第五話「幸せのあり方」
父親が死んだと実感したのは、葬式の棺桶の中で、白くなった姿を見た時だった。
親戚や母さんがないている中で見た、ついこの間まで生きていたとは思えないその姿に、僕は少しの恐怖を覚えて、そして実感した。
―――命が終わることを。幸せは、突然終わるのだと言うことを。
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彼女を家から追い出した次の日、僕は大学を休んだ。
何も言っていないからだろう、和樹から心配にメッセージが幾つもくる。だが、正直言って、答える気力など無かった。
「………」
昨日の自分を思い出す。
感情に乗せて怒り、その矛先を何も悪くない彼女に向けて、そして差し伸べてくれたその手を払った。
「………」
思い出せば思い出すほどに最悪だ。
自分の過ちを、不幸であった責任を、彼女に押し付け追い出した。
不幸に優劣などないのに、自分の方が不幸であったと言い切り、彼女の気持ちを踏み躙った。
「………死ねよ」
ふと、携帯の画面が光り出す。また和樹からに連絡かと思い見てみれば、送り主は、母である「赤花彩」からのものだった。
『明日の朝の新幹線に乗ります。家に着くのは夜になると思います』
……今まで守られたことなどない帰宅連絡。どうせ今回も、仕事が伸びたと言って帰ってこないに決まっている。
「………まあ、今はそれで良いか」
何も返さず、僕はそのまま、現実から逃げるように目を閉じた。
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―――その日夢で見たのは、小さい頃の「怖い記憶」。
カメラのフラッシュ向けられて、大きい大人たちから、遠慮なくマイクを、質問を向けられる。
怖くなり、そして涙を流せば、質問の代わりに今度はカメラが勢いよくやってくる。
何よりも怖かったのは、僕はいやがっているのを分かっていながら、そして僕に気持ちに同情していながらも、それらの行動をやめようとしなかったことだ。
今思えば、彼らが同情していたのは父親が死んだ僕の気持ちにであって、カメラを向けられたことへの恐怖へでは無かったのだろう。
ただとにかく、当時小学生だった僕には、この状況をどうにかすることなんてできなくて………だからこそ、僕を守るように立ち塞がったその影に、僕は何度も助けられた。
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朝。眠い目を擦りながら体を起こす。ここ2日、よく眠れない。
それでも体に鞭を打って、洗面所へと足を向ける。顔ぐらいは洗っておきたいと思いながら。
「………はは、ひでー顔」
鏡に映った顔を見て、呟く。腫れた目に、濃く残った隈に、頬にできた大量のニキビ。たった2日でここまでになるとは、全く持って人間とは不思議な生き物だ。
顔を洗い、そしてリビングへと向かう。朝食を食べるために。朝食といっても、パンにジャムを塗っただけのものだが。
ふと時刻をみれば、すでに10時を回っていた。どうせ学校に行くつもりなど無かったのだから、別に構わないのだが。
何も考えず、パンを咥えながらテレビをつける。昼間のバラエティ番組が始まり出す時間だ。番組内でふざけているタレントや芸人を見て少しでも気を楽にしようと目を向ければ、テレビ上部に「ニュース速報」と書かれたテロップがあるのに気づいた。
何かあったのかとそこに目を向けていれば、次の瞬間、テロップが変わった。
「午前9時ごろ 下越新幹線車内にて殺傷事件発生」
その文字列に、僕の手が止まる。同時に思い出さられるのは、昨夜の母からのメッセージ。
『明日の朝の新幹線に乗ります。家に着くのは夜になると思います』
嫌な予感がした。
新幹線の種類までは聞いていない。他の新幹線に乗っている可能性もある。そんな希望を持ちながら、しかしテロップは非常な現実を映し出す。
「被害者は、40代と見られる女性」
予感は、確信へと変わる。
テレビでは続けて、例の爆破事件の犯人との関連がどうやらなど書いてあるが、そんなことはどうでも良かった。気になっていたのは被害者の安否で、同時に、数年前の父を亡くした事故を思い出す。
「………」
―――分かっている。幸せが突然終わるなんてことは。そんなこと、もう数年前に味わっている。
―――ならば何故、僕は日々の、たまにあった母との時間すら大切にしようとしなかった?
