平凡とは何たるか
そらの出した案に不満があるわけではないが、本能のようなもので大学を避けていた。学生証も財布に入っていたのだから学生であること、それから出席した方が小説のタネが増えることも薄々分かっていた。だが、案外にもそう思っていても動けないものだ。
そらの後ろをついていくように家を出て、しっかりと鍵をかける。空き巣があった、と最近近くのご婦人の井戸端会議を盗み聞きしていたので用心深くなっているんだろう。
インタビューの際にも使った電車に乗り、栄で乗り換えして金山で降りる。そこから野崎大学行の市バスで行く。
大学の門をくぐると、すぐに声をかけられた。
「そらちゃん、やっほー」
派手なメイクをした女性がそらに声をかける。そらはやっほー、と返した後何事も無かったかのように前を向いてすたすた歩いていく。
その後も何人かに声をかけられたが、、全てそらに対してだった。一緒に歩いている私に向けて挨拶をしてきた人は一人もいなかった。
「お前、人気なんだな」
「大地が不人気すぎるだけだよ」
「そういうもんか」
「文豪会に顔出す?今の時間なら田角君がいるでしょ。後はー…えぇっと」
と、ぶつくさ言っているうちにその文豪会が入っているサークル棟に来てしまった。古ぼけた外観に、焦茶色に錆びた外階段。
「ここの二階の一番奥が私たちのサークル部屋」
「そう。あ、俺が記憶喪失なの秘密な」
「あっ、忘れてた。おけー」
本当に忘れていたのか。お道化ではないか? 疑うあたり、余程上手なんだろう。
階段を上り、一番奥の扉を開く。鍵はかかっていなかった。
「あっ、大空さん、大地さん。お疲れ様です」
中にいた眼鏡をかけた男性がこちらに振り返り、ぺこりと頭を下げる。中肉中背の、どこにでもいそうな人だ。レンズがほんの少し色ついているからブルーライトカット用だろう。そこまで歪んでは見えないし。
内装はいた手シンプルだ。どうやら二つの部屋を繋げて使っているようで左奥に扉があった。他は全て白い机にノートパソコンが置かれている。ただ一つだけ、左側の壁の一番手前の机にだけ原稿用紙が置かれていた。
「もうそろそろ”そら”って呼んでくれない? 私もそっちの方が慣れてるんだけど」
「い、いえいえ。先輩にそれは恐れ多いですよ」
「ふーん、なら仕方ないや。あ、そうだ大地。ここでは自然でいいからね。今までもそんな感じだし」
「あっそ……あ、そうだ。お前は何書いてるんだ?」
私は適当に見渡した後、男が手を置いているノートパソコンに書かれている文面に目を向けた。
「田角正則です。これはコズミックホラーで……」
「ふーん」
名前などはどうでもいい。どうせ他人が付けた最初のタグというだけだ。それよりもどんな小説を書いてるのか。
小説は大抵の人間が書ける。単語を並べればそれは文章になるし、その文章を並べれば小説や論文になっていく。小説であるならば、それをどれだけ美麗に綴るか、もしくは醜悪に描くか。そこで個性が光るし、逆に潰える。
「へぇ、設定はいいんじゃないか。ただ、所々矛盾がある。例えば、このエイリアンはこっちじゃ黒光りって言ってんのに、こっちだと灰色のって書いちゃってる」
「あっ、本当だ。いやぁ、やっぱりすごいですね大地さん。一度目を通しただけのに」
「褒めるな。何も出ない」
「相変わらずですね……」
どうやら本当に数か月前の私は性格が曲がっていたようだ。
この男……田角だっけ。田角の小説は言っていた通りコズミックホラーを題材にしてた。その設定はラヴクラフトの言っている通り、宇宙の法則を無視もしくは粉砕している。平個末会からやってくる人間とはかけ離れた、だが人間の言葉を使う怪物に慌てふためく人類。簡潔にまとめるとこんなところか。確かに面白くていい。だが、その設定が膨大すぎて作品に落とし込めてなかった。
私は印刷されたプロットと画面に映された文章を読み比べてから口を開く。
「なぁ、このアランってキャラ、こんなに設定を追加する必要あるか? 主人公じゃないのに。確かに主要人物だが、これじゃぁ現実離れが激しい。パルクール選手でいてクレー射撃の大会でも入賞した…どっちか削らないか? その小説、一通り見たところパルクール選手ってのが活かせてない。俺ならそっちを削るな」
「確かに。僕も困ってたんです。参考にしますね」
頭を下げてから田角は修正に入った。生真面目なんだろう。
「流石、大地だねぇ」
その光景を傍観していたそらは一言放った。
その言葉に孕んだ意味を知りたいところだが、今はそちらより扉の先の方が気になる。が、鍵かかかっているようだ。
「おいそら。ここの鍵はどこだ」
「持ってるよー。ほら」
そらはぽいと鍵を投げた。先端が丁度手に当たって少し痛かったが、気にするほどでもない。
