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1.ぐうたら生活が二転三転

「アウロラ、どうしてあなたは毎日ごろごろしているの!」


「だって、今日は何もない日なんですもの。お願いだからどうか放っておいて、お母様」


 窓の外には真昼の太陽が輝いている。けれど私は寝間着のまま寝台に寝転がり、のんびりと本を読んでいた。お母様は、私のそんなふるまいをどうにかして正そうと、こうして毎日のようにお説教をしに来ているのだ。


「まあっ、なんて口のきき方なの!? あなたは仮にも伯爵家の娘なのよ、そんなに自堕落でどうするの!?」


「だから、お茶会や舞踏会の時はそれらしくふるまいますから。今は休憩中なの。自由にさせて。一人でいさせて」


「いい加減になさい!!」


 部屋じゅうに、お母様の金切り声が響く。思わず両手で耳を押さえた。


 今日は来客もないというのに、お母様は上品でつつましやかな、伝統的なドレスをまとっている。一分の隙も無い、淑女の手本のような装いだ。


 胸から腹にかけてコルセットでぎっちりと締め上げられているはずなのに、何をどうやったらあんな大声が出せるのだろう。いつも、不思議でならない。


 お母様がまだ何事か叫んでいるのを、そっと聞き流しながら、一人こっそりと物思いにふける。


 私は静かなほうが好きだ。他に人がいないほうが好きだ。そのほうが、のびのびと過ごせるから。


 視界の端で、カーテンが心地良いそよ風に揺れているのが見えた。ああ、お昼寝したいなあ。人目を気にせずにずっとごろごろしていられたら、どれほど幸せだろう。お説教、早く終わらないかなあ。


「……もういいわ。今日のところはあきらめましょう」


 あからさまに話を聞き流し始めた私にあきれたのか、ずっとぎゃんぎゃん騒いでいたお母様が、がっくりと肩を落として去っていく。気のせいか、やけに思いつめたような目をしていたような。


 まあ、いいか。これでひとまずは、平和に過ごせる。窓の外から聞こえてくる小鳥の声に目を細めながら、もう一度本を手に取った。




 それから数日は、つつがなく過ぎていった。なんとも不思議なことに、ここ数年の日課となっていたお母様のお説教が、ぴたりと止んでいたのだ。そのことが少々不気味ではあったけれど、だいたいのところは素敵な日々だった。


 寝台の上で転がりながら、とりとめもなく考え事をする。


 私は昔から、変わっていた。普通の令嬢であれば、子供の頃から一日中きちんとした格好をして、淑女らしい教養――たとえば美術とか音楽とか、そういったものだ――を身につけ、手芸の腕を磨いていく。そうして大きくなったら、友人たちとお茶をし、恋の話に花を咲かせる。そんな風に過ごしていくものらしい。


 ひたすらにたおやかに、つつましく。いつも優雅な笑顔を絶やさずに。それが、淑女としてあるべき姿なのだそうだ。


 でも私は、そんな風には生きられなかった。本を読むのは好きだけれど、女性の好む恋物語や詩集ではなく、歴史書や冒険ものの小説なんかのほうが好きだった。手芸も好きだけど、愛しい殿方のために手を動かすという感情は、どうにも理解できなかった。


 そして何より、私は令嬢らしくふるまうことがとても苦しかった。息もできないようなきついドレスを着て、感情を押し隠すようにおっとりと微笑み続ける。そうしていると、自分の心がちぢこまって潰れてしまうような、そんな風に感じられてしまっていたのだ。


 だから私は、普段はゆったりとした寝間着で過ごしていた。そうして日がな一日寝台の上で、勝手気ままにくつろぐ。屋敷の外に出かける時や、来客をもてなす時だけは必死に普通の令嬢らしくふるまっていたけれど、それが限界だった。


 そんな私のところに、ある日両親が縁談を持ってきた。お相手は、私の家とつりあう格の家の若者だった。


 最初はよそいきの、淑女らしい格好と態度で接してみた。そうしたら、彼はすぐに私のことを気に入ったようだった。それならばと、おそるおそるいつもの私について打ち明けてみた。そのとたん、彼はものすごい勢いで引いていった。もちろん、婚約の話は流れた。


