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第十七話 兄と妹

 日が暮れて夜になった。

 屋敷にシンラを連れて戻ってきたミレイユ。

 だが色々と複雑な事情を抱えたシンラをジュリエッタには紹介できず、二人は今七割がた完成しているレグルスの新居の入り口の建築資材に腰を下ろしている。


 ……レグルスが戻ってこない。

 わずかに憂いの色を瞳に滲ませミレイユはロンダーギアの夜景を見ている。

 そしてまたその彼女を何か思案顔でシンラが見ていた。


 シンラにとってレグルスは父を戦場で討った相手である。

 仇と言うべき存在だ。

 だがかつてのミレイユがレグルスに対して激しい復讐心を抱いていたのに比べ実の娘であるシンラは憎悪や憤怒の感情を彼に対して持っているわけではない。


 かねてより父は娘にこう言い聞かせてきた。


「いつかは俺も誰かにやられて戦場に屍を晒すことになる。だがなァ、ユーリア……その相手を恨んだり憎んだりしちゃいかんぞ!! 斬った斬られたは俺たち戦場に生きるモンの倣いよ!!」


 数多の敵を戦場で討ち果たしてきた男だからこその考えと言葉だ。

 シンラは父ヨーゼフに心酔していたというわけではなく、それなりに反発も持っていたのだがその言葉には共感している。


 だから……シンラはまだミレイユが復讐を諦めていないようであれば説得して思い留まらせ、その上で帝国へ連れて帰ろうと考えていたのだが……。


「………………」


 ミレイユの横顔を見て物憂げに嘆息したシンラ。

 事態は彼女が考えていたのとはまったく違った方向へ転がってしまっていた。

 あろうことか今ミレイユはレグルスと一緒に暮らしているという。

 ……そして彼女は帝国へ戻るつもりはないと言っている。


(困った事になったものだ……)


