第五十一話 悪しき病巣
パイアスは「カルマ」に所属する魔人。
彼は寡黙で表情に乏しく他メンバーとの関わりもほとんど持たない。
孤高で静かな男である……表向きは。
最も会にその彼の外面を根底の人格であると思っている者など一人もいない。
何かが致命的に壊れた者だからこそ会のメンバーになっているのだろうから……。
実際に彼のその表向きの態度は徹底的な他者への無関心と冷徹さから出ているものであり本来の彼の性格は嫉妬深く執念深く苛烈で残忍である。
『敬虔なる者』の人間だった頃の名前はブルーノ・ゼーラルド。
さる国の聖騎士団長を務めていた。聖職者にして軍人である。
彼の本性はこの頃からまったく変わってはいないのだが、それを巧妙に隠し通し人格者として振舞い周囲の者たちからは慕われていた。
ある時ブルーノは恋をした。
否、それは恋などという暖かく眩しい感情ではなくもっとどす黒く粘着質な妄執である。
相手は女神の教団の尼僧であり……人妻だった。
教団ではシスターの婚姻が認められており結婚していながら勤めを果たしている尼僧も珍しくはない。
彼女に執着したブルーノは四六時中どうすれば彼女を手中に収められるのか、その事ばかりを考えて過ごすようになる。
そんな最中、彼は事故で命を落とす。
死因自体はまったく彼に落ち度はないもので、峠道を馬で通過している途中に一部が崩れ崖下に落ちたのだ。
その崖下には『裂け目』があった。
そこから漏れ出る闇の炎を浴びてブルーノは魔人となって蘇った。
異形となって国に舞い戻ったブルーノはシスターの夫と子供を惨たらしく殺害し彼女を攫った。
居合わせた者も皆殺しにした。
自分が彼女を攫ったと知る者を残しておくわけにはいかないのだ。
これから自分と彼女は、二人の過去を知る者が誰もいない土地で幸せに暮らすのだから……。
そうして惨劇を目の当たりにしておかしくなってしまったシスターが狂死するまでの数年間、ブルーノは遠方の地で彼女と二人で暮らしたのである。
記憶の中でシスターはブルーノと愛し合っており二人は幸福であったと改ざんされている。
彼の中の世界では彼は敬虔な聖騎士団長でありシスターは彼を慕う妻なのだ。
そんな彼を『カルマ』へ連れてきたシェラザードは彼を『敬虔なる者』と呼んだ。
彼が一日中祈ってばかりいるのは……その実は捏造の過去に思いを馳せ、妄想に耽っているのである。
……………。
少しずつモモネの呼吸が乱れてきていた。
異形と化したパイアスと彼女が交戦を開始して十数分。
何度と無く打撃を受けながらもパイアスは頑強さと再生能力でそれをまったく意に介していない。
「貧弱だな、女」
低く抑えた声に抑えきれない喜悦が滲んでいる。
相手を精神的にいたぶっているこの状況にパイアスは昂ぶっているのだ。
異形が胸を反らし馬の頭部が大きく息を吸う。
「……ッ!!」
身構え、次の瞬間に横に跳んだモモネ。
一瞬後に彼女がいた位置を馬が吐いた衝撃波を伴った黒い旋風が薙ぎ払っていく。
背後の建物が倒壊する。
破壊力はかなりのものだ。
攻撃力と体捌きには自信があるモモネだが耐久力はそこまででもない。
あれを食らってしまえば一撃で倒されかねない。
ただ避けていただけではない。
……大技を放ち終えた無防備な瞬間を狙う。
