第9話:「死期」
黄色に染まる太陽の下。
視線の大雨が、降り注ぐ。
……やっぱりか。
見えない圧力に気圧されるようにして、俺の心は萎んでいく。
……やっぱり、俺が疑われるのか……。
……殺人鬼の弟、だからな……。
容赦なく叩きつける視線の嵐。
畏怖するような。
軽蔑するような。
何とも言えない、重たい雨粒を一身に受ける俺。
しかし……。
殊の外、心の痛みは想像していたほど深くないような気がした。
何故だろう……?
何故、こんなに平気でいられるのだろうか?
疑いの眼差しを浴びる前から、疑われることは何となく予想していたけれど……。
心がメキメキと軋むんじゃないか、と予想していたのだけれど……。
何故だろう……?
何故、俺はこんなに平気でいられる?
と、突如、俺の肩に柔らかい手がガシッと覆いかぶさった。
「……み、皆さん! そんな目で松添くんを見るのは止めてくださいっ!!」
「……」
「……」
動きを止める空気。
頬を伝う汗。
高まる鼓動。
状況が……?
い、一体、何が起こっているんだっ!?
俺はおそるおそる手の主に視線を向けた。
萌奈……!?
栗毛色の髪の毛が、降り注ぐ太陽光を眩しく反射させている。
不意に湧いてくる微かな勇気と希望。
そうだ。
……萌奈は、俺の味方なんだ!!
心が深く傷つくはずないじゃないかっ!!
萌奈が、護ってくれるのだから。
ありがとう……。
本当に、ゴメン。
俺、役立たずで……。
目を瞑る。
その場にうなだれる俺。
不意にこみ上げる感情。
目頭が熱く、塩辛くなる。
……ゴメン。
悔しい。
悔しい……。
自分が許せない。
本当に、無力で。
「……」
「……」
やがて、複数の足音が鼓膜を刺激し始めた。
足音の群れが、俺に近づいては消え、近づいては消えていく。
どうやら、「子供」たちが各々の教室に帰っていくようだ。
ややあって、足音が完全に途絶えた。
まつで何事もなかったかのように。
視線の雨もすっかり降り止んでいた。
「……」
静寂に満ちた空間。
俺はおそるおそる顔を上げた。
「うっ……」
眼前に広がる、1-1の遺体の山。
紅い文様が枯葉の絨毯を蹂躙している。
絨毯の上に寝転ぶ、十数体の遺体。
首から上を失った者も。
内臓をぶちまけている者も……。
「子供」を嘲り笑っているかのような惨状。
視界に入れることを拒みたくなるほど、真っ赤に染まった枯れ葉の山。
相変わらず、「子供たち」の技術では判断できないような、深い抉り傷を彼らの顔に刻み込んでいる。
言葉が、出てこない。
なぜか、つーっと頬を伝う涙。
……だ、誰が、こんなひどいこと……?
……誰が?
くそっ……!!
ドゴッ!!
乾いた土を渾身の力で殴りつける俺。
……俺は「子供」たちが憎いはずなのに。
俺の両親と兄貴を奪い去った、「こいつら」が憎いはずなのに……!!
何でっ!?
何で、こんなに悔しいんだろう!?
何で、「こいつら」を殺した真犯人のことを許せないと思うんだろうっ!?
わからない……。
自分の気持ちが、整理できない。
ダメだ、頭が痛い……。
ドサッ!!
不意に、うずくまった俺の背中に何かが圧し掛かってきた。
「っ!?」
人間のような柔らかい感触。
何……?
ドクッドクッ……。
鼓動が跳ね上がる。
と、栗毛色の甘い香りが鼻を突く。
ハッと我に返る俺。
「もっ……萌奈!?」
何と、萌奈が俺の背中に倒れ込んできたのだった。
可愛らしい安息なる寝顔。
どうやら、この惨状を見て気絶してしまったらしいっ!!
「……し、しっかりしろ!! 萌奈っ!!」
だらんと力なく伸びた萌奈の両腕。
萌奈を背におぶりながら、紅葉の舞う道をズルズルと歩いていく。
まるで、俺たちを追い立てるかのように、フラフラと覚束ない紅葉たちが降り注いでくる。
それらが、俺に一抹の焦燥感を芽生えさせる。
早く、ここから立ち去って。
早く、安全な場所へ!!