 内心で頭を抱えたシンラ。

 ミレイユも薄々想像しているであろうがシンラもレグルスの帰りが遅い理由を察している。


 リヒャルトと接触したのだ。


 そして高確率で二人は戦闘になったはずだ。

 リヒャルトが負けるはずはない。皇子がレグルスを仕留めてしまうならそれはそれでよいと思っていた。

 ところがだ……。


 ミレイユの変化を知った今となっては、もし第三皇子がレグルスを討ってしまっていたら事態は一層収拾が難しくなってしまう気がする。

 こんな事になるのなら皇子と別行動をするのではなかったとシンラは悔やむ。


「……!」


 うつむき加減だったミレイユが顔を上げた。


 遠くから声が聞こえてくる。

 ……聞きなれた下品な大笑いが。


「わーっはっはっはっはっはっは!!! 実にいい食堂(みせ)だったな!! 何で来たばっかのお前があんな店を知ってるんだ!! わはははは!!!」


 酒臭い息を吐いて赤ら顔のレグルスが近所迷惑な大爆笑をしつつ屋敷の敷地に入ってきた。


「気に入って貰えたなら何よりだ。昔から良いものを探し当てる嗅覚にはちょっとした自信があってね」


 隣を歩いているリヒャルトも気持ち酒気を帯びて頬を紅潮させている。


 御馳走する、と言ってリヒャルトがレグルスを案内したのは実は罠……という事もなくこじんまりとした住宅街にある一軒の食堂だった。

 隠れ家的な店であり、ぱっと見では普通の民家にしか見えない。

 そして自信を持って薦めてくるだけの事はあって料理も地酒もどちらもレベルが高い。

 上品すぎる店は好まない気質のレグルスは随分その店を気に入った。

 結果、彼にしては非常に珍しい事なのだが男二人だけの食事と飲みだというのに大いに盛り上がって帰ってきたのであった。


「……兄上様」


「ミレイユ、息災そうだな。何よりだ」


 出迎えるように二人の前に立ったミレイユにリヒャルトが微笑みかけた。

 ……優しい笑みだ。

 だが、ミレイユは彼が一切何の感情もなくこの表情ができる事を知っている。

 そう、父のようにだ。


「……何? 兄? お前こいつの兄ちゃんだったのか……? うおッ!? 美人がおる!!」


 赤ら顔でミレイユとリヒャルトの顔を交互に見た後でシンラの存在に気付き何やら驚嘆するレグルスだ。


 四人が顔を揃える。

 様々な思惑を秘めた視線が交錯する。

 一人だけ状況がまったく把握できていないのがレグルスだ。


「リヒャルト様……これはどういう事でしょうか?」


「どうとは?」


 シンラの声には若干咎めたてるような硬さがある。

 それに対してリヒャルトは変わらず平然としている。


「ミレイユ……様、を連れ戻すのにご協力頂けるはずではなかったのですか?」


「それは誤解だ、ユーリア」


 軽く肩をすくめるリヒャルト。

 何気ない仕草の一つ一つが絵になる男である。


「確かに私はミレイユは帝国に戻るべきだと言った。……だが、急いではいない。今は戻らないと妹が言うのであればその意思を尊重するべきだと思っているのだがね」


「……………」


 沈黙するシンラ。


 ……懸念はあった。

 懇意にしているわけでもない自分にある日急にこの皇子は声を掛けてきたのだ。

 ミレイユの現在の居場所を知っていると。

 それは薄々シンラも想像できてはいたのだがそこまで行く手段がなかった。

 リヒャルトはそんなシンラを飛竜(ワイバーン)で現地まで連れて行ってくれるという。

 しかも脱走兵にならない様に特別任務という扱いでだ。


 破格の厚遇である。

 心のどこかで疑問に思いつつも、それを妹を思う兄としての情からくるものだと思い込もうとしてきた。


(この方は……状況を楽しんでいるのだ)


 事ここに至ってシンラはそれを確信する。

 自分や父……そしてミレイユの事などこれまで歯牙にもかけぬように振舞ってきていながらもその実全てを把握していたのだ。


 ……味方と信じたのは誤りだった。

 この男から今回はこれ以上の助勢はない。

 ここから先は自分だけでどうにかするしかないのだ。


(ミレイユを連れ戻すために私をここに連れて来たのではなく……レグルス(この男)にぶつける為だったか)


