第六話 ジュリエッタ、襲来
……予感があった。
夜会で初めて彼を見た時からだ。
(この方は……絶対に将来何か伝説的な功績を残すことになりますわ)
そう、ジュリエッタ・プリムローズがレグルス・グランダリオを見初めた最初の切欠は過去の功績ではなくその将来性だったのだ。
別に彼と添い遂げることでその栄光のおこぼれに預かろうというのではない。
ジュリエッタは自らの実力と価値を確信している。
そしてそれを更に高める為の研鑽も怠らない。
「レグルス様!!!」
よく通る声だ。それは平日昼下がりの賑わう大通りであっても変わらない。
周囲の者たちが一斉に彼女を見る。
そしてそれは呼ばれたレグルスも同じだった。
いつものようにエドワードを引き連れて巡回という体でぶらぶらしていたレグルス。
「ん? ジュリエッタか。お前なんでロンダーギアにいるんだ?」
「まあ野暮なお方ですわね。貴方を追いかけてきたに決まっていますわ」
軽やかな足取りでレグルスの前にやってきたジュリエッタが拗ねたような表情を作って上目遣いに彼の顔を覗きこむ。
実のところ、戦勝祝賀会の後で関係を持った令嬢の内半数以上の顔と名前をもうレグルスは忘れてしまっていた。
なんというか……似たタイプばかりで記憶の中でどの娘がどうだったかごっちゃになるのだ。
そんな中でも彼女ジュリエッタだけはしっかりと記憶に残っている。
あの中では傑出した美人であったし、ふんわりぼんやり自分のナンパに応じて抱かれた他の娘たちとは違うしっかりした芯のようなものが通っていることが印象に強かったのである。
「そーかそうか、そんなにオレの事が忘れられんかったか」
わはは、と上機嫌にふんぞり返るレグルス。
美人が自分を追いかけてくるというのは気分がいい。
「レグルス殿、こちらは?」
「ジュリエッタだ。王都の……なんだっけか? いいとこの娘だぞ。オレの女(の一人)だ」
尋ねるエドワードに自慢するようにレグルスがジュリエッタを紹介する。
「将来の伴侶、ですわ。初めまして、プリムローズ家のジュリエッタです。お見知りおきくださいませ」
やんわり補足してから完璧な作法で優雅に一礼するジュリエッタ。
「これはご丁寧に痛み入ります! エドワード・アーチボルトであります!!」
敬礼で応えるエドワード。
自己紹介が終わった所でジュリエッタがレグルスの腕に自分の腕を絡める。
「さあレグルス様。お住まいをご用意しております。いらしてくださいませ」
「んぁ? あー……そうだな」
ちょっと微妙な表情になったレグルス。
はしゃぐジュリエッタはわずかに引き攣った彼の口元に気が付いていない。
(こいつが用意した家って事は豪邸だろ? オレはメイドだ執事だに囲まれた生活ってのは好きじゃないんだよな……)
地方の庶民の出であるレグルスは上流階級の生活と言うものに馴染めず落ち着かないのである。
それに年がら年中女性を連れ込みたいレグルスとしてはそれを一々使用人皆が知っているというのもイヤな気分だ。
確かに外でナンパしてその相手を都市庁舎に連れてくるわけにもいかないので外に新しく部屋を借りようかと思っていた矢先ではあるが……。
(とりあえず行くだけ行くか……)
そう思ってレグルスがジュリエッタに促されるままに歩き出そうとしたその時……。
「レグルス」
「おっ」
その声量もささやかな、もの静かな声。
しかしレグルスの耳にはその呼びかけがしっかりと届いた。
……振り返るとミレイユがそこに立っていた。
何故だか料理の盛ってある皿を手にして。
「んなッ……!」
愕然としたのはジュリエッタであった。
反射的に彼女はレグルスと組んでいた腕を離してしまう。
そして自分がそういう行動に至ったことにもまだ気が付いていない。
(びっ、美人……!! このわたくしが容姿の美麗さで他者に敗北感を感じているというの!? ありえない……ありえませんわ!!)
突然現れた正体不明の女性の……その顔立ちを目にして打ちのめされる。
きゅっと唇を結んで慄いているジュリエッタだ。
(ですが人の魅力とは内面も含めた全体的なもの! あらゆる作法を修めて芸術にも造詣の深いこのわたくしの……)
「ようやく見つけました、レグルス。……食べてください。私が作りました」
皿を突き付けてくるミレイユ。
盛られている料理は半分が野菜とベーコンを炒めたもので、もう半分は魚の焼き身だ。
(……手料理ッッ!!!??)
