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4.新妻は首をかしげる

 そうして、いよいよ私はルクスの妻として、新たな家となる屋敷に足を踏み入れた。


 ルクスは私の手を引いて、屋敷中を案内してくれた。居間に客間、庭に馬小屋に台所、なんなら物置まで、それはもう、ありとあらゆるところを。その間中、彼は嬉しそうな笑みを浮かべたままだった。


「それでは最後に、僕たちの部屋に向かいましょうか」


 その言葉に、ちょっとだけ緊張する。私は彼の熱意にほだされて、ここに来ることに同意した。彼は私の素のふるまいを見ても驚かなかったし、むしろ理解を示してくれていた。


 けれど夫婦としてずっと一緒にいたら、彼もやっぱり私に幻滅するのではないか。そのことは少しばかり心配だった。


 それに、ずっと誰かが近くにいるという状況に慣れることができるかどうか。そちらも大いに心配だった。


 いつも寝間着でふらふらしている私を見たくなかったのか、家族ですら私から距離を置いていた。婚約者も恋人もいなかったし、友人と呼べる者もろくにいなかった。要するに私は、一人でいることに慣れすぎてしまっていたのだ。


 自然と足取りが重くなる私を連れて、ルクスは廊下の扉をくぐる。そこは左右に一つずつ扉がある小部屋になっていた。


 正面の窓からはさんさんと日差しが降り注いでいて、部屋を温かな光で満たしている。壁には趣味のいい絵が飾られ、片隅に置かれた小さな机には花瓶が飾られている。かなりの年代物のように見えるそれには、生き生きとした花がいけられていた。


 そこは屋敷の他の場所と同じように手入れの行き届いた、そしてほっとする雰囲気の部屋だった。


「右側が僕の、左側が貴女の部屋となる予定です。左側の部屋のほうが、日当たりがいいんですよ」


 ルクスは楽しそうに笑いながら、左右の扉を指し示している。彼のひまわり色の金髪が、日の光を受けてきらきらと輝いていた。


「最初は、直接つながった二部屋を僕たちの私室にしようかとも思ったのですが……貴女が気兼ねなくくつろげるよう、こちらにしました。ですが、他に気に入った部屋があれば、遠慮なく言ってください」


 その言葉に、内心胸をなでおろす。確かにこういった配置なら、多少は落ち着いてのびのびできるだろう。


「何から何まで、気を遣ってくださってありがとうございます」


「いえ、僕は貴女に、何一つ不自由させたくないんです。貴女が心のおもむくまま、自由に生きられるようにお手伝いしますから、何でも言ってくださいね」


 そう言うと、彼はにっこりと笑った。彼のとても美麗な笑顔は、まるで陶器の人形のように整っていた。




 そんなこんなで、私はこの屋敷の女主人として暮らすことになった。といっても、それらしいことは何一つしていない。


 一応新婚なので朝はきちんと起きて、ルクスと和やかに朝食をとる。それから居間の、日の当たるソファで二度寝。寝るのに飽きたら読書をしたり、屋敷の中をぶらぶらしたり。もちろん、体を締めつけない楽な寝間着のまま。


 使用人たちはあらかじめ聞かされていたのか、そんな私のふるまいにもまったく動じることなく、それぞれの仕事をしっかりとこなしていた。私がごろごろしていても、特に何の問題もないようだった。


 好きなようにふるまえるし、お母様の金切り声を聞くこともない。ここの暮らしは、中々に快適だった。


 ただ一つだけ、気にかかることがあった。ルクスのことだ。


 彼は毎日のように、とびきりおいしいお菓子や果物、面白そうな書物などを差し入れてくれていた。けれど彼はそういった贈り物を渡すと、どうぞごゆっくりと言ってそのまま立ち去ってしまうのだ。


 彼は私に一目惚れして、わざわざ私を妻に迎えたのではなかったか。それにしてはどうも淡白に過ぎるというか、妙に距離があるというか。


 三度の食事の時は必ず顔を合わせるし、その時は普通に会話も弾む。しかしそれ以外の時間は、ほとんど彼の顔を見ることはなかった。それに、どことなく彼の表情や声がぎこちないように思えてならなかった。


 出会った日はあんなに積極的に迫ってきたのに、いったいどういうことなのだろう。もしかして、私のぐうたらの実態を見て幻滅したのだろうか。やっぱり私を妻としたのは間違いだったと、今さらながらに後悔しているとか。


