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2.はじめまして、旦那様?

 誰も通りがからないはずの山小屋。その近くの川辺で昼寝していたら、なぜか知らない男性が私の顔をのぞきこんでいた。しかも彼は私のことを『僕の奥さん』などと呼んでいる。


 まったくもって、訳の分からない状況だった。混乱しながらもそろそろと上体を起こし、私のすぐそばにひざまずいていた男性をじっと見つめる。


 彼はおそらく二十代前半、私より少しだけ年上といったところか。甘く優しい笑みが浮かんだ顔はとても整っていて、つい見とれてしまいそうになる。細身ですらりとした体格は、若い鹿のようだ。ちょっとだけ線が細くはあるが、そこもまた彼の甘やかな面差しとよくつり合っていた。


 ひまわりのような温かい金色の髪に、生き生きときらめく若葉色の目。彼は、たいそう人目を引く青年だった。


 嫌味のない上品な物腰に、まとっているのは上等な乗馬服。おそらく彼は、私と同じ貴族だろう。彼が王族だったとしても、少しも驚かない。むしろ納得してしまう。それくらいに、彼は気品にあふれていた。


「ああ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。僕はルクス、侯爵家の当主です」


 ほんの少し首をかしげて、ルクスは微笑む。とても穏やかな、見る者をほっとさせるような笑顔だ。柔らかくしっとりとした声もまた、彼の容貌にはとても似合っていた。


「は、はい……アウロラ、です」


「ええ。よろしくお願いしますね」


 私が名乗ると、ルクスはひときわ嬉しそうに微笑んだ。透き通った綺麗な笑顔だな、とそんなことを思う。


 その時、ようやく思い出した。そういえば私は、寝間着でごろごろしていたのだった。きちんとしたドレスが苦手な私だけれど、だからといってこんな格好で人と会うのは、さすがに恥ずかしい。


「どうしました? ああ、服装のことを気にされているのですか。僕たちは夫婦なのですし、恥ずかしがることはありませんよ」


 ルクスはやけに楽しそうだ。初対面の私にも、彼が浮かれていることがはっきり分かる。


 いや、それよりも今はとにかく、大急ぎで確かめないといけないことがある。


「その、ルクス、さん……夫婦……というのは、いったい……」


「どうぞ、ルクスと呼んでください、アウロラ。貴女に会えたのが嬉しくて、説明が遅れてしまいましたね」


 ルクスは私の隣に腰を下ろして、これまでのことをすらすらと話し始めた。とても簡潔で、分かりやすい説明だった。


 そして彼の話が終わった時、私はただあきれることしかできなかった。


「……つまり、あなたが私をたまたま舞踏会で見かけて、一目惚れした。そこで結婚を申し込みに私の家に来た、と」


「ええ、その通りです。婚約だけでもと思ったのですが、ご両親と話した結果、結婚の許可をいただくことができました」


「ところが花嫁たる私は既に家を追い出された後だったので、ここまで迎えに来た、と」


「はい。一刻も早く貴女に会いたくて、馬を急かせてしまいました」


「そしてあなたは、私をこのまま連れ帰ろうとしている、と」


「駄目……でしょうか? 貴女をそのまま僕の屋敷に連れ帰って欲しいと、貴女のご両親にも強く頼まれたのですが……」


 私の両親は伯爵とその妻で、ルクスは侯爵家の当主だ。つまり私や両親よりも、彼のほうが立場は上ということになる。それにもかかわらず、彼にはちっとも偉ぶったところがなかった。そのことには、好感が持てた。