 それも当然か、という気持ちと、やっぱり駄目だったか、という落胆を抱えながら、私は両親のお説教を聞き流していた。


 そんなことが何回か続いたが、私の縁談はいまだにまとまっていない。このところお母様のきいきい声が大きくなっていたのも、それが理由だった。


 あなたはやればできるのだから、いつもきちんとしていなさい。お母様はいつもそう言っている。ちなみにお父様は、特に何も言ってこない。気弱そうな顔をいつも悲しげにくもらせて、お母様の隣でこくこくと首を縦に振るだけだった。


 別に私だって、嫁ぎたくない訳ではない。ただ、普通の令嬢のふりをして嫁いでしまったら、いつか私は壊れてしまうような気がしてならなかったのだ。


 しかし私の本性を知った男性は、もれなく逃げていってしまう。これではどうしようもない。ならばいっそ独身のまま、この屋敷で一生を終えるのもいいかもしれない。どうせうちの家の後を継ぐのは、年の離れた兄なのだし。私の家は裕福だから、私一人を養い続けることくらいたやすい。


 そんな風に気楽に、しかしあきらめをはらんだ気持ちで、私はやはり好き勝手に生きていた。


 だらだらと続くとばかり思っていたそんな生活が一転したのは、ある朝のことだった。






 まぶた越しに、朝の光を感じる。そろそろ起きなくては。でも眠い。侍女が起こしにくるまで、このまま二度寝してしまおうか。


 もう一度意識を手放そうとした時、違和感を覚えた。なんだか、やけに体が重い。頭がぼんやりする。もしかして、風邪でも引いたのだろうか。だとしたら、もっと暖かくして寝直したほうがいいかもしれない。


 全力でまぶたをこじ開けると、全く見覚えのない天井が見えた。驚いて寝台に手をつき、飛び起きる。いつもはふかふかの寝台が、びっくりするほど固く、粗末なものになっていた。


「……ここ、どこ……?」


 私がいるのは、小さくて質素な部屋だった。置かれているのは粗末な寝台と、古ぼけた木の机と椅子、それにたんす。部屋の片隅には、大きな木箱が二つ置かれていた。それが、この部屋の全てだった。


 窓の外には、明るい林と草原が見えている。人の気配は全くしなかった。


 訳が分からないまま、きょろきょろと辺りを見渡す。その拍子に、何かが床にすべり落ちた。


「……手紙?」


 封筒には、お母様の筆跡で私の名が書かれている。ひとまず読んでみようと中身を取り出し、そして、絶句した。


「…………えっ? 何、これ」


『あなたがあんまりにもぐうたらしているから、私たちは少しおきゅうをすえることにしました。何もかも不自由なく暮らしていけたのが、きっと良くなかったのね』


 手紙を両手で握りしめたまま、わなわなと震える。手紙には、ここがうちの領地の中でもとびきり田舎の、人里から離れたところにある山小屋なのだと書かれていた。


 どうやらここには最低限の身の回りの品と、十分な量の食料が用意されているらしい。一か月後に迎えをよこすから、それまでそこでじっくりと反省していなさい。お母様の手紙には、そう書かれていた。


「でも、どうやって……昨夜、確かに私は自室で眠りについたのに……」


『そうそう、昨夜のあなたの食事に、一服盛っておいたのよ。そうでもしないと、あなたは屋敷からてこでも出ないでしょうから。そうやって、眠っている間に運び出すことにしたの』