鍵を開けて入ると、そこは書物の山だった。窓がある一面と、入口の近くを除いて全ての面が本棚になっており、そのほとんどが埋まっている。書類のように数十枚の紙がホッチキスで止められてあものあったが、殆どは小説か論文だ。
「そこね、私たちとか先輩方が書いて個人出版したものとか、出版社に認められて本格的に動いた人のが殆どなの。沢山作品を作ってる人がいたらしくて、月一で出してたそうだよ」
「へぇ、想像できんな。そいつの頭の中はきっと小説一色だ。他のものなんて介入する余地も権利もないだろう」
その人の作品が置かれている棚を見てみると、殆ど惹かれなかった。その中でも辛うじて惹かれるタイトルの作品を手に取ってパラパラとめくるが、支離滅裂で設定もなっていない。これを書いた人はきっと、質より数の精神だったんだろう。別の作品もパラパラとめくってみるが、それはどこかで見たことあるような設定、キャラクターのものが多かった。その行動力は良いが、しかし、作品に愛がなければ読者にも愛は生まれない。その結果、それは読者の、果ては本人の記憶の棚にすら置かせてもらえなくなる。
「なぁ、俺の作品はあるのか?」
「あるよー。ちょっと待ってね」
そう言って取り出した本は、他の小説と比べて分厚くなかった。
タイトルは”悉く”ただそれだけ。何がそうなのか、というのは裏表紙にも書かれていない。先程と同じようにパラパラとめくる。
楽しかった。まるで他人が書いているような世界観、語句選びだった。
全てを知ってしまった、全知全能に限りなく近づいた人間を書いたもので、その達観した価値観は鼻につく。だが、それがいい。今の私では想像もできないような、軽いファンタジーのような物語がそこには展開されていた。
あぁ、こんなものを書いていたのか。これをコピーでもしてみようか。例えばそうだな。タイトルを変えて内容をそのままにして……否、それは私のポリシーが許さない。
「へぇ。やっぱり俺のの作品はいいもんだ」
「あはは。自分の作品に美を持つことはいいんだよ。私も私の作品は好きだし」
「そういやぁ、そらはどんなの書いてるんだ?」
「私? 私はねぇノンジャンルだよ」
言ってそらは二冊の本を取り出した。
”愛を歌う”という背景が桜色のみのカバーの本と、”死を遺す”という黒一色の本だ。
「こういうのって性格出るよな」
「へぇ、じゃぁ私はどんな性格なの? 当てたらジュース奢ってあげる。外れたら大地の奢り」
「……適当に嘯いてみただけだ。タイトルなんぞで性格が分かってたまるか」
大雑把にまとめると、愛を歌うの方はギターと声を使って意中の相手に愛を伝える、失恋話。死を遺すは熟れた男性がカメラを握り締めて世をほっつき歩く。そんなところだろうか。
「全然違うな。作風も同一人物とは思えない」
「でしょ? 他の人の作風を真似るのが得意なんだ。まぁ、単なる真似事だって馬鹿にされたこともあるけえど、真似るのが自分の作風っていうか……」
そこまで言って口籠る。
「別にいいだろ、真似ても。今時まったくもって新しいです。なんてものは滅多にない」
真似るのが悪いわけではない。そこから新しいものが生まれることだってある。だが、どれだけオリジナルになろうとも、似ているという自称評論家の声を聞いている限りは、それは真似事の域を越えない。
二冊を元の場所に戻して作業部屋に戻る。
「あ、大地さん。添削したので見てもらえませんか?」
「嫌だね。他人にばっか頼るな」
「そ、そう、ですよね。頑張ります」
少し眉を八の字にした田角は垂れた眼鏡を派の頭まで持ち上げて、よし、とパソコンに向き直った。
その後ろ姿を見て、平凡とは何なのかという疑問を抱いて部屋を出た。
「じゃ、先生のとこ行こっか。あの人、あまり末のが得意な方じゃないし」
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。これからは与太話ですので、時間がある、興味がある方のみ見ていただければなと思います。
これを読んでいる方の殆どは、小説を含め、何かを作り上げているとおもいます。それは想像であるのか、実物なのか、はたまたネットにのみ残るものなのか。それは分かりませんが、それを楽しんでいるのであればその作られたものも本望でしょう。
ただ、私の高校の友人に同じく小説を投稿している人がいるのですが、何時からか『やらないと』っていう使命感で以て動いてしまっていたようです。疲弊しきっていて、大変可哀想でした。
期日を守るのも大事ですが、それ以上に自分が楽しめなければ作品を受け取る側も楽しめないというものなのかもしれません。
では、このあたりで。
それと、これはここで言っていいものか分かりませんが、評価を付けていただいた方、感想を送っていただいた方、誠にありがとうございます。
追記。ログインしていない方からも感想を受け取れるようにしましたので、どうぞよろしくお願いします。