またも勝手にジュリエッタがダメージを食らっている。
作法は完璧でも家事はダメだ。
ジュリエッタが怠惰な人間だという事ではない。
生まれの問題である。これは少し前までのミレイユにも共通することであるが。
求められている役割が、学ばなければならない事柄が違うのだ。
……しかしジュリエッタは女性の手料理というものが男性に与える心理的影響というものについても理解はしている。
参考文献が多分に乙女チックな感じの書物ばかりなので若干歪んだ認識ではあるが。
「お前なぁ……まだこの街にいたのかよ。ってかあの時の事を根にもってやがったのか」
突き出された皿を前にレグルスが顔をしかめる。
見た目はいい。十分及第点だ。
それはいいんだが、これどこで作ったものだ? その辺ではあるまい。
「それ持ってオレを探してうろうろしてたのか? ヤベー奴だぞ、それ」
そんな事にまで考えが及ばなかったのか、それともどうでもいいと思っているのかやはりミレイユの表情は動かない。
「食えはいいが、箸かフォークは?」
「あっ」
驚いた顔で固まったミレイユ。
……持ってきていないらしい。
ハァ、とレグルスはため息をついて……。
「ちょっとその辺の適当な店で貰ってこい」
「了解であります!」
指示を出すと即座に走っていくエドワードであった。
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流石にここまでされると食わないという選択肢はない。
付近に適当な場所もないので街路の花壇の縁に腰を下ろしたレグルス。
そこへ雑貨屋でフォークを買ったエドワードが戻ってくる。
「どら……冷めちまってるぞ、これ」
フォークを受け取るとレグルスは一切の躊躇なくガバッと大口を開けて料理を食べ始めた。
初めにベーコンと野菜の炒め物だ。
「ちっとしょっぺえな」
忖度なしで正直に感想を口にするレグルスにミレイユはほんの僅かに表情を曇らせた。
ただしょっぱいと言ったのはベーコン本来の味の事で料理の味付けのことではない。
「うん、バターの風味がいい」
野菜の味付けは好評である。
続いて白身の魚のソテーを口にするレグルス。
「おっ……」
そして意外そうな顔。
ぐぐっとミレイユが身を乗り出して続く言葉を待つ。わずかに鼻息が荒い気もする。
「これは美味いぞ」
冷めていても美味い。暖かければもっと美味いだろう。
後味と共に鼻の奥に抜けていく香草の香りが彼好みだ。岩塩の味付けもいい。
それを聞いて満足そうに目を閉じると深く息を吐き出すミレイユであった。
「ごちそうさん。……で、これで満足したか? 大人しく国へ帰れよ」
空になった皿をミレイユに返しながらレグルスが言う。
「いいえ、帰りません」
やはり拒絶するミレイユ。
その返答はもう予想していたのかレグルスは小さく嘆息するだけだ。
「貴方のそばに置いてください。お料理以外も色々できるようになりました。今も勉強しています。……償いをさせてください」
「あのなぁ、ミレイユ……」
綺麗な女性と一緒にいるというのはレグルスにとっても望むところではある。
ただそれはお互いがハッピーな状況ならだ。
贖罪だとかそういう気持ちで一緒にいるのはゴメンなのだ。
「お待ちくださいませ」
レグルスが彼女をどうにか思い留まらせようとあれこれ説得の言葉を考えていると横合いから話に割って入った者がいる。
先ほどまで(勝手に)打ちひしがれていたジュリエッタだ。
「それは許可できませんわ。未来の伴侶として!」
「伴侶……?」
突然首を突っ込んできたジュリエッタをミレイユが不思議そうな顔で見る。
そしてミレイユはその視線をレグルスに移した。
「おめでとうございます……?」
「めでたくないわ。コイツが勝手に言ってるだけだ」
半眼で腕組みするレグルス。
「あら、いずれ必ずそうなりますわ。これは運命というものですのよ。……とまあ、それはさておきまして」
改めてジュリエッタはミレイユと真正面から向き合う。
「ジュリエッタ・プリムローズと申します。この御方のお側にいたいとおっしゃるのなら、このわたくしを倒してからにしてくださいませ」
「あ、オイ……」
流石に見かねてレグルスが口を挟んだ。
ミレイユは可憐な見た目からは想像しにくいが稀代の大魔術師なのだ。
突っ込んでいって大怪我でもされた日にはレグルスも寝覚めが悪い……っていうかまたこっちのせいになって面倒な事になりそうだ。
だがそんなレグルスをジュリエッタは自信満々な視線で見る。
大丈夫だ、心配いらないと……そういうかのように。
「ミレイユ・ノアと申します」
名乗りに応じてミレイユも一礼する。
「勝負するなら構いませんが、私は魔術師です。魔術師としての戦い方になりますが」
「結構でしてよ。お好きになさいませ」
相も変わらず淡々としたミレイユと相も変わらず自身に満ち溢れているジュリエッタ。
別方向にだが双方マイペースな二人である。
(……待てよ、そういやコイツ確か)
その時レグルスの脳内にジュリエッタに関するある記憶が蘇ってきた。
『無垢なる薔薇の騎士団』その女性だけで構成された騎士団はそう呼ばれている。
構成員は全員がリアナ・ファータ王国の良家の娘たちであり、揃いの白銀の鎧に真紅のマントを身に纏う。
ある時レグルスはこの騎士団を実際に目にする機会があった。
「そんなもんがあったのか。オレもそこの所属にしてくれ」
「できるわけないだろうが。……あそこは女性しか入れんよ」
突然執務室に押し掛けてきてまた無茶な事を言い出したレグルスにマクベス宰相が頭を抱える。
「それにだ……」
言葉を切りやや思わせぶりな目線で見てくる宰相。
「ざっくばらんに言ってしまうが、あそこの娘たちがやっているのはごっこ遊びだよ。騎士団の名は与えられてはいるが、実際は式典の時用のお飾りだ。見栄えはするのでな」
マクベス宰相が言うには……。
高貴な家柄の娘たちの中には一定の割合でそういう「女性騎士」というものに憧れを持つ者がいるらしい。
そういった娘たちの我侭が通って結成されたのがイノセントローズナイツだ。
間違っても怪我などさせられないような娘ばかりが所属しているので、一応は訓練らしきものはしているが当然実戦に投入されるような事はない。
式典など公の場で華やかさを添える事がもっぱらの役割となっている。
……そして、ジュリエッタ・プリムローズはその無垢なる薔薇の騎士団の。
「イノセントローズ副団長の実力を見せてさしあげますわ! おっほっほっほっほっほ!!」
口元に手を添え、のけ反り気味に高笑いするジュリエッタと……何故だかそれにぱちぱちと拍手で応じているミレイユなのであった。