36.とびっきり幸せな旅へ
「荷造りはできたし、馬車への積み込みも終わり! 昼食をつめたバスケットもちゃんと用意できたわ! あと、お気に入りのクッションもちゃんと荷物に入れたし」
「留守の間の僕の仕事についても、ちゃんと代理を立てました。同行する使用人たちも、既に準備を済ませています」
「……本当に我も行くのか」
私たちの屋敷の、玄関ホール。そこに私たちは集まっていた。
玄関のすぐ外には馬車が待っている。いつも出かけるのに使っているものよりも大きな、見た目よりも機能性を重視したがっしりしたものだ。さらにもう一台、使用人と荷物を乗せた馬車も同行する。
これから私たちは、屋敷を離れて旅に出るのだ。それもただの旅ではなく、新婚旅行に。
事の始まりは、ユスティだった。彼は相変わらず、毎日毎日黙々と本を読み続けていた。私たちは時々彼の様子を見に行き、ついでに面白そうな本を一緒になってぱらぱらと流し読みしたりしていたのだ。
そんなある日、私たちは興味深い記載を見つけた。なんでもよその国では、結婚の記念として夫婦で旅行をするという風習があるらしい。それに、私とルクスは同時に食いついた。
「旅行ですか……いいですね」
「しかも、結婚の記念としてっていうのが素敵だわ」
「そうですね。なんだかんだで僕たち、結婚式もパーティーもしていませんし……アウロラ、貴女が望むなら、今から結婚式を挙げてもいいのですが」
「ううん……素敵だとは思うのだけれど、今のところ面倒かなって気持ちのほうが勝っているのよね。堅苦しいのって、ものすごく苦手だし。でも婚礼衣装は着てみたいかも……あっ、そうだわ」
ぱんと手を叩くと、なおも黙々と本を読んでいたユスティが顔を上げた。
「みんなで新婚旅行に出かけて、素敵な場所を探すの。それから、私とルクスがめいっぱいおめかしして肖像画を作るのよ。結婚式の代わりにとびっきりの肖像画を作るのって、私たちらしくていいと思わない?」
そしてちらりとユスティを見る。彼は嫌な予感がしたのか、ほんのわずかに身をすくめていた。そんな彼に構わず、言葉を続ける。
「……私たちの姿を写し取る魔法は、ユスティに頼めばいいし。使用人たちには魔法のことを知られる訳にはいかないけれど、あなたなら何も問題ないわ」
「今の我は、魔法のたぐいは一切使えぬ。人のまま悪魔の力を行使できるルクスとは違い、本当にただの人だ」
「それなら大丈夫よ。ルクスの魔法を借りて、一回だけ彼の魔法をあなたが使えるようにすればいいから。私もそうやって、彼の肖像画を作ったの」
前に作ったルクスの肖像画は、私の自室に飾ってある。毎朝毎晩じっくりと眺めてはうっとりするのが日課だ。
しかしユスティは、心底嫌そうな顔をして固まった。ある意味予想できた反応ではあったけれど。
「悪魔の魔法を借りるなど、屈辱以外の何物でもない。だいたいお前たちの旅行に、我がついていく道理もない」
「でも、この屋敷にあなただけ残していくのも不安なのよね。使用人たちは、あなたの正体を知らないし」
ユスティは、訳あって引き取った遠縁の子供ということにしてある。色々事情があって、貴族として暮らすのは初めてなのだとも。
そういうことにしておけば、彼が多少おかしなふるまいをしても怪しまれることはないだろうと、私たちはそう考えたのだ。
もっとも、主である私たちが普段からそれはもう変わったことばかりしているし、少々ユスティがしくじったところで、使用人たちは誰も気にしないだろう。むしろ子供のすることだと、微笑ましく思ってくれるに違いない。
ただそれでも、彼が一人だけでずっと使用人たちと顔を合わせ続けていたら、ぼろが出てしまわないとも限らない。帰ってきたら大ごとになっていたといった事態は、できるだけ避けたい。
「でしたら、ウェルかティナのところで預かってもらったほうがいいかもしれませんね」
「ごめんこうむる! 悪魔の世話になど、なるものか!」
ルクスの提案に、ユスティが目をつり上げて叫ぶ。しかし今の彼は、衣食住の全てを悪魔であるルクスの世話になっている。どうやらそのことは、思いっきり棚に上げているようだった。
本人は自覚していないようだけれど、最近のユスティはルクスに心を許し始めているように思える。しかし、そこを指摘するとまた泣かせてしまいそうな気がするので、触れないことにした。
知らん顔でにっこりと笑い、別の言葉をユスティに投げかけた。
「だったら、一緒に行きましょう。ここで留守番させるのは少し不安だし、あなたはよそに預けられたくはないのでしょう? なら、みんなで一緒に旅に出るのが一番よ」
「しかし、新婚旅行というのは二人の愛を確かめ合う旅行なのだろう。我がいては、その……お前たちの邪魔をしてしまうかもしれぬ」
「大丈夫ですよ。君がいても、邪魔になることなんてありません」
「人前でいちゃつくのには慣れてるし」
私たちが口々に答えると、ユスティはあきれたようにくるりと目を回した。
「……なるほど。お前たちが過度に羽目を外さぬよう、見張る者がいてもいいかもしれぬな」
