第百三十一話 帝国へ行こう
その日、エルザ・スカーレットは出社して早々に本社のシャリーンのオフィスに呼び出しを受けた。
「おはようございます、副代表。何か私にご用がおありとの事ですが……」
この職場での普段の彼女の顔、エリートスタッフの佇まいで入室するエルザ。
シャリーンは自分のデスクの上に書類や資料を束にして積み上げている。
……この仕事の山を手伝えと言う事だろうか。
さしもの女傑も表情には出さないが内心ではやや怯んでいる。
しかし、シャリーンの要件は彼女の想像したものとは違っていた。
「朝からごめんなさいね。はい、これ」
シャリーンが差し出してきたのは一冊の分厚いファイルである。
「何でしょう?」
「私の業務内容を纏めたものよ。一通り目を通して頭に入れておいてね」
ふむ、と小さく息を吐いてエルザはファイルを受け取るとパラパラ捲って流し見する。
……確かにそれはグランダリオ・リゾート社における実質的なトップ、シャリーンの仕事の内容をわかりやすくまとめたものだ。
「……これを何故私に?」
怪訝そうな表情をするエルザ。
「私、しばらくここを留守にするの。戻ってこれない事もあり得るから、その時は貴女が私の地位と業務を引き継いでちょうだいね。面倒を押し付けるお詫びというわけではないけど、その時は私の個人的な資産の七割を貴女に遺すわ」
「はァ!? おい、ちょっと待て……!」
思わず素の……ゼノヴィクタに戻ってしまった彼女がバンと両手をデスクに付いて身を乗り出す。
「戻ってこれない? 引き継ぐって……何を言っている。意味がわからないぞ。ちゃんと説明しろ」
睨みつけてくるゼノヴィクタをシャリーンが穏やかな表情で見返す。
「レグルスさまが帝国へ行くのよ。今回の戦争の事で皇帝陛下に言いたいことがあるんですって。私も同行するから、そういう話」
何でもない事のように言うシャリーンにゼノヴィクタは言葉を失う。
各地に侵攻を開始した最強の軍事大国の……その皇帝に直談判に行く?
シャリーンをして戻ってこれないかもしれないというからには正規のルートではないだろう……押し入る気なのだ。
もはや正気かどうかを論ずる気にもならない。
ゼノヴィクタは薄笑いを浮かべた……つもりではいるが、ひょっとしたらそれは他者からは引き攣っているようにしか見えていないかもしれない。
「そして、もう一つ」
さらに一冊のファイルを取り出すシャリーン。
最初のものほど分厚くはない。
「レグルスさまに何かあったら、ここの会社と施設全てはマリオンが引き継ぐ事になっているから。その時は貴女が支えになってあげてね。これは説明せずに行くからそうなったらあの子に説明する所からお願いするわ」
「…………………」
何というか、もう達観し過ぎて意見をする気にもなれないゼノヴィクタである。
自分もデタラメをやらかすアウトローだと思っていたが、井の中のなんとやらだったようだ。
世の中には自分が想像もできないメチャクチャをやる連中がいる。
ただ説明なしで行くというのは賛成である。
この忙しい時期にマリオンが知恵熱でも出して倒れれば他のスタッフに負担が掛かる。
「とにかく、何があっても絶対に戻って来い」
……万感の思いでとりあえずそれだけをなんとか言葉にするゼノヴィクタだった。
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空中都市、地下中枢制御区域。
ここで今レグルスは通信機を使ってリアナ・ファータ王国のグウェイン王に連絡を入れている。
帝国へ向かう事を決めたレグルスだが、まさか空中都市で帝国上空へ乗り付けるわけにはいかない。
手前で降下し陸路で帝国に入るしかないのだ。
現在帝国は自国を囲む三国と交戦中であり、空中都市を下ろしてから国境へ向かう事のできる国……尚且つレグルスのコネが使える国はリアナ・ファータしかない。
「……そういうワケなんでオッサンのとこから帝国へ行かせてもらいたいんだよ。素通りできるように話だけ通しといてくれ」
『お前、そうは言うがな。うちんトコだってもう双方国境線沿いはガチガチに固めて睨み合ってるような状態だぞ?』
王の声は渋く重苦しい。
装置の向こう側のしかめっ面が想像できるようだ。
王国軍がレグルスたちを素通りさせようがそのすぐ先には帝国軍が臨戦態勢で待ち構えているのである。
最悪向かってくるレグルス達を王国軍と勘違いして戦闘が始まってしまうかもしれない。
「そうは言っても他に方法がないんだよな。揉めたらその時は王国軍じゃないってのはでけえ声で主張していくからどうにかならんか」
『いや、やるならやっちまって構わんわい。どうせ遅かれ早かれだろうが』
現在帝国と交戦中の三国はどこも小国だ。
帝国の相手がまともに務まるような軍事力はない。
そこを制圧した後、帝国が南下を開始し王国とぶつかるのは間違いないだろう。
王の言うようにもうそれは時間の問題なのだ。
『俺はお前を心配しとるんだ。大体がな……お前、話をしに行くってあっちは素直に聞いてくれるほどお前と仲いいのかよ。そんな話は俺は聞いとらんぞ』