なんてことを思いながら、僕はただがむしゃらに、家の扉を開けた。
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分かっていた。母が、僕のことを大切に思っていることなんて。
知っていた。母が、僕のことをいつも気にかけて、夜遅くに寝てる僕の様子を見に来ていたのも。
気づいていた。あの日、マスコミから僕を守るように立っていた影の正体が、母であったことを。
寂しかった。みんなが親のことを愚痴ったり話題にする中、僕だけがその話についていけなかったことが。
イラついた。母に僕の話をさせて、その寂しさを出汁に視聴率や話題を作ろうとしたテレビに。
ただ、過ごしたかった。喧嘩もする、言い合いもする、それでも一緒に過ごして、辛い時はつい弱音を吐けるような、そんな、周りに溢れていた当たり前の家族のように。
僕は弱い。体だけ立派になって、そのくせ心は子供のままで。母さんの気持ちなんて気づいていたのに、話も、メッセージすら送ろうとせず、ただひたすらに、いつか手を伸ばされることに期待して、そしてその日が来ないことを母の責任にして。
悪いのは、全部僕だ。子供心に感じた寂しさを拗らせ、いつまで立っても大人になろうとせず、子供で居続けようとした僕のせいだ。
―――ああ、だから神様。どうか、母を殺さないでください。
これ以上僕から、大切な人を奪わないでください。
そう思い、そしてビルから飛び出た僕の姿を照らしたのは、さんさんと輝く太陽の光と、そして―――
「―――卓人?どうしたの?」
「………」
「たく―――きゃっ!」
太陽の光を遮るその姿に、僕はただ、泣きながらしがみついた。
―――――――――――――――
家に戻り、そしてテーブルを挟んで座っている。
母さんも、そして僕自身も落ち着くために黙っていたが、しばらくしてから、母が口を開いた。
「仕事が早めに終わってね。昨日の夜の新幹線に乗ったの。連絡忘れてたわね」
「………」
「ごめんなさい。でも、まさかそこまで心配してくれていたなんて思わなくて……」
「………」
「………私、貴方に嫌われてると思っていたから………」
「………っ」
違う。そう言いかけ、しかし直前で言葉に詰まる。今まで散々そういった態度をとっていながら、都合の良い時だけ違うと言うのは、いささか虫が良すぎる気がする。
―――違う。結局それも、自分の現状から目を背けるために言い聞かせた、つまらない嘘だ。
そう思えたのは、頭の中で、「正直で良い」と言ってくれた彼女が現れたからだ。
息を整え、そして母さんの顔をみる。
「………」
「……?」
黙って顔をみる僕に、母さんは少しばかり困惑した表情を見せる。
とはいえ、困惑しているのは僕も同じだ。何せ、母さんの顔を見るのは、とても久しぶりだ。
とても窶れた、隈の酷い顔。普段テレビで見ているその姿が、メイクで隠し、そしてバレまいと無理しているのがよく分かる。
「………まあ、今の俺も似たようなもんか」
呟き、そしてもう一度深呼吸をする。今度こそ、自分の正直な気持ちを言うために。
「………母さん」
「!」
僕の声を聞いて、母さんの体が跳ねる。きっと不安なのは、お互い様なのだろう。
「小さい頃、僕がマスコミに追い回されていたのを覚えてる?」
「え…ええ……」
当時、女優「秋星沙耶香」として、その名が世間一般に浸透し出していた時期。その結婚相手である父の死は、マスコミやSNSにとって話題の中心となっていた。
あらゆる報道番組や、時事ネタを扱う配信者がその話題を使い、そして稼いだ。それほどまでに、当時から母の人気は凄まじく、そして同時に彼らも、その話題を骨の髄までしゃぶり尽くそうと、新しいネタ探しに躍起になっていた。
当然、その矛先は、当時小学生だった僕にも向くことになる。小学生ならば逃げる立ち回りなどわからないし、何より可哀想な絵が撮れればそれだけで話題になる。
「あの時の僕は、まだ子供で、だからマスコミから逃げる力もなくて、とにかく非力だった……」
「………」
「……でも、だからこそ、あの時の母さんの行動には助けられたんだ」
小さい頃、学校帰りに家の前で待ち伏せされ、質問攻めにあった時。
今でもたまに夢で見るその光景を、恐怖を、当時たまたま仕事が早く終わり帰ってきた母が居合わせ、そして僕の姿を隠しながらマスコミに向かって言い放った。
『自分たちの利益のために子供を泣かせて、あんたら全員餌を求めてる家畜と一緒だよ!』