逃げなきゃ!!
……萌奈、どうか無事であってくれよ……!!
俺はひたすら家路を急いだ。
救急車に頼っている余裕などないっ!!
そもそも、あんなものは救急車なんかじゃない。
ただの救急隊員のコスプレ集団だ!!
そんな奴等に萌奈を診せる必要なんかないっ!!
萌奈はさっき、俺を助けてくれたんだ……!!
だから、今度は、俺が萌奈を助けなきゃっ!!
俺が……っ!!
絶え間ない紅葉の道を進んでいくと、突如、数メートル前方に長い3つの人影が映った。
「あ……?」
俺は息を漏らした。
立ち止まる。
ハアハア……。
荒々しい息を整えようと試みる。
両目に全神経を集中させる。
3人の男女。
1人は、黒い艶やかな髪を腰まで伸ばした女性。
俺に背を向けて顔までは窺い知れないが、かなりの美人とも思える。
もう1人は、大柄の、眼鏡をかけたスーツ姿の男。
そして、その2人の前に浮かんでいるもう1人は……。
顔が……抉り取ら……?
「はっ……!?」
「!?」
突如、俺の息に気づいた2人の男女がこちらに視線を向けてきた。
俺も思わず、ぎこちなく身構える。
こいつら……。
危険だっ!!
頬を伝う冷や汗。
鼓動がバクバクと跳ね上がる。
しかし、萌奈をおぶっているため、十分な戦闘も行えない。
逃げることもできない。
どうする……!?
冷静さを失い、脳が上手く働かない。
脳に響いてくるのは、徐々に加速する鼓動だけであった。
しばし、両者の間で意味深な沈黙。
紅葉が両者の間にヒラヒラと割って入った。
「……」
「……」
脳が徐々に機能し出したかと思った矢先、突如、女性の真っ赤な唇が開かれた。
「アンタ……確か、ニュースで報道された大量殺人犯の弟だろ?」
「んなっ……?」
カチンときた。
怒りで血液が逆流する。
「大量殺人犯」という単語に。
しかし、ここで怒りを露わにしては殺されかねない。
抑えろ……。
抑えるんだ……。
俺だけの時ならまだしも、今は萌奈もいるんだぞ!!
俺は歯を食いしばって、言葉を口内に押しとどめた。
悔しい……けど。
ここで、殺されては元も子もないぞっ!!
賢くなれ、俺……。
今は、生きのびることだけを、考えろ。
頬を伝う冷や汗。
俺は、ぎこちなく頷いた。
女性は、真っ白い歯を見せた。
「やっぱりそうか。どうりで見たことある顔だと思った。今、お帰り?」
「……」
再び、俺はゆっくりと頷く。
頬を伝う冷や汗の量が増え行く。
暴れる鼓動を押し殺し、次の言葉を、神経を使って待つ。
「ふーん……学生も昔以上に暢気な生き物になったのね。でも、相変わらず生意気なのよね」
女性はキッと鋭い目つきでこぼした。
「だから、ガキって嫌いなのよね……」
ゾクッ……。
背筋に言い知れぬ寒気が走った。
こいつら……マジでヤバイ。
ここにいたら……間違いなく殺られる!!
こいつらは……「大人」だ!!
と、傍らの眼鏡男の腕がジャキッと鳴った。
男の手には、黒いものが収まっていた。
ピストル……。
視界に飛び込んできた瞬間、いよいよ鼓動が落ち着きをなくした。
ドクドク……!!
ヤバイ……。
助かる気がしない。
怖い……。
逃げるか!?
でも、どうやって!?
萌奈もいるのに……!?
萌奈を置いて逃げるっていうのか!?
いや、そんなことできるわけないだろ!!
でも……?
どうしよう!?
押し寄せる鼓動の波と眼前に広がる光景が、確実に俺の精神を蝕んでいく。
もしかして……。
こいつらが1-1の連中を……!?
突如、女性の真っ赤な口から残酷な言葉が発せられた。
「お祈りの時間だよ」