第三十二話 深淵に沈む
跳躍して攻撃の体勢に入っていたレグルスは不意打ちの迎撃に対して回避する手段がない。
両の足はもう地面を離れてしまっているのだから。
だからこそ触手の魔人もこの瞬間まであえて反応せずに相手の攻撃を待っていたのだ。
今こそが待ち望んだ致死の一瞬。
魔人の放つ黒い雷を彼はまともに浴びてしまう。
「ぐ……はッ!!!!」
空中でいくつもの爆発が重なり合って発生する。
爆発で吹き飛ばされたレグルスは後方の金属の壁に叩き付けられ、そして鮮血を撒き散らしつつ床に落下した。
「がぁぁッッ!!! クソが!!! おのれェェェッッ!!!」
しかし渾身の迎撃を目論み通りに命中させたギエランもまた、空中で怨嗟の叫びを吐きつつ苦悶に顔を歪めている。
(なっ、なんて奴だ!! アイツ……ワシの魔気砲を食らっているというのに……!!!)
見ればギエランの四本の腕の内、二本が半ばから切断され失われてしまっていた。
あの瞬間、レグルスは何とか攻撃を交わそうともがくのでは無く迷わずに向かってきたのだ。
至近から攻撃を食らいながらも剣を振るったのだ。
……何という覚悟。
狙ったものか偶然の結果か、ギエランは半分の腕を失い、レグルスに命中させた攻撃の威力は半減してしまっている。
「くっそ……痛えなこの野郎」
ぼたぼたと足元に血を滴らせながらレグルスが立ち上がってくる。
傷は深いが……それでもこの男の目はまだ些かも闘志を失っていない。
「何が……お前の何がこれほど気に食わないのか、それが今ようやくわかったぞ……」
ギエランの下半身に脚部の変わりに生えた無数の触手が威嚇するかのよう鎌首をもたげ先端をレグルスに向けた。
「その目だァッッ!! 生意気なその目ェェッッ!!! そのキサマの目が許せんのだ!!!」
「……フン」
激昂するギエランに対し、地上のレグルスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「何としてもその目を死の恐怖と絶望で濁らせてやる!! それこそがワシの復讐だッッ!!!」
「恐怖と絶望? オレが?」
怪訝そうに片方の眉を上げたレグルス。
やがて彼はフッと口の端を僅かに上げた。
「高望みしすぎだろうが、アホタレが」
…………………。
襲い来る大きな鉤ヅメの一撃をまるで踊るようなステップでメイドは交わし続けている。
速度は若干相手に分があるとはいえ拮抗していると言ってもいいレベルだ。
それなのに何故攻撃がまったく掠りもしない……?
(なんだァ? コイツ、心が折れたんじゃねえのかよォ)
攻撃が何度も空を切るスケアークロウは内心で訝しむ。
腕を切り落とされてからの一連の流れは全て彼の計算の通りだった。
絶望感で相手の戦意を喪失させるための演出だった。
渾身の攻撃が通用せずに、しかもこちらは大きな負傷を一瞬で元通りにする。
これで向かってくる女たちは絶望感に膝を屈するだろうと。
実際に直後のシンラたちの表情は自分の目論見が上手くいった事を表していた……はずだった。
だがそれもほんの一瞬の事だ。
彼女たちはすぐにメンタルを立て直したらしく今も自分に果敢に向かってきている。
「……………………………」
激しい攻撃を掻い潜りながらシンラは冷静に戦況を分析する。
確かに一瞬絶望感が心を覆いかけたが落ち着いて考えてみればまだ相手には付け入る隙がある。
あの腹の大口……最初のジュリエッタの轟雷はまともに受けてダメージも入っていた。
恐らく相手の攻撃を吸収するにも正対した上で吸引体勢に入ってなければならないのでは……?
そして食らった魔術をエネルギーにして腕を再生した。
即座に再生しなかったのは、何も無い所からあのレベルの負傷を元に戻すのは困難か無理だという事。
そして何よりもこの辣腕の剣士に自信を与えてくれるのは、この相手は殺戮や蹂躙に慣れていても一定以上の実力の相手との立ち合いに関してはほぼ素人であろうという予測だ。
(私のように同程度に動ける相手に対しての『有効な身体の使い方』というものがまったくわかっていない!)
