前世を語るオソロシサ
「うわー、全然変わらないね」
彼女を部屋に招き入れるなり、まるで祖父母の家にやって来た子供のようにはしゃいだ。狭いのに。
そのはしゃいだ足腰は適当なところで落ち着いた。
「あ、私の名前言ってなかったね。二宮大空。”そら”ってあだ名で呼ばれてるよ。ちなみに、文豪会ってサークルの部長やってるの。あ、文豪会っていうのは簡単に説明すると作品を作って皆で添削したり、出品したりするサークルね」
彼女、そらはペラペラと喋り始めた。そこに嘘の気はない。余程の演者でない限りは大丈夫だろう。
「ちなみに、これカラコンね」
そんなの聞いてない。すぐわかるし。
「そう。じゃぁそらって呼ぶね。僕と付き合ってるの? いつから?」
「付き合ってるよ。さっきも言った通りもう別れかけだけど。高二から付き合ってる。覚えてない? あ、覚えてないのか。野崎大学付属高校で二年の時に付き合ってー、それから今までくっついたり離れたりしてた」
私の脳で開けたメモ帳に書き綴る。メモ帳もペンも安物だ。その字だって丁寧じゃない。連綿体という訳ではなく、速記者のそれに近い。
「へぇ」
「そうそう!そんな感じ!いつも低い声だったんだよ!」
えっ?
素っ頓狂な声が上がった。そらはこの低い、私の嫌いな声に酔いしれているようで、こちらの反応など気にしていないようだ。
気にはなっていた。前世はどんな性格だったのか。どうやらあまり好印象を抱かれる、万人受けするような性格ではないことは確かだ。
「じゃぁ、これでいいな」
私は声色を変え、化粧を落とす。
「あぁ、いいねぇ。その顔」
そう言われた私の顔は私が最も嫌いとする顔だ。嫌い、というより遠ざけたい顔か。顔に覇気がなく、醒めた顔だ。
「あ、そういえばまだ小説書いてるの?」
「あぁ。見たことねぇか?”そら”って名前で。鼠に羅生門の羅」
「あー、あれね。えぇっと…なんて読むの?」
「『あい』。そのままだと売れねぇだろ」
「確かに」
ははっ、と笑って続ける。
「昔から独創的だったからなぁ。美術の授業でピカソなんじゃないかっていう変な絵描いてさ。それで美術の先生にアホみたいに特訓されたの覚えてる?あ、覚えてないのか」
からんからん笑う。その後もわざとか忘れっぽいのか、過去の話をしてはあぁ、忘れてるのか、と言ってまた笑う。
「うわぁ、変わらないって言ったけど、本棚の中身全然違うや」
「そんなにか?」
私の家には本棚が二つある。一つは辞典や画集、解剖図など小説の参考や言葉選びに使うようなものばかり。もう一つに通常のノートとスケッチブック。それと少しばかりの小説が並べられている。廃墟を撮った写真集もあるし、有名な画家からマイナーな画家まで、多くの画集を買い集めている。中にはグロテスクなものもあるが、それもいい参考になる。
「そんなにだよ。少なくとも前の大地はメモは取ってもデッサンまではしてなかったし。それに、画集とかも殆どなかったんだー」
パラパラとノートをめくりながらそらはごちる。
「ってか、お前は何でここにいんだよ。家近いのか?」
「大学の先生が全然登校してこない大地を心配したんだよ。今までも何度か来たんだけど、留守だったし」
「あぁ、それ居留守」
「出ろやぁ!」
「知らん女が紙持って家の前にいるんだぞ。誰だってそうする」
確かに、と言いながら今度はスケッチブックに手を伸ばす。またぱらぱらとめくって、途中で手を止める。
「うっわ、グロ」
そう言ってこちらに突き出してきたページには鳥の解剖図が描いてあった。筋肉の形や翼の形状、内臓の位置などが事細かに描いてある。確か、記憶喪失になった三日後あたりに書いたものだ。
実際に鳥を捕まえて解剖したのだが、それを言う必要はないだろう。適当に嘘を並べるとするか。
「あぁ、本に書いてあったんだよ。見るだけじゃ掴めなかったから自分で丸写しした」
「よくここまで考えるなぁ。文豪じゃなかなかいないよ。画家ならいるだろうけど」
私もそうだと思う。絵と違って筋肉の動きがそこまで重要視されない。読者にイメージで掴んでもらうのが小説だ。絵のように分かりやすいものではないのでどんな人物像になりあがるかは十人十色だ。
実際、この鳥の解剖図のページ含めて生物の解剖図の書かれたページを小説に落とし込んだことはない。その他のデッサンも大抵はそうだ。描いたものが小説に必ず落とし込めるかといったらそうではない。
