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第二十六話 帝国の三兄弟

 ギルオール帝国の中枢、帝城フューネリオン。

 曇天の下に聳え立つ威容。

 黒鉄の城の廊下を歩く銀の髪の青年……第三皇子リヒャルト。


「リヒャルトよ」


 その前に立ちはだかるのは黒い軍服の巨漢、第一皇子のマクシミリアンだ。

 悪鬼のような面相の大男に美形の優男。

 こうして見れば血を分けた兄弟でありながら両者の外見は対照的である。


「これは兄上、如何されましたか」


 威圧感の塊のような兄に斜め上から見下ろされてもリヒャルトは涼しい顔だ。

 その弟のすまし顔がまたマクシミリアンには気に食わない。


「何故ミレイユを国へ連れ戻さなかった? 同行させたヨーゼフの娘も置いてきたそうだな」


 努めて静かな言い方で兄は弟に問い質す。

 だがその口調が逆に彼の内心の憤怒を表していた。


「その件ですか……」


 やれやれと言った様子でリヒャルトは嘆息し哀しげに首を横に振る。


「その件でしたらもう、戻ってすぐに皇帝陛下にご報告しお許しを頂いていますよ。それ以上の説明が必要ですかな? 兄上」


 口元には温和な笑みを浮べながら……ただ目には冷たい光を宿したリヒャルトが言う。

 その彼の脳裏には父の前に立ったその時の事の情景が過ぎっていた。


 ……………。


「皇帝陛下がご報告をと」


 慇懃に告げて頭を下げたのは侍従長フレデリック。

 銀色の髪を几帳面に撫でつけ薄く口髭を生やした初老の男だ。


 リヒャルトはこの従者が昔から苦手であった。

 全身に定規を通しているかのような男だ。

 必要以外の事を口にする事は無く、動作に一切の無駄もない。

 まるで「温度」というものが感じられない男だ。

 機械仕掛けのような彼の精密な生き方は賞賛と尊敬に値するとは思っているが、好きにはなれない。


 その従者の持ってきた呼び出しに応じ、リヒャルトは父の玉座の前に立った。


 皇帝ヴォルフガング……自分の父親。

 こうして見れば二人は嫌と言うほどに「親と子」である。

 リヒャルトはこと容姿において誰よりも父の特徴を受け継いでいる。

 整った細面に長い銀色の髪。長兄に比べれば大分スマートなシルエットなどもだ。


 その父は今玉座の肘掛に突いた肘の先の手に頬骨を乗せ斜めに自分を見下ろしている。

 表情はどことなく空虚で、そして気怠げだ。


「御召により参上仕り……」


「例の男はどうであった?」


 恭しく頭を下げたリヒャルトの口上を遮って……いや遮ったという認識すらないのだろうが、唐突に皇帝が言う。


「ヨーゼフを殺した……その、なんとか言う男だ。見に行ったのであろう」


 数ヶ月前に城を飛び出し行方を晦ませた娘のことではなく、ヴォルフガングはレグルスの事を尋ねている。


「強いですね。ユーリアでは歯が立ちませんでした」


 息子の報告に父は反応を示さない。

 告げた方も告げた方でそれが相手の望む情報ではない事がわかっている。


「そして面白い男です。世の中の風向きを気にせず、自らの暮らす地の法を省みず、己の定めた道だけを歩いて生きている男……とでも言うべきでしょうか」


「……ほう」


 初めて父の目に生気が宿った。

 ゆっくりと姿勢を変えたヴォルフガングがようやく息子に顔を向けた。


「善いな。それは善い。……好ましい男だ」


 額よりもやや上に持ち上げた手でパチパチと何度か音を鳴らし手を叩くヴォルフガング。


「実に善いぞ。最近はそういった男もめっきり見なくなってしまった。時代か。虚しいものだ。お陰で私は昔の事を思い返してばかりいるようになってしまった」


「招きますか?」


 リヒャルトが問うと皇帝は目を閉じる。


「必要ない。ミレイユはいずれ必ずこの城へ戻ってくる。その時にそ奴とも会えるだろう。……それが運命だ。私はただその時が訪れるのを楽しみに待つだけでいい」


 それにしても、と皇帝は目を開き虚空を見上げる。

 口元の笑みはいつの間にか消えていた。


「ミレイユか……。母という存在を失ったあれには最早何も期待できんと思っていたが……そのミレイユがそんな面白い男を見出してくるとはな」


 ミレイユの母……エスメラルダか。


 リヒャルトがその人物の顔を思い出す。

 人形のようだと言われ感情を表に出すことのなかった娘と違い強い意志の光を目に宿した美しい女性だった。

 自分の母ではない。ミレイユとは異母兄妹だ。

 エスメラルダは数年前に城から姿を消した。

 理由は誰も知らない……父、ヴォルフガング以外は。

 離縁され城から追い出されたのではないかと噂されているがリヒャルトの考えは違った。


(……貴方が殺したのでしょう、陛下)