モモネの放った鋭い縦拳がパイアスの肩に命中する。
だが……。
「……かッたいですね~。もう。手が痺れてきちゃいましたよ」
しんどそうに呼吸を乱すモモネ。
ぶらんぶらんと垂れた手を振っている。
その拳は皮が破れ血が滲んでいた。
「うう、こうなったらもうモモちゃん先生奥の手いきますよ……!」
彼女の周囲に無数の医術の精霊が浮かび上がる。
それらはモモネの意思で一斉にパイアスに襲い掛かった。
「む……」
チクチクと小さな痛みを感じてパイアスが唸った。
精霊たちは元々戦闘能力はまったくないのだが手にしたメスなどの医療器具でパイアスの身体をちょこちょこと傷付けているのだ。
だが先ほどまでモモネの強打にも耐えていた異形の肉体には勿論満足なダメージは入らない。
「自棄になったかッ! 少々戦えるようだが所詮は女よ!!」
胸部のパイアスの顔がモモネを冷たく嘲笑う。
精霊が戦闘用の異能でない事など明白だ。
つまり彼女はそんなものまで出さざるを得ないほどに追い詰められているという事だ。
もう勝敗は見えた。
あと数発「黒い風」を叩き込んでやれば避けきれず被弾するだろう。
それで……終わりだ。
勝利を確信し再び大きく息を吸ったパイアス。
その魔人が急に地べたにへたり込んだ。
「!!? ボふッッッ!!!!!」
体勢を崩した衝撃で空に衝撃風を暴発する魔人。
(なんだ……? 足が……ッ!!??)
下半身の四本の足が勝手に膝を屈してしまっている。
そして、いう事を聞かない。
足だけではない。両腕も上がらない。
四肢が麻痺してしまったように動かせなくなってしまっている。
パイアスの前にモモネが立つ。
「何をした!? 何をした女ァッッ!!!???」
今だ自由の利く声帯のみを使って搾り出すように叫んだパイアス。
「身体の頑丈さと再生能力にかまけて痛みへの対処を疎かにするからです」
フーッと長く息を吐いたモモネ。
魔人の身体には今も彼女の精霊たちが纏わりついている。
それらが与える一つ一つのキズのダメージは些細なものだが……攻撃箇所は全て腱。
四肢の腱を断たれて動かせなくなったのだ。
「痛みは身体の異常を知らせる大事なシグナルなんですよぅ」
今も精霊は腱を傷付け続けている。
再生する端からまた断たれて復元できない。
「……ベルちゃん、こっちの方ちょっと生け捕り無理そうなんですけど」
ベルナデットの方を見るモモネ。
そんな女医を振り返ったベルナデットがニカッと歯を見せて笑うと親指を立てる。
彼女の向こう側の建物の壁には大きな鳥もちのようなものが張り付いており、頭部と胸部の一部を残して肉体をほとんど失っているギエランが貼りついて拘束されていた。
「わかりました。では処置してしまいますね」
「ま、待てぇッッ!!! 何をするつもりだ!! 貴様ごときが……敬虔なる聖騎士団長のこの私に!!!」
馬の首を激しく左右に振ってもがくパイアスが喚き散らす。
構えを取ったモモネが鋭く呼気を吐きつつ手刀をゆっくりと引く。
まるで弓を引き絞るかのように。
「イザベル以外の女になど何の価値もないのだぞッッ!! その……そんな無価値な女の貴様がッッ!!
貴様がぁッッッッ!!!!!!」
「……病巣切除します」
ズドッッ……!!!!