「あ、そうそう。これ」
そらは何かを思い出したかのように肩から下げていたバッグからファイルを取り出し座卓にポイと置いた。
「私のノートのコピー。分かりやすくまとめられてるって先生にも評判だから多分大丈夫」
そう言われたので一枚紙を取り出すと、そこには解読が限りなく不可能に近い、日本語と言えるかも怪しい字が連なっていた。だがなんとなく読める。それは恐らく昔から見続けていたからだろう。
彼女の字が、なんだか懐かしく思える。
「っていうか、まだ紙で書いてるんだ」
こちらが文字の解読に専念している中、そらは勝手に座卓に置いてあった原稿用紙を一枚取り上げ、黙読する。
「ねぇ、何でパソコン使わないの? 変換とか楽だよ」
「使い方分からん。それだけだ」
私は機械が苦手だ。というのも、その構造まで知りたくなってしまって毎回知恵熱が出てしまうからだ。二個ほどスクラップを買い取って分解してみたが、それでもよくわからなかった。なのでスケッチブックにも機械の構造が書かれた絵は一つもない。
そらは二度ほど部屋の端から端を目で往復してから首を傾げた。
「そういえば、スマホは?連絡入れてたんだけど全然反応してくれないじゃん。何、私嫌い?」
「嫌いもクソもあるか。ってか、失くしたんだよ」
は?と呆れ混じりの声を出すそら。
それほど重要なものなのだろうか、と小首を傾げる私に対して、そらは頭痛でもしたのか額に手を当てた。
正直、あれに有用性は見出せなかった。確かにアプリはいいものだが、そう小説の参考にはならなかった。というよりゲームのキャラクターを参考にして小説に落とし込むのが何か嫌だった。性に合わないというかなんというか。
「よし…掃除するよ」
そらはゴミ屋敷ほどではない、だが明らかに散らかった部屋を見まわして大きく息を吸い込んだ後、きゅっと袖をまくり気合を入れた。
「俺は何したらいい?」
「大地がやると余計散らかるし邪魔だから座ってて、それか小説書いてて」
「他人がいるところで書けるか」
なんだか鬱陶しくなってきて私はベランダに出た。この家には狭いベランダがある。洗濯物は先日畳んだのでないが、いつもは何かしらがぶら下がっている。干物を作ろうとしたこともあった。
室外機の上に置いてあるヴィクトリー・シガレットと書かれたシガレットケースから一本取り出して火をつける。それを口に少し当てると、古臭いが、懐かしい味がした。
あまり小説を見ない私にとってはあの分厚さは中々に難しかった。時間かけて読んだが、読んでやったぞという達成感のせいで内容が吹き飛んでしまった。
ベランダからは灰色の瓦屋根が見える。その先には茶色の夜宴、電柱。一か月前には新鮮に見えた景色ももう慣れた。
それから小一時間ほどしただろうか。ぼうっと景色を眺めていると後ろから急に押し出された。というより、何かに抱き着かれた感じだ。まぁ、何かといっても一つしかないのだが。
「落ちるからやめてくれ」
ネックレスになったそらの腕を払って後ろを振り返る。ここで抱き着かれて落ちました、なんてのは手摺の高さからして冗談にならない。
「もっと驚けよ」
不満そうに頬を膨らませるのだが、そこにはどこか私とは別の道化を感じさせる。
「それより終わったのか?」
「うん。全く、ゴミは散らかるし本に埃は溜まるし…まっ、私にかかればちょちょいのといよ。あと、これスマホ。本棚の下に隠れてた」
私は渡されたスマートフォンを受け取り、側面にあるボタンを親指で押す。が、返答はない。どうやら電源が切れていたようだ。まぁもとよりなくても困らなかったものだが。
「ねぇ、部屋掃除してたら色々足りないものあったから買いに行かない? ついでに大学にも顔出そうよ」
「あぁ…えぇっと」
何か適当に用事を作って断ろうとしたが、別に金欠というわけでもないし大学に嫌な思い出、というのも今のところない。というよりあったとしても思い出せない。
「いいよ」
「よし、決定!」
ふんふーん、と鼻歌を歌いだすあたりよっぽど私が恋しかったんだろう。それとも、これもまた道化か。何か、あどけなさをわざと出しているように思えてしまう。
読んでいただきありがとうございます。いつもの如くここからは与太話なので見る必要はありません。
今日は簡潔に……
明日誕生日です。