 あっけらかんとした手紙の文面に、めまいがした。つまり私は、ほかならぬ親の手によって、屋敷から放り出されてしまったのだ。


 それがぐうたら三昧の私を更生させるためなのか、それとも世間体を考えてのことか。そのどちらにより重きを置いていたのか、それは分からない。


『それでは、あなたが心を入れ替えることを期待しているわ』


 そんな言葉で、お母様の手紙は締めくくられていた。


 まったく、思い切ったことをしたものだ。しかし両親は一つ考え違いをしている。


 質素な部屋の真ん中に立ち、思いっきり伸びをする。


「……うふふ」


 自然と、明るい笑みが漏れていた。


「やったあ、自由だわ!」


 両手を高々と上げて、飛び跳ねた。そんなことをしても、誰もとがめるものはいない。だってここにいるのは、私だけなのだから。


 食事の支度に、掃除に洗濯。やることは増えたけれど、自由の代償と思えば安いものだ。家にいた頃、暇つぶしと称して使用人たちの仕事をしょっちゅう眺めていたし、なんとかなるような気がする。


 手紙をたんすにしまって、軽やかな足取りで部屋の外を確認しに行った。




 最低限の家事を手早くこなして、空いた時間は思う存分くつろぐ。そんな山小屋暮らしにもあっさりと慣れた。


 お母様が言っていた通り、私はやればできる娘だったのかもしれない。思ったより、家事労働には向いていたようだった。といっても、見よう見まねでしかないけれど。少なくとも、今のところ暮らすには困っていない。部屋も大体きれいだし、食事も一応とれている。


 ただ、着るものだけは少々不自由だった。ここに運び込まれていたのは、山小屋には似つかわしくないかっちりとしたドレスがほとんどだったのだ。間違いなく、お母様が選んだものだ。


 しかしやっぱり、そんなものを着て過ごしたくはない。仕方なく、三着だけ用意されていた寝間着で過ごすことにした。自室ならともかく、隙間風の吹く山小屋では少々心もとないし、誰もいないとはいえこの格好で外に出るのは少しだけためらわれる。


 けれどじきに、私は腹をくくった。幸い今は暖かい季節だし、誰も見ていない。だったら開き直って、自由に過ごそう。


 そんな風に、ここに放り込まれて半月経った今でも、私はこれっぽっちも心を入れ替えてはいなかった。むしろこの新たな生活を、楽しんでしまっていた。


 そうして今日も、私は一人のんびりとくつろいでいた。ここに来てから、私は新しい楽しみを一つ覚えていた。


 子供の頃に読んだ冒険ものの小説に、ちょうどこんな場面があった。主人公の少年が草地に腰を下ろし、温かな日差しと優しいそよ風を全身で感じながら、のんびりと昼寝する場面だ。


 私はそれを読んでから、ずっと憧れていたのだ。淑女とはまるで反対の、けれど自由で楽しそうなふるまいに。


 この山小屋には、私しかいない。そんな無作法なふるまいをしても、誰もとがめる者はいない。今が、絶好の好機のように思えた。


 日なたの草地に、思い切って寝転んでみた。そうして、その心地良さに驚いた。草の香り、花の香り、水の音、日差しの温かさ。そんなものが一斉に押し寄せてきたのだ。今までの悩み事がまるごと流されて消えていくような感覚に、うっとりとため息をつかずにはいられなかった。


 それ以来、私は毎日のように昼寝にいそしんでいる。


「今日はどこにしようかしら……やっぱり、あそこね」


 山小屋の近くにはせせらぎが流れていて、そのほとりには可愛らしい野の花が咲き乱れている。それらのすぐ近くに、ほっそりとした木が一本生えていた。軽い足取りで、その木に近づく。木の根を枕にして、草地に寝転がった。


「……幸せ、かも」


 くすりと笑って、目を閉じる。そよ風が私の前髪をなでて、ふわりとなびかせていった。




 どれくらいそうしていたのだろうか。あお向けでのんびりと寝こけている私の耳に、かさりという音が聞こえてきた。あれはたぶん、獣だろう。この辺りで見かけるのは兎に狐、あとは鹿といったところだし、放っておいても危険はない。


 そう判断して寝直そうとする私のすぐ近くに、何かがやってきた。さすがに無視できなくなって、目を開ける。


「はじめまして、僕の奥さん。貴女に会えて嬉しいです」


 私の目の前には、優しく笑う若い男性の顔があった。彼は綺麗な若葉色の目を輝かせて、まっすぐに私を見つめていた。

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