 もしそうだとしたら、ちょっと寂しい。生まれて初めて、そのままの私を受け入れてくれる人に出会えたんじゃないかと、そう思っていたから。


 それにそのことを抜きにしても、ルクスは好感の持てるいい人だった。私だけでなく、使用人たちについてもきちんと気を配っているし、使用人たちからも慕われている。


 彼は見た目だけでなく、その内面も素敵な人なのだと思う。そんな人に嫌われたかもと思うと、ちょっと、いやかなり寂しい。


 でも、こればっかりは仕方がない。普通の令嬢のように生きられるのなら、とっくにそうしている。そう自分に言い聞かせてはみるものの、少しも気は軽くならなかった。


 うららかな昼下がり、ルクスが用意してくれたふかふかのクッションを抱え、日なたのソファで寝転がりながら、小さくため息をつく。


「どうしました、アウロラ。浮かない顔をして」


 突然背後から、ルクスの声がした。飛び起きて振り返ると、お菓子の皿を手にしたルクスが立っているのが見えた。彼はにっこりと笑い、ソファを回り込むようにして近づいてくる。


「今日のお菓子も絶品ですよ。こちらに置いておきますから、お好きな時にどうぞ」


 彼はソファのそばのテーブルに皿を置き、そのまま立ち去ろうとする。いつもと同じように。


「あの、待って」


 考えるよりも先に、そんな言葉が口をついて出た。こちらに背を向けかけたルクスが、立ち止まってこちらを見る。若葉色の目を見張って、私の言葉の続きを待っているようだった。


「ああ、ええっと……」


 しかしどうして彼を呼び止めたのかなんて、自分でも分かっていない。ただ、彼の背中を見た時、そのまま行かせたくないと、そう思ったのだ。


「……どうせなら、二人で一緒に食べませんか?」


 とっさに思いついた言葉を口にして、ソファの空いたところをぽんぽんと叩く。ルクスは一瞬ためらうような表情を見せたが、すぐに笑って一礼し、私の隣に腰を下ろした。間に子供一人が座れるくらい、距離をとって。


「お招き、ありがとうございます」


 その上品な笑みは、やはりほんの少しだけ他人行儀だった。それが不満に思えてしまって、気がついたら余計なことを口走っていた。


「あの……もしかして、私のことが嫌いになった、とか……」


 言ってしまってから、しまった、と思った。淑女たるもの、いついかなる時も悠然と微笑んでいなさい。泣き言をいうなど、もってのほかよ。お母様のお説教の言葉が、ありありとよみがえってくる。


 普通の令嬢として生きるのはもうあきらめた。けれど、そんな私のふるまいがルクスの気にさわっていたのなら、この質問はさらに彼を遠ざけてしまうかもしれない。


 失敗したかなと口ごもる私を、ルクスは目を真ん丸にして見つめていた。そして次の瞬間、彼は切なそうな笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、僕は貴女を嫌ったりしませんよ」


 なぜか悲しげなその表情から、目が離せない。彼がどうしてこんな顔をしているのか分からないけれど、少なくとも今、彼は真実を口にしているのだと、そう思えた。


 だから余計に、その先を聞けなかった。私のことを嫌っていないのなら、どうして私を避けているの、と。きっとその問いを口にしたら、彼はもっと悲しそうな顔になってしまうのではないかと、そんな気がしたから。


 だから代わりに、お菓子の皿を手にしてルクスににっこりと笑いかけた。


「……良かった。私、ここに来てからあなたの好意に甘えて好き勝手にしていますが……さすがに幻滅されたのではないかと、ちょっと心配だったんです」


「それは取り越し苦労というものですよ、アウロラ」


 私が差し出した皿に手を伸ばし、ルクスはそのほっそりとしたしなやかな指でお菓子を一つつまみあげる。


「こうやって貴女と夫婦になって、少しずつ親交を深めていくうち……僕は、さらに貴女に惹かれています」


 ルクスは私から目をそらし、軽く頭を下げた。


「ただ僕は、まだ夫としてどうふるまっていけばいいのか分からなくて、戸惑っていて……もしかしたらそのせいで、勘違いをさせてしまったのかもしれませんね。ごめんなさい」


「いいんです。私の早とちりだったということが明らかになっただけで、とても嬉しいので」


 本当は、まだ引っかかるものを感じていた。たぶん、彼は何かを隠している。そして彼がこんな悲しげな顔をしているのは、きっとその何かが関係している。そんな気がしてならなかった。


「それでは、私もお菓子をいただきますね」


 もやもやする気持ちを押し殺しながら、皿からお菓子をつまみ上げる。気になることはあるけれど、どう尋ねたものか分からない。それに、そこまで踏み込んではいけないような気もする。


 私たちは夫婦だ。けれど私たちが出会ってから、まだ一週間ほどしか経っていない。立ち入った話をするには、私たちの距離はまだ遠い。


 そのままお菓子を口に運ぶ。甘酸っぱい果実と、甘さが控えめのクリームがよく合っていて、とてもおいしい。


 思わず顔をほころばせると、隣のルクスがほっとしたように息を吐いた。それから私と同じようにお菓子を口にし、くすぐったそうな笑顔を見せる。


 それから私たちは一緒にお菓子を食べて、他愛ない話で盛り上がった。胸の中のもやもやは消えなかったけれど、そうやって彼と過ごすのは、やはり楽しかった。

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