~!』だそうです」
「……それ実質ゼロ票じゃないかぁぁッッッッ!!!!!」
メイドさんが泣き崩れた。
ミレイユがそんなシンラを労わるように背を擦っている。
「メイドって……それでいいんですの? ゼニス……」
ジュリエッタは半眼になっている。
「アイツら結構審査に私情挟むぞ。オレなんかなぁ……前に受けた時に一人倒してるんだが、負かしたそいつに思い切りカンチョー決めたらブチ切れやがって票くれなかったからな。負けたクセに」
「『勝つことで一票貰える』という試験ではないですからね。戦いを通して自分がゼニスという存在に相応しいとアピールして相手に認めさせるのが目的です。勿論勝利することも非常にわかりやすく有力なアピールではありますがね。ゼニスとは強いだけでは相応しくないと思う方がいてカンチョーがNGとされた場合当然票は貰えません」
苦笑しつつ解説するアーサー。
不満げなレグルスは目を三日月みたいな形にしている。
「何でだよ。別にいいだろうが負かした相手にカンチョーするゼニスがいても」
「嫌ですわよ、そんなゼニス……」
基本レグルスに付いては大体のことを肯定するジュリエッタであるが、その彼女でもさすがにカンチョーはどうかと思ったようだ。
「さて、そのレグルスさんですが……」
室内の空気がピリッと引き締まる。
落ちるとわかっていて受けた二人とは違ってここからが本命だ。
「合格が……六票です。おめでとうございます。貴方は本日よりゼニスの称号を持つ戦士となりました」
「よぉっしゃーッ!!!!」
歓喜の叫び声を上げて拳を高く突き上げたレグルス。
「十戦三勝ですね。今回は負けたゼニスの方々は全員合格票をくれていますよ」
「まあカンチョーせんかったからな」
本人ではなく見守るジュリエッタのほうが感涙していてハンカチでそれを拭っている。
三人のゼニスを倒したレグルス。
これでこの三人よりもレグルスの方が強いのか? と問われれば必ずしもそういうわけではないのが彼の面白いところだ。
『……あんな何してくるかわからん奴は初めて見た』
今回試験官を務めた十人の内のあるゼニスの言葉である。
その変幻自在と言うべきかデタラメというべきか……奔放な戦闘方法こそが彼の特色である。
更にはここぞという時にはとんでもないパワーを発揮する。
それ故に『格上食い』が起こりやすいのだ。
しかしまあプラス面ばかりではない。
集中力が持続しにくいのもまた彼の特徴である。
今回も後半に行くにつれて戦い方が雑になっていき相手に後れを取る回数が増えた。
勝ちの三勝も前半五戦内に集中しており後半五戦は全部落としている。
強さのブレ幅が大きいので格上を倒してしまったかと思えば格下に思わぬ不覚をとる事もある。
「ゼニスの称号持ちになりますと講演の仕事だけでも十分に食べていくことができますよ」
「壇上で『カンチョーしちゃいけません』とか言えってのか。やらんぞそんな面倒で退屈なこと」
虫を払うかのようにパッパと手を振るレグルスに苦笑するアーサー。
そもそもレグルスとは金や名声が欲しくて傭兵になった男ではないのだ。
……それはまあ貰えるのならある程度は欲しいとも思うがそこをメインの目的にする事はない。
……………。
そして……。
大部屋は静かになった。
まるで神託が告げられる時のように厳粛な空気の中で神官アーサーはミレイユの前に立つ。
「ミレイユさん」
「はい」
一勝もできなかったが……。
現時点での自分のすべてを出し切った、そう言える内容だった。
結果を待つミレイユの心は穏やかに澄み切っている。
「お……」
「……ぃエッッぶしッッッッ!!!!」
盛大なレグルスのクシャミにセリフの頭を潰されたアーサー。
室内全員の視線がレグルスに向く。
「いやスマン。鼻がむずむずした」
一応は場の空気をブチ壊しにした事に対して悪いと思っているのか頭を下げたレグルス。
「……っていうか勿体ぶらんでいい。合格だろ、ミレイユは」
「折角私がそれっぽい雰囲気にしようと頑張っているのに……」
嘆息しつつ肩を落としたアーサー。
そして糸目の神官は苦笑しつつ顔を上げる。
「……ええ、彼女も合格です。満票ですよ。滅多にないことです」
「!!」
驚いて目を見開いたミレイユ。
まだその言葉の意味を脳が咀嚼しきれていない。
