03.お昼から教会まで
「あら、手伝いに来てくれたの?」
台所に向かったマリスを見て、母親は笑みを浮かべる。
「うん。荷物の確認も終わったし、成人の儀までただ待ってるのも落ち着かないからね」
そう言い、母親の隣に立つ。
「それじゃ、こっちのお肉を捌いてくれるかしら。ふふ、今日は贅沢にお昼からステーキよ」
ふふんっと、何故かドヤ顔をしながらマリスに指示を出す。
マリスとの最後……いや、しばらくの間一緒に食卓を囲む事は無くなるのだ。今日のお昼ご飯は豪勢にいこうと考えているようだ。
「ありがとう。それじゃ、いっぱい食べないとね!」
母親の思いをありがたく思いながら、元気に答える。
「ふふ、食べ過ぎて動けなくならないようにね」
そんな息子の姿を少し寂しい気持ちで答えると、湯気の立つスープに固形のブイヨンを放り込む。これを加えてもうひと煮立ちさせれば、スープは完成となる。その間に、肉を焼けばちょうどいい感じとなる。
マリスは台所の壁に掛けられた包丁を掴むと、まな板の上に置かれた肉を分厚めに切り分けていく。
「あんまり厚くしたら、火が通り辛くなるじゃないの」
己の食欲に正直なマリスの作業に苦笑を浮かべ、母親はマリスのおでこをコツンっと軽く叩いたーー。
「ふぅ、食べた食べた……流石に、もう入らないよ」
「流石に食い過ぎじゃないか? マリス」
かなり分厚い肉をおかわりまでしたマリスに、兄は呆れたように声を掛ける。
両親もそんなマリスの姿に呆れ気味だった。
「まったく。これから成人の儀で、終わればすぐに旅立つっていうのに、そんなので大丈夫なのか?」
父親の言葉に、流石に少しばつが悪そうな顔を浮かべたマリスではあったが、ここは開き直る事にした。
「町に行ったら生活が安定するまでは質素な食事になるかもしれないでしょ? だから、最後にいっぱい食べとかないと、『あぁ、あの時もっと食べといたらよかった』とか思っちゃうかもしれないじゃない」
「お前なら、町の外で肉でも野草でもすぐに狩りで集められるだろう? 狩人としてそれくらいは出来るように鍛えてやったはずなんだがなぁ?」
開き直ってはみたが、すぐさまそんな嫌味を父親から聞かされることになり、ぷいっと視線を逸らすことで誤魔化す事にした。
当分は訪れる事のない家族の団らんを過ごす。だが、時間は着々と進んで行く。
やがて、太陽は頂点近くまで昇り、村にある鐘がゴーンゴーンと鳴らされた。お昼を告げる鐘の音であると同時に、そろそろ成人の儀を始めるという合図でもある。成人の儀を行う住人が居る場合は、この鐘の音が鳴る前に食事を終え、準備をするのが慣習となっている。
「マリス、カリスにお別れを言ってあげなさいな」
鐘の音を聞きながら、母親はマリスに言った。
「うん」
マリスは椅子から立ち上がり、リビングの隅にある赤ん坊用のベッドへと向かった。
ベッドの中には、小さな赤ん坊の姿がある。マリスの弟のカリスだ。
「んー。立派になるまではって考えてたけど、カリスが大きくなる頃には一度帰ってこようかなぁ? 弟に顔も知られていないってのも悲しいしなぁ」
そういいながら、その小さな頭を優しく撫でる。
そんなマリスの様子にカリスはきゃっきゃっと楽しそうに笑う。そして、マリスの指を掴んだかと思うと、素早く口へと持っていき、ちゅぱちゅぱと吸い始める。
「そうしてあげなさいな。カリスだって、立派になったお兄ちゃんを見たいだろうしね。ねぇ~?」
母親もそのマリスの言葉に頷き、そう答えてからカリスを抱き上げ、そのぷにぷにした頬に軽く口づけをしながらカリスにも同意を求める。
もちろん、答えなど帰っては来ないが、カリスは嬉しそうに笑みを浮かべ手足をぱたぱたと動かした。
「マリスにも後でいってらっしゃいのキス、してあげましょうか?」
そして、にんまりとした笑みを浮かべ、今度はマリスへと問いかける。
「や、やだよ! もう子供じゃないんだから、本気でやめてよ!?」
己の頬を押さえ、後ずさるマリスの姿を可笑しそうに眺め、カリスをベッドへと戻した。
「もうしばらくしたら、わたしの代わりにカリスを見にお義母さんが来てくれるから、そうしたら教会に向かいましょうか」
「うん」
別れの時は、もうすぐそこまで近づいて来ていた。
「それじゃ、行ってらっしゃい。ほら、カリスちゃんもお兄ちゃんにまたねって」
マリスにとってお婆ちゃんとなる女性が、カリスの手を取りばいばいと左右に振る。ちなみに、お婆ちゃんとの別れは熱烈な抱擁と共にすでに済ませている。
