第8話:「地獄」
蒼い闇に包まれた森の中。
……ハア。
ハア……。
ハアッ……!!
99人目……。99人目。99人目っ……!! 99……。99人目っ……!! 99よ……!!
あ、あと1人で……。
つ、ついに……!!
不意に右足に重たいボールがぶつかった。
「い……いた、ひい……」
目の前に転がる、歪な少女の頭。
ボールは真っ黒に染まりながら、か細く泣きじゃくっている。
いたっ……!!
不敵な笑顔。
真っ白い歯が闇夜から覗く……。
見いつけたあ……!!
と、手の中の鋭利な銀色の刃を闇の中に振り上げた。
そして、少女の顔面に向けて、それは一直線に振り下ろされた!!
ズブッ……!!
「は……っ!?」
ボールの穴から、夥しい量の噴水が闇の中に湧き上がった。
最期の言葉が闇夜の中に吐き出された。
まるで、空気を失ったようにボールはみるみるうちに萎んでいく。
「……ハア。……ハア」
蒼い闇に包まれた森の中。
周りには絶命した少年・少女の群れ。
まさに、地獄の光景。
夥しい量の濃い液体が、赤茶けた土を汚していた。
夜明けの予感。
鳥の清涼なさえずりがこだましている。
みずみずしい時間。
秋の空に、肌寒さも覚える。
真っ赤に染まった肩を上下する。
……。
……。
こ……これで、100人目……!!
どす黒い笑顔が、朝霧の中に咲いた。
冷涼な青空。
赤茶けた木々が群集する山間部。
秋の訪れ。
人気の無い校庭を横切る俺と萌奈。
「……」
「……」
俺はチラリと傍らの萌奈を振り返った。
萌奈は相変わらず、すました顔で歩いていた。
萌奈は、皆から畏怖されている俺に対して、何の警戒心も抱いていないようだった。
普段の生活でも、俺とすれ違えば話しかけてくれるし、この前は俺のお弁当を作ってきてくれた。
兄貴が逮捕される以前と何ら変わることのない態度で接してくれていた。
ただ……そのせいで、萌奈まで皆から忌み嫌われるようになってしまっていた。
何で、そこまで……?
何で、自分を犠牲にしてまで他人のことを助けようとする?
同情のつもりなのか、それとも……。
杏奈とは違い、表情にあまり出さないタイプの萌奈は、正直何を考えているのか俺でさえもわからない。
でも……。
もし……萌奈が何かを企んでいるなら……。
ゾクッ……!!
背筋に一筋の寒気が縦断する。
でも、そんなことはない!! と信じたい。
今、この状況で俺が縋ることのできる人は萌奈しかいないのだ。
あの時の、杏奈と思しき斜光の中の人物は、いつの間にかいなくなっていた。
あれは、夢だったのかな……?
寂しさが幻想を招いたのだろうか?
信じられない……。
まあ、とにもかくにも、俺はもうこの萌奈に頼るしかないのだ。
今は……ただ、様子を見よう。
今は……萌奈に頼っていよう。
意思決定には時期尚早と言ったところか……。
「……ん?」
艶やかな少女の声が耳をかすめた。
「……松添くん?」
失われていた五感がようやく回復した。
栗毛色の少女が伺うようにして、俺の顔を覗き込んでいる。
……ハッ!?
「……お、おわあっ!? な、何だ!? 萌奈」
やや仰け反るようにして、情けない悲鳴を吐き出す俺。
萌奈はクスッと微笑んだ。
「どうしたんですか? 私の顔をジロジロと見て……」
ドキッ……!!
ば、バレてるっ!?
顔に血流が集中するのを感じる。
「い、いやっ!? べ、別に深い意味はっ……!!」
「……そうですか?」
萌奈はしゅんと哀しげな表情になった。
な、何で……!?
……何だ、その反応!?
まるで、こっちが悪いみたいじゃないかっ!!
謝るべきなのっ!?
これ?
……。
「……す、すまん!」
意味もわからず頭を下げる俺。
「……え?」
萌奈の表情が凍りついた。
……あ、引かれた?
まずい……!
萌奈は大切にしないといけないのにっ!!
