第一話 英雄(になったばかりの男)早速やらかす
──聖歴773年5の月オルザ平原。
リアナ・ファータ王国軍対ギルオール帝国軍……第7次会戦。
両軍は朝焼けの中で激突した。
広大な平原に怒号と剣戟が響く。
土煙がもうもうと立ち込める戦場で時間の経過と共に命が失われていく。
ギルオール帝国軍は重装備が基本スタイルだ。
漆黒の分厚い装甲に身を固めた長槍を持ち大楯を構えた戦士たちが地響きを立てて突進してくる。
その進軍の様子はまるで黒い鉄の壁が迫ってくるかのようだった。
対するリアナ・ファータ王国軍は帝国軍に比べればやや軽装の鋼色の鎧を着込んだ集団だ。
騎馬兵を中心とした機動力を活かした戦術を得意とする軍勢。
双方幾度となくこの地で刃を交えて来た宿敵同士。
元々は些細な国境線の位置の認識によるいざこざは国の威信をかけた一大戦争へと発展してしまった。
戦況を優位に進めている帝国軍重装黒騎士団。
その前線に今、動揺が走った。
「……レグルスだッッ!!!」
「『双剣』が出たぞッッッ!!!!」
叫び声が響く中を砂煙の向こう側から一人の若い男が姿を現す。
その異名の示す二振りの長剣を左右の手それぞれに握った戦士。
武器もそうだがその出で立ちも周囲のほかの王国軍兵とは大きく異なる男であった。
灰色の戦闘用革製のロングコートを着込んでいる。肩や肘など要所は金属製装甲で防護されてはいるものの周囲の騎士たちに比べれば明らかな軽装。
それもそのはず。彼は正規の王国軍ではない……傭兵なのだ。
身長170台半ばくらいか、他の戦士たちと比べてやや細身ではあるが引き締まった体躯。
赤茶色のざんばら髪に整った精悍な顔立ち。成人してはいるがその面相にはどこか「ガキ大将」を連想させるような不敵で傲慢な幼さも残っている。
だが眼光は猛禽のように鋭い。殺し殺されの世界に常に身を置いている修羅の眼だ。
傭兵業界では名の売れた屈指の実力者である剣士……レグルス・グランダリオ。
「オォラオラオラぁッッ!! 順番にあの世にご案内だぜアンタ方ぁ!! お行儀よく並んで順番待ってなぁッッ!!!」
双剣を自在に操り次々に敵兵を屠りながらひたすらに直進し敵陣深く切り込んでいくレグルス。
口元には不敵な笑みすら浮かべている。
一切のためらい無く猛進している。左右の剣が舞い踊るように振るわれその都度命が終わっていく。
迎え撃つ側の帝国軍からすればそれは悪夢じみた光景であった。
「ガはははははッッ!! おいッ!! 出やがったなァ、レグルスッッ!! この若僧が……今日こそ引導を渡してやるぜェッッ!!!」
突如として轟雷のように戦場に鳴り響いた大音声。
そしてズシンズシンと重たい足音を鳴らしながら姿を現した巨大な影。
その男を前にしてレグルスの無双の前進が止まった。
「……チッ。出やがりましたなぁオッサン」
進み出てくる敵軍の男にレグルスは口の端を歪め舌打ちをする。
何という巨体、レグルスの頭が相手の胸元のあたり。2m近くはあろう。重装甲もあって横幅も大きい。
更には発する威圧感が彼をより大きく見せている……まるで山だ。
今は漆黒のフルフェイスの鉄兜に覆われていて見えないが厳つい顔の下半分を灰色の濃い髭で覆った歴戦の猛将。
帝国黒騎士団団長にして帝国軍総指揮官ヨーゼフ・エルドガイム。
軍事国家であるギルオール帝国最強を謡われる武人。
将軍は他の騎士たちのように盾は持っていない。
代わりに巨大な斧槍を手にしている。
対峙するレグルスと将軍。
いつの間にか周囲の王国帝国どちらの兵士たちも戦いをやめ二人から距離を取っていた。
両者の間に乾いた風が吹く。
二人は何度も戦ってきた。
だがこれまで決着はついていない。
「おめェほど俺の前に何度も立ちはだかってくれた奴ぁ他にいねえ。クソ生意気なガキが! 早えとこ斧槍におめェの血を吸わせてやらねえとケツの座りが悪くってしょうがねぇや!」