マスコミでは報道されなかったそれは、近くに居合わせていた一般人がカメラに納めSNSに流したことで更なる話題となり、この件によって母さんは世間での人気を掴んだ。
そして、忙しくなり始めたのもこの頃からだ。
「父さんが死んで、そして不安に駆られる中生活していた当時の僕にとっては、あの時の母さんの姿は今でも強く印象に残ってる。僕を守ってくれるんだと」
子供心に抱いた、当たり前の感情。
「……だから、数年後、母さんが僕のことをテレビに話すようになったのは嫌だった。まるで、自分が売られたような感じがして……」
子供心に抱いた、当たり前の不安。
「もう、僕なんていらないのかなって思って」
その不安が苦しくて、逃げたくて、フィクションの人物と自分を重ねた。
「………」
僕の話を聞いて、母さんはしばらく黙っていた。そして、少しばかり時間が経った後、同じく母さんも深呼吸をして、そして口を開いた。
「―――私が忙しくなって、卓人と過ごせる時間が少なくなって………そしてあの人が死んで、私、きっと必死だったのよね」
母さんは語る。昔のことを思い出すように。
「死んだお父さんの分も頑張らないとって、卓人が安心して過ごせるように、何一つ不自由な思いをさせないようにって」
寂しく、愛しむように。
「……だって卓人。お手伝いさんや学校の先生の話を聞いてる限りすごく優秀で、大学とか前の留学の話とか、私ができないと諦めていたことに、簡単に挑戦しようとしちゃうから……」
そして、諦めるように。
「……だから、言いたいことは色々あったけど、邪魔しちゃいけないんだ、って思ってたの」
「……ぁ」
それは、母から子への、不器用な愛情。
「だから、とにかくお金を稼がないとって………バカよね。実の息子なのに、邪魔しちゃいけないと勝手に思って、そんで親の役目から目を逸らして……」
「………」
母さんの話を聞いて、僕は思った、この人はやっぱり、僕の母親なんだと。
自分の正直な気持ちと向き合うのが辛くて、もしも最悪の結果になったらと怯え、本当のことを知るのが怖くて、だからこそ現状維持にしたまま放置して。
詰まるところ、ただのすれ違いだったわけだ。
「………僕は」
「?」
母さんの言葉を聞き、そして分かったからこそ、もう、自分の気持ちを抑えることはできなかった。
「僕は、母さんと家族の思い出を作りたい!」
「!」
叫び、そして涙が溢れる。今まで押さえていた気持ちが溢れるように。
「一緒にショッピングをしたい!旅行に行きたい!ゲームだって一緒にしたいし、進路のことで言い合いもしたい!」
「………」
「友達の愚痴も言いたいし、テストの結果とか授業の心配もしてほしいし、彼女のことで相談もしたい!」
「………」
僕の言葉を聞いて、母さんの目からも涙が溢れる。それを見て、また僕も溢れる。
「番組のこととか、ドラマ撮影の裏事情とか、本当は言っちゃいけないようなマル秘ネタとかも聞きたい!今言ったこと以上にももっともっと色んなことをやりたい!そんで―――!」
「………」
泣き叫び、そして枯れ出した声で、言った。
「………父さんの墓参りにも、一緒に行きたい」
「………!」
「僕たちは大丈夫だよ、って、安心させてあげたい」
「………っ」
「……僕の心が大人になる前に、子供のままで、思い出を作りたいよ」
「………」
成人式を控えた男が、子供のように駄々をこね、そして泣きついた。
側から見ればみっともない以外の何でもないその姿に、しかし優しく、母さんは口にした。
「ええ。作りましょう。いっぱい、思い出を―――」
「―――え?」
言い放つと同時に、間抜けな音が鳴り響く。それは、母さんのお腹から聞こえた、空腹の合図。
「ーーーあら」
慌てる母の姿に、思わず笑みがこぼれ出し、そして涙でぐちゃぐちゃの笑顔を見せて、僕は言った。
「カレーの食材があるんだ!母さん、僕が作るからそこで待っててよ!」
「何言ってんの。手伝うわよ」
「良いんだ!僕の腕を母さんに見せたい!それに知ってる?」
「え?」
それは、中学生の頃に辞めたこと。入れてしまえば、お父さんのことを思い出して辛くなるから辞めた、隠し味。
「―――りんごを入れると、美味しいんだ」
その日食べた母さんとのカレーは、りんごの甘さんなんて感じられない、どこかしょっぱく、でも優しい味のするものだった。
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次回の更新は、2月15日の予定です。
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