俺のことをわかってくれる唯一の……。
と、懸命に頭を下げ続ける俺に、萌奈はやや慌てた素振りの声を上げた。
「ちょっ……松添くん。恥ずかしいから止めてください」
萌奈の声色が嫌がっていると感じ取れたので、俺はすぐさま頭を上げた。
萌奈の少し恥らうような表情が目に映った。
「……わ、わかった」
……ホッ。
萌奈には、味方でいて欲しい。
ともかく、縋るものが欲しかった。
でも、それが身近な人ほど嬉しいことは言うまでも無い。
……怖いけど、この世界を生き延びなければいけない。
俺はそう決意したのだ。
真っ赤なサイレンが闇夜に沈んでいった時。
橙色の斜光の中の少女に全ての感情を委ねた時。
だから……俺は、生きなければならない。
そして、失ってしまった両親の温もりを、取り返さなければならない。
大人も、子供も共存できる世界を……。
もう一度。
それが、今の俺の密かな目標である。
校舎前が異様なくらい騒々しかった。
校舎の中から十数人の子供たちが飛び出してきては、校舎の裏の方へ、つまり裏山の方へと消えていくではないか。
……どうしたんだろう?
不快な焦燥感に掻き立てられる。
ドクンッ……ドクンッ……。
ただならぬ空気。
……まさか、また殺人事件でも起きたのかっ!?
「そこにいるのは、松添と伊達だなあっ!?」
突如、のんびりとした声が校舎の中から飛び出してきた。
校舎の方に目をやると、やせ細った若い男が扉にもたれかかるようにして、靴を履いていた。
見覚えのある、男だった。
「あ、平尾先生!?」
「おう、今日は急遽、休校だ! 早く帰んなさい!」
急遽、休校だと!?
平尾の言葉を素直に理解できず、俺は平尾に尋ねた。
「えっ!? 休校!? な、何があったんですかっ!?」
「裏山で、また本校生徒が殺害されたんだ! しかも、1−1の生徒が全員殺害された!」
何っ!?
1−1……全員!?
「ともかく、今日は早く帰りなさい!」
平尾はそれだけ吐き捨てると、パタパタと校舎の裏へと走り去っていった。
……。
ドクドクドクドク……。
心臓の鼓動が笑い出す。
……。
……一体、誰がそんなことを……!?
1−1が、全滅……!?
そんな……。
そんな馬鹿なっ!!
「……くん」
不意に強い口調の言葉が耳を突いた。
萌奈の厳しい表情。
「!?」
突如、萌奈が俺の手を掴んで走り出した。
……!?
萌奈!?
「ちょっ!? 萌奈……」
萌奈の厳しい表情が目に映った。
「いいからついてきてください!」
萌奈は校舎の裏、裏山の方へと風を切って走り出した。
赤茶けた紅葉林の下。
数十人もの群衆が、何かを取り囲んでいた。
悲鳴とヒソヒソ話が交錯している。
ドキッドキ……。
心臓の鼓動が激しくなる。
走っているからじゃないな……これは。
……。
緊張感、からだよな。
ドキンッ……。ドキン……ッ。
この群衆の目前には、一体、どんな恐ろしい光景が待っているのだろうか……?
地獄の光景……。
赤に支配された光景……。
ダメだ……!!
考えただけで、怖気がする!!
怖い……。
萌奈は掻き分けるようにして、群衆の中を進んでいく。
俺も遅れじとばかりに、周囲にはびこる奴等をなぎ倒していく。
前方の萌奈が不意に立ち止まった……。
どうやら、先頭に出たようだ。
ドク……ドク……。
ドクン……ドクン……。
い、一体、そこにはどんな光景が、待っているんだ……!?
ドクッ……。ドクッ……。
周囲に漂う、形容し難い、生肉と鉄を混ぜたような異臭。
萌奈の背後から、「ソレ」は見えた。
「う……」
まさに、目に飛び込んできたものは……。
枯れ葉の絨毯。
ところどころに真っ赤なジャムが付着している。
そして……。
その絨毯の上に力なく寝そべる20人くらいの少年少女。
少年少女たちの顔は、原形がわからなくなる程に抉り取られていた……。
赤茶色く染まった頭蓋骨が暴かれる。
それはまるで、丸齧りされたりんごのようだった。
その「りんご」に集るのは、無数の濃緑のハエだった。
まさに、地獄の光景。
突如、胃袋が奇妙な痙攣を催した。
瞬間、喉元を熱く酸っぱいものが掠めた。
口が開かれる。
……げえ。
ボトボト……。
突如、茶色い流動物が、吐き出された。
乾いた地面に染み付いていく。
手をついて倒れこむ俺。
……。
……ぐっ。
……気持ち悪い。
……ゲホ。
……だ、誰が、こんなひどいことを……?
「……」
「……」
冷たい視線。
複数の。
痛々しい視線が俺を見下している。
「……あ」
思わず、宙を見上げる俺。
寒気。
……やっぱりか……。
予想は、していたけど……。
……やっぱりか……。
「お前ら」は、そう考えるわけだ……!!
ハハッ……!!
群衆が、倒れこんでいる俺を軽蔑するような目で見下ろしていた。