「はは、それじゃいってきます。またね、お婆ちゃん、カリス」
余りに熱烈過ぎた別れに少々ぐったりとなりながらも、マリスは二人に向かって手を振った。
「それじゃ、しばらくの間、カリスをよろしくお願いします。お義母さん」
母親もマリスに続いてそう言い、ぺこりと頭を下げる。
「それじゃ、教会に行こう。アルスは先に行って、神父様に挨拶をしておくって言ってたよ」
そう言うと、父親は村の中心にある教会に向かい歩き始める。マリスと母親も、その父親の後を追い歩きだす。
「いい天気で良かったな。旅立ちの日が大雨とか目も当てられん」
空を見上げ、父親が言った。
その言葉の通り、空は青く晴れ渡り、雲も遠方にちらほらと見える程度だ。旅立ちの日として相応しい天気といえるだろう。村から町までの道はそう長くは無いが、それでも3時間程度は歩き通す必要がある。これが雨となると、あまり整備されているは言えない道の事だ。靴もズボンも泥だらけにしての旅路となるだろう。
一応、雨具として合羽の用意はリュックの中にしっかりとしてあるが、上半身は濡れないように出来たとしても、足元はいかんともし難いのが現実だ。
「そうだね。本当に、いい天気で良かったよ」
マリスも空を見上げながら、笑みを浮かべそう呟いた。
そんな、取り留めの無い会話を三人でしながら、村の中をゆっくりと歩いて行く。途中、何人かの村人に出会い、成人の祝いの言葉を掛けられる。
「マリスちゃんの朝の挨拶が聞け無くなると思うと、寂しくなるわねぇ」
その中には、そう言ってマリスとの別れを惜しんでくれる人も居た。
「もう何年かしたら、今度はカリスがしてくれますよ。お元気で!」
軽く別れの抱擁をし、それから元気に別れの挨拶をする。
「えぇ、それじゃあね。怪我にだけは気を付けるんだよ?」
マリスの元気な挨拶に笑みで答え、村人はその場を去って行った。
その後も何人かの人と同じような挨拶をしていると、やがて教会の姿が見えてくる。教会は村の中で最も大きな建物であり、また村の護りの要でもある。
注目すべきは、教会の屋根。そこにある十字のオブジェである。その中心には大きな石がはめ込まれていて、良く見ればその石から光が漏れていることが解るだろう。この石は、『護聖石』と呼ばれ。効果の及ぶ範囲内には魔物が侵入できないという力を持った石だ。これは神より与えられた物とされ、管理は教会が厳しく行っている。
「あ、やっと来た。こっちだよ、父さん! もう準備出来てるから、すぐにでも成人の儀はじめられるってさ」
ゆったりと教会へと歩む、そんな三人を呼ぶ声が聞こえた。アルスである。その、アルスの横には一人初老の男性が立っていた。この教会を任されて神父であった。
「こんにちは。神父様、今日はどうぞよろしくお願いします」
神父の前に立った父親がそう言って頭を下げた。それに合わせて、母親とマリスもその頭を下げて挨拶をする。
「あぁ、任された。それにしても、マリスくんももう成人か……私も歳をとるわけだな」
そう笑いながら、少し薄くなった頭をペチリと叩き神父が笑った。
「はは、またまた。神父はまだまだお若いですよ。聞いてますよ? 最近、ミテリさんといい雰囲気だとか」
そんな神父に、父親が悪そうな笑顔を浮かべ揶揄いの言葉を掛ける。
「え? あ、それは……ごほん! では、成人の儀を始めましょう。マリスくんはこれから旅立つのだろう? なら、少しでも早く町につけるようにしないとね!」
誤魔化すように咳を一つ。それから、慌てて準備をし始める神父であった。ちなみに、ミテリさんとは未亡人の女性であり、二人の子持ちでもある。
「まったく、男ってのはなんだかねぇ……」
そんな二人の様子に母親は呆れたように溜息を付く。
「マリスは、あんな大人に成るんじゃないよ? まぁ、あんたはあの人よりしっかりとしてるし、大丈夫だろうけどね。ほら、こっちに来なさい。少し、服が乱れてるわよ。直してあげる」
「はぁい」
いまいち良く分からずそんな光景を眺めていたマリスであったが、母親にそう言われて素直にその身を任せた。普段なら『自分でやるよ!』と言うところだが、今日が別れの日となるからだろうか、母親に全て任せるマリスであったーー。
次回は「04.教会からしばしの別れまで」となる予定です。
早ければ、夜にでも公開します。
スローライフ冒険譚!やさしい世界!そして、分かりやすサブタイトルを物語の芯として頑張って書いていきたいと考えております。楽しく読んでいただければ嬉しく思います。