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第四話 お姫様お帰りにならず

 朝が来た。

 陽が差し込む窓の向こうから小鳥の鳴き声が聞こえてきている。


「ん……」


 起き出す気配のした隣の女に向かって手を伸ばすレグルス。

 柔らかくて暖かい何かに手が触れる。

 ……ああ、なんて安らぐ手触り。


「あはは、コラー……ダメだよ」


 女は笑って優しく彼の手を除けた。

 レグルスが薄っすらと目を開くと彼女のぼんやりとした裸身が視界にあった。

 彼女は昨夜一緒にベッドに入る前に脱いだ服を着ようとしている。


「もうちょいゆっくりしていけよ……シェリルさん」


「そうもいかないって、今日だってお仕事なんだから。ほら、キミも起きなさい。今、朝ごはんの用意をするからね」


 シェリルと呼ばれた彼女は都市庁舎の職員である。

 濃い紫色のショートウルフの髪に涼やかな目元の美人だ。

 オマケにスタイルが抜群。

 これで独身だというのだから世の中には不思議なこともあるものだ。


 彼女とは昨夜のミレイユとの戦いの後で初めて顔を合わせた。

 エンリケからの使いでミレイユの診断の結果を報告に来たのだ。

 早速報告なんかそっちのけで口説くと意外とすんなりOKが貰えた。

 なので一緒に夕食を取り、お酒を飲んで……そしてしっとりと睦み合い現在に至るというわけだ。

 レグルスにとっては久方ぶりの心身ともに満たされた一夜だった。


「あら、おはよう」

「……おはようございます」


 ……?

 なんで自分の部屋で二人の女が朝の挨拶を交わしてるんだ?

 寝起きのぼんやりした頭でレグルスがそんな事を考えていると……。


「レグルス」


「どわぁ!!! なんじゃオマエ!!?? 何でオレの部屋にいる!!!??」


 ミレイユに顔を覗きこまれて驚いてレグルスは飛び起きた。


「早朝でしたのでノックで起こすのは憚られました。扉が施錠されておりませんでしたので、中で待たせてもらおうと」


 シェリルが椅子を持ってきたので、頭を下げて謝意を表してからミレイユはそこに座った。

 レグルスは仏頂面でベッドの上で胡坐をかいている。

 ……全裸だ。

 何もかもが丸見えであるが彼はそれを気にはしない。そしてミレイユも平然と常である無表情を維持している。


「んなこたーどうでもいいわい。お前は国に帰るはずだろ。何でまだいるんだよ」


「その事です。貴方の指示だと聞いたので抗議しにきました」


 あん? とレグルスは顔をしかめた。

 相変わらずミレイユは人形のように表情に感情を表さない。


 ……それにしても美しい。

 改めてその点にレグルスは内心で舌を巻く。

 数多の女性と浮名を流してきた自分でもこれほどの美人は初めて見る。

 単に容姿が整っているというだけではなく纏っている空気がどこか神秘的で現実離れしているのだ。


 しかし今はそんな事を言っている場合ではない。


「何故、私を放免するのですか? 私はこの街に被害を出した罪人です。裁きを受けるべき身です」


「被害っつーてもなぁ……」


 実際数時間雪を降らせただけで特に何か被害が出たという話は今の所何もない。

 風邪を引いた者くらいはいるかもしれないが……。

 ここで自分が襲われ命を狙われた事に関しては特に気にしていないのが彼の器の大きいところである。


「お前、自分がどんだけめんどくせー身分だか自覚がないんかよ。裁けるわけないじゃろが。外交がこじれまくるわ、知らんけど……多分な」


 実際レグルスは本当に外交の話とかはあんまり知らない。興味も無い。

 だがそんな彼でも今ミレイユをどうにかすれば物凄い面倒くさい事になるであろうという事はぼんやりとわかっている。


「問題ありません。私は祖国を捨てた身です。身元の定かではない犯罪者として扱ってください」


「捨てたってお前が勝手に言ってるだけだろ。お前のトーチャンはそう思ってねーぞ、多分な」


 とーちゃん……ギルオール帝国皇帝ヴォルフガング・ギルオール。

 国土の広さでいえば大陸最大の国家の支配者。

 通称『黒の大帝』 相当の高齢であるはずだが未だに大陸全土に恐れられている男だ。

 ミレイユはそれに対して静かに首を横に振る。


「いいえ。皇帝陛下にとっても私はもう不要の存在であるはず」


 娘は淡々と父親が自分に存在意義がないと思っていると……そう告げる。


「その証拠に私が密かに国を出てもう一ヶ月以上、私の前には陛下の手による者が姿を現していません。陛下にもしも私の所在を探し当てて連れ戻す気があるのなら私はとうに捕捉されて今頃はもう帝都にいるはずです」