 ……ならばいい。それでいい。

 これまでの短い時間でシンラも思い付いていたことがある。


 ミレイユを帝国へ連れ戻すための秘策が。


「レグルス・グランダリオだな」


 それを実行に移すためにシンラはレグルスに向かって一歩を踏み出した。

 長く艶やかな黒髪が月光を弾いて夜風に靡く。


「そうだ、オレがレグルスだ」


 幾分か酔いが醒めてきているレグルス。

 シンラの纏っている空気にも気付いている。

 実際に抜刀はしていないが……。

 だが彼女はもう心の刃を抜き終えている事を察している。


「言っておくがな……めちゃくちゃ強いぞ」


 自分を親指で指してニヤリと不敵に笑う。

 挑んでくるのなら覚悟して来いよ、と。


「シンラ・ユーリア・エルドガイムだ。お前が殺したヨーゼフ・エルドガイムの娘だ」


「はぁ!? 娘ぇ!!? 嘘つけあんな馬鹿デカい熊みたいなオヤジからお前みたいな美人が産まれるわけないだろうが!!」


 裏返った声で叫ぶレグルスに我慢しきれなかったリヒャルトが思わず吹き出す。


「私は母親似なのだ」


 毒気を抜かれるような気分で低い声を出すシンラ。


 母は帝国の民ではなく、父が遠征先で出会った東方の民であった。

 一目惚れした父が拝み倒して連れて帰り娶ったのだと聞いている。

 シンラの顔立ちや黒髪は母から受け継いだものである。

 その母は彼女がまだ幼いころに病で命を落とした。

 元々病弱な人であったらしい。

 父は後妻を迎えることもなく、時折夜に一人で妻の遺品を前に晩酌をしていた姿を覚えている。


「お前を倒してミレイユを国に連れて帰る。勝負してもらおう」


「……シンラ」


 何かを言いかけるミレイユを片手を上げてシンラが制した。

 大丈夫だと目だけで語って。


「構わんがオレが勝ったらお前オレの言うことなんでも聞けよ」


「わかった」


 レグルスの要求にうなずいて応じるシンラ。

 元より戦士の敗北は死であると覚悟している。

 何を要求されようが構わない。


「私が勝った時は……お前はミレイユと一緒に帝国に来てもらう」


「む……」


 唸るレグルス。ちょっと予想外の要求が来た。


(ミレイユを連れて帰る方法は恐らくそれしかない)


 それが彼女の思いついた秘策。

 ミレイユを無理に連れ戻すのではなく、レグルスの方を連れていく。

 そうすれば……恐らくミレイユは付いてくる。


(面白い、短い時間でよく思い付いたな)


 両者のやり取りを見守るリヒャルトの表情からいつの間にか笑みが消えている。

 密かにシンラの思い付きに対し感心している第三皇子。


(そしてレグルス……楽勝だと思っているのなら足元を掬われかねないぞ。シンラの実力は既に父ヨーゼフを超えている)


 エルドガイム将軍と双剣レグルスの激闘についてはリヒャルトも話を聞いている。

 双方一歩も譲らず数時間にも及ぶ激戦の果てに辛うじてレグルスが勝ったという話だ。

 これは両者の実力が拮抗していたという事だろう。

 もしも二人が互角であったのなら……レグルスはシンラには勝てまい。


 妻を亡くしたヨーゼフは娘を立派なレディとして育て上げることは早々に諦めた。

 もしも娘が淑女として生きていきたいのなら相応しい家庭に養子に出すと提案し、自分の元に残るのなら軍人として鍛えるとシンラに告げたヨーゼフ。

 そして……娘は父の下に残ることを選んだ。


 母の故郷である東方の武器である刀を気に入ったシンラに父は同じ東方から腕利きの剣客を教師として招いてくれた。

 しかし娘は周囲の予想を超えてどんどん腕を上げてしまい、師を負かしてしまうのでヨーゼフは都度苦労して新しい師を探してこなければならなくなった。

 最後の師を負かしたのは十九の時だ。

 それからは実戦だけが彼女の師であった。


「……酒が入っているな。勝負は後日にしよう」


「酔いはもう醒めてるが、食いすぎでハラがキツいな」


 馬鹿正直に告白するレグルスを見てからシンラがミレイユの方を向く。


「後日迎えに来る」


「シンラ……」


 複雑な表情のミレイユ。

 普段は人形のように無表情な皇女であるがシンラの前では比較的感情を表に出す事があるようだ。


 そして黒髪の女剣士は夜の街へと消えていった。

 同じ宿を取っているリヒャルトの方はもう一瞥もしない。


「ふむ……嫌われてしまったかな? すまないのだが一晩泊めてもらってもいいだろうか? 宿は結構ここから離れているし、頑張って戻って冷たい目で見られるのも辛いのでね」

 

 やれやれと嘆息しつつ「困った」と言うように軽く首を横に振るリヒャルト。


「あー。頼んでやるわい。一部屋くらい用意してくれるだろ、でけー屋敷だし」


 リヒャルトとシンラの表に出さない事情を知らないレグルス。

 彼にしてみればシンラは単にここへ来てミレイユを連れ戻すことにリヒャルトが消極的な事に腹を立てているように見えているのだった。


 レグルスとリヒャルトが連れ立って屋敷に入っていく。


「…………………」


 そしてその場に一人残ったミレイユはシンラの消えていった方をいつまでも見つめ続けているのだった。


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