 無論、声には出さない。


「人生とは……面白いものだな」


 感慨深げに長い息を吐くヴォルフガングであった。


 謁見を終えてリヒャルトは玉座の間を出る。

 歩み去る彼の背後で衛兵たちが扉を閉める音がする。


「化け物め」


 背後の空間に向かって吐き捨てるように言うリヒャルト。

 その表情は普段彼が他者には晒すことのない冷たく強張ったものであった。


 ……………。


 そして現在。


「リヒャルトよ、我らは皇帝ヴォルフガングの子だ。全ての帝国の民たちの範とならねばならない存在だ。今のミレイユのような勝手な振る舞いは許されんのだ」


 拳を握るマクシミリアンの語り口が熱を帯びる。

 対照的にリヒャルトの心は冷えていく。


 ……この兄は、半ば以上本気でそう考えているのだ。

 その生真面目さはリヒャルトにとっても決して嫌悪するところではない。

 だが、発揮する場所を完全に間違えているとも思っている。

 兄弟で一番父を……皇帝ヴォルフガングを敬愛するこの兄はその生き方故に自分が一番父の興味の外にいる事に気付いていない。


 そしてミレイユに付いての言い分もだ。

 妹はこの城で長く黙殺されて生きてきた。

 必要な教育は受けさせてもらいつつもその他のものは一切与えられることなく生きていた。

 露骨にではないにせよ誰もが彼女から目を背け続けてきたのだ。

 だから彼女はあのような行いに出た。

 己の存在に、生命に価値がないと思っているからこそ省みなかった。

 それは周囲が彼女のそのように扱ってきたからだ。


 気にもかけていなかった者が急に自我を出したからとて、それでいきなり皇族の義務だどうだと言い出し束縛しようとするのは歪で美しくない行いだと思う。


 だがそれを語ったとて意味はあるまい。

 前提からあまりにも違いすぎるのだ。

 生まれ付いて己の血に隷従し、それを幸福であるとすら思っているこの兄と自分が分かり合えることはあるまい。


(気の毒にな。せめて伝えてやれればいいのだが……貴方が大好きなお父様に好かれる方法を私は知っていますと)


 兄弟の中では自分が一番父に気に入られている自覚はある。

 だから兄も自分のように考え、振舞えば皇帝の評価も変わる事だろう。


(陛下に好かれたくば……私のように彼を憎悪し殺意を持つ事ですよ、マクシミリアン兄上様)


 いまだ皇族とは何かを熱を持って語っている兄を見てほろ苦く笑うリヒャルト第三皇子であった。


 ……………。


 一通り言いたい事を言って長兄がその場を去ると、それを見計らっていたようなタイミングで姿を見せた男がいる。

 げっそりと痩せこけ、ぼさぼさの髪の白衣の男だ。


第二皇子(ヨアヒム)兄上」


 優雅に一礼する弟にヨアヒムは鷹揚に片手を上げて応じる。


「災難だったなァ、リヒャルト。ご立派なお兄様の御高説を賜ってな……」


 落ち窪んだ眼窩の底の目をギョロリと動かしてヨアヒムはキシシシと何かが軋む音に似た不快な笑い声を出す。

 リヒャルトは穏やかに微笑むだけだ。

 迂闊に同意して自分が兄マクシミリアンに対して良い感情を持っていない事の言質でも取られれば厄介だ。


「あんなもんは聞いてるフリだけしてハイハイ言っておきゃいいのさ。まァ、要領いいお前はわかってるだろうがな」


 自分を見る兄がその目に暗い光を宿す。

 この次兄は長兄の事を内心で軽蔑し憎んでいる。

 兄弟の中で一番身体能力に恵まれなかったこの第二皇子はそんなものは歯牙にもかけぬと振舞っておきながらもその実強い劣等感を抱えて生きている。

 恵まれすぎている体躯のマクシミリアンを嫌悪するのはそれ故だ。


 ……かといって弟である自分を良く思っているというわけでもない。


 ふと、笑いそうになるリヒャルト。

 滑稽だ。

 何という事もない。自分たちは血の繋がった兄弟全員で互いを軽視し嫌悪し合っているというわけだ。

 そこに父や妹を加えてみても愛や情で繋がっているラインが一つもない。


 何度か言葉を交わしても弟から望んだ反応を得られなかったヨアヒムはその内に白けたように立ち去って行った。

 また自分の研究室に籠るのか。

 ヨアヒムの研究のテーマは「究極の肉体の創造」だ。

 それを薬物の効能によって成そうとしている。

 実験と称して被検体である者たちを相当数使い潰している事をリヒャルトは知っている。


()()()()()の血を引いているのだ。……まともなはずもない、か)


 去り行く白衣の後姿を感情の無い空虚な目で見つめるリヒャルトであった。


 ────────────────────────


 ロンダーギアの街、昼下がり。

 街の中央を貫くメインストリートを異音が進んでいく。


 がしょん、がしょん、がしょん……。


 道行く人々は誰もが足を止め、言葉を失い闊歩する()()に見入っている。

 戦車なのだろうか? 砲塔の付いた鈍色のボディに四本のカニかクモのような足が付いている機体だ。

 その足をガサガサと動かして通りを進んでいる。


 歩くカニ戦車(?)その本体と思わしき部分の上部ハッチが開いて誰かが顔を覗かせた。

 ゴツいゴーグルの付いたヘルメットを被った何者か。


「お、なーんだよ思ったより栄えてんじゃねーですか」


 弾んだ声を上げる少女。

 ツリ目気味の大きな瞳にあちこち跳ねのある橙色がかったブロンドの小柄な女性だ。

 見た所は十代後半くらいなのだが、彼女は見た目の通りの年齢ではない。

 人間種族よりも長命なドワーフ族の血が入っているからだ。


 自分を見上げてあれこれ囁き合う通行人たちの事など気にもしないで少女は掌を庇にして街を見回している。


「さーって、ダーリンはどこかなーっと。可愛い可愛いウチが会いにきましたよ。……()()()()()()()()()を持ってな」


 奇妙な乗り物の上でうひひひと不気味に歯を見せて笑う少女であった。



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