「わはは、よーしよくやった! ゼニスだぞゼニス!!」
「きゃっ……!」
ミレイユを抱き上げるレグルス。
その事でようやくミレイユは我に返る。
「私が……ゼニスに……」
「そうだ。滅多になれんらしいぞ、めでたいな」
そのめでたいものに自分もなったばかりなのだが……。
まるでそれはどうでもいいとでもいうように自分の時以上にレグルスは喜んでいる。
「よかった」
抱き上げられたまま上から延ばした手でミレイユはレグルスの頬にそっと触れた。
夜の色をした瞳にレグルスが映っている。
「貴方の隣を……これからも歩いて行けそうです」
「そうだな。オレは歩くの早いぞ。しっかり付いて来いよ」
抱擁しあう二人を少し離れた場所で見守るジュリエッタとシンラ。
そしてその四人をさらに遠巻きにしているアーサー。
(これで六年間で四人のゼニスが誕生しましたね。……近年稀にみるハイペースです)
歴史の転換期には数多の英傑が現れるという。
今は比較的平穏な時代のように思われるのだが、何かが起こる前兆なのだろうか。
その事を少しだけ不安に思うアーサーだ。
ちなみにここ六年間でゼニスになった残り二人とはベルナデットとモモネの事であり、後に彼はこの二人もレグルスのハーレムメンバーだと知って仰天する事になるのであった。
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廃墟と化した白の巨城。
滅んで地の底に沈んだかつての繁栄の都の中心部。
そこに集うのは今や野生の獣か数多の魔人たち。
冥界からの魔気によって魔人として再構築された者がまず現れるのがこの廃墟だ。
ここを管理している者が転送の魔術によって呼び寄せているのである。
その管理者……大廊下を歩む男装の麗人。
褐色の肌の魔族シェラザード。
彼女は魔人化した者が最初に出会うことになる導き手だ。
いつから彼女がそうしているのか。
何故そうしているのか。
その事を知る者はいない。
「……おや」
足を止めるシェラザード。
彼女は意外そうな表情で眉根を揺らす。
目の前に立っているのは二人の魔人だ。
氷の目をした黒ずくめの戦士……ライアー。
そして白衣のプラウド。
奇しくも会の最古参の魔人と最も新しくメンバーになった魔人のコンビだ。
「これは珍しいお二人ですね。如何されました?」
白衣の瘦せた男が大げさに肩をすくめる。
知らん、とでも言うように不貞腐れた表情で。
ここへ来てからの彼はそんな顔ばかりしている。
代わりに、隣に立つ黒いジャケットの男が冷たく笑った。
「用があるのは我々ではない」
目を閉じて黒衣の魔人が言う。
「……ルーザーがお前に話があるそうだ」
「?」
怪訝そうな表情になるシェラザード。
その次の瞬間……。
「グ……あぁッッッ!!!!」
背に走った灼熱。
褐色の女魔族の口から苦悶の叫びと共に鮮血が吐き出された。
……斬られた。
背後から不意打ちを受けたのだ。
自分にそんな事ができるのは円卓の魔人でも極限られた者だけだ。
「ルー……ザーッッッ!!!!」
「こんにちはシエラ。いやこんばんは、か? いけないな自堕落な生活で昼夜の区別もつかない。ここは年中薄暗いしな……」
背を斜めに切り裂かれて振り返ったシェラザードは自分の血でべっとりと汚れた片刃剣を肩に担いで笑っている魔人ルーザー……マコトを見た。
「何故、このような……」
ぼたぼたと床に大量の血を零しながら男装の魔族はガクガクと膝を揺らす。
「私たちもそろそろ好きに遊びたいんだよ。いつまでも保護者同伴は窮屈だろ?」
「なんと愚かな……ッ!!」
ギリッと奥歯を鳴らしてシェラザードはマコトを睨み付けた。
「案内役たるこのわたくしを失えば……貴女たちに待つものは破滅だけですよ!!!」
その言葉にマコトが表情を失う。
人形のように無表情になり、それからもう一度彼女は笑った。
愉しそうに……笑った。
「面白いことを言うなぁ、シエラ。破滅しかないって……?」
ピシュッ、と虚空を横に走った銀色のライン。
ゴトッと床に何かが落ちる音。
足元に転がってきた驚愕の相を張り付けたままのシェラザードの頭部をライアーが無言で見下ろした。
「……そんなの、初めからずっとそうだろ」
そのマコトの目の前で頭部を失ったシェラザードが鮮血を噴き上げながらゆっくりと横に倒れた。