女医の放った鏃のように鋭い手刀はパイアスの胸部にある顔面を刺し貫き背中へと抜けた。
異形の背に覗く血で汚れた白く細い指先。
漆黒のボディがその傷を始点に灰色に崩壊していく。
「最後まで哀しい事ばかり言う人でしたね」
手にべっとりと付着した血も灰になって風に溶けていく。
その様子を見ながら物憂げに呟くモモネであった。
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……………。
漆黒の闇の中にいる。
「……何だ? ここはどこだ? 私はどうなったのだ」
騎士ブルーノが周囲を見回した。それから自分の手を見る。
一切が見えない濃い黒の中で不思議と自分自身だけは目視する事ができる。
不意に彼の前方に光が差した。
舞台にスポットライトが当たったように。
光の中に一人のシスターが立っている……ブルーノに背を向けて。
「おお、イザベル。そこにいたのか……私のイザベル」
彼女へ向かって歩いて行こうとするブルーノ。
しかし……その足が動かない。
「むっ、なんだ? 何故動けない。……イザベル、助けてくれ。こっちへ来てくれ、イザベル!」
手を伸ばして叫ぶブルーノ。
足だけがまったく動かない。
だが、彼がいくら叫ぼうが前方のイザベルが彼を振り返ることはなかった。
シスターの前にまた光が射す。
その光の中にはあの日ブルーノが殺めたはずの彼女の夫と息子が笑顔で手を振っている。
「お、お前らッッ!! お前らが何故!!? 死んだはずだ……私が念入りに殺したはずだろうがぁッッ!!!」
喚き散らして両腕を振り回すブルーノ。
しかし彼の罵倒は届いていないのか……イザベルは夫と子供に向かって歩いて行ってしまう。
「お前らがイザベルに触れるなぁッッ!!! その女は……その女はわたしのものだぞッッ!!!」
ブルーノは口から泡を飛ばして半狂乱になっている。
その彼に背後の暗闇から伸びてきた無数の腕がまとわりついて拘束する。
「うゴッ!! な、なん……だ……」
物凄い力で背後に引っ張られるブルーノ。
イザベルがどんどん遠ざかっていく。
「その女……は……」
もがく腕が虚しく何もない空間を引っ掻く。
「私の……も……」
ブルーノが闇に飲み込まれて消える。
そして周囲は静寂に包まれた。
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──遡ること数分前。
「ぜぇッ……ぜぇっ、はぁッッ……」
触手の魔人は進退窮まっていた。
ごっそりと削り取られてしまったボディを必死に再生している。
目の前のベルナデットはそれを妨害すらしない。
「ね~……まだですかァ? テンポ悪ぃですね、もっとちゃっちゃか治せねーの?」
余裕の体で必死で肉体を再生しているギエランを見物しているベルナデット。
(なんだこの小娘はッッ!!!?? バケモノが!!!!)
戦いは始めから一方的であり手も足も出ないギエラン。
何もさせてもらえずにガンガン肉体を削り取られている。
ベルナデットの武器は巨大な機械仕掛けのハンマーだ。
ハンマーとそしてブーツに噴射推進器が付いており、これを巧みに使いこなして彼女は戦う。
ジェットは飛翔を可能とするほどのパワーは無いのだがその代わりに彼女に多段ジャンプを可能としていた。
跳んだ先で噴射し別方向に跳ぶ。これを繰り返すことによりベルナデット・アトカーシアは自在に空を飛んでいるかのように縦横無尽に暴れまわるのである。
「オッチャン戦い慣れてねーですね。何考えてるのか次に何するのかとか全部丸わかりですけど?」
「ぐッッ……!!」
険しい表情で呻いたギエラン。
それは前回の戦いでシエラも看破していた彼の弱点である。
「後ね、簡単に手札晒しすぎ。相手の手の内わかってたらこっちもおマヌケじゃねーんで対策するんですよ」
ベルナデットは茂みの中から何かを引っ張り出して肩に担いだ。
銀色に光るランチャーである。
「……!!!」
容赦なくランチャーを撃つベルナデット。
弾頭はギエランに炸裂すると鳥もちのような粘着物質を展開し彼を背後の壁に貼り付けてしまった。
粘着物質には彼らがエネルギー源とする『闇の炎』の働きを大幅に抑制する物質が混ぜてある。
これに捕まると魔人は再生能力や攻撃の為の異能が使用不可能になるのだ。
「とまあ、ネタが割れてるとこんなもんですよ。初見殺しなだけでしたね、オッチャン」
ドスンと地面にランチャーを下ろしてベルナデットが肩をすくめた。