「別に仲良くはないな。面識がある程度だ。ただあっちはオレの事をなんか面白がってたからな。可能性はゼロじゃない」
レグルスがそう言うとグウェインは苦笑する。
『お前の良さがわかるとは、流石に人を見る目はありやがるな……』
嫌われるか好かれるか……権力者たちからの評価は毎度両極端なレグルスである。
『話はわかった。どうせ俺が止めたって言う事聞かんだろう。気張って戦争止めてこいよ。こんなもんは誰も幸せにならん。とっとと終わりにするに限るわ』
そう言ってガハハ、といつもよりか幾分力なく笑うグウェイン王であった。
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そして……再びレグルスとオレの嫁軍団がジュリエッタの屋敷に集合する。
「急な話で悪いんだが、結局ちょっと帝国まで行って皇帝のオッサンと話をしてくる事にした。付いてくるか留守番してるかは任せるんで好きに決めて……」
と、そこで台詞が停止するレグルス。
集ったミレイユを始めとするレグルスのガールフレンドたちは全員が旅装を調えた状態なのだ。
いずれも荷物の詰まった大きな鞄を複数手にしている。
着ている服も旅装で……それも戦闘も想定した危険な道行きの為のものだ。
「……何で全員出かける格好なんだよ」
「それは『帝国へ行くから付いて来いよ!』という意味の集合だと判断したからですわ。できる女は準備も早いんですのよ」
おほほほ、と手の甲を口元へ持ってきてお嬢様笑いをしているジュリエッタ。
こういう彼女のザ・お嬢様な仕草も久しぶりな気がする。
皆といると頬を引き攣らせてツッコミに回っているシーンが多いので……。
「残る奴は……誰もおらんのか」
言いながらシャリーンを見るレグルス。
この中では自分が帝国へ向かうと知っているのは彼女だけのはずだ。
皆に話したのか? という意味の視線である。
それに対して彼女は柔らかく微笑むと首を横に振った。
シャリーンは誰にも話していない。
つまり全員自分の判断で支度をしていたのだ。
「あったりめーでしょうが。愛するダーリンをあぶねー場所に行かせてのんびりお留守番なんてしてられませんよ」
ベルナデットの言葉にコクコクとミレイユが肯いている。
小動物のような動作で可愛らしい。
「お父様との話し合いでは力になれるかわかりませんが、そこまでのご案内ならできますので」
「帝国へ向かうのならば私やミレイユが役に立てる部分も多いだろう。頼りにしてくれ」
数年ぶりの里帰りという事になるミレイユとシンラ。
夏でも肌寒い日が多いという北部へ向かうので冬着を用意して行け、とシンラは言う。
「私もご一緒しますから、もし手足が千切れちゃったりした人は遠慮なく声を掛けてくださいね」
笑顔で死ぬほど物騒な事を言っているモモちゃん先生。
後はもう一人……姿は見えないようだがどっかで聞いているんだろう。
仮に聞いてなくて置いていっても勝手に追いついてくるだろう。
彼女の笑ってるんだか引き攣ってるんだかよくわからない表情を思い出すレグルスであった。
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帝国最南端。
国境線に接する街アドルカーナ。
数年前まではこの街の南方に広がる広い原野が国境線だった。
しかしその位置のあやふやさが帝国と王国両国の衝突を招き、結果として帝国は破れ原野全域は王国領となり国境線の位置は北上した。
結果現在はこの街が国境線を目の前とする最前線だ。
だが帝国は数十年前からこの事態は想定済みであった。
どちらにせよ原野は攻めやすく守り辛い。
あっさりそこを手放して手打ちにしたのもそういった理由が大きい。
だからこそいずれ王国との境界になり得るとするこの土地には早くからそれを見越した城砦が建造されていたのだ。
──ダナン大要塞。
帝国の南の要。巨大な鋼鉄の要塞。
現在この大要塞には帝国軍第二師団が入っている。
(いや~、流石に冴えてるねえオジさんは! ここならしばらくの間はどことも交戦せずに様子見に徹する事ができるでしょ。まさか王国から攻め込んでもこないだろうしね~)
その指揮官、師団長代理のスレイダーは内心でほくそ笑んでいた。
師団がここの防衛を担当する事を志願したのは彼である。
「王国軍は師団長殿……大将軍エルドガイム様の仇であります。なにとぞこの第二師団に大要塞の防衛任務をお任せ下さい!! 王国軍とは数年前にも交戦しており彼らのやり方も実際に目にしております。我らこそが適任であるかと……!!」
(……なァ~んちゃってさ~。ま、これで実際に王国軍とぶつかる段になれば他の師団が来るはずだし、そうなったら何だかんだ理由つけて先陣をそっちに押し付ければ良しってワケ。最後まで安全な位置をキープしつつ、なんやらかんやら『仕事してます感』だけは出せる! 冴えてるね! オジさん! 輝いちゃってますね!!)
うひゃひゃひゃ、と思わず高笑いしそうになり慌てて周囲の目を気にしつつグラスの水を一気飲みするスレイダーであった。