「ぬかせデカブツ!! 毎度毎度バカでけー図体してオレの前に立ち塞がりやがって! 今日こそ撤去して見通しよくしてくれるわ!!!」
エルドガイムのだみ声の挑発にがなり声で応えるレグルス。
それで……やり取りは終わった。
後にはただ風の音がするだけ。
見守る両軍の兵士たちも呼吸の音すら憚られるといった様子で黙ったまま身動ぎもしない。
二人の……最後の戦いが始まった。
互いに歴戦の強者同士の超絶技巧が激突する。
延々と続く攻防。
互いに増えていく手傷。
幾度となく荒野に赤い雫が散って落ちる。
「ガはははッッ!! 本当になんてヤローだおめェはァッッ!!! いい加減にくたばりやがれッッッ!!!」
エルドガイムが笑っている。
嵐のような猛攻を加えながら楽し気に笑っている。
「しぶてーのはどっちだこのヤロー!! テメーと戦ると疲れるんじゃい鬱陶しい!!!」
毒舌の応酬をしながらもやはりレグルスも笑っていた。
……そして両者の攻撃は益々加速する。
二人の攻撃と闘気は竜巻のように渦を巻いて周囲に吹き荒れる。
戦いは2時間近くにも及び、周囲の兵士たちの気力が先に尽きて何人もが座り込んでしまっている。
そして遂に決着の時はきた。
エルドガイム将軍の一撃を搔い潜り懐に入ったレグルス。
構えた長剣を斜め下から突き上げるように将軍の胸部装甲の……一連の攻防で出来た破損部分を狙って突き立てる。
「……ごハッッッ!!!」
兜はとうに吹き飛んで失われている。
天を仰ぎ、将軍が大きな血の塊を吐き出した。
仰け反って見上げた大空は皮肉なほどに晴れ渡っている。
その体勢のまま……刃をその身に突き立てられたまま、突き立てたまま、二人は動かない。
「ふーぅ……」
やがて、エルドガイムが顎を反らせたまま長い息を吐き出す。
「クソガキがよ……本当に、俺を殺りやがるかよ……」
ぐらりと将軍の巨体が傾いた。
そしてゆっくりと背後に倒れていく。
一瞬の後に大地を震わせ黒い巨体が横たわった。
「あ~ぁ、クソッタレが。悔しいじゃねぇかよ……若僧がぁ」
仰向けに倒れ天を仰いでいるエルドガイム。
その声が、呼吸が……徐々に細く小さくなる。
レグルスは黙ったまま最期の時を迎えようとしている将軍を見ている。
全身傷だらけのレグルス。まだ彼の乱れた呼吸も戻っていない。
まぎれもないこれまでの人生で最強の敵だった。
「けど、まぁ……」
分厚い髭の中の血で汚れた口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
「楽しかったな……」
それきり……ヨーゼフ・エルドガイムは動かなくなった。
帝国最強と言われた武人の最期であった。
「……あばよ、オッサン」
祈りの姿勢はなく、言葉もなく……。
ただほんの少しの間レグルスは目を閉じてうつむいて、今は亡き勇敵の冥福を祈った。
……こうして、数年に渡った王国軍と帝国軍による戦争は終わった。
この戦いのすぐ後に王国側が勝者としての講和が両国の間で結ばれることになる。
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そして、戦いから2か月が過ぎようとしていた。
「……このバッカもんがぁッッッッ!!!!!」
怒号が窓ガラスをびりびりと震わせる。
自らの執務室で大声を張り上げたのはやや肥満気味の中年男。
栗色の巻き毛に丸い目に丸い鼻とその下の口髭。顔立ちは愛嬌があると言えなくもない。
着ている淡い黄色のローブは高位文官の装束だ。
リアナ・ファータ王国宰相マクベスである。
「…………………」
立って話をしているマクベスに対して、その目の前でふんぞり返って椅子に座っているのはレグルスだ。
右の小指を耳に突っ込んで顔をしかめているレグルス。
渋い顔はマクベスの声がうるさかったからだ。
「お前は自分が何をやったかわかっておるのか!!!?」