パワーとスピードに任せた雑な攻撃をひらすらに繰り返すだけだ。
相手の攻撃のリズムとクセに慣れてきたシンラにとっては徐々に目視しなくても次の攻撃がどこにどういったタイミングで来るのかが予測できるまでになっている。
そしてもう一つ、彼女の安心感の根底にあるもの。
それは仲間たちの頼もしさだ。
自分がこうして相手を引き付けておけば必ずミレイユとジュリエッタも相手の攻略法を思いついてくれるはずだという信頼である。
「がァッッッ!!????」
裏返った悲鳴を上げて急に足を滑らせるスケアークロウ。
早くもミレイユがシンラの信頼に応えた。
魔人の足元の床が凍結して鏡面のように真上の光景を映して輝いている。
怪物はそれを踏んで足を滑らせたのだ。
そしてその隙に口のない背面にジュリエッタが移動している。
「背後から失礼いたしますわね」
雷神剣を一閃させるジュリエッタ。
迸った無数の雷の矢がスケアークロウの背に命中し、無数の焦げて炭化した肉片を散らす。
「ギヒイィィィィィィィッッッ!!!!」
巨体を仰け反らせて絶叫を上げる怪物。
やはりシンラの読みの通りに背後からの魔術を喰らう事はできないようだ。
「オイ! オイオイオイオイ!! クソアマどもがァッッ!! 調子に乗るんじゃねえぞォッッ!!!」
バキバキバキ、と大樹を引き裂くような音を響かせてスケアークロウがさらに変容していく。
全身の逆立つ大きな鱗が隆起し針のように……否、鋭い剣先のように全身を覆っていく。
そして怪物は膝を折りそれを両手で抱え込む形で球体に近い形態に変化していく。
「ホラよォッッ!!! これならどうすんだァァッッ!!!??」
ハリネズミのように全身を鋭い鱗で覆った巨大なボールと化したスケアークロウが縦横無尽に辺りを跳ね回る。
こうなると通常形態よりもさらにスピードが上がっており、オマケにバウンドが不規則で動きが予測し辛い。
(まずいな……)
シンラが唇を噛む。
攻撃が後衛にいってしまうかもしれない。
だがこの状態の相手はシンラでも足止めし切れない。
「……あっ」
シンラが一瞬思い浮かべた悪い予感の通りに……。
それまでよりも遥かに高く跳ねたトゲボールがミレイユの眼前にあった。
驚いた表情の皇女が硬直している。
「ミレイユ!!!!」
……彼女はそれを回避しきれない。
自分も間に合わない。
死の一文字が……脳裏を過ぎる。
その一瞬。
………ドゴアッッッッ!!!!!
突如として周囲を照らしたオレンジ色の光と響き渡る爆音。
耳を痺れさせる振動の中スケアークロウが明後日の方向へと吹き飛ばされる。
「ヒギッ!! ギィイァァァッッ!! アアァァ……ッッ!!!! 痛ぇぇぇ!!! イデぇよぉぉぉぉぉッッッ!!!!」
床に叩き付けられた魔人が叫びながらジタバタと暴れている。
その腹部が三分の一ほど削れてなくなってしまっており、ぶすぶすと黒い煙を上げていた。
何事が起こったのか?
答えは先ほどから立ち尽くしてずっと傍観者をしているエドワードの隣からひょいと顔を出した。
「おいっす。なんか心配だったから結局来ちまいましたよ」
お茶しにきました、みたいな気楽さで片手を上げているベルナデット。
小柄な彼女は体躯に見合わぬ大型のランチャーを肩に担いでいる。
その大型砲の銃口からはまだ硝煙が上がっていた。
「……効くだろ? ウチの武装はバアちゃん直伝、『対魔王用』ですよ」
「あがっッッ!! あがごゲゲゲゲ……」
必死に立ち上がろうとするスケアークロウ。
だが腰の辺りを大幅に削り取られた状態では体勢の維持もままならないのか、再びグシャッと床に突っ伏した。
(マズい!! マズいマズいマズいぞぉぉぉッッ!!! どうにか……どうにか身体を戻して……!! イヤもう逃げるか!! もうこうなったらダメだろ!! 逃げたほうがいいよなァッ!!??)
自分がどうするべきか、今の自分に何ができるのか、それがまったくわからないほど大混乱中の魔人。
その巨体に三つの影が差した。
ミレイユとジュリエッタと、そしてシンラだ。
全員が必殺の一撃の体勢を取っている。
「……まっ、待って」
魔人が喘ぐように掠れた声を出したその次の瞬間。
スケアークロウは腹部の損傷から胴体を両断され、その切断面に容赦なく氷柱と雷撃が叩き込まれた。
「ィィィッッッ……!!!!」
二つに分かたれた巨体が、更に細かく砕けて……。
その肉片すらもが炭化して崩れ去っていく。
……………………………………。
…………………………。
………………。
闇だ。
どこまでも続く深い闇。
そこをゆっくりと落ちていっている。
(い、イヤだ……)
ここがどこなのかもわからないが、自身が終焉に向かっているという事だけは自覚できた。
闇の中でも自分が助けを求めるように持ち上げた腕が見える。
骸骨のように痩せこけて……骨と皮だけの腕。
ああ、これは。
昔の自分の手だ。
砂漠の外れの貧しい集落に生まれた自分。
集落全体が貧しく日に何人もの餓死者が出ていた。
父も死んだ。母も死んだ。妹も死んだ。
皆みんな食うものも食えずに骨と皮だけになって死んでいった。
……冗談じゃねえ!
こんな惨めな終わりがあってたまるか。
自分だけは生き残ってやる。
どんな事をしてでも生き延びてやる。
何でもやった。思いつく限りの犯罪を犯した。
気付けば大きな盗賊団の首領になっていた。
もう飢える事はない。
腹一杯に食える。
ある時の収穫の中に不思議なランプがあった。
炎の代わりに、赤紫色の揺らめきを閉じ込めたランプだった。
そして自分はその妖しい揺らめきに触れて生まれ変わったのだ。
無敵の存在に……なったはずだった……。
(イヤだ……イヤだ! 飢えるのは……イヤだ……)
持ち上げた自分の痩せこけた腕がゆらゆらと揺れている。
何かを掴もうと、何も無い空間を掻き毟っている。
(誰か……俺に食い物を持ってこい……)
やがて意識も周囲の闇に溶け込むように薄れて消えていく。
(腹一杯に……食わせ……)
そしてかつての砂漠の盗賊王ジェイク……いつしかスケアークロウと呼ばれる魔人となった男はどこまでも続く深淵の底へ落ちて消えていった。