「知らん! どうでもいい! めんどくさい!! とにかく帰れ!! すぐ帰れ!!」


 乱暴に言い放つとレグルスは野良犬を追い払うようにシッシッと手で払う。

 その仕草に初めてミレイユはややムッとした表情になる。


「二人とも少し落ち着いてよ。そんなのブラブラさせてないで……ご飯が出来たから、とりあえずは食べましょう」


 いつの間にやらテーブルの上に朝食を並べているエプロン姿のシェリル。


「いや座ってるんだからブラブラはさせとらんぞ」


 間の抜けた返答をする全裸のレグルスであった。


 シェリルが作ってくれたのはチーズとベーコンを乗せて焼いたパンと野菜を炒めたもの、それに鶏肉のスープである。3人分……つまりはミレイユの分もある。

 食材やエプロンは予め彼女が持ってきていたものだ。

 部屋に呼ばれたときにこうなる事がわかっていたのだろう……ミレイユの件は除くとして。


「うむ、美味い。実に美味い」

「そう? 簡単なものだけど、そう言ってもらえたら作ったかいがあるわ」


 上機嫌なレグルスにシェリルも微笑む。

 そんな二人のやりとりを相変わらず感情のよくわからない瞳で見つめているミレイユ。


「……貴方は無責任です」


 そして……食事が一段落した頃合を見計らって再びミレイユが口を開く。


「敗者を処するのは勝者の義務です。貴方は私を下したのだから、貴方の手で私をヨーゼフの所へ送ってください」

「知らんつの。死にたきゃ勝手に死ね。オレの手を煩わすな」


 またもムッとした顔になるミレイユ。

 見かねたのかシェリルが二人の間に入る。


「殺すとか物騒な話は無しにしても何かないの? レグルス君……彼女が気が済まないんですって」


「そうは言ってもなぁ」


 カリカリと頭を掻きながらレグルスは首を傾げる。

 自分にしてみればミレイユは厄介ごとの種でしかない。

 さっさと追い払ってしまいたいが……。


(何かして気が済むんならそうしてから帰らせりゃいいか……)


「お前はこういうのは作れるのか?」


 綺麗に食べつくして空になった皿を持ち上げて言うレグルス。

 ぐっ、と皇女が言葉に詰まった。

 一呼吸置いてから彼女は辛そうにうつむく。


「……お料理はしたことがありません」


「はいだめ、失格。クビです。お帰り下さい」


 両手で大きなバツの字を作るレグルスにミレイユががっくりと肩を落とした。


 ──────────────────────────────────


 出勤の時間が迫っているといって慌しくシェリルは帰っていった。

 ついでにミレイユもそのタイミングで部屋から追い出す。


「朝からドタバタしやがって。くたびれたじゃねーか」


 ドガッと乱暴に椅子に腰を下ろすレグルス。

 そして彼はゆらゆらと椅子の前足を浮かせると自分の足を組んだ。


『私には帰る場所はありません』


 ミレイユの言葉がレグルスの耳の奥に蘇る。

 そしてそれを口にした時の彼女の表情のない顔も。

 もしも、表情の通りに何も思わずにそれを口にしているのだとしたら……。

 なんだろう、心を上手く言葉にできない。

 酷く腹立たしく思うレグルス。

 自分が何に対して怒っているのかもわからずそこがまた腹立たしい。


(だからなんだっつーんだ。オレには関係がない)


 苛立たしげに鼻から息を吐き出したレグルス。

 突き放しつつもどこか……何か心に引っかかるものがある。


(……はー、やめだやめだ! 何でオレがあんな女の事でモヤモヤせにゃいかんのだ)


 気を紛らわせるように彼は別の事を考える。


(それにしてもシェリルさんか……彼女はイイな。実にイイ、うむ)


 来た時はこんな田舎に自分の気に入る女性もいまいと半分諦めていたのだがそんな事はなかった。

 都市長エンリケの秘書であるシェリル。

 彼女の存在が自分のこのロンダーギアという街そのものへの意識も変えてくれたようだ。

 乗り気ではなかった赴任も今では悪くなかったような気がしてくる。


 ……そう、元来レグルスは楽天家で前向きなのであった。


「うひひひ、あんな美人にいきなりポロッと出会えてしまうんだからな。案外その辺にもあのクラスの女が沢山うろついてるんじゃないか?」


 旧に前向きになりすぎたレグルスが鼻歌交じりに外出着に着替え始める。

 散策に出かけるつもりだ。


 ……そこへ、ゴンゴンと部屋の戸がやや強めにノックされた。


「……あん?」


「失礼します!! レグルス殿はおられますでしょうかッッ!!!」


 どばーん! とでかい音を響かせて扉が開け放たれ、これまたでかい声を轟かせつつ、ダメ押しとばかりにでかい男がのしのしと部屋へ入ってきた。


 警備部の制服を着た男だ。

 巨大……かつ、マッシブ。全身を覆った分厚い筋肉はナイフくらいなら通さないんじゃないかと思えるほどだ。

 些か大雑把にオールバックにまとめられたブロンド、太い眉毛にやたらとキリッとした目元のいかつい顔をしている。


「警備隊隊長のエドワードであります! 今日よりレグルス殿のお付きとして補佐を……」


 敬礼して溌剌と名乗ったエドワードであるが……。


「チェーンジ!!!!!!!」


「おわぁッッ!!?? 何故でありますか!!!??」


 大男の大声を上回る叫び声でレグルスはチェンジを宣言する。

 部屋の外を指差し「出て行け」のジェスチャー付きでだ。


「ふっざけんなバカヤロウ!! お前みたいな暑苦しいデカいのに張り付かれたら鬱陶しいだろうが!!! 帰りなさい!! ハウス!!!」


「そっ、そんなご無体な!! 自分は誠心誠意務めるでありますぞ!! 必ずやお役に立ってご覧にいれます!!!」


 男二人で互いに唾を飛ばして大声で応酬する。

 帰れと言われてエドワードもすんなりとは引き下がらない。

 必死に自らの有用性をアピールしつつ大男は食い下がる。


「どうせならシェリルさんを連れてこいよ。彼女なら文句はない」


「いえ、あの方は都市長様の秘書でありますから……」


 すっかり出かける気を挫かれたレグルスは乱暴に椅子に腰を下ろした。

 尻の下で木製の椅子はギシギシと苦しさから出る呻き声のような音を出す。


「お前らは今日だけでオレに何回帰れって言わせる気なんだよ」


「は、はい……?」


 ミレイユの件は知らないエドワードは不思議そうな顔をするだけであった。

 ゲンナリした顔でエドワードを見上げたレグルス。


「力仕事やら何かから盾にする時には使い道はあるか」


 ぶつぶつ呟いてから気力が尽きたように彼はがっくり項垂れる。


「……普段なるべくオレの視界に入るんじゃないぞ。毎度毎度お前みたいな遮蔽物眺めて暮らすのはゴメンだ」


「お、おぉッ! おお!! それでは……」


 瞳を輝かせるエドワード。

 立ち上がって近付き、レグルスはエドワードと肩を組んだ。


「ああ、根負けしたぜ。オレの相棒はお前だ……しっかりやれよ」


 ブワッと大粒の涙がエドワードの瞳から零れ落ちる。

 彼は両膝を床に突いて乱暴に手の甲で目頭を拭った。


「了解であります!! このエドワードに全てお任せ下さい!!」


 うんうん、と肯きながらレグルスはエドワードを立たせるとその背中に優しく手を添えて部屋の外へ導いた。

 素直にエドワードはそれに従いレグルスの部屋から出る。


「わかったわかった。今日の所はもう帰れ。……明日から来ちゃダメだぞ」


 バタン、と扉を閉めてからレグルスはやれやれと息を吐きだした。

 そしてしばしの静寂……。


「何ででありますか!! 明日からも来るであります!!!」


 ……我に返ってしまったらしい。

 外からエドワードがガンガンドアを叩きながら泣き叫んでいる。


 屋内で絶望的な表情で天井を仰ぐレグルスであった。


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