「やかましいな! そうがならんでも聞こえとるわい」
指での耳栓を貫通してくるマクベスの怒号にレグルスも眉をハの字にする。
「オレはおねえちゃん方と遊んだだけだろうが。んな青筋立てるような事か」
臆面もなく言ってのける「英雄殿」にこめかみに手を当てながら大きくため息をついた大臣。
「……その遊んだ相手が問題なのだ。どのご令嬢も政財界の有力者たちのご息女だぞ。城にどれだけの抗議や糾弾が届いていると思っておるのだ」
「知らんって。遊ぶ相手に一々どの家のやつだとか聞くわけないだろ」
(……いや、そういやオレからは聞いてないがあっちは名乗ってた気もするな。どうでもいい事過ぎて記憶には残っとらんが)
事の起こりは国王主催で催された戦勝記念パーティーであった。
最大の功労者であったレグルスはパーティーの主役として華々しく参加者に紹介された。
……で、同じくその場に招かれていた政界財界の大物たちの娘が英雄であるレグルスに大勢で群がったのだ。
レグルスは若くやや粗野ではあるものの面相も整っている。
オマケに現在は傭兵の身ながらもこの戦争の功績で将軍待遇で正式に召し抱えられるという噂話もあった。
世間知らずの良家のご令嬢たちは物語で聞くような武勲を立てた彼に夢中のも無理からぬ事であろう。
そして、レグルスもそう言った令嬢方を邪険に扱うようなこともなく……。
連夜に渡って丁寧にお相手を務めたというわけである。
その結果が現在だ。
娘より事の顛末を聞いた保護者たちが弄ばれたと激怒して城に……国王に詰め寄った。
「大体が全員が合意だぞ。無理にやった奴はおらん。オレは相手がガチで嫌がってると萎えるタチだからな」
「そこが問題となっているわけではないが……」
そう答えはしたものの、マクベスは訴状の中には娘が強姦されたという内容のものもあった事を思い出していた。
おそらくはそれは事実ではないのだろう。
娘を傷物にされたと思っている親としてはそういう体ででも相手を追い詰めてやらないと気が済まないのだ。
レグルスがそういう事で嘘をつく男ではないことはマクベスも知っている。
「ともかくだ。こうなってしまった以上こちらとしても何らかの形でお前にペナルティを課さなければならん」
「面倒な事になってきたな。仕方ない、貰うもんはもう貰ってるんだしずらかるとするか……」
肩をすくめてからレグルスが椅子を立ち上がる。
そんな彼をマクベスがジロリと見る。
「……いいのか? 逃げればこっちは犯罪者として手配しなきゃならんぞ。うちのような大きな国に指名手配を受けるとどこへ行ってもやり難かろう」
「ぐっ……」
苦し気なうめき声を上げるレグルス。
大臣の言う通りだ。
リアナ・ファータは大陸でも屈指の大国。
ここで手配を受ければ追従する国も多いだろう。
そもそも彼の生業である傭兵業も不可能になる。
「まぁ、我々もそうまでしたくはない。とりあえず罰は与えたという体裁があればいいのだ。だからレグルスよ……お前はしばらくロンダーギアに行ってもらう」
「はぁ!? ロンダーギアだと!!? ド田舎じゃねえか!!! 何でオレがそんな僻地に行かなきゃならんのだ!!」
素っ頓狂な声を上げるレグルス。
ロンダーギアとは王国領の西端……隣国ファルシャールとの境界上にある都市である。
交易路が通っており中々の規模の都市だ。
……あくまでも地方ではだが。
「だから左遷の名目で行ってもらうのだ。犯罪者として投獄されたり追われたりするよりはマシだろ? そこまで悪い街でもないぞ。とりあえずほとぼりが冷めるまで休暇のつもりでしばらくそこで羽を伸ばせ。金も持たせてやるから……な?」
「……なんちゅーこった」
立ち上がりかけて浮いていた腰を再び椅子に落としたレグルスがガックリと項垂れる。
こうして……双剣のレグルスは地方都市ロンダーギアを訪れることになったのである。