 そして、彼は私に一目惚れしたのだと、そう言っている。


 けれど私は知っている。私の考え方、私の素のふるまいは、私に好意を持っている男性たちですら逃げ出したくなってしまうような、おかしなものであるということを。


 どうせルクスも、じきに私に幻滅してしまうのだろう。嫁いで早々に離婚となる未来が見えるようだ。


 どうせ破局するのなら、早いほうがお互い傷が浅くて済む。今のうちに、全部話してしまおう。


 そう覚悟を決めはしたものの、それでもやはり気は重かった。ルクスは私と夫婦になれたのがよほど嬉しいのか、さっきからずっと上機嫌に微笑みっぱなしだったのだ。


 このまま、黙って彼の妻として過ごそうか。そうすれば、ずっとあの笑顔を見ていられる。そんな考えが頭をよぎる。


 でもそれは、無理なのだ。きっちりとしたドレスをまとって、上品に微笑んでいるだけの私、それは嘘の私だから。


 本当の私は、冒険ものの小説に憧れて草地に寝転んでしまう、そんな人間なのだから。家を追い出されたことを喜んでしまうような、そんな娘なのだから。


 一つ息を吸って、背筋を伸ばす。


「ルクス……さん。あなたは、舞踏会での私しか知りませんね?」


「はい。とても麗しい、素敵な令嬢だなと、そう思いました」


「でもそれは……嘘の私なんです」


「嘘、ですか?」


「ええ、そうです。あなたが私の夫となるというのなら……本当の私を知ってもらわなくてはなりません。それは決して、愉快なことではないと思います」


「そうでしょうか? 貴女の別の顔が見られるなんて、楽しみですが」


 どことなく悲痛になってしまう私とは裏腹に、ルクスはやはり嬉しそうな笑みを浮かべたままだ。この笑顔がなくなってしまうのかと思うと、ちょっぴり胸が痛い。


 けれど、もう後に引く訳にもいかない。もう一度、深呼吸する。後ろを確認して、いきなり寝転がった。


 頭上には、たくさんの木の葉を茂らせた枝がのびやかに広がっている。明るい緑色の葉の隙間から、澄んだ青空が見えている。その様は繊細なレースのようで、とても美しい。


「普段の私は、こんな風に好き勝手にふるまっています。舞踏会の時なんかはきちんとしていますけれど、そうやって淑女らしくふるまっているのは、苦手なんです」


「ええと……それではもしかして、貴女は好き好んで地面に寝転がっているのでしょうか」


「はい、実はそうなんです。子供の頃に読んだ、冒険ものの小説に憧れて」


「そういうことだったのですね。さっきここに倒れている貴女を見た時は、どうされたのだろうか、どこか悪いのでしょうかと、心配だったんです。でも、そうではないようで良かった」


 ルクスは心底ほっとしたように、ひときわ優しく笑いかけてくる。今までに、こんな反応を返してくる人はいなかった。大いに戸惑いながら、さらに言葉を続ける。


「普通の令嬢であれば、いついかなる時もきちんと装っているのが当たり前です。でも私は、どうもそういう装いをするのが苦手で……ドレスは無駄に体を締めつけますし、化粧をしていると、顔に布を張りつけたような違和感があって、どうにも落ち着きません」


「それで、そのような格好をされていたのですね。でも、飾らない姿も素敵です。それに貴女の美しい髪なら、結い上げずにそのまま垂らしておくだけでもいいと思いますよ」


 そんなことを言いながら、ルクスは草の上に広がった私の髪を一房手に取った。


「ミルクを入れた紅茶のような、素敵な色の髪ですね。すみれ色の貴女の目と、良く似合っています」


 うっとりとした目で、彼は横たわる私を見つめている。令嬢としてはかなり型破りなはずの私のふるまいやいでたちは、彼にとっては一向に気にならないものらしい。


 困った、どうしよう。本当のところを打ち明ければきっと彼も私に幻滅して、結婚などというとんでもない話をなかったことにするだろうと、そう思っていたのに。少なくとも、今まで出会った男性はみなそうだったのに。


 ここから私は、どうすればいいのだろう。心底困り果てて何も言えないでいると、ルクスはそっと私の髪から手を放し、今度は私の手を取った。それはもう、うやうやしく。


「僕は、貴女が何一つ不自由なく、のびのびと幸せに暮らせるよう努力します。ですから、どうか僕のもとに来てください、可愛いアウロラ」


 甘やかな顔にさらに甘い笑みを浮かべ、誘惑するように優しく、彼はささやく。


 なんというかもう、お手上げだった。

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