まだ手にしたままだった本を机の上に置いて、ユスティがつぶやく。
「それに、人間たちの世界を見て回る好機でもあるな。分かった、我も同行しよう。ただし、仕方なくだぞ」
こうして無事にユスティから色よい返事をもらうことができた私たちは、大張り切りで旅行の準備を始めていったのだった。
そして今日、ついに私たちはこの屋敷を離れ、新婚旅行に出かけるのだ。最低限の使用人だけを連れて、気のおもむくままに素敵な光景を探し、たくさんの思い出を作るために。
「それじゃあ、出発しましょう」
浮かれた足取りで、私が先頭を切って屋敷から出る。その隣には、とても嬉しそうに微笑んだルクスがいる。背後からは、ユスティの足音も聞こえてくる。いつになく、弾んだ足取りだ。
ユスティは不本意だという態度を崩していないが、実はかなりこの旅を楽しみにしているようだった。
ルクスには内緒にしてくれ、という前置きと共に、彼は旅の荷造りについて相談してきたのだ。その時の彼はとてもうきうきそわそわしていて、見た目通りの幼い子供にしか見えなかった。それはもう、可愛らしかった。
三人一緒に馬車に乗り込んで、屋敷を離れる。ユスティは初めての馬車に、興奮を隠しきれないようだった。幼い顔を輝かせて、窓に張りついている。
向かいの席で頬を染めているユスティから視線を移し、窓の外を見た。ルクスと過ごした屋敷が、どんどん小さくなっていく。
何度も見た光景なのに、なぜか胸が苦しくなった。そのままうつむいてしまった私のすぐ隣から、優しい声がする。
「なんだかとても、感慨深いですね」
そろそろとルクスのほうを見る。彼の目は、遠ざかっていく屋敷に向けられていた。
「初めて貴女を屋敷に連れてきた日のことを、まだありありと思い出せます。屋敷の中を歩く貴女の顔が、戸惑いから笑みへゆっくりと変わっていって……本当に、可愛らしかった」
ユスティはルクスの言葉が聞こえていないかのように、両手でしっかりと窓枠をつかみ、じっと外を眺め続けていた。
「あの時は、こんなに幸せになれるなんて思いもしませんでした。悪魔としての使命を果たす、僕の頭にあるのはそのことだけでしたから。その使命を放り投げることなんて、考えもしなかったんです」
ルクスはしみじみと、穏やかに言った。
「……自由って、素敵ですね」
「ええ。……私は子供のころからずっと、自由に生きたいって夢を見ていた。でも普通にもなりたくって、とっても困っていた」
目を伏せてそこまで言ってから、ルクスに笑いかける。
「そんな私に、あなたが自由をくれた。普通でなくてもいいんだって、思えるようになった。ありがとう」
「礼を言うのは僕のほうです。貴女が僕を解き放ってくれたんですから。貴女が僕のところに来てくれて、僕を愛してくれたおかげで。ほら、このハンカチ、いつも肌身離さず持ち歩いているんですよ」
そういって彼は、懐から一枚のハンカチを取り出す。かつて私が刺繍した、あのハンカチだ。しみ一つついておらず、きれいにアイロンがかけられている。
「贈り物を大切にしてもらえるって、嬉しいわね。でも、ずいぶんときれいなままね?」
「もったいなくて、使えないんです。だから、もう一枚ハンカチを持ち歩いて、そちらを使っているんですよ」
ちょっぴり照れくさそうに、ルクスが笑う。その表情がたまらなく愛おしくて、ほうとため息をつきながら彼をじっと見つめる。彼もまた、切なげな目で見つめ返してきた。
「ルクス……」
「アウロラ……」
気がつけば私たちは、すぐ近くで見つめ合っていた。彼の若葉色の目がとっても綺麗で、吸い込まれそうになる。
「おい、お前たち」
やけに不機嫌そうなユスティの声が割って入ってくる。
そちらを見ると、座席にきちんと座ったユスティが、腕組みをしてこちらをにらみつけていた。床に届かない足が馬車の揺れに合わせてぶらぶらしているのが、とても可愛い。
「昼間からこのようなところでふしだらな行いに及ぶのを、見過ごす訳にはいかぬ。お前たちは夫婦ではあるが、節度を忘れるな」
幼い顔に精いっぱいの威厳をたたえ、ユスティは言い放つ。私たちは二人並んで神妙に頭を下げてはいたが、どうしても笑いをこらえることができなかった。
「おい、どうして笑うのだ」
「ふふ、そうね……幸せだから、かもね」
「そうですね、幸せだから笑うんです」
訳が分からないらしく目を真ん丸にしているユスティをおいて、ルクスと二人笑い合う。やがてユスティも、困ったように眉を下げながら口元に小さな笑みを浮かべた。
にぎやかに、楽しく笑う私たちを乗せて、馬車は進んでいく。よく晴れた空には雲一つなく、温かな日差しがさんさんと降り注いでいる。
最高に自由な、幸せそのものの新婚生活は、まだまだ続いていきそうだった。
こちらで完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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(投稿開始後、ここの下